竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集巻七を鑑賞する  集歌1150から集歌1169まで

2012年03月31日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻七を鑑賞する


集歌1150 墨吉之 岸尓家欲得 奥尓邊尓 縁白浪 見乍将思
訓読 墨吉(すみのえ)し岸に家(いへ)もが沖に辺(へ)に寄する白浪見つつ思(しの)はむ

私訳 住吉の岸に家があったなら、沖に、岸に打ち寄せる白波を眺めながら景色を楽しましょう。


集歌1151 大伴之 三津之濱邊乎 打曝 因来浪之 逝方不知毛
訓読 大伴し御津(みつ)し浜辺(はまへ)をうち曝(さら)し寄せ来る浪し逝方(ゆくへ)知らずも

私訳 大伴の御津の浜辺を引き波が底を見せるように打ち寄せる来る浪の、その浪の先は判らない。


集歌1152 梶之音曽 髣髴為鳴 海末通女 奥藻苅尓 舟出為等思母
訓読 梶(かぢ)し音(ね)ぞ髣髴(ほのか)にすなる海(あま)未通女(をとめ)沖つ藻刈りに舟(ふね)出(で)すらしも

私訳 梶の音がかすかにするようだ。漁師の娘女が沖の藻を刈りに舟を出すらしい。

一云 暮去者 梶之音為奈利
一(あるひ)は云はく、
訓読 夕されば梶し音すなり

私訳 夕暮れがやって来ると梶の音がした。


集歌1153 住吉之 名兒之濱邊尓 馬立而 玉拾之久 常不所忘
訓読 住吉(すみのえ)し名児(なこ)し浜辺(はまへ)に馬立てて玉(たま)拾(ひり)ひしく常忘らえず

私訳 住吉の名児の浜辺に馬を停めて玉を拾ったことは、いつも忘れられない。


集歌1154 雨者零 借廬者作 何暇尓 吾兒之塩干尓 玉者将拾
訓読 雨は降る刈廬(かりほ)は作るいつの間(ま)に吾児(あご)し潮干(しほひ)に玉は拾(ひり)はむ

私訳 雨は降り、仮の苫屋は作る。その、どの間に、私の愛しい貴女と云うような名を持つ、その吾児の浜の潮が引いているときに玉を拾いましょうか。


集歌1155 奈呉乃海之 朝開之奈凝 今日毛鴨 礒之浦廻尓 乱而将有
訓読 名児(なご)の海(み)し朝明(あさけ)し波残(なごり)今日(けふ)もかも磯し浦廻(うらみ)に乱(みだ)れてあるらむ

私訳 吾児の海の夜明けの余波。今日も磯の入り江に波は乱れているでしょう。


集歌1156 住吉之 遠里小野之 真榛以 須礼流衣乃 盛過去
訓読 住吉(すみのえ)し遠里(とほさと)小野(をの)し真榛(まはり)もち摺(す)れる衣(ころも)の盛り過ぎゆく

私訳 住吉から遠い里の小さな野にある神聖な榛の葉で摺り染めた儀服のその衣の色も褪せて、難波宮の盛りが過ぎて逝った。


集歌1157 時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之塩尓 玉藻苅奈
訓読 時風(ときつかぜ)吹かまく知らず阿児(あご)の海(み)し朝明(あさけ)し潮に玉藻刈りてな

私訳 潮時の風が吹いて来るのかは知らない。吾児の海の夜明けの潮時に玉藻を刈ろうよ。


集歌1158 住吉之 奥津白浪 風吹者 来依留濱乎 見者浄霜
訓読 住吉(すみのえ)し沖つ白浪風吹けば来(き)よる浜を見れば清(きよ)しも

私訳 住吉の沖に立つ白波よ。風が吹けば、その波が打ち寄せ来る浜を眺めると清々しい。


集歌1159 住吉之 岸之松根 打曝 縁来浪之 音之清羅
訓読 住吉(すみのえ)し岸し松し根うち曝(さら)し寄せ来る浪し音(おと)し清(さや)けさ

私訳 住吉の岸の松の根元を、洗い曝して打ち寄せ来る浪の音が清々しい。


集歌1160 難波方 塩干丹立而 見渡者 淡路嶋尓 多豆渡所見
訓読 難波(なには)潟(かた)潮干(しほひ)に立ちて見わたせば淡路し島に鶴(たづ)渡り見ゆ

私訳 難波の潟の潮干に立って見渡すと、淡路の島へと鶴が渡って行くのを見た。


覊旅作
標訓 覊旅(たび)に作る
集歌1161 離家 旅西在者 秋風 寒暮丹 鴈喧渡
訓読 離(さか)る家旅にしあれば秋風し寒き夕(ゆうへ)に雁鳴き渡る

私訳 遠ざかっていく家、旅にあると秋風が寒い、その夕べに雁が鳴き渡って行く。


集歌1162 圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛
訓読 円方(まとかた)し湊(みなと)し渚鳥(すとり)浪立つや妻(つま)唱(よ)び立(た)てて辺(へ)に近づくも

