竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3803、3804、3806

2010年06月28日 | 万葉集 旧読解
歌から作る歌物語 三首并びに短歌
 私は、歌物語は二種類に区分できるのではないかと思っています。先に説明した櫻兒や縵兒の歌のように、口伝された民謡等に題材を採り、その内容から歌物語として漢文の説明と歌が同時に出来た物と、ここで紹介する歌のように広く知られた歌が先にあり、その歌の内容から想像を膨らませて歌物語としての漢文の説明が付けられたような物とです。
 このため、歌の性格が違います。ここで紹介する歌は、その歌一首単独でも、十分に歌として成立する歌です。一方、先に紹介した櫻兒や縵兒の歌は、あくまでも、歌物語の歌謡の一部ですので、それぞれを一首単独で引き出すと成立しないような歌です。ここでは、いかにも素人考えですが、このような歌物語の成り立ちの視線で、歌々を鑑賞してみました。

その一
昔者有壮士與美女也(姓名未詳)。 不告二親竊為交接。於時娘子之意欲親令知。因作謌詠、送與其夫謌曰

標訓 昔者(むかし)、壮士(をとこ)と美(うるは)しき女(をみな)ありき(姓名(な)は未だ詳(つばび)らならず)。 二(ふたり)の親に告げずして竊(ひそか)に交接(まじはり)を為せり。時に娘子の意(こころ)に親に知らせむと欲(ほり)す。因りて謌詠(うた)を作り、その夫(せ)に送り与へたる謌に曰はく、

標訳 昔、男と美しい女がいた(その姓名は未だに詳しくは判らない)。両親に二人の交際を告げないまま、密かに男女の交わりを行った。その時、娘は思いとして親に二人の関係を知らせようと思った。そこで、歌を作ってその恋人に送り与えた、その歌に云うには、

集歌3803 隠耳 戀辛苦 山葉従 出来月之 顕者如何

訓読 隠(こも)りのみ恋は辛苦(くる)しき山の端(は)ゆ出でくる月の顕(あらは)さばいかに

私訳 人に隠れて貴方に恋していると苦しい。山の端から出てくる月のように、親に知らせたらどうでしょうか。

右、或云男有答謌者未得探求也

注訓 右は、或(ある)は「男に答ふる謌有り」と云へるは、未だ探り求むることを得ず。

注訳 右の歌は、或るものに「男が作った答える歌がある」と伝えて云うが、未だに探し出せない。



その二
昔者有壮士。新成婚礼也。未經幾時忽為驛使、被遣遠境。公事有限、會期無日。於是娘子、感慟悽愴沈臥疾疹。累年之後、壮士還来、覆命既了。乃詣相視、而娘子之姿容疲羸甚異、言語哽咽。于時、壮士哀嘆流涙、裁謌口号。其謌一首

標訓 昔者(むかし)、壮士(をとこ)有りき。新たに婚礼を成せり。未だ幾時(いくばく)も經ずして、忽(たちま)ちに驛使(はゆまつかひ)と為し、遠き境に遣(つかは)さゆ。公事(くじ)に限(かきり)有り、會期(かいき)に日無し。ここに娘子(をとめ)、感慟(なげ)き悽愴(いた)みて疾疹(やまひ)に沈み臥(こや)りき。年を累ねて後に、壮士還り来りて、覆(かへりごと)命(まを)すこと既に了(をは)りぬ。乃(すなは)ち詣(まい)りて相視るに、娘子の姿容(かほ)の疲羸(ひるい)は甚(いた)く異(け)に、言語(ことば)は哽咽(こうえつ)せり。時に、壮士哀嘆(かなし)びて涙を流し、謌を裁(つく)り口号(くちずさ)みき。其の謌一首

標訳 昔、男がいた。新たに婚礼を行った。未だ幾らも経たない内に、急に駅使に選任され、遠い国に遣わされた。公(おおやけ)の仕事には規定があるが、二人が私(わたくし)に会う日は無い。そこで娘は、嘆き悲しんで病に罹り床に伏してしまった。年をかさねた後に、男が故郷に帰ってきて、その任務の完了の報告を既に終えた。そして、娘の処にやって来て互いに姿を見ると、娘の姿・顔形はやつれ果てて酷く面変わりしていて、言葉はむせぶばかりであった。その時、男は悲しんで涙を流し、歌を作り口ずさんだ。その歌、一首。

集歌3804 如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来

訓読 かくのみにありけるものを猪名(ゐな)川(かは)の奥(おき)を深めて吾が思(も)へりける

私訳 通り一遍の間柄だけだと思っていたが、そうではない、猪名川の川底ほどに深く私は貴女を慕っていたよ。


娘子臥聞夫君之謌、従枕擧頭應聲和謌一首
標訓 娘子臥して夫(せ)の君の謌を聞き、枕より頭(かしら)を擧(あ)げて聲に應へて和(こた)へたる謌一首

集歌3805 焉玉之 黒髪所沾而 沫雪之 零也来座 幾許戀者

訓読 ぬばたまの黒髪濡れて沫雪(あはゆき)の降るにや来(き)ますここだ恋ふれば

私訳 漆黒の黒髪は濡れて、沫雪が降るのにかかわらず貴方はやって来ました。私がこれほどに慕っていたから。

今案、此謌、其夫、被使既經累載而當還時、雪落之冬也。因斯娘子作此沫雪之句歟

注訓 今案(かむが)ふるに、この謌は、その夫(せ)の、使を被(こほむ)り既に累載(るいさい)を經て還る時に當り、雪落(ふ)る冬なりき。これに因りて娘子(をとめ)この沫雪の句(うた)を作れるか。

