竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その19

2009年05月05日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その19

原文 庭立住 退莫立
訓読 庭たすみ いたな立ち(19)
私訳 庭にあふれる水を大げさに振舞う

 歌の中の一節の「庭立住 退莫立」を「庭たすみ いたな立ち」と訓読みしました。そして、これは万葉集の中の歌を紹介するものと考え、「庭にあふれる水に大げさに振舞う」と解釈しました。
このように解釈することで、次の譬喩歌の区分の雨に寄せる歌である集歌1370の歌が想像できると思います。

譬喩歌 寄雨
標訓 譬喩歌 雨に寄せたる
集歌1370 甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知
訓読 はなはだも降らぬ雨故(ゆゑ)にはたづみいたくな行きそ人の知るべく
私訳 それほどもひどく降っていない雨なのだから、庭にあふれる水の中を大げさに行かないで、貴方を人が気づいてしまう。

この歌が譬喩歌でなく相聞歌ですと、歌の意味そのままに、恋人どうしの朝の別れの風景です。男に抱かれたことを家人に知られるのを恥ずかしく思う若い女の雰囲気がありますし、帰っていく男が雨に濡れることより自分の噂が気になる女性の感情があります。
ところが、この歌は譬喩歌の区分の歌となっていますから、歌から想像できる風景がさらに何かを譬えていることになります。では、どのような風景を集歌1370の歌に見なければいけないのでしょうか。
集歌1370の歌の風景は雨水の溜まる庭を横切って男は帰って行きます。ここで、言葉遊びで歌の「庭立水」は和語で「にはたつみ」と読みますが、この和語の「にはたつみ」をもう一度「庭潦」と漢語で書くと有名な人物が歴史から登場してきます。
その有名な人物とは、古事記では仁徳天皇と皇后石之日賣命(いはのひめのみこと)との痴話喧嘩の時に、仁徳天皇の使者に立った和邇臣口子(くちこ)とその妹で皇后の石之日賣命の侍女をしていた口日賣(くちひめ)です。

古事記原文より (古事記祝詞 日本古典文学体系 岩波書店)
故、是口子臣、白此御歌之時、大雨。爾不避其雨、參伏前殿戸者、違出後戸、參伏後殿戸者、違出前戸。爾匍匐進赴、跪于庭中時、水潦至腰。
訓読 故(かれ)、是の口子(くちこ)臣(おみ)、此の御歌を白(まう)す時、大(いた)く雨ふりき。爾(ここ)に其の雨を避(よ)へず、前つ殿(との)戸(ど)に參(まゐ)伏(ふ)せば、違(たが)ひて後(しり)つ戸に出でたまひ、後つ殿戸に參伏せば、違ひて前つ戸に出でたまひき。爾に匍匐(は)ひ進み赴(おもむ)きて、庭中(にわなか)に跪(ひざまづ)きし時、水潦(にはたづみ)腰に至りき。

このときの仁徳天皇の御製が、次の二首です。

古事記 歌謡歌番号61
美母呂能 曾能多迦紀那流 意富韋古賀波良 意富韋古賀 波良邇阿流 岐毛牟加布 許許呂袁陀邇迦 阿比淤母波受阿良牟
読下文 御諸の その高城なる 大猪子が原 大猪子が 腹にある 肝向ふ 心をだにか 相思はずあらむ

古事記 歌謡歌番号62
都藝泥布 夜麻志呂賣能 許久波母知 宇知斯淤富泥 泥士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米
読下文 つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも云はめ

そして、兄の口子が皇后に面会するために水が溢れる庭に座っている姿を見て、口日賣が悲しくて泣きながら詠ったのが次の歌です。

古事記 歌謡歌番号63
夜麻志呂能 都都紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母
読下文 山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも

なお、同じような話題が日本書紀での允恭天皇紀の衣通郎姫と烏賊津使主との伝承にもありますが、こちらは歌謡がないので省略します。
嫉妬で籠ってしまった皇后に会うために使者が雨で水が溢れる庭に座り面会を求める説話が、人物や時代は違いますが、古事記と日本書紀とに載ることは、この説話が当時の人々の心の中にあったことは確実です。これなら、集歌1370の歌は十分に譬喩歌になりますし、仁徳天皇の御世を暗示する重要な歌です。
万葉集と古事記を眺めると、万葉集に先行する古事記の歌謡は万葉集には採られていません。古事記の記事や歌謡を譬喩歌の歌の題材とするだけです。ちょうど、古今和歌集が万葉集の歌を採らないのと同じ姿です。「引用」と紹介しての記載ではなくて、ただ、同じ歌を載せることは編集者が先行するものを知らないと恥辱的に看做されたのでしょうか。その景色があるとすると、逆に読み手が重要な先行するものを知らないのも有識者とし恥辱だったのかもしれません。
万葉集の竹取翁の歌のもじり歌は、私の数えで四十四首です。一方、紀貫之の古歌の目録の歌のもじり歌は、私の数えで二十二首です。この数字が偶然で無いのなら、紀貫之はこの古事記の一節である「跪于庭中時、水潦至腰」の説話を知っています。
専門の歌人には本当は恐い万葉集ですが、古今和歌集も同時に本当は恐い歌集です。

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