私訳 的方の湊の洲にいる鳥よ。波が立ったからか、妻を鳴き呼び立てて岸辺に近づいて来る。


集歌1163 年魚市方 塩干家良思 知多乃浦尓 朝榜舟毛 奥尓依所見
訓読 年魚市(あゆち)潟(かた)潮干(しほひ)にけらし知多(ちた)の浦に朝榜(こ)ぐ舟も沖に寄る見ゆ

私訳 年魚市潟よ、潮が引いたのだろう、知多の浦に朝に操っていた舟も沖の方に寄って行くのが見える。


集歌1164 塩干者 共滷尓出 鳴鶴之 音遠放 礒廻為等霜
訓読 潮干(しほひ)ればとも潟(かた)に出で鳴く鶴(たづ)し声(こへ)遠ざかる磯廻(いそみ)すらしも

私訳 潮が引くと、共に潟に出て鳴く鶴の声が遠ざかる。磯廻りをしているのだろう。


集歌1165 暮名寸尓 求食為鶴 塩満者 奥浪高三 己妻喚
訓読 夕凪に漁(あさり)する鶴(たづ)潮満てば沖浪高み己(お)し妻呼ばふ

私訳 夕凪に餌を探す鶴は、潮が満ちて来ると沖波が高いので、自分の妻を呼び鳴いている。


集歌1166 古尓 有監人之 覓乍 衣丹揩牟 真野之榛原
訓読 古(いにしへ)にありけむ人し求めつつ衣(ころも)に摺(す)りけむ真野(まの)し榛原(はりはら)

私訳 昔に生きていた人がその木を捜し求めながら衣に摺り染めたでしょう真野の榛原よ。


集歌1167 朝入為等 礒尓吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可将苅
訓読 漁(あさり)すと礒に吾(あ)が見し名告藻(なのりそ)を誰し島し白水郎(あま)か刈りけむ

私訳 漁だとして、磯で私が見た名告藻を、誰れが住む島の漁師が刈り取ったのでしょうか。


集歌1168 今日毛可母 奥津玉藻者 白浪之 八重折之於丹 乱而将有
訓読 今日もかも沖つ玉藻は白浪し八重折(を)りし上(へ)に乱れてあるらむ

私訳 今日もでしょうか、沖の玉藻は白浪の幾重にも浪頭が折り砕ける浪の上で乱れているのでしょう。


集歌1169 近江之海 湖者八十 何尓加 君之舟泊 草結兼
訓読 近江し海(み)湖(みなと)は八十(やそち)いづくにか君し舟泊(は)て草結びけむ

私訳 近江の海、湊はたくさんあります。さて、貴方は、どこの湊に貴方の舟を留めて、草を結んで旅の無事を祈ったのでしょうか。

コメント

万葉集巻七を鑑賞する  集歌1130から集歌1149まで

2012年03月29日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻七を鑑賞する


芳野作
標訓 芳野(よしの)に作る
集歌1130 神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛
訓読 神さぶる磐根(いはね)己凝敷(こごしき)み吉野し水分山(みくまりやま)を見れば悲しも

私訳 神々しい磐根がごつごつと折り重ねっている吉野の水分山を眺めると、ため息が出てしまう。


集歌1131 皆人之 戀三吉野 今日見者 諾母戀来 山川清見
訓読 皆人(みなひと)し恋ふるみ吉野今日(けふ)見れば諾(う)べも恋ひけり山川清(きよ)み

私訳 皆の人々が愛しむ吉野を、今日眺めると、それはもっともなことで、恋い慕ってしまう。この山や川の清らかさよ。


集歌1132 夢乃和太 事西在来 寤毛 見而来物乎 念四念者
訓読 夢(いめ)の和太(わた)事(こと)にしありけり現(うつつ)にも見て来るものを念(おも)ひし念(も)へば

私訳 夢の和太とは、この景色だったのだなあ。現に、眺めに来ることを願っていたことを思うと。


集歌1133 皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見
訓読 皇祖神(すめろき)し神し宮人(みやひと)冬薯蕷葛(ところづら)いや常(とこ)敷(しく)に吾かへり見む

私訳 皇祖の神に仕える宮人よ。冬薯蕷の蔓の、その言葉のひびきや姿形ではないが、常敷きに(=絶えることなく永遠に)私は繰り返しやって来てこの風景を眺めます。


集歌1134 能野川 石迹柏等 時齒成 吾者通 万世左右二
訓読 吉野川石(いは)と柏(かしは)と常磐(ときは)なす吾は通はむ万代(よろづよ)さへに

私訳 吉野川よ。岩と柏とが常盤であるように、私は通ってきます。万代になるほどに。


山背作
標訓 山背(やましろ)に作る
集歌1135 氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞
訓読 宇治川は淀(よど)瀬(せ)無からし網代人(あじろひと)舟(ふね)召(め)す声をちこち聞こゆ