注意 集歌3805の歌で「焉玉」の「焉」は「焉烏(エンウ)」の言葉から「烏」の当字で、「烏玉」を表すため、誤字ではありません。逆に、焉玉と記すことで、その語意から黒い髪に雪がまばらに積もる情景が出てきます。


その三
集歌3806 事之有者 小泊瀬山乃 石城尓母 隠者共尓 莫思吾背

訓読 事しあらば小泊瀬山(をはつせやま)の石城(いはき)にも隠(こも)らばともにな思ひそ吾が背

私訳 もし、何かがあって小泊瀬山のお墓に入ることがあるなら、貴方と二人一緒です。そんなに、色々と心配しないで、私の貴方。

右傳云、時有女子。不知父母竊接壮士也。壮士、悚其親呵嘖、稍有猶預之意。因此娘子裁作斯謌贈歟、其夫也

注訓 右は傳へて云はく「時に女子(をみな)あり。父母に知らずて竊(ひそか)に壮士(をとこ)と接(まじ)はる。壮士其の親の呵嘖(のら)はむことを悚(おそ)りて稍(やくやく)に猶(なほ)預(よ)ふ意(こころ)あり。これに因りて娘子、斯(こ)の謌を裁作(つく)りて贈るか。その夫(せ)なりや」と。

注訳 右は伝えて云うには「時に女が居た。両親に知らすことなく密かに男と男女の交わりをした。その男は女の親に叱責されることを怖れて、ぐずぐずと躊躇する気持ちがあった。そのために娘はこの歌を作って男に贈ったのだろうか。その恋人なのだろうか」という。

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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3791の歌

2010年06月26日 | 万葉集 旧読解
竹取翁の歌
 作業員が思い込むこの竹取翁の歌とは、丹比真人国人が万葉集の歌々を紹介した「もじり歌」です。その私が思うもじり歌は、集歌3791の長歌の歌詞にキーフレーズとして三十五首が隠されています。また、短歌として添えられる「娘子等が和へたる謌九首」で紹介する九首の歌は、巻一から巻九までの各巻からそれぞれ代表的な一首を身分や立場を基準に丹比真人国人が択び、紹介したもじり歌です。
 そのため、私が思うこの竹取翁の歌を鑑賞することは、万葉集全体を鑑賞するに近い作業になります。ここでは、西本願寺本の試訓を紹介する程度にしますので、この竹取翁の歌の鑑賞については「竹取翁の歌を推理する」を見ていただきますようお願いいたします。また、ブログにも「竹取翁の歌のお勉強」の名で載せていますので、ご参照ください。ただ、本一冊分ありますから、長いです。

竹取翁、偶逢九箇神女、贖近狎之罪作歌一首并短歌
標訓 竹取の翁の、偶(たまたま)九箇(ここのたり)の神女(めかみ)に逢ひしに、近く狎(な)れし罪を贖(あが)ひて作れる歌一首并せて短歌

(序)
昔有老翁、号曰竹取翁也。此翁、季春之月登丘遠望、忽値煮羮之九箇女子也。百嬌無儔、花容無止。于時娘子等呼老翁嗤曰、叔父来乎。吹此燭火也。於是翁曰唯々、漸赴徐行著接座上。良久娘子等皆共含咲相推譲之曰、阿誰呼此翁哉。尓乃竹取翁謝之曰、非慮之外偶逢神仙、迷惑之心無敢所禁。近狎之罪、希贖以謌。即作謌一首并短謌

序訓 昔、老翁ありき、号(なづけ)て竹取翁と曰ふ。この翁、季春(きしゅん)の月に丘に登り遠く望むに、忽(たちま)ちに、羮(あつもの)を煮る九箇の女子に値(あ)ひき。百嬌儔(たぐ)ひ無く、花容に匹するは無し。時に娘子等は老翁を呼び嗤(わら)ひて曰はく「叔父来れ。この燭の火を吹け」という。ここに翁は「唯々」と曰ひて、漸(やくやく)に赴き徐(おもふる)に行きて座(むしろ)の上に著接(まじは)る。良久(ややひさか)にして娘子等皆共に咲(えみ)を含み相推譲(おしゆづ)りて曰はく「阿誰(あた)がこの翁を呼べる」といふ。すなわち竹取の翁謝(ことは)りて曰はく「慮(おも)ざる外に、偶(たまさか)に神仙に逢へり、迷惑(まど)へる心敢(あへ)へて禁(さ)ふる所なし。近く狎(な)れし罪は、希(ねが)はくは贖(あがな)ふに歌をもちてせむ」といへり。すなはち作れる歌一首并せて短歌

