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日記、日々の想い 

初めて、防空壕を見たのは…

小学生の時には、学校で
この地元の里山に、登った
校外学習だ
普通、遠足と言ったけどね
二年からだったかな
秋に、行った気がする
よく覚えてないけど
この写真の山迄は、行かない
いちばん手前の山迄
この山は、三つ目になる
麓の神社迄は
バスで行ったかも知れない
地元のバス会社
観光バスじゃない
ちぇっ、ケチだな、と思った
麓の神社の境内に,バス
麓から、ひと山登って
また、降りて来て
神社で、バスに乗る
それが、三年になると
春の遠足は、お城の街に行く
綺麗な観光バス
やっぱり、良いな
なんか、うきうき
それで、秋の遠足は
また、里山登りだ
麓の神社迄は、バス
観光バスじゃない
つくづく、がっかり
ただ、遠足は長くなる
ふた山越えて
この写真の山
まだ、タワーはなかった
でも、頂上は広々
昔、高射砲陣地があった
だから、切り崩されて、平ら
この街には
海軍の火薬廠があった
首都の海軍基地の兵站だった
だから、高射砲陣地
その砲台跡もある
なんだか、実感ないけどね
でも、街には
結構な空襲があった
とうさんも、かあさんも
この街の生まれだったけど
とうさんは、当然戦地
かあさんは、青年学校の先生
でも、自宅で被災したらしい
かあさんの実家には
防空壕があったと言う
見たことなかったけど
もう、大昔だよ
生まれてないしね
もう、昭和30年代だぜ
街の何処を見ても
戦災の跡なんてない
関係ないよな
戦争は、大概
おとなの不幸自慢
あゝ、面倒い
今は、そんな時代じゃない
まず、お弁当を食べる
我が家は
必ず、お稲荷さんと干瓢巻き
ゆでたまご
傷まないから
それが良いと、かあさんは言う
確かに、それが定番
でも、普通のお弁当の子もいた
赤いたこウインナーとかね
羨ましかった
食べ終えれば
みんなで、追いかけっこだな
思いっ切り遊んで
さあ、帰りますよっ
先生の声
わいわい、がやがや
頂上から、一段下にも
広い空き地がある
ただ、砂利の広場
駐車場に、使われる
バス停が、一本
駅から、延々
山をぐるりと登って来る
でも、今日は違う
バスが、七台並んでる
麓の神社から、回って来た
観光バスじゃないけどね
とにかく、一学級40人以上
一学級一台で、七台
でも、団塊のにいさんたちは
こんなもんじゃなかったろうな
十学級で、一学級50人
どうやって、遠足に来たのかな
さあ、帰りだとなって
先生が、「ちょっと待って」と
みんな、集められて
頂上との崖沿いに行く
赤茶けた剥き出しの崖
関東ローム層の赤土
そんな記憶がある
崩れて来そうな崖
そんな印象だった
その麓に
それはあった
防空壕
本当は、それなり
司令部とか、あったんだろうから
剥き出しの赤土
ただ、真っ暗な穴
ただ,無惨
そんな記憶だった
秋だから、草は少し枯れていた❓
とにかく、赤土の崖に
真っ暗な穴
入り口から、少し入ったような
先生の説明を聞きながら
なんか、急に
ちょっと、ゾクッとした記憶
兵隊さんたちが
亡くなった兵隊さんたちが
今にも、飛び出して来そうな
底なし、真っ暗闇
でも、穴から出たら
離れたら、もう終わりだよ
みんなで、わいわいがやがや
でも、あれからも
遠足だけじゃなくて
友だちとも
随分と、登ったけど
防空壕には
二度と近寄らなかった
なんか、おどろおどろしい
亡くなった兵隊さんたちの
思いが、詰まってでもいるような
真っ暗な闇の中
そんなことを
こんな何十年も経っても
ふと、思い出す
遠い微かな記憶だけど
あの時の、確かな生々しさ
当たり前だよね
あれから、何十年だけど
あの頃は、まだ
戦争が、終わって
何百万人が亡くなった
いや、世界中なら
何千万人が亡くなった
あの戦争が、終わってから
まだ、たった十数年だった…
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