私訳 宇治川には流れが緩やかな瀬が無いようだ。網代人が舟を呼ぶ声があちらこちらから聞こえる。


集歌1136 氏河尓 生菅藻乎 河早 不取来尓家里 裹為益緒
訓読 宇治川に生ふる菅藻(すがも)を川早み取らず来にけり裹(つと)にせましを

私訳 宇治川に生える菅藻を川の流れが速いので取らずにやって来た。土産にしたかったのだが。


集歌1137 氏人之 譬乃足白 吾在者 今齒王良増 木積不来友
訓読 宇治人し譬(たと)への網代(あじろ)吾(われ)ならば今は下(お)らまし木屑(こつみ)来(こ)ずとも

私訳 宇治人の譬えにされる網代。私ならば、今ごろは川の中に入っているでしょう。たとえ、価値のない木屑さえも流れて来なくても。

注意 原文の「今齒王良増」は、一般に「今齒与良増」の誤記として「今は寄らまし」と訓みます。ここでは集歌1137の歌は集歌1136の歌を受けたとすると「今齒王良増」が、やはり、落ち着きが良いようです。


集歌1138 氏河乎 船令渡呼跡 雖喚 不所聞有之 楫音毛不為
訓読 宇治川を船渡せをと喚(よ)ばへども聞こえざるらし楫(かぢ)音(おと)もせず

私訳 宇治川を、船を渡せと呼ばっても聞こえないらしい。船を操る楫音もしない。


集歌1139 千早人 氏川浪乎 清可毛 旅去人之 立難為
訓読 ちはや人宇治(うぢ)川浪(かはなみ)を清(きよ)みかも旅行く人し立ち難(か)てにする

私訳 武威のある人の物部(もものふ)の氏(うじ)の、その宇治川の川浪が清らかなので、旅行く人が立ち去り難くしている。


攝津作
標訓 攝津(つのくに)に作る
集歌1140 志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無為
訓読 しなが鳥居名野(ゐなの)を来れば有間山(ありまやま)夕霧(ゆふぎり)立ちぬ宿はなしにて

私訳 しなが鳥が居る、その言葉のひびきのような居名野にやって来ると、有間山に夕霧が立っている。今夜、泊まる宿が定まっていないのだが。

一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者
一(ある)本(ほん)に云はく、
訓読 猪名(ゐな)の浦廻(うらみ)を榜(こ)ぎ来れば

私訳 猪名の入り江を、舟を操って来ると、


集歌1141 武庫河 水尾急 赤駒 足何久激 沾祁流鴨
訓読 武庫川(むこかは)し水脈(みを)を急(はや)みと赤駒し足掻(あが)く激(たぎ)ちに濡れにけるかも

私訳 武庫川の川の流れが速いからと、赤駒の足掻きにほとばしるしぶきに私は濡れてしまった。


集歌1142 命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都
訓読 命(いのち)をし幸(さき)くよけむと石(いは)流(なが)る垂水(たるみ)し水(みづ)を結すびて飲みつ

私訳 命が無事で永くあるようにと、岩肌を流れる垂水の水を、祈るが如く両手で汲んで飲みました。


集歌1143 作夜深而 穿江水手鳴 松浦船 梶音高之 水尾早見鴨
訓読 さ夜(よ)更(ふ)けて堀江水手(かこ)なる松浦(まつら)船(ふね)梶音(かぢおと)高し水脈(みを)早みかも

私訳 夜が更けて、堀江の船乗りたちの松浦船の梶の音が高い。水の流れが速いのだろう。


集歌1144 悔毛 満奴流塩鹿 墨江之 岸乃浦廻従 行益物乎
訓読 悔(くや)しくも満ちぬる潮か墨江(すみのえ)し岸の浦廻(うらみ)ゆ行かましものを

私訳 残念なことに満ちてしまった潮よ。住吉の岸の入り江を行きたかったのに。


集歌1145 為妹 貝乎拾等 陳奴乃海尓 所沾之袖者 雖涼常不干
訓読 妹しため貝を拾(ひり)ふと茅渟(ちぬ)の海に濡れにし袖は涼(ほ)せど干(かは)かず

私訳 愛しい貴女のために貝を拾うとして、茅渟の海に濡れてしまった袖は、風にさらしても乾かない。


集歌1146 目頬敷 人乎吾家尓 住吉之 岸乃黄土 将見因毛欲得
訓読 めづらしき人を吾家(わぎへ)に住吉(すみのえ)し岸の黄土(はにふ)を見むよしもがも

私訳 愛すべき人を私の家に住まわせる、その言葉のひびきのような住吉の岸の黄土を眺める手立てはないだろうか。


集歌1147 暇有者 拾尓将徃 住吉之 岸因云 戀忘貝
訓読 暇(いとま)あらば拾(ひり)ひに行かむ住吉(すみのえ)し岸に寄るといふ恋忘れ貝

私訳 司に暇があったなら拾いに行きたい。住吉の岸に打ち寄せると云う恋忘れ貝を。


集歌1148 馬雙而 今日吾見鶴 住吉之 岸之黄土 於万世見
訓読 馬並(な)めて今日(けふ)吾が見つる住吉(すみのえ)し岸し黄土(はにふ)を万世(よろづよ)に見む