序訳 昔、八十歳を越える老人がいた。呼び名を竹取の翁といった。この老人が春三月頃に丘に登って遠くを眺めると、たまたま、羮を煮る九人の女性に出逢った。その妖艶さは比べるものが無く、花のように美しい顔立ちに匹敵する人がいない。その時、娘女達は老人を呼び笑いながらいった。「おやじ、ここに来い。この焚き火の火を吹け。」と。老人は「はいはい」といってゆっくりと娘女達の間に近づき、膝を交えて座った。ところが、しばらくして、娘女達は一様に笑いを含めながらお互いをつつきあい、「一体、誰が、このおやじを呼んだの」といった。そこで、竹取の翁が詫びていうには、「思ってもいなくて、たまたま神仙に回り逢い、戸惑う気持ちをどうしても抑えることが出来ませんでした。近づき馴れ馴れしくした罪は、どうか、この償いの歌で許して欲しい」といった。そこで作った歌一首。并せて短歌。

集歌3791 緑子之 若子蚊見庭 垂乳為母所懐 褨襁 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡之 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成 者之寸丹取 為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊杲 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷刺 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 持還来

訓読 緑子の 若子の時(かみ)には たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁(か)け 平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着 頚(うな)つきの 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)の 袖つけ衣(ころも) 着し我れを 丹(に)よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為(な)しみ 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ) 住吉の 遠里小野の ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺(さ)さへ重(かさ)なへ 浪累(し)き 賭博為し 麻続(をみ)の子ら あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は 延(は)へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しの 麻手(あさて)作りを 食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし 醜屋(しきや)に経(ふ)る 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに 我れに来なせと 彼方(をちかた)の 挿鞋(ふたあやうらくつ) 飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め禁(い)み 烏皮履(くりかわのくつ) 差(さ)し佩(は)きし 庭たつすみ 甚(いた)な立ち 禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて 我れに来なせと 水縹(みなはだ)の 絹の帯を 引き帯(び)なし 韓(から)を帶に取らし 海若(わたつみ)の 殿(あらか)の盖(うへ)に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細(こしほそ)に 取り装ほひ 真十鏡(まそかがみ) 取り並(な)め懸けて 己(おの)か欲(ほ)し 返へらひ見つつ 春さりて 野辺を廻(めぐ)れば おもしろみ 我れを思へか 背の千鳥(つとり) 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば 懐かしと 我れを思へか 天雲も 行き棚引く 還へり立ち 道を来れば 打日刺す 宮女(みやをみな) さす竹の 舎人(とねり)壮士(をとこ)も 忍ぶらひ 返らひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 狭幸(ささき)し我れや 愛(は)しきやし 今日(けふ)やも子らに 不知(いさ)にとや 思はえてある かくのごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人も 後の世の 語らむせむと 老人(おひひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
この歌は「もじり歌」ですので、私訳は省略します。


反謌二首
集歌3792 死者木苑 相不見在目 生而在者 白髪子等丹 不生在目八方

訓読 死なばこそ相見ずあらめ生きてしあらば白髪(しろかみ)の子らに生(お)ひずあらめやも

私訳 大和歌の世界が死に絶えてしまったら、白髪のような古い大和歌をもうそれを見ることはありませんが、大和歌が絶えていなければ、大和歌の心があなた方の心の内に芽生えないことがあるでしょうか。


集歌3793 白髪為 子等母生名者 如是 将若異子等丹 所詈金目八

訓読 白髪(しろかみ)し子らに生(お)ひなばかくのごと若(わか)けむ子らに罵(の)らえかねめや

私訳 白髪のような古い大和歌の心があなた方の心の内に芽生えてしまったら、今の私のように若い人たちから時代遅れと悪口を云われかねないでしょう。


娘子等和謌九首
標訓 娘子等(をとめたち)の和(こた)へる謌、九首

集歌3794 端寸八為 老夫之謌丹 大欲寸 九兒等哉 蚊間毛而将居 (一)

訓読 愛(は)しきやし翁(おきな)の歌に鬱悒(おほほ)しき九(ここの)子らや感(かま)けて居(を)らむ

私訳 愛すべき老人の歌に、心が塞ぎこんでいる九人の愛すべき人々も感動しているだろう。


集歌3795 辱尾忍 辱尾黙 無事 物不言先丹 我者将依 (二)

訓読 恥(はぢ)を忍び恥を黙(もだ)して事もなく物言はぬさきに我れは寄(よ)りなむ

私訳 恥辱を忍んだり、その恥辱に黙っていて、何もしなかった事をあれこれ云う前に、私も大和歌を寄せましょう。


集歌3796 否藻諾藻 随欲 可赦 皃所見哉 我藻将依 (三)

訓読 否(いな)も諾(を)も欲しきまにまに赦(ゆる)すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ

私訳 「赦さない」と云ふのも、「赦す」と云うのも、貴方のお気持ちのままに。貴方が私を赦免してくれそうな様子がうかがえます。私も大和歌を寄せましょう。


集歌3797 死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依 (四)

訓読 死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ

私訳 死にも生きにも同じ気持ちと誓った友人同士が、心が違うことなどありましょうか。私も大和歌を寄せましょう。


集歌3798 何為迹 違将居 否藻諾藻 友之波々 我裳将依 (五)

