光山鉄道管理局・アーカイブス

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「阿房列車」とS660のはなし

2022-07-19 05:07:26 | その他
 今回は鉄道随筆とカーライフのはなし。
 鉄道ファンだったら一度は読むであろう名著の一つに内田百閒の「阿房列車」シリーズというのがあります。

 「何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」と言った調子の書き出しで始まるこのシリーズは、内田百閒がふと思い立って出かける鉄道旅の過程を連作形式で描く随筆と言うか紀行。

 実を言いますとこれまでわたしが読んだ事があるのは第一作の「特別阿房列車」のみ。それも単行本ではなく「大都会隠居術」というアンソロジーの一編として収録されていた奴です。
 これを読んでいた頃は鉄道趣味の中断中の時期だったのですが「目的もなくぶらりと旅に出る」という呑気さと共に「そんな旅路の中でも自分の流儀をあくまで貫き通す一徹さ」が当時のわたしには眩しかった覚えがあります。
 ですがその一方で、その本で取り上げている「隠居」という生き方の持つ独特の重みが当時のわたしの年齢と照らし合わせて「続きを読むにはまだわたしは若すぎる」という気にさせたのも確かで、以後30年くらい続きを読むのを見合わせてきたものです

 で、ようやく最近になって、妙にその事が気にかかる様になり「第一阿房列車」を購入した次第です。
 通しで読んでみると戦後の荒廃からようやく復興の兆しを見せ始めた鉄道を「目的地に行くためではない、そこへ行くまでの過程を楽しむための旅のツール」と捉えている点「趣味とは手段が目的となる事」という定義通りにある意味「究極の道楽旅」を愉しむ百閒の「筋金入りの隠居」らしさを堪能できる一冊でした(笑)

 さて、鉄道趣味の中断中に読んだとはいえ、最初の「特別阿房列車」の冒頭の一節
 「何にも用事がないけれど、汽車に乗って〇〇へ行って来ようと思う」とそれに続く「しかし用事がないと云う、その良い境涯は片道しか味わえない。なぜと云うに、行く時は用事はないけれど、向こうへ著いたら、著きっ放しと云うわけには行かないので、帰りの片道は冗談の旅行ではない。そう云う用事のある旅行なら、一等なんか乗らなくてもいいから三等で帰ってこようと思う」

 と云うのには無意識のうちに影響を受けている気がします。

 ここに出てくるのは鉄道旅ですが、往復の過程を楽しむと云う点は鉄道以上に自分のペースと流儀を貫きやすい車やバイクのそれと共通する点があると感じられるのです。
 殊に「どこかへ出かける」事よりも「そこへ行くまでの過程を楽しむ」と云うのは後の目からするなら車の中でもプライオリティが運転自体に特化したスポーツカーやバイクの特質そのものではないかと思えます。
(尤も、百閒のように「車内で酒飲んで酔っ払う」という訳に行かないという根本的な違いがあるのですが汗)

 そこで思い返すのは、今乗っているS660の休日の使用法。

 例えば現住地から長野なり静岡なりに出かける場合、目的地に一刻も早く着くために高速道路を使うと云うのが一般的でしょう。
 が、運転そのものを楽しみたいとするなら到着が少しくらい遅くなったって運転が楽しい下道を使いたくなるのが、この種の車のユーザーではないかと思います。
  実際、これらの場所に出かけるときは屋根を外して山道をのんびり流し(他のタイプの車にとっては苦痛以外の何者でもない)ワインディングの曲がりくねりを楽しむことがメインになります。
 で、実際目的地についてみると意外とすることもなく、精々が昼食を食べるくらい。土地のお土産も買わずお祭りひとつ見るわけでもない。

 それでいて帰る時になるとそれこそ「帰ること自体が目的となる為、短時間で帰り着く高速道路を使う」ことが案外多いのです。
 コスト配分で言うなら往路に一等車を使う百閒とは逆のパターンですが、ポリシー自体はよく似ているのではないかと思えます。
 しかもS660の高速道路での安定性と疲労の少なさは折り紙付き。こう言う旅(と言うかドライブ)の仕方にピッタリくる車もそうはないと思います。
 行き先がメジャーどころでない狭路が連続する山の中の旧街道なんかを走るのはS660の真骨頂。3ナンバーワイドボディのスーパーカーやSUVなんかが図体や馬力すらも持て余す条件でもS660なら鼻歌気分でスイスイ行けるのです。

 これこそ(わたしにとって)阿房列車風のカーライフに近い物ではないかと思います。
 皮肉なことに新幹線網の拡充や車の恐竜化などは当時百閒が堪能した様な旅の楽しみ方とは真逆な方向に傾いています。
 最近流行りの豪華列車にしても「列車自体が目的地化している」点において阿房列車的な楽しみとは異なる方向だと思いますし、更にマウンティング目的のイキリ走法やオラオラ走りなんかは全く相容れない性質のものです。

 でもだからこそ、ユーザーサイドから阿房列車的な旅やカーライフが提案されなければならない気もしますし、そうする事がこれからの(本質的な意味での)鉄道旅の復活やこれまた(運転を楽しむ車としての)スポーツカーの復権に寄与するのではないかと思えるのです。

 今回のネタ、書き出したら止まらなくなりました(大汗)
 まさか鉄道ネタの本でカーライフが語れるとは思わなかったのでつい筆が突っ走りました。読みにくさ全開ですがすみません(さらに大汗)


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