私訳 馬を連ねて今日私が眺めた住吉の岸の黄土を、これからも人は万世に眺めるでしょう。


集歌1149 住吉尓 徃云道尓 昨日見之 戀忘貝 事二四有家里
訓読 住吉(すみのえ)に往(い)くいふ道に昨日(きのふ)見し恋忘れ貝事(こと)にしありけり

私訳 住吉につながり行くと云う道中に、昨日見た恋忘れ貝。実にその通りでした。

コメント

万葉集巻七を鑑賞する  集歌1110から集歌1129まで

2012年03月26日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻七を鑑賞する


集歌1110 湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓
試訓 湯種(ゆたね)蒔く新墾(あらき)し小田(おた)を求めむと足結(あゆ)出(い)でし濡(ぬ)るこの水(みず)し湍(せ)に

試訳 湯に漬け選別した稲種を蒔ける新しく開墾する小さな田を探そうと、足結い飾りをして家を出たのが濡れてしまった。この水がはじける早い流れに。

注意 原文の「此水之湍尓」の「水」は一般には「カハ」と訓みます。有名な柿本人麻呂の自傷歌群の中の集歌224の歌での一節「石水」でも「イシカハ」と訓み「石川」のこととします。


集歌1111 古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古河之 清瀬之音矣
訓読 古(いにしへ)もかく聞きつつか偲(しの)ひけむこの布留川し清き瀬し音(ね)を

私訳 昔もこのように瀬音を聞きながら愛でてきたのでしょう。この布留川の清らかな瀬の音を。


集歌1112 波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左
訓読 はね蘰(かづら)今する妹をうら若(わか)みいざ率川(いざかは)し音(おと)し清(さや)けさ

私訳 つる草の髪飾りを流行の形する愛しい貴女が初々しいので、いざいざ(=さあさあ)と貴女を河へと誘う、その率川の瀬音が清らかなことです。


集歌1113 此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友
訓読 この小川霧(きり)ぞ結べる瀧(たぎ)ちゆく走井(はしゐ)し上(うへ)に事(こと)挙(あ)げせねども

私訳 この小川に霧がかかっている。しぶきをあげて流れいく走井のほとりで、神に祈ってもいないのに。

注意 霧や雲は霊魂の表れとされていました。この歌の霧は、恋人の気持ちと解釈するようです。


集歌1114 吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 万代左右荷
訓読 吾が紐を妹し手もちて結八川(ゆふやかは)また還(かへ)り見む万代(よろづよ)までに

私訳 私の衣の紐を愛しい貴女が手ずから結ぶ、その言葉のひびきのような結八川よ。また、立ち帰って眺めましょう。後々までも。


集歌1115 妹之紐 結八川内乎 古之 并人見等 此乎誰知
訓読 妹し紐(ひも)結八(ゆふや)河内(かふち)を古(いにしへ)しみな人見しとこを誰れ知る

私訳 愛しい貴女の衣の紐を結ぶ、その言葉のひびきのような結八川の河内の場所を、昔の人は皆が眺めたと云うように、貴女との後朝の別れを誰が気付くでしょうか。


詠露
標訓 露を詠める
集歌1116 烏玉之 吾黒髪尓 落名積 天之露霜 取者消乍
訓読 ぬばたまし吾が黒髪に降りなづむ天し露(つゆ)霜(しも)取れば消(け)につつ

私訳 漆黒の私の黒髪に降り積もる天空からの白い露霜を、撫で取れば見る間に融け消えていく。


詠花
標訓 花を詠める
集歌1117 嶋廻為等 礒尓見之花 風吹而 波者雖縁 不取不止
訓読 島廻(しまみ)すと磯に見し花風吹きて波は寄すとも取らずは止(や)まじ

私訳 島廻りをして磯に見た花を、風が吹いて磯に波が打ち寄せても、手折らないではいられない。


詠葉
標訓 葉を詠める
集歌1118 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜尓 插頭折兼
訓読 古(いにしへ)にありけむ人も吾がごとか三輪の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ

試訳 昔にいらしたと云われる伊邪那岐命も、私と同じでしょうか。三輪の檜原で鬘(かづら)を断ち切って、偲ぶ思いを断ち切ったのでしょうか。


集歌1119 往川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之檜原者
試訓 往(ゆ)く川し過ぎにし人し手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪し檜原は