訓読 何為(なにせ)むと違(たが)ひは居らむ否(いな)も諾(を)も友のなみなみ我れも寄りなむ

私訳 どうして、私だけが仲間はずれをされていましょうや。承知するもしないも友の心の赴くままに。私も大和歌を寄せましょう。


集歌3799 豈藻不在 自身之柄 人子之 事藻不盡 我藻将依 (六)

訓読 豈(あに)もあらじおのが身のから人の子の事(こと)も尽さじ我れも寄りなむ

私訳 だからと云って。私の身分では貴女は高貴な人の妻ですから恋の思いを遂げることは出来ませんが、それでも、私も大和歌を寄せましょう。


集歌3800 者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依 (七)

訓読 はだ薄(すすき)穂にはな出(い)でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ

私訳 はだ薄の穂のように取り立てて言葉にださなくてもよい。お前の気持ちは判っている。私も大和歌を寄せましょう。


集歌3801 墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居 (八)

訓読 住吉(すみのゑ)の岸野の榛(はり)ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ

私訳 住吉の岸の野の榛で美しく衣を染め上げても、染めた衣に心が惹かれない私です。でも、住吉の岸の野の榛の美しさは感じています。


集歌3802 春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意 (九)

訓読 春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに

私訳 春の野の下草が靡き寄るように私も靡き従って染まりましょう。心を同じくする人々と共に。
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万葉集巻十六を鑑賞する  集歌3786、3788

2010年06月24日 | 万葉集 旧読解
はじめに
 古今和歌集の真名序に従うと、原万葉集の歌集はこの巻十六の「乞食者二首」で、大和心を謳う大和歌が仏教の説話や東大寺建立の労働唄になったことで万葉集の歌の終焉としています。そして、巻十七以降は古本である原万葉集の歌集成立以降の付属図書の扱いです。時代的には聖武天皇から孝謙天皇へ移り、橘諸兄や丹比国人等による原万葉集の編纂の時期を迎えます。
 私は、紀貫之が起草し、紀淑望が記す真名序に示す原万葉集の歌集の性格論に従いたいと思います。つまり、万葉集巻十五が大和歌を互いの状況を確かめる手紙の巻とするならば、この万葉集巻十六は奈良時代を生きる人々の生活の息遣いを歌う大和歌の巻となります。個人的な好みで、巻十三の歌風と巻十六の歌風とでは、その歌風は極端に違います。巻十六は生活の息遣いが色濃きがゆえに、巻十三に比べて格調や美しさが薄れています。
 一方、紀貫之が古今和歌集の仮名序や真名序で示した万葉集への歌論から、大和歌をいかに創り、詠うかの視線でこの巻十六の歌々を見てみますと、この巻の最初に「有由縁并雜謌」と記されているように伝承の民謡・歌謡を下にした歌、歌物語での歌、他の歌々を紹介するような隠し歌のようなもじり歌の技法の歌、同じ発音でも違う意味を持つ表記・表現を使った遊び歌、逆に同じ言葉の意味を色々な表記を使った遊び歌、流行の歌、漢字の持つ力を下にしたなぞ掛けの歌、歌に織り込む品数を競う歌、意味がありそうで全く意味が無い歌、お題に合わせて歌を詠った歌、政治を風刺する歌、本歌取りの歌、仏教説話のような歌、お国の歌、などと色々な技法やジャンルの歌を、この巻十六に見ることも可能です。このように、現代に通じる和歌の基本技法やジャンルは、安積香山の歌で代表されるように、ほぼ、この巻十六に集約されています。
 ただし、この巻十六は、長歌で組まれた巻十三が人麻呂や旅人の時代を代表するようなものであったように、奈良時代を代表するような選りすぐりの歌々で、しかも、歌を作る上でお手本となるような歌ですから、非常に難解な歌もあります。特に巻十六の、原万葉集最後を飾る歌「怕物謌三首」や集歌3837の「荷葉を開く」歌は、技巧を凝らした頓智があり、手ごたえのある歌です。このように、どこまで本来の万葉集の大和歌を楽しんだかを確認するような巻ですので、「古本」万葉集の最後の巻であるこの巻十六を万葉の時代に思いを馳せて楽しんで見てください。そして、隠された「由縁」の意味を感じ取ってください。そこには、普段の「訓読み万葉集」では楽しむことの出来ない、もう一つの万葉集の姿があると思います。
 さて、例によって、紹介する歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いに由来しますし、素人の無知のなせる業です。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説(この巻十六は、漢文での序または左注が重要ですので、後年に付けられた注記を除いて、漢文への拙い私訳を付けています)があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの与太話であることをご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではないことを承知下さい。
 また、紫式部日記や古今和歌集での眞字ふる歌や万葉集の左注に示す古本を、原万葉集と考えるのは、とんでもない素人のする酔論だけです。

古今和歌集 真名序より抜粋
原文 至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀。故、半為婦人之右、雖進大夫之前。

