竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

明日香新益京物語 百済の役

2013年12月15日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
百済の役

 白鳳十三年(660)頃から、国際情勢はきな臭さを増してきた。
 まだ幼少の比等や高市皇子には世の風は強く吹かないが、この年、朝鮮半島では百済が大唐・新羅連合軍によって滅んだ。そして、倭の里では朝鮮半島の問題が一気に緊迫してきた。
 従来、大和の国々は韓国伽耶と良質な鉄片と食料や年季の奴婢となる人とを交易して、開墾に使用する鉄製の鍬刃や鋤刃を手に入れて来た。それが、朝鮮半島の緊張によりその供給バランスが崩れた。
 当時、蘇我本宗、巨勢臣や紀臣は百済系渡来人を、茅渟王・田村王や蘇我石川等は新羅伽耶系渡来人を、それぞれに配下に置き、朝鮮半島との交易を行い、その権益を保っていた。百済滅亡と云う朝鮮半島の政治バランスの激変が大和での政治バランスの変化へと波及してきた。

 十五年前の乙巳の変(645)の時、朝鮮半島では高麗・百済連合軍により新羅が壊滅状態に陥った。この時、蘇我本宗たる蘇我入鹿が高麗・百済連合軍に呼応して新羅へと出兵しようとした。だが、この出兵は朝鮮半島の三国からの遣大和使たちに対する宮中儀礼の最中に入鹿殺害と云う政治的大混乱の下、新羅出兵はうやむやになった。この時、田村王や蘇我石川麻呂に繋がる軽王(諱、孝徳天皇)は新羅・伽耶の鉄片を大量に大和に入れることで、その鉄の支配権を欲した巨勢臣や紀臣の反発の中、大和氏族間の政治的主導権を握り、朝鮮半島不介入政策を取った。
 やがて、新羅滅亡を図る百済が朝鮮海峡の航行権を押さえることで新羅・伽耶から大和への鉄の流通を止めた。そして、百済は新羅の鉄を止めることで、新羅を攻撃し伽耶の鉄の支配権を求める蘇我本宗、巨勢臣や紀臣たち、百済派の巻き返しの応援を行った。その百済派は、白鳳二年(649)、朝鮮半島不介入論者の蘇我石川麻呂を殺すと云う強硬手段に出、大和朝廷の主導権を握った。
 白鳳七年(654)になると、新羅は、さらに高麗・百済連合軍に押され、国の存亡の危機まで追い込まれていた。孝徳天皇を代表とする朝鮮半島不介入派は政治的にいよいよ追い込まれた。その中、高麗・百済連合軍に呼応する百済派は皇太后天皇宝皇女とその子、葛城皇子を担いで、飛鳥に別な朝廷を立てた。この政治的混乱の中、倭の豪族たちの支持を失った孝徳天皇は失意の下に崩御した。
時代は、連戦連勝の高麗・百済連合軍の勢いの下、その連合軍と盟約を築き、新羅を討ち、大和の鉄の源である伽耶の支配を図ると云う機運が盛り上がった。
 国際状況はめまぐるしく変わる。連戦連勝の高麗・百済連合軍の勢いの下、北部朝鮮半島から中国東北部での支配権を握る高麗のますますの強勢を嫌った大唐は新羅と手を組んだ。新たに盟約を結んだ大唐・新羅連合軍は高麗を討つ手始めに、半島南部での高麗軍と百済軍との連絡を断ち、百済を攻撃した。軍事力に劣る百済はたちまち劣勢に陥り、朝鮮海峡の支配権を失った。その結果、大和への鉄の流通支配は、再び、新羅の手へと移った。
 この状況に、大和の百済派は百済を窓口とする伽耶からの鉄の輸入ルートを確保するため、「新羅を討つべし」と主張を強めていった。百済派は、その出兵の見返りに伽耶の鉄製鍬刃や鋤刃が手に入ると日和見を決めている大和の豪族たちを説得した。未開の土地をふんだんに持つ豪族たちにとって兵十人の出兵の見返りに鉄製鍬刃一口の交換比率なら喜んで兵を出す。当時、それほど、鉄は貴重品であった。

 白鳳十三年(660)、突然、大唐・新羅連合軍の前に百済が滅んだ。大唐・新羅連合軍により朝鮮海峡での百済経由の交易ルートを断たれた後岡本宮の朝廷はその事態に呼応し、朝鮮半島からの鉄の交易を守るため、また、強い百済派の影響の下、亡命百済人による百済国復興の応援を図るために新羅討伐を決めた。
 白鳳十四年正月、天皇宝皇女や葛城皇子が新羅討伐軍を率いて出兵した。この軍事行動に伴い、壬生の関係から、あるいは新羅派とも疑われている大海人皇子は産み月の妃大田皇女や妃鵜野皇女を連れ、筑紫娜の大津へと連行されるかのようにして出兵させられた。
 この時、大田皇女は産み月にあった。本来なら倭の蘇我の血を引く大田皇女の、その飛鳥の里での出産を待ち、その後、筑紫へと討伐軍を追うことも出来る。これを百済派の豪族たちが嫌った。大海人皇子はその名が示すように、大和では凡海氏に代表される新羅伽耶系の豪族のシンボル的な皇子である。いくら若いとは云え、三十一歳になった大海人皇子を一人、倭に残すと何が起きるかは判らない。朝廷を上げての出兵とは聞こえは良いが、大海人皇子と産み月の大田皇女にとっては人質連行に等しい筑紫娜の大津への出航であった。