試訳 流れいく川のように過ぎて去ってしまった人が、もう、手を合わせて祈ることがないので寂しそうに立っている三輪の檜原の木々は。

注意 ここでは試訓として、仏教の外縛印で合掌をする風景を想像して解釈してみました。なお、人麻呂時代から明治初期までは三輪は大三輪寺を中心とする仏教寺院が立ち並ぶ仏教の聖地です。その仏教聖地に関係するためか、原文は三輪ではなく唯識論の「三和」ですし、集歌1118の歌では「弥和」の表記を使用します。

右二首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。


詠蘿
標訓 蘿を詠める
集歌1120 三芳野之 青根我峯之 蘿蓆 誰将織 經緯無二
訓読 み吉野し青根(あをね)が峯(たけ)し蘿蓆(こけむしろ)誰れか織りけむ経緯(たてきぬ)なみに

私訳 美しい吉野の青根ヶ峰の苔むしろは、誰が織ったのでしょうか。経糸も横糸もなくて。

注意 万葉集には同じような発想で詠われた歌があります。
参考歌 大津皇子御謌一首
集歌1512 經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零
訓読 経(たて)もなく緯(きぬ)も定めず未通女(をとめ)らし織りし黄葉(もみち)に霜な降りそね

私訳 縦糸も無く横糸も整えずに、未通女たちが織りなしたような、まるで錦のようなこの黄葉に、霜よ。置かないでくれ。


詠草
標訓 草を詠める
集歌1121 妹所等 我通路 細竹為酢寸 我通 靡細竹原
訓読 妹しらし我が通ひ路(ぢ)し細竹(しの)薄(すすき)我し通へば靡け細竹原(しのはら)

私訳 愛しい貴女の許へと私が通う道の篠竹や薄よ、私が通ったならば靡き開きなさい。篠竹の原よ。


詠鳥
標訓 鳥を詠める
集歌1122 山際尓 渡秋沙乃 往将居 其河瀬尓 浪立勿湯目
訓読 山し際(は)に渡る秋沙(あきさ)の行きて居(ゐ)むその川し瀬に浪立つなゆめ

私訳 山の峰の際を飛び渡るアキサカモが飛び往って羽を休めている、その川の瀬に波立つな。決して。


集歌1123 佐保河之 清河原尓 鳴智鳥 河津跡二 忘金都毛
訓読 佐保川(さほかは)し清き川原に鳴く千鳥(ちどり)蛙(かはづ)と二つ忘れかねつも

私訳 佐保川の清らかな川原に鳴く千鳥とカジカ蛙の声とを、二つとも忘れられないでしょう。


集歌1124 佐保河尓 小驟千鳥 夜三更而 尓音聞者 宿不難尓
訓読 佐保川(さほかは)に小驟(さはけ)る千鳥さ夜(よ)更(ふ)けて汝(な)が声聞けば寝(い)ねかてなくに

私訳 佐保川で鳴き騒いでいる千鳥よ、夜が更けて、お前の鳴き声を聴けば眠れないことです。


思故郷
標訓 故郷(ふるさと)を思(も)ふ
集歌1125 清湍尓 千鳥妻喚 山際尓 霞立良武 甘南備乃里
訓読 清き瀬に千鳥(ちどり)妻(つま)喚(よ)び山し際(は)に霞立つらむ甘南備(かむなび)の里

私訳 清らかな瀬に千鳥が妻を呼び、山の峰の際に霞が立っているでしょう。明日香の甘南備の里よ。


集歌1126 年月毛 末經尓 明日香河 湍瀬由渡之 石走無
訓読 年月もいまだ経(へ)なくに明日香川湍瀬(せせ)ゆ渡しし石(いし)走(はし)も無み

私訳 年月もいまださほど経っていないのに、明日香川の速い流れに渡していた飛び石の渡りも、もう無くなってしまった。


詠井
標訓 井(ゐ)を詠める
集歌1127 隕田寸津 走井水之 清有者度者吾者 去不勝可聞
訓読 落ち激(たぎ)つ走井(はしりゐ)水し清(さや)あれば度(たび)しは吾は去(い)きかてぬかも

私訳 岩肌を落ち流れる走井の水の流れが清らかなので、後ろ髪を引かれるようで旅路にある私も立ち去り難い。


集歌1128 安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨
訓読 馬酔木(あしび)なす栄えし君し穿(ほ)りし井(ゐ)し石井(いはゐ)し水は飲めど飽(あ)かぬかも

私訳 馬酔木のように女盛りの貴女が手入れした井戸の、その石井の水は飲んでも飽きることはありません。

注意 歌の井戸は、岩から染み出る水を竹樋で集めた水場と思われます。


詠和琴
標訓 和琴(やまとこと)を詠める
集歌1129 琴取者 嘆先立 盖毛 琴之下樋尓 嬬哉匿有
訓読 琴取れば嘆き先立つけだしくも琴し下樋(したひ)に妻や匿(こも)れる