訓読 色を好む家、これを以ちて花鳥の使ひとなし、食を乞ふ客、これを以ちて活計の謀りと為すに至る。故に、半ば婦人の右と為し、ただ大夫の前に進むのみ。


万葉集巻十六を鑑賞する

有由縁并雜謌
訓 由縁(ゆえん)ある并せて雜(くさぐさの)謌(うた)
巻十六の歌は、目題にあるように伝承された各種の歌を集めて作られた巻です。そこで、この目題に従って、それぞれの歌がここで取り上げられた「由縁」を想像するもの鑑賞の一つです。


櫻兒と縵兒
 櫻兒(さくらこ)と縵兒(かづらこ)とは、旧暦で三月の花と四月の花をそれぞれに代表するものです。平安時代頃からか、葛蘰(ふぢ)を藤蘰と記し、それが最終的には藤と記すようになったために、櫻兒が桜乙女を想像させるのに対しての縵兒が藤娘となるような語感はありませんが、本来は、紫の房が豊かに咲き乱れる美しい花の情景の代名詞です。桜で葉が先に茂るような山桜の花ですと、花の美しさ競争では縵兒の方が勝ちとなるような情景を思い浮かべてください。
 櫻兒の歌と縵兒の歌とは、共に春の美しい花に乙女の姿を託し、その花が美しく散る姿に妻問い争いでの男女の人間模様を写したようです。伝承の民謡・歌謡がこのような漢文の序や整った形の大和歌の姿を持つとは思えませんから、奈良時代に作られた伝承を素にした世界でも最古に位置するような表記された歌物語なのでしょう。桜や藤の花木に乙女の姿を見たためでしょうか、楚々とした桜乙女の櫻兒は木々の風間で散り、より多くの男に愛された艶やかな藤娘の縵兒は水辺に散ります。
 そして、この歌物語をもう少し発展させると、巻二に見る大伴田主と石川郎女の風流士問答の相聞歌(集歌126-128)の世界となります。

昔者有娘子。字曰櫻兒也。于時有二壮子。共誂此娘、而捐生挌、竟貪死相敵。於是娘子戯欷曰、従古来于今、未聞未見、一女之見、徃適二門矣。方今壮子之意有難和平。不如妾死、相害永息。尓乃尋入林中、懸樹經死。其兩壮子、不敢哀慟、血泣漣襟、各陳心緒作謌二首

標訓 昔者(むかし)娘子(をとめ)ありき。字(あざな)を櫻兒(さくらこ)と曰ふ。時に二(ふたり)の壮子(をとこ)あり。共にこの娘を誂(あとら)ひて、生(いのち)を捐(すて)てて挌(たたか)ひ、竟(つひ)に死を貪(むさぼ)りて相敵(あた)る。ここに娘子戯欷(なげ)きて曰はく「古より今に来(いた)るに、未だ聞ず未だ見ず、一(ひとり)の女の見(あとら)ひの、二(ふたり)の門(かど)に徃適(ゆ)くといふことを。方今(いま)、壮子の意(こころ)和平(にぎ)難きものあり。妾(わ)が死にて、相(あひ)害(そこな)ふこと永く息(や)まむには如(し)かず」といふ。すなわち林の中に尋ね入りて、樹に懸りて經(わなな)き死にき。その兩(ふたり)の壮子、哀慟(かなしび)に敢(あ)へずして、血の泣(なみだ)襟に漣(なが)れ、各(おのおの)心緒(おもひ)を陳べて作れる謌二首

標訳 昔、少女がいた。その少女の名を桜児と云った。その時、二人の若者がいて、共にこの少女に求婚しようとして、命を捨てて争い、ついには死を掛けて戦った。そこで少女がすすり泣いて云うには「古来、聞いたことも見たこともありません。一人の女が婚姻するのに、二つの家に嫁ぐということを。今、若者の心は鎮めようもありません。私が死んで、二人が命を損なうことがなく長く命を保つほかありません」という。そこで、林の中に入って行って木に首を懸け首をつって死んでしまった。その二人の若者は、悲嘆に耐え切れず、血の涙を衿にまで流し、それぞれの想いを述べて作った歌、二首。


集歌3786 春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞  (其一)

訓読 春さらば挿頭(かざし)にせむと我が思(も)ひし桜の花は散りにけるかも

私訳 春がやって来たらきっと挿頭にすると、私が思っていた桜の花は散ってしまったのでしょうか。


集歌3787 妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓  (其二)

訓読 妹が名に繋(つ)ぎたる桜花咲かば常にや恋ひむ弥(ひ)さ年のはに

私訳 愛しい貴女の名に繋がる桜の花が咲いたのならば、常に貴女を思い出すでしょう。永遠に。


或曰 有三男 同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作謌三首 (娘子字曰縵兒也)

標訓 或は曰はく「三(みたり)の男(をのこ)有りき、同(とも)に一(ひとり)の女(をみな)を娉(よば)ふ。 娘子(をとめ)嘆息(なげ)きて曰はく『 一の女の身は滅(めつ)し易く露の如く、三(みたり)の雄(をのこ)の志(こころ)は平(にき)び難く石(いはほ)の如く』といふ。 遂に池の上(ほとり)に彷徨(たもとほ)り、水底(みなそこ)に沈没(しづ)みき。時に其の壮士(をのこ)等、哀頽(かなしび)の至(きはみ)に勝(あ)へずして、各(おのおの)所心(おもひ)を陳(の)べて作れる謌三首 (娘子、字(な)を「縵兒(かづらこ)」と曰ふ)

