竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉集 集歌1037から集歌1041まで

2020年10月14日 | 新訓 万葉集巻六
十五年癸未秋八月十六日、内舎人大伴宿祢家持、讃久邇京作謌一首
標訓 (天平)十五年癸未の秋八月十六日に、内舎人大伴宿祢家持の、久邇(くに)の京(みやこ)を讃(ほ)めて作れる謌一首
集歌一〇三七 
原文 今造 久尓乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之
訓読 今造る久迩(くに)の王都(みやこ)は山川し清(さや)けき見ればうべそ知ららし
私訳 新しく造る久邇の都は、山川の清らかさを見れば、まことに王が統治なされていることです。

高丘河内連謌二首
標訓 高丘(たかおかの)河内連(かふちのむらじ)の謌二首
集歌一〇三八 
原文 故郷者 遠毛不有 一重山 越我可良尓 念曽吾世思
訓読 故郷(ふるさと)は遠くもあらず一重山(ひとへやま)越ゆるがからに念(も)ひぞ吾(あ)がせし
私訳 故郷が遠くにあるからではない。ただ、この一重の山並みを越えるがゆえに、貴女への物思いを私はしているのです。

集歌一〇三九 
原文 吾背子與 二人之居者 山高 里尓者月波 不曜十方余思
訓読 吾が背子と二人し居(を)らば山高み里には月は照らずともよし
私訳 私の愛しい貴女と二人で居るならば、山が高くて里に月が照らなくてもかまわない。
注意 組歌となる集歌1038の歌の標題に「高丘河内連謌二首」とあり、集歌1038の歌の関係から「吾背子」を女性としています。

安積親王、宴左少辨藤原八束朝臣家之日、内舎人大伴宿祢家持作謌一首
標訓 安積親王(あさかのみこ)の、左少辨藤原八束朝臣の家に宴(うたげ)せし日に、内舎人大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌一〇四〇 
原文 久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戸尓今夜者 明而将去
訓読 ひさかたの雨は降りしけ念(おも)ふ子し屋戸(やど)に今夜(こよひ)は明かしに行かむ
私訳 遥か彼方から雨は降りしきる。私がお慕いする貴方は、この家に今夜は明日の朝まで私と夜を明かすためにやってくるでしょう。

十六年甲申春正月五日、諸卿大夫、集安倍蟲麿朝臣家宴謌一首  作者不審
標訓 (天平)十六年甲申の春正月五日に、諸(もろもろ)の卿大夫(まえつきみたち)の、安倍蟲麿朝臣の家に集(つどひ)て宴(うたげ)せし謌一首  作者は審(つばひ)らかならず
集歌一〇四一 
原文 吾屋戸乃 君松樹尓 零雪之 行者不去 待西将待
訓読 吾が屋戸(やど)の君(きみ)松(まつ)し樹に降る雪し行(ゆ)きには去(い)かじ待(まつ)にし待(ま)たむ
私訳 私の家の貴方を待つ、君松の樹に降る雪、その雪のように行きはいきません。君松のように貴方を待ちに待ちましょう。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつもお世話になっております。 (カズキ)
2020-10-14 09:34:58
いつもお世話になっております。
不躾な質問で恐縮ですが、集歌一〇三七の三句「山川之」の「之」の字を「シ」と訓ずる特別な理由があるのでしょうか。
ご多忙のところ、大変申し訳ありませんが、ご返答いただければ幸いです。
ご来場のお礼 (作業員)
2020-10-14 14:39:14
弊ブログでは万葉仮名は万葉仮名の音字で訓じています。平安時代後期頃、万葉集の本来の読解が出来なくなった以降に、万葉仮名に対しての漢文訓読法の適用が始まったようです。その以降に「之」に「の」、「が」、「に」のような自由な読みが生まれました。
弊ブログでは、これを確認するために、古今和歌集、後撰和歌集、新撰万葉集、秋萩帖などの原文を確認し
平安時代中期ごろまでの「之」の読み方を提示しています。
ただ、弊ブログは原文読解を目標にしていて、標準的な鎌倉以降の「漢字交じり平仮名」に翻訳された万葉集ではないことをご了解ください。

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