私訳 琴を手に取ると嘆きが先に出る。もしかして、その音色からすると琴の胴の中に妻が隠れているのだろうか。

コメント

万葉集巻七を鑑賞する  集歌1090から集歌1109まで

2012年03月24日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻七を鑑賞する


詠雨
標訓 雨を詠める

集歌1090 吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之霡霂尓 吾共所沾者
訓読 吾妹子し赤(あか)裳(も)し裾しひづちなむ今日し霡霂(こさめ)に吾(われ)さへ濡れは

私訳 私の愛しい貴女の赤い裳の裾もぬかるみに汚れるでしょう。後朝の送りで今日の小雨に私までも濡れると。


集歌1091 可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下尓著有
訓読 通(とほ)るべく雨はな降りそ吾妹子し形見し衣(ころも)吾(わ)れ下に着(け)り

私訳 衣を濡れ通るほどに雨よ降るな。私の愛しい貴女の面影としてその下着を私は下に着けているから。


詠山
標訓 山を詠める

集歌1092 動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨
訓読 鳴神し音のみ聞きし巻向し檜原し山を今日見つるかも

私訳 雷の遠雷を聞くように噂に聞いた。そのような巻向の檜原の山を今日はっきりと眺めました。


集歌1093 三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宣霜
訓読 三諸しその山並に子らが手を巻向山は継しよろしも

私訳 三室山のその山波の、愛しい娘が手枕を巻くと云う、そのような名を持つ巻向山は山波の継づきが良いようです。


集歌1094 我衣 色服染 味酒 三室山 黄葉為在
訓読 我が衣色つけ染めむ味酒三室し山は黄葉(もみち)しにけり

私訳 私の衣を色染めましょう。味酒の三室山は黄葉しました。

注意 原文の「色服染」は、一般に「色取染」の誤記として「色とり染めむ」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。なお、一部に「我衣服 色染」とし「我が衣にほひぬべくも」と訓むものもあります。

右三首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の三首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。


集歌1095 三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之檜原 所念鴨
訓読 三諸(みもろ)つく三輪山見れば隠口(こもくり)の泊瀬(はつせ)し檜原(ひはら)念(おも)ほゆるかも

私訳 仏や神々が宿る三輪山を眺めると、その奥にある隠口の泊瀬にある檜原をも偲ばれます。

注意 飛鳥時代以降の三輪は、大三輪寺を中心とする仏教寺院が立ち並ぶ仏教の聖地です。また、三輪山は神道の聖地でもあります。そこで原文の「三諸就」を解釈しました。


集歌1097 吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不来益 山之名尓有之
訓読 吾が背子をいで巨勢山(こせやま)と人は云へど君も来まさず山し名にあらし

私訳 「私の愛しい貴方よ、さあやって来なさい」との名の由来の巨勢山と人々は云うが、貴方はやってこない。ただ、山の名だけなのでしょう。

注意 歌順に乱れがあります。西本願寺本では、集歌1096の歌は集歌1097の後に置かれます。


集歌1096 昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山
訓読 いにしへしことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天し香具山

私訳 昔のことは知らないのですが、私が眺めてからも、久しくなりました。天の香具山よ。


集歌1098 木道尓社 妹山在云櫛上 二上山母 妹許曽有来
訓読 紀道(きぢ)にこそ妹山(いもやま)ありいふ櫛(くし)上(かみ)し二上山も妹こそありけれ

私訳 紀国への道には妹山があると云うが、丸い櫛の形をした二上山も雄岳、雌岳と二山があり、妹山があります。


詠岳
標訓 岳を詠める
集歌1099 片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将比疑
訓読 片岡(かたおか)しこの向(むこ)つ峯(を)に椎(しひ)蒔(ま)かば今年し夏し蔭(かげ)に比疑(なそ)へむ

私訳 片側が切り立った丘の、この向こうの峰に椎を今、蒔いたならば、育ち、今年の夏の面影(思い出)になるでしょうか。

注意 原文の「陰尓将比疑」を、一般に「陰尓将化疑」の誤記として「陰(かげ)にならむか」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。


詠河
標訓 河を詠める

集歌1100 巻向之 病足之川由 往水之 絶事無 又反将見
訓読 巻向し痛足し川ゆ往く水し絶ゆること無くまたかへり見む

私訳 巻向の痛足川を流れ往く水が絶えることがないように、なんどもなんども振り返りましょう。


集歌1101 黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾
訓読 ぬばたまし夜さり来れば巻向し川音高しも嵐かも疾き

私訳 星明かりも無い漆黒の夜がやって来ると、巻向の川音が高い。嵐がやって来るようだ。

右二首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。


集歌1102 大王之 御笠山之 帶尓為流 細谷川之 音乃清也
訓読 大王(おほきみ)し三笠し山し帯(おび)にせる細谷川(ほそたにかわ)し音の清(さや)けさ

私訳 大王がお使いになる御笠のような、その三笠山を取り巻く帯のような細谷川のせせらぎの音のさやけさよ。


集歌1103 今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨
訓読 今しくは見(み)めやと念(も)ひしみ吉野し大川(おほかは)淀(よど)を今日(けふ)見つるかも

