らーめん丈屋.com

らーめん丈屋のメニューやイベントを発信します!

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トンコロらーめん

2014-03-25 21:37:18 | メニュー
柔らかく煮込んだ「豚すじ肉」。美味しいので是非食べてもらいたいと、試行錯誤して行きついたのが「トンコロらーめん」。
最初のイメージは牛タン定食についてくる「テールスープ」でしたが、刺激もちょっと欲しかったので、ほんの少しだけ辛みを加えて餡掛けにし、さらに溶き卵を入れ食感の楽しさも感じてもらえるように仕上げました。
ベースは塩味です。フワフワ玉子と熱々の餡掛け、キクラゲのコリコリした食感とトロトロのトンコロ。これで不味いはずがありません。箸が止まらない「トンコロらーめん」は気まぐれメニューで本日より発売しています。久々に納得のうまいぜ!めいびー。
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~石垣島ラー油~

2014-03-24 16:39:09 | 日記
以前から気になっていたペンギン食堂の「石垣島ラー油」。偶然遭ったお客さんにお土産で貰いました。
家では市販のラー油を食べているのですが、石垣島ラー油を食べると香りも辛さも全く違います。しかし、香りが立ってる分料理を選ぶかもしれません。
昨日は鰹の刺身を薄く造って、石垣島ラー油、ニンニク、塩で食べました。これが実に旨い。パプアニューギニアに行ってた頃は、よくこうやって食べたものです。脂ののりが悪い魚には脂を補ってやるという考え方です。
石垣島ラー油、食べてみて自分にも出来そうなので近々挑戦してみたいと思います。やっぱり話題になることはあるぜ!めいびー。
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~三代目誕生~

2014-03-18 18:11:55 | 日記
ラーメン屋になって今年で10年になる。修行したこともなければ、テボさえ触ったことがない状態でのスタートだった。醤油は旭川ラーメン、味噌は札幌ラーメン、塩は博多ラーメンを目指して作ってたがスープが一種類しかないため、なかなか思い通りに作れなかったことを思い出す。その時、息子は小学3年生だった。スポ少の野球がない時は店の丼洗いを手伝い、次第に賄いも自分で作るようになった。今は店の厨房に立ってラーメンを作ってる。高校をリストラされたので、本格的に厨房に立ち始めて3年以上になる。その息子が昨年結婚し、そして今日親になった。将来、ウチの店があるのかどうかわからないが三代目が誕生した。箱根駅伝ではないが、暖簾を繋いでいくことが大事なことだとつくづく思う。親バカと言われても仕方ないが、出産に立ち合った息子が「腹が減った」というので、今回だけは野菜嫌いの息子のために、野菜を抜いて弁当を作ってやった。
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赤い悪魔 近日発売予定

2014-03-12 23:25:06 | 日記
お客さんに「チャーハンはないんですか?」と、よく聞かれる。ラーメン屋は中華料理屋じゃないよなと思いながらもリクエストに応えたくなる。
毎日のようにチャーハンを作って、一定以上のレベルを目指す。気がついたことは「チャーハンは難しい料理じゃない!」ということだ。普通のチャーハンなんか提供したくない。そこで!ジャージャー麺のレシピを使って「赤い悪魔」を作ってみた。これは美味しい。暑くなって、食欲が減退した時にはピッタリのメニューだ。
暑くなったら販売します。鬼辛チャーハンだって、うまいぜ!めいびー。
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東日本大震災から3年 ~石巻~

2014-03-11 11:09:31 | 日記
あの悪夢のような東日本大震災から今日で3年の月日が流れました。
聴いたことがない携帯電話の嫌な音。間もなくお店が強く揺れ、屋外に避難。まるで船上にいるかのような感じでした。携帯電話を見ると、震源地は宮城県沖とのこと。実家や親戚、友達の安否が気になります。横手市内も停電してしまっているので全く情報が入って来ません。
そして翌日、東松島にいる友達と連絡がつき、彼は親を探しに石巻市内にいるとのことで、状況を話す彼の言葉に耳を疑いました。「お前の家族は大丈夫か?こっち(石巻)に来るのなら覚悟して来いよ!胴長を着てないと道路は歩けない。それと死体を掻き分けながら歩かないとならない。」そんなに酷いのか…。いくら携帯電話に電話しても親兄弟とは連絡がつきません。うちの実家は海岸から1.5kmほどの渡波地区にあります。これは行くしかないと思い鳴子を通って石巻へ。停電しているので信号は消えたままで、交通整理の警察官さえいません。石巻市内に入っても内陸側は然程変わった様子もありませんでしたが、感じたのは自衛隊の車両が異常に多いなということくらいでした。地元の人しか知らない裏道を通って山を越え、見慣れた美しい石巻湾が眼下に広がるはず…でしたが、そこには変わり果てた風景があり、まるで空爆でもされたかのような光景でした。母校は一階部分が海水で覆われ、車は殺虫剤をふりかけた後の虫のようにひっくり返っていて、車を失った大勢の人々が歩いています。幸い親兄弟は二階にいて助かりましたが、逃げ遅れたから助かったと言ってました。貴重品をまとめて逃げ出そうとした時に津波が来たそうです。車で逃げた人の多くが、渋滞で津波に飲み込まれて犠牲になったそうです。この東日本大震災で、知人や親戚、同級生やその親など多くの人が犠牲になりました。心から冥福を祈るとともに、日々平凡に大好きなラーメンを作れること、それを食べに来てくれるお客さんに感謝したいと思います。合掌。
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