竹取翁と万葉集のお勉強

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笠朝臣金村歌集を鑑賞する  神亀二年(725)の歌 幸三香原離宮

2010年12月27日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
神亀二年(725)の歌 幸三香原離宮
 集歌543の歌で説明しましたが、三香原の離宮への御幸の主体は大王の長屋王であって首王(聖武天皇)ではありません。この三香原の離宮は、現在の京都府木津川市加茂町付近とされていて、後には恭仁京(くにのみや)が建設された場所です。この恭仁京の建設は、集歌543の歌が詠われた十五年の後の天平十二年(740)から始まりますが、建設半ばで紫香楽宮の建設が始まり完成をしないままに終わっています。
 さて、この集歌543の歌も、さきの集歌543の歌と同様に御幸における奉呈歌ではありません。御幸に従駕した時に出会った女性との笠金村自身の出来事を詠ったものです。ただし、笠金村は都から訪れた従駕する人々の中でも上位に位置するようで、三香原の離宮では笠金村にも夜伽の女性と寝所が用意されていたようです。その夜伽の女性たちと夜を過ごす前に、随行者たちが旅の宴を開いたのでしょうか。その旅の宴で歌を披露したような感覚があります。このような御忍びでの遊興の旅の背景のためでしょうか、神亀二年三月のこの三香原離宮への御幸で詠われた歌は、この他にありません。ただし、天平十二年からの恭仁京建設に大伴家持が参加しているため、恭仁京に関する歌は残っています。

二年乙丑春三月、幸三香原離宮之時、得娘子作謌一首并短謌  [笠朝臣金村]
標訓 二年乙丑春三月に、三香原の離宮に幸(いで)しし時に、娘子(をとめ)を得て作れる謌一首并せて短謌  [笠朝臣金村]

集歌546 三香之原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨

訓読 三香(みか)の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外(よそ)のみ見つつ 言問(ことと)はむ 縁(よし)の無ければ 情(こころ)のみ 咽(む)せつつあるに 天地の 神辞(こと)寄せて 敷栲の 衣手(ころもて)易(か)へて 自妻(おのつま)と 頼める今夜 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも

私訳 三香の原での旅の宿りの折に、美しい桙を立てる公の道で行き逢った貴女を、天の雲を遠くから眺めるように、誓いの言葉をかける縁もないので、心の内で悲しんで泣いていたのだが、天と地の神の思し召しに従って、床に敷く栲の上で互いの衣を互いの体に掛け合って、貴女は「貴方の妻」だと、私のことを頼るこの夜。秋のこの夜が百日程の夜の長さにならないでしょうか。


反謌
集歌547 天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾
訓読 天雲の外(よそ)に見しより吾妹子に心も身さへ寄りにしものを

私訳 天の雲のように遠くから眺めた時から、愛しい貴女に心も体も貴女に吸い寄せられたようです。


集歌548 今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨
訓読 今夜(こよひ)の早く明(あ)けくればすべを無み秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも

私訳 貴女と共にする今夜が早くも明けていくので、どうしようもない。この秋の夜が百日の夜のような長さであることを願いたい。


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