竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 竹取翁の長歌 もじり歌紹介 2/4

2009年04月11日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 竹取翁の長歌 もじり歌紹介 2/4

 竹取翁の歌の内の長歌 集歌3791の説明です。

平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着(02)
私訳 年少の時には木綿のちゃんちゃんこに裏地を縫いつけて着て

訓読 風交(まじ)り 雨降る夜の 雨交(まじ)り 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつづしろひ 糟湯酒(かすゆさけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しはふ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)掻き撫でて 吾(あ)れを措(お)きて 人は在(あ)らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り 布(ぬの)肩衣(かたきぬ) 有(あ)りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(わ)れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何(いか)にしつつか 汝(な)が世は渡る 天地は 広しといへど 吾(あ)が為(ため)は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 吾(あ)が為(ため)は 照りや給はぬ 人皆(ひとみな)か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あ)れも作るを 綿(わた)もなき 布(ぬの)肩衣(かたきぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居(ゐ)て 憂(う)へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて 鵺鳥(ぬえとり)の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)截(き)ると 云(い)へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやと)まで 来立ち呼ばひぬ 如(かく)ばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道

説明 歌で年少の時に布の肩衣である「ちゃんちゃんこ」を着たのは、山上憶良ただ一人です。また、憶良は漢詩・漢文に従った読む和歌の独特のジャンルの歌人の筆頭に位置する人物です。


頚(うな)つきの 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)の 袖つけ衣(ころも) 着し我れを(03)
私訳 お下げ髪が肩まで伸びた少女の時には、花嫁衣裳の袖の付いた衣を着た私ですが
言葉の説明 「結幡」は婚姻のこと。家同士の結び付きの意味合いが強い。

訓読 葦屋(あしのや)の 菟名負(うなひ)処女(をとめ)の 八年児(やとせご)の 片生(かたおひ)の時ゆ 小放髪(をはなり)に 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 牢(こも)りて座(いま)せば 見てしかと 悒憤(