私訳 今はもう見ることが出来ないと思っていた美しい吉野の吉野川の、その大川の淀の流れを今日眺めました。


集歌1104 馬並而 三芳野河乎 欲見 打越来而曽 瀧尓遊鶴
訓読 馬並(な)めてみ吉野川を見まく欲(ほ)りうち越え来てそ瀧(たぎ)に遊びつる

私訳 馬を連ねて美しい吉野川を眺めたいと思い、山を越えて来て吉野の急流に風流を楽しんだ。


集歌1105 音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨
訓読 音(おと)し聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田(むつた)し淀を今日(けふ)見つるかも

私訳 噂には聞いても目では未だに見たことのない吉野川の六田の淀を、今日眺めました。


集歌1106 河豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越来而 見乍偲食
訓読 かはづ鳴く清(きよ)き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲(しの)はむ

私訳 カジカ蛙の鳴く清らかな川原を今日眺めてしまっては、さて、今度はいつ山を越えて来てこの景色を眺めながら愛でましょうか。


集歌1107 泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎
訓読 泊瀬川(はつせかは)白木綿(しらゆふ)花に落ち激(たぎ)つ瀬し清(さや)けしと見に来(こ)し吾を

私訳 泊瀬川に白い木綿の花が落ちたようなしぶきをあげる激流を「清らかだ」と云うので、眺めにやって来た私です。


集歌1108 泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久
訓読 泊瀬川(はつせかは)流るる水脈(みを)し瀬を早みゐで越す浪し音し清(さや)けく

私訳 泊瀬川の流れる水筋の瀬が急流なので、堰き止める井堤を越す水浪の音が清かです。


集歌1109 佐檜乃熊 檜隅川之 瀬乎早 君之手取者 将縁言毳
訓読 さ檜(ひ)の隈(くま)檜隈(ひのくま)川し瀬を早み君し手取らば言(こと)寄せむかも

私訳 檜の隈を流れる檜隈川の瀬が早いので、貴方の手にすがったら、貴方は私に愛の誓いをよせるでしょうか。

コメント

万葉集巻七を鑑賞する  集歌1068から集歌1089まで

2012年03月22日 | 万葉集 旧読解
万葉集巻七を観賞する

はじめに
 万葉集巻七の歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や一部に解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。

雜謌
訓 雜謌(くさぐさのうた)


詠天
標訓 天を詠める
集歌1068 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天つ海(み)に雲し波立ち月船し星し林に榜(こ)ぎ隠る見ゆ

私訳 天空の海に雲の波が立ち、下弦の三日月の船が星の林の中に、その船を操り見え隠れするのを見る。

右一首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の一首は、柿本朝臣人麿の歌集に出(い)づ。


詠月
標訓 月を詠める
集歌1069 常者曽 不念物乎 此月之 過匿巻 惜夕香裳
訓読 常はさね念(おも)はぬものをこの月し過ぎ隠(かく)らまく惜(を)しき夕(よひ)かも

私訳 いつもはそのようには思わないのだが、この月が移り行き山の際に隠れていくのが残念な今宵です。


集歌1070 大夫之 弓上振起獦高之 野邊副清 照月夜可聞
訓読 大夫(ますらを)し弓末(ゆづゑ)振り起し猟高(かりたか)し野辺(のへ)さへ清(きよ)く照る月夜(つくよ)かも

私訳 立派な男子が弓の末を振り立てて狩りをする、その猟高の野辺さへも清らかに照らしている月夜です。


集歌1071 山末尓 不知夜歴月乎 将出香登 待乍居尓 夜曽降家類
訓読 山し末(は)にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居(を)るに夜(よ)ぞ更けにける

私訳 山の際で出て来るのをためらっている月を、もう出て来るのかと待っている内に夜が更けていく。


集歌1072 明日之夕 将照月夜者 片因尓 今夜尓因而 夜長有
訓読 明日(あす)し夕(よひ)照らむ月夜(つくよ)は片寄りに今夜(こよひ)に寄りて夜(よ)長(なが)くあらなむ

私訳 明日の宵に照るだろう月夜は、少し分け寄せて今夜に寄せ加えて、この夜が長くあってほしい。


集歌1073 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂(たまたれ)し小簾(をす)し間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも

私訳 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。


集歌1074 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里
訓読 春日山おして照らせるこの月は妹し庭にも清(さや)けくありけり