 その筑紫で異変が多発した。六月、王族の束ねである伊勢王とその弟が相次いで病没し、七月になって天皇宝皇女もまた病没した。ここに、新羅討伐は、一時、頓挫した。
 白鳳十四年九月、朝廷を固める百済派の豪族たちは、とりあえず倭に留め置いていた百済王豊璋に百済復興を支援する大和の軍勢を添えて南朝鮮に送り返し、朝鮮半島出兵の足がかりを築くことにした。また、先の軽大王の皇后であった皇太后間人皇女が、崩御された宝皇女の後を継いで、大和の祭祀を執る天皇として即位された。
 天皇崩御などの混乱はあったが、大和の支援の下、百済王豊璋と百済残党たちは朝鮮半島南西部に百済国を復興した。これにより、大和は朝鮮海峡に百済経由での鉄の交易ルートを確保した。
 一年置いた白鳳十六年(663)、大和に再び緊張が走った。百済王豊璋の帰国と百済復興を許した大唐・新羅連合軍は体制を整え、復興百済を討つため大唐の軍船を朝鮮海峡に送るとの知らせが入った。俄然、朝鮮海峡の鉄の交易ルートに緊張が走った。
 百済派と亡命百済人で固めた後岡本宮の朝廷は百済・高麗と盟約し、三国連合で大唐・新羅連合軍に対抗することを決め、朝鮮半島へと出兵した。大和軍は、大和の鉄供給の源である伽耶占領と朝鮮海峡の交通確保を目的とする本隊と百済支援軍となる別働隊とに分かれ、半島へと出陣した。
 白鳳十六年八月、復興百済国軍と大和の百済支援軍との連合軍は白村江の戦いで敗れ、百済王豊璋は高麗へと敗走した。そして、復興百済は滅んだ。その百済の再びの滅亡により、大和の新羅討伐は終わった。
 この時、早くも伽耶を占領していた大和の豪族たちは伽耶の鉄製の太刀や鍬刃を手に入れていた。出兵した豪族どもは、この予定の戦利品に満足していた。多くの大和人にとって百済興亡は他人事である。ただ、鉄が欲しいからこそ、この伽耶にきている。大和の豪族たちは当初の目的通りに伽耶の鉄とその鍛冶人を手に入れ、さらに己が里の労働力として百済や伽耶からの戦争難民を引き連れて、大和へと戻って行った。
 一方、白村江の戦いに勝ち、百済を滅亡させた大唐・新羅連合軍は朝鮮半島の平定を優先し、伽耶を占領していた大和軍主力の帰国をそのまま見送った。また、朝鮮海峡の荒波の中、足の遅い大唐の大船で大和の軽船と海戦を戦うことを避けた。もし、朝鮮海峡で大唐の大船に事が起きると、白村江の戦いの成果がなくなる。さらに、大唐本国と朝鮮半島との連絡も断たれる。大唐の将、劉仁願はそれを恐れた。
 多くの大和の豪族にとって百済の興亡自体に興味はない。ただ、鉄の確保が命題である。大和人はあくまでも鉄の入手を中心に考える。そこに大唐と大和とは利害の一致を見た。大唐の第一目標は高麗国を弱体化することにあり、半島南部の百済は二次的問題である。一方、大和は鉄の流通が第一で、自ら伽耶を支配し鉄の生産を行うという気は薄く、その為に大量の大和人の血で伽耶国を購うと云う統一した強い意志はない。大唐が大和がする海峡での鉄交易を保証すれば、大唐と大和との利害は一致する。
 百済の役の翌年、白鳳十七年(664)五月、早くも、大和と大唐との友好関係は修復した。大唐の百済占領軍の将、劉仁願は郭務宗を大和に送り、友好を確認した。そして、翌白鳳十八年、大和の朝廷は大唐長安に守君大石、坂合部連石積を代表とする友好使節団である遣唐使を派遣した。
 百済の役後、大和へ再び亡命してきた百済人たちは、高麗へ敗走した百済王豊璋より、占領・傀儡とは云へ大唐が建てた”百済国”の名を取った。そして、いかなる形とは云へ朝鮮半島に百済国が存続することを選び、大唐の管理下、百済国を再興した。結果、半島南部での百済・新羅の鼎立状態は残り、大和にとっての百済の役は終わったが朝鮮半島では戦乱の種を残し、その後もくすぶり続けることになった。

 大和のそれぞれの豪族たちは、百済の役とその後も収まらない朝鮮半島の戦乱を嫌って大和へと流入する百済や伽耶の人々を引き受けた。その中で、開墾への技術と人手が欲しい百済派の豪族は主に農民や土木系の技術者を引き受けた。
 この時、人から笑われながらも大海人皇子は伽耶からの鍛冶に関係する炭焼き、藻塩焼き、唐碓職人や山師など、残余の民を引き受けた。これらの民は直接には鉄を鋳ることもしないし、田を興し耕すわけでもない。一見、穀潰しの人々である。ただ、これらの人々がいなければ、鉱石から金属を鋳ることは出来ない。
 大海人皇子は実務の技術者らしく伽耶などからの難民の日々の生活のため、各地の豪族に新羅防衛の名目で築城することを指導する。その築城作業に朝鮮半島からの難民をあてがい、先進の土木・建築技術を築城の作業を通じて、大和人へ伝えさせた。

コメント   この記事についてブログを書く
« 万葉雑記 色眼鏡 五十七 ... | トップ | 今日のみそひと歌 月曜日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

実験 小説で万葉時代を説明する 」カテゴリの最新記事