標訳 或は云うには「三人の男がいた、おのおのに一人の女に求婚した。 娘子が嘆息をつきながら云うには『 一人の女の命は儚く露のようです、三人の雄者の想いを調停し難く、まるで岩のようです』といった。 そこで池の辺を彷徨い、水底に身を投げた。その時に其の壮士たちが、悲嘆の想いに勝てなくて、おのおのの想いを陳べて作った謌三首 (娘子、名を「縵兒」と云った)


集歌3788 無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 (一)

訓読 耳成の池し恨めし吾妹子が来つつ潜(かづ)かば水は涸(か)れなむ

私訳 耳成の池は恨めしことよ。私の愛しい貴女がやって来て、池に身を投げたならば水は涸(か)れてほしいのに。


集歌3789 足曳之 山縵之兒 今日徃跡 吾尓告世婆 還来麻之乎 (二)

訓読 あしひきの山縵(やまかづら)の兒今日行くと我れに告(つ)げせば帰り来(こ)ましを

私訳 足を引きずるような険しい山の藤蘰のような児。今日、池に行くと私に告げたのなら、私が貴女を連れて帰って来たのに。


集歌3790 足曳之 玉蘰之兒 如今日 何隈乎 見管来尓監 (三)

訓読 あしひきの玉蘰(たまかつら)の兒今日の如(ごと)いづれの隅(くま)を見つつ来(き)にけむ

私訳 足を引きずるような険しい山の美しい藤蘰のような児。今日、私が見るように、貴女はどこの曲がり角を見ながら、この池にやって来たのでしょうか。

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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3346の歌

2010年06月21日 | 万葉集 旧読解
集歌3346の歌
 最初に、集歌3346の歌は挽歌です。
 集歌3346の歌は「さけ、さく」の音の言葉を集めた歌ですが、宴会を示す「琴酒(ことさけ)」、物忌みを示す「別避(ことさ)け」、宴会を開催する「放(さ)け」、塗り籠に籠り隔離する意味の「離(さ)く」、死出の離別である「離(さ)く」等と、それそれで意味が違います。このように歌の表現に非常に技巧を凝らしていますが、その分だけ自分の妻の死去に対する挽歌の歌としてはどうでしょうか。少し、不思議に感じます。
 およそ、作歌者の想いは色々な「さく」で表現される動作を伴う物事は旅の途中ではしない(物忌む)から、天神地祁は一族郎党を率いてのこの旅の途中で、私と妻とを「離(さ)く」ことをするべきでないとするのでしょう。それで、「妻の死」を直接に表す言葉が、一つも長歌や反歌にもない理由なのでしょう。もし、そうですと、この歌は二重に難解です。
 ところが、この物忌みの言霊の世界の難解さを感じる前に、普段の解説では歌の内容への不思議さが先に来ます。そして、この歌の内容への不思議さを避けるために、普段の解説では「さけ、さく」の音の言葉をすべて異字同義語としていて、別れる意味合いで「離(さ)く」の意味を取ります。その結果、筋の通った和歌としての現代語訳には苦労します。
 それは、ちょうど、人麻呂歌集の集歌3253の歌での「こと」の音の言葉と同じです。「言」、「事」、「辞」と、それぞれの漢字表記の違いに合わせて、本来の万葉集では言葉の意味合いは違いますが、「訓読み万葉集」ではすべて「こと」の音の言葉を異字同義語として処理する姿です。そして、同じように筋の通った和歌としての現代語訳には苦労します。言霊の世界を解説していて、肝心の、その言霊の本質を理解出来ていない辛さです。
 このように、この長歌と反歌は、色々な意味合いで難解な巻十三の最後を飾るような歌です。

集歌3346 欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 國丹放甞 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之氣尓 妻應離哉

訓読 見欲(ほ)しきは 雲居に見ゆる うるはしき 鳥羽(とば)の松原 小子(こども)ども いざわ出で見む 琴(こと)酒(さけ)は 国に放(さ)けなむ こと避(さ)けは 家に離(さ)けなむ 天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日(け)に 妻離(さ)くべしや

私訳 見たいと思うのは雲の彼方に見える愛しい鳥羽の松原よ。供の者たちを率いて出て見よう。琴を奏でるような風雅な宴会は故郷で開こう、もの忌みならば家でお籠りしよう。天と地の神が恨めしい。草を枕とするこの旅路の中での、この日に妻と死出の離別をするべきでしょうか。


反歌
集歌3347 草枕 此羈之氣尓 妻敬 家道思 生為便無

訓読 草枕この旅の日に妻敬(つつ)し家道(いへぢ)思ふに生けるすべ無(な)し

私訳 草を枕にするこの旅路の中で、この日に妻は死んで横たわり厳粛にしている。これからの家への道のりを思うと生きている気がしません。

或本歌曰、羈之氣二為而
左注 或る本の歌に曰はく、旅の日(け)にして
右二首


参考歌 「こと」の音の言葉ですが、「言」、「事」と「辞」では意味合いが違います。
柿本朝臣人麿歌集歌曰
標訓 柿本朝臣人麿の歌集の歌に曰はく、

集歌3253 葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾

訓読 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 事(こと)挙げせぬ国 しかれども 辞(こと)挙げぞ吾がする 言(こと)幸(さき)く ま幸(さき)くませと 恙(つつが)なく 福(さきく)いまさば 荒礒(ありそ)波(なみ) ありても見むと 百重(ももへ)波(なみ) 千重(ちへ)波(なみ)にしき 言(こと)上げす吾れは