私訳 春日山を一面に押しつぶすかのように煌々と照らすこの月は、愛しい貴女の庭にも清らかに輝いていました。


集歌1075 海原之 道遠鴨 月讀 明少 夜者更下乍
訓読 海原(うなはら)し道遠みかも月読(つくよみ)し光少き夜は更けにつつ

私訳 大海原の道が遠いからか、海を支配すると云う月読神の化身である月の光が乏しく、この夜が更けていく。


集歌1076 百師木之 大宮人之 退出而 遊今夜之 月清左
訓読 ももしきし大宮人し罷(まか)り出て遊ぶ今夜(こよひ)し月し清(さや)けさ

私訳 たくさんの人々が仕える大宮の宮人たちが宮殿から退出して風流を楽しむ、今夜の月は清らかです。


集歌1077 夜干玉之 夜渡月乎 将留尓 西山邊尓塞毛有粳毛
訓読 ぬばたまし夜渡る月を留(とど)めむに西し山辺(やまへ)に関(せき)もあらぬかも

私訳 漆黒の夜空を渡って行く月を留めるために、西の山の際に関所でもあればよいのに。


集歌1078 此月之 此間来者 且今跡香毛 妹之出立 待乍将有
訓読 この月しここに来たれば今とかも妹し出(い)で立ち待ちつつあるらむ

私訳 この月がこの位置の高さまで上って来たので、「貴方がいらっしゃるのは、今か、今か」と愛しい貴女は家から出て立って待ち続けているでしょう。


集歌1079 真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨
訓読 真澄(まそ)鏡(かがみ)照るべき月を白妙の雲か隠(かく)せる天つ霧(きり)かも

私訳 願うものを見せると云う清らかな真澄鏡のようにくっきりと照るはずの月を淡い白い帯状の雲が隠している。天の原に立つ霧でしょうか。


集歌1080 久方乃 天照月者 神代尓加 出反等六 年者經去乍
訓読 ひさかたの天(あま)照る月は神代(かみよ)にか出(い)で反(かへ)るらむ年は経につつ

私訳 遥か彼方の天の原を照らす月は、神代の時にでしょうか、天空に上り出て、夜毎に繰り返すのでしょう。年を過ごしながら。


集歌1081 烏玉之 夜渡月乎 可怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類  (可は、忄+可の当字)
訓読 ぬばたまし夜渡る月をおもしろみ吾が居(を)る袖に露そ置きにける

私訳 漆黒の夜を渡って行く月をしみじみと眺めている。その私の身に被る衣の袖に露が置きました。


集歌1082 水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者
訓読 水底(みなそこ)し玉さへ清(さや)に見つべくも照る月夜(つくよ)かも夜し深(ふ)けゆけば

私訳 水底にある玉までも清らかに見ることが出来るほどにも、煌々と照る月夜です。夜が更けて行くにつれて。


集歌1083 霜雲入 為登尓可将有 久堅之 夜度月乃 不見念者
訓読 霜(しも)曇(くも)り為(す)とにかあるらむ久方(ひさかた)し夜渡(わた)る月の見えなく念(おも)へば

私訳 天の原に霜が降り月を包んで白く曇ったのでしょうか。遥か彼方の夜に渡って行く月が見えないことを思うと。


集歌1084 山末尓 不知夜經月乎 何時母 吾待将座 夜者深去乍
訓読 山し末(は)にいさよふ月をいつとかも吾は待ち居(を)らむ夜は深(ふ)けにつつ

私訳 山の際に出るのをためらう月を、いつ出るのでしょうかと私はここに待ち続ける。その夜は更けて行く。


集歌1085 妹之當 吾袖将振 木間従 出来月尓 雲莫棚引
訓読 妹しあたり吾が袖振らむ木(こ)し間より出(い)で来る月に雲なたなびき

私訳 愛しい貴女が住むあたりに向かって、私が貴女の気持ちを引き寄せると云うその願いで、霊振りの袖を振る、その木々の間から出て来る月に雲が棚引いている。


集歌1086 靱懸流 伴雄廣伎 大伴尓 國将榮常 月者照良思
訓読 靫(ゆき)懸(か)くる伴の男(を)広き大伴に国栄えむと月は照るらし

私訳 矢を収める靱を背に負う大王の伴を務める男がひしめく大伴の御津にある難波の国が栄えるでしょうと、月は清く照っているのでしょう。


詠雲
標訓 雲を詠める
集歌1087 痛足河 河浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志
訓読 痛足川川波立ちぬ巻目し由槻が嶽に雲居立てるらし

私訳 穴師川には川波が騒ぎ立って来た。巻向の弓月が岳に雲が湧き起こっているらしい。


集歌1088 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡
訓読 あしひきし山川し瀬し響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る

私訳 あしひきの山川の瀬音が激しくなるにつれて、弓月が嶽に雲の立ち渡るのが見える。

右二首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。


集歌1089 大海尓 嶋毛不在尓 海原 絶塔浪尓 立有白雲
訓読 大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなはら)したゆたふ浪に立てる白雲

私訳 大海に島もないのに海原のゆらゆらと揺れ漂う浪の上に、立ち上る白雲よ。

右一首、伊勢従駕作。
注訓 右の一首は、伊勢の駕(いでま)しに従ひて作れる

コメント