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日記、日々の想い 

木を植えた人、その遺産



 いやあ、さすがに、さつきの季節も、終わりましたね。でも、やっぱり、皐月は、随分と長く楽しめました。これは、もちろん、自分の手柄などでは、ありません。義父が、植えてくれた木々たちですからね。義父の弟子として、手入れしてきた妻にも、もちろん、お手柄は、あるのでしょうが。不肖の婿の自分には、まったく、何の関係もありません。それにも、関わらず、勝手に、愛でていた訳です。

 義父は、幹部社員でもあった重機械メーカーを退職後、長年の技術を活かして、部品会社の下請け仕事を、していました。昔は、定年も早かったのです。しかも、何故そうなったかと言うと、義父が勤めていた国策企業とも言える会社が、高度成長期の終わりに、一度傾いたからです。退職金を、あまり貰えないくらいに。
 この21世紀になって、不祥事出まくりで、海外の会社の傘下にならざるをえなかった。会社を、切り売りしまくりで、何とか残った、あの国家機密だだ漏れ大丈夫?と疑いたくなる、元代表的重電メーカーです。OBの義父も、草葉の陰で、泣いていると思いますが。とにかく、かなりの高所得者だった義父でも、普通の定年退職でしたが、退職金など、雀の涙だったようです。
 義父は、戦前、出征すると、今の都市対抗野球にも出たことのある体育会系だったことも災いしたのか、従軍地も、帰るに帰れないビルマ、今のミャンマーですね。と、最悪でした。だから、戦後、植民地宗主国の手先となって戦った父と変わらず、復員迄、終戦後、一年もかかっています。
 だから、復員時は、既に30代。結婚も、更に遅くなって、晩婚です。でも、定年は、昔の五十五歳での定年です。だから、お金が色々とかかるお嬢様学校に通っていた妻は、長子にも関わらず、まだ、高校生だった訳です。お金は、まだまだ掛かりまくりです。義弟もいますからね。それで、義父も、伝手を辿って、自営の下請け仕事を、せざるを得なかったようです。
 まあ、そんな事で、妻も、今までほどの恵まれた生活も出来ずに、迷走します。その迷走の果てに、生涯迷走の原因となる、生きている迷走、生きている混沌の、実は、ただの怠け者の、自分と出会った訳です。まあ、お互いの人生の一欠片の可能性さえ放棄したとも言える、道行きと言った感じでしょうか。
 あっ、ごめんなさい。自分は、生きている不可能。或いは、すべてを不可能なこととして、放棄して、究極の怠惰、無為を望む人間ですので。自分の辞書には、「不可能」とか、「だるい」と言うような文字しか、ありません。
 まあ、その辺りの事情は、ともかく。自分たち夫婦は、何とか、見た目だけは、少しまともになっていきます。公団、今のURですね。賃貸の1DKを、出発点にして。辺地でしたが、分譲マンション。やがて、大辺地の一戸建てと、少しまともな生活を、出来るようになっていきました。お恥ずかしい話、自分たちの出発点は、色々と駆け落ちレベルのやり方でしたので、弟妹にも責められていた義父は、ほっと、一安心だったと思います。
 義弟は、父親に似て、手先が器用てす。ただ、興味は、もっぱら、バイクツーリングとか、クルマです。だから、義父の大好きな園芸には、まったく興味がないようでした。一方、妻は、園芸好きです。それなので、義父は、娘が一戸建てを買ったことをきっかけに、我が家に、木を植えに来てくれるようになったのです。実家で、恐らく、娘の為に、育てていた苗木を、たくさん持って。

 多分、義父が、そうしたのは、あまり義父の園芸に、興味のない息子の義弟よりも、興味があり、熱心な娘に、自らが培ってきた、園芸知識や成果を、引き継いで欲しかったんだと思います。ましてや、義母は、若い頃から、高血圧症に苦しみ、四十代で倒れて、障害を負って、半ば闘病生活にありました。だから、夫婦では、園芸を楽しめないと言う理由もありました。

 我が家の庭に、何の興味もない自分が、降りてみて、改めて思うことが、あります。義父が、如何に多くの木々を、自分たちに、残してくれたのか、と言うことです。いや、娘の妻に、でしょうけど。自分と、自分のDNAを引き継ぐ息子たちは、庭に、関心を示す事は、ありませんからね。がさつな性格は、父子共通です。残念ながら。

 妻は、娘も、欲しかったみたいですね。「娘が、産めなかった時点で、あたしは、終わったと思った」と、こそっと、本音を漏らしてましたから。娘がいたら、自らが身につけてきた様々を、引き継ぎたかったんでしょうね。そうすれば、妻が、義父から、引き継いだ園芸の世界も、娘に引き継げたかも知れないと思ったのでしょうか。

 義父は、妻の実家から、首都を跨いで、この首都圏の辺境の我が家迄、延々と、自ら育てた苗木を、植えに来てくれました。ひたすらに、何度も。多分、娘の妻に、引き継がせる為に。

 これは、「木を植える男」のファンタジーや、ゴビ砂漠に木を植えることにより、緑化しようとした日本人の実話などと比べると、随分とささやかな話です。

 でも、「狂ったサル」でありながら、その宿命を超えて、木を植えることによって、自然、地球、宇宙との共生を志し、結果として、大きな営為を残した人たち。その人たちも、一本の木から、皆、植え始めたのでしょう。そして、更に、一本ずつ。やがて、巨大な営為に、なっていったのでしょう。

 同じように、義父も、多くの木を植える人たちのうちの一人として、些細な庭の一つ過ぎない我が家に、木を植え続けました。そして、その娘の妻は、木々を丹精して、加えて、花々を植えてきました。そして、そうした多くの人々、親子たち、孫たちも、いるのでしょう。

 巨大に見える営為も、一本の木を、植えることから、始まりました。同じように、一人ずつが植える行為、そのことが引き継がれる。その積み重ねは、巨大な営為となり、緑化や、造園、園芸の歴史になったのでしょう。

 自分が、法的な地権の殆どを持ち、でも、実際には、義父と娘の妻が、造り育てた庭。ささやかではありますが、その掛け替えの無い庭に、今、自分がいます。「狂ったサル」ではありますが、その自らの愚かさに気づいた人々。そして、その人たちは、自然との共生を、試みてきたのでしょう。

 そして、自分は。そんな「狂ったサル」の自身には、気づいていますが。ささやかな庭に、降り立ち、徘徊するだけで。感慨には、耽りますが。何も、しませんし、する気も起きません。きっと、絶滅するタイプの「狂ったサル」だとは、思っています。その割に、無駄に長生きしてますが。

 朝方から今日は、曇っています。晴れ間のある予報は、ありますが。当地の最低気温は、18.8℃。こんなもんでしょうかね。きっと、高めなんでしょうが。最高気温予測も、27℃と、高めです。でも、あまり暑さは、感じていません。














 



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