私訳 天の皇子が治める葦原の瑞穂の国は地上の神々が気ままに人民に指図しない国です。しかし、その神々にお願いをする、私は。神との約束が祝福され、この国が繁栄しますようにと。そして何事もなく繁栄するならば、荒磯に常に波が打ち寄せるように百回も、千回も繰り返して、神々に誓約します、私は。


反歌
集歌3254 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具

訓読 磯城島の大和の国は事霊(ことたま)の助くる国ぞま福(さきく)ありこそ

私訳 天皇の志の貴い磯城島の大和の国は地上の神々が天皇を補佐する国です。きっと、繁栄するはずだ。



おわりに

 最後までお付き合い頂き有り難うございます。
 さて、普段に目にする万葉集の現代日本語による意訳とここで紹介した私訳とで、一部の歌では歌を詠う対象者が男女入れ替わっているものがありますし、歌の景色が全く違うものもあります。つまり、そこには歌や万葉集の解釈についての本質的な相違があります。当然、万葉集を研究し生活する専門家に対して、素人のスコップを持って生業とする者が行う私訳が正しいはずもありません。最初に紹介しましたように、ここで紹介したものは、西本願寺本の万葉集の歌に対して原文・訓読・意訳・その解説と体裁は整っていて、実に「いかにも」の姿をしていますが、その本質は江戸期以降の校訂版「訓読み万葉集」とは似ても似つかぬ「とぼけた万葉集の鑑賞」です。
 当然ですが、巻十三は長歌と反歌が組になった特別な巻です。一方、他の巻では、個々の短歌を前後の関連や組み合わせなどをさほどに重要視せずに、それぞれ一首単独で扱って、研究者が行う意訳が正しく、合わない場合は原文の誤記・誤字とする手法も取ることが出来ます。ところが、その「短歌の解釈法」をこの巻十三に持ち込んで、長歌とその反歌の解釈が組として成立しないのなら、通常の判断では「短歌の解釈法」が違っているのではないかと想定しますが、江戸期以降の専門家は「短歌の解釈法」があくまでも正しく、反って万葉集の巻十三の長歌と反歌との歌自体が正しく対になっていないと判断します。他方、ここで紹介したように、私訳は長歌とその反歌の解釈が組として成立することを前提にしています。そのため、原則として組としての意訳が取り易い西本願寺本の原文に頼っていますので、現在の「訓読み万葉集」は結果において、私が思う万葉集(西本願寺本の原文を基準にしたもの)とは別の和歌の歌集になっています。

 このブログは大人の読み物としています。何が本物かが判る大人の読み物ですので、間違ってもここでの素人の万葉集の鑑賞を「真に受けない」ようにお願いいたします。あくまで、ここでのものは、素人の万葉集を鑑賞する「娯楽」であって「学問」ではありません。間違って、この娯楽が支持され独り歩きしますと、普段の解説が代表するように万葉集巻十三を満足に解釈が出来ていないと云う疑惑から展開して、万葉集の巻頭を飾る雄略天皇の御製を始めとして、その他の万葉集の巻々も満足に解釈出来ていないのではないかと云う邪推が容易に起想されます。ただ、そんな邪推や妄想をしないことが、万葉集を「娯楽」として楽しむ大人の約束です。
 そこで、再度のお願いです。学業としては、ここからのコピペや引用をしないことをお勧めします。あくまでも、素人の遊びです。
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万葉集巻十三を鑑賞する  集歌3344の歌

2010年06月19日 | 万葉集 旧読解
集歌3344の歌
 集歌3344の歌は、集歌3345の歌の左注を付けた人物との歌の解釈の勝負です。
ただし、西本願寺本の歌と現在の訓読み万葉集の歌を比べたとき、歌は江戸期以降の歌人の解釈による誤記・誤字説によって西本願寺本の歌を改変したために、万葉集の歌とは「別もの」になっています。そのため、訓読み万葉集とその関係者は、ここでの歌の解釈の勝負に参加する必要はまったくありません。
 さて、現在、集歌3344の歌の「大士乎 太穂跡」は訓読み万葉集では「大土乎 火穂跡」と変わっていますが、万葉集での本来の表記である「大士」を法華経でも記し、解説しますが、仏法では普段である「菩薩」の別名と確認して、ここでは夫の不慮の死亡について観音菩薩に祈り頼る妻の姿を見ています。それで「火穂」ではなく、やはり「太穂」でなくてはいけません。大伴旅人や山上憶良が万葉集の歌において盛んに唯摩教や法華経を引用しますから、仏法を無視することは出来ないと思います。
 一方、八尺(八坂)の嘆きを、古事記でのこの世とあの世との境を示す伊賦夜坂(いふやさか)の「八坂」と解釈しています。つまり、死出の送りの嘆きを示す言葉と取っています。
 この結果、集歌3345の反歌の左注で集歌3344の歌は防人の妻の歌ではないかとしていますが、歌の内容は仏法と古事記の世界があり、相当に教養の高い人の歌です。人麻呂歌集を引用するような、そして、山上憶良のような仏法の教養を見るようなこの歌が、さて、本当に左注に示すように防人の妻の歌なのでしょうか。それとも、女の立場に仮託した夫を亡くした女に同情する男による献歌された挽歌でしょうか。
 なお、大伴家持が詠う山上憶良を偲ぶ集歌4164の歌を参考にすると、反歌の集歌3345の歌での武具を帯びる男の姿からは、集歌3344や3345の歌で示される男とは一般の徴兵された防人の兵ではなく、官位を持つ官人の身分の男だったように思われます。それも、場合によっては大夫格の男になります。

集歌3344 此月者 君将来跡 大舟之 思憑而 何時可登 吾待居者 黄葉之 過行跡 玉梓之 使之云者 螢成 髣髴聞而 大士乎 太穂跡立而 立居而 去方毛不知 朝霧乃 思惑而 杖不足 八尺乃嘆 々友 記乎無見跡 何所鹿 君之将座跡 天雲乃 行之随尓 所射完乃 行父将死跡 思友 道之不知者 獨居而 君尓戀尓 哭耳思所泣

訓読 この月は 君来(き)まさむと 大船の 思ひ頼みて 何時(いつ)しかと 吾が待ち居れば 黄葉(もみちは)の 過ぎてい行くと 玉梓の 使(つかひ)の言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大士(みほとけ)を 太穂(ふとほ)と立てて 立ちて居(ゐ)て 行方(ゆくへ)も知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 杖(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆(なげ)き 嘆けども 験(しるし)を無(な)みと 何処(いづく)にか 君が坐(ま)さむと 天雲の 行きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭(ね)のみし泣かゆ

私訳 この月こそは貴方は還って来られると大船のように信頼して思い込んで、何時還って来られるのでしょうと私が待っていれば、貴方は黄葉のようにこの世から過ぎて行かれたと、使者の印の立派な梓の杖を持つ使いが云うのを蛍の光のようにぼんやりと聞いて、観音菩薩を貴く立派に立て、御仏に頼るのに立っても座っても、どうすれば良いか判らず、朝霧に道を迷うように思い迷い、貴方が亡くなられたと云う、ひと杖に二尺足りない八尺(八坂)の嘆きを嘆くのだが甲斐がないので、どこに貴方がいらっしゃるのかと天雲が流れ逝くまにまに、貴方を尋ねていって矢に射られた鹿や猪のように狂ったように走り死のうと思っても、尋ねる先の道を知らないので、私一人で暮らすに貴方を恋しく想い、恨めしく泣いてしまう。


反歌
集歌3345 葦邊徃 鴈之翅乎 見別 君之佩具之 投箭之所思

訓読 葦辺行く雁の翅(つばさ)を見るごとに君が佩(お)ばしし投箭(なげや)し思ほゆ

私訳 葦の生い茂る水辺を行く雁の翅を見るたびに、貴方が身に着けていた投げ矢が思い出されます。

右二首。但、或云此短歌者、防人之妻所作也。然則應知長歌亦此同作焉
左注 右は二首。ただ、或は云はく「此の短歌は、防人の妻の作りし所なり」といへり。然れば則ち、長歌もまた此と同じく作れりと知るべし。

補足として、集歌3345の歌は、雁の季節から投箭に付いていた矢羽根を思い出しての歌で、雁を狩る歌ではありません。


参考歌
慕振勇士之名謌一首并短謌
標訓 勇士(ますらを)の名を振(ふ)るはむることを慕(ねが)へる謌一首并(あわ)せて短謌

集歌4164 知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

訓読 ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉の 母の命(みこと) おほろかに 情(こころ)尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八峰(やつを)踏み越え さし任(ま)くる 情(こころ)障(さや)らず 後の代(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

私訳 ちちの実の名のような父の命、ははそ葉の名のような母の命、子が親元を離れれば覚束なく心を尽くして心配するでしょう、そのような人の子だからといって、立派な人の上に立つ男である大夫も、この世を空しく生きていいでしょうか。梓弓の末を振り立て投げ矢を持ち、その矢を遥か遠くまで射通し、剣太刀を腰に取って佩いて葦や檜の生える沢山の峯を踏み越えて、朝廷から遣わされた任務を行い、心残りによる心の曇りがないように、後の世に人々に語り継がれるような立派な男としての名を立てるべきでしょう。


反歌
集歌4165 大夫者 名乎之立倍之 後代尓 聞継人毛 可多里都具我祢

訓読 大夫(ますらを)は名をし立つべし後(のち)の代(よ)に聞き継(つ)ぐ人も語り継ぐがね

私訳 立派な人の上に立つ男である大夫は、立派な男としての名を立てるべきでしょう。後の世に、その話を聞き継いだ人々がさらに後の世に語り継ぐように。

右二首、追和山上憶良臣作謌
注訓 右の二首は、追ひて山上憶良臣の作れる謌に和(こた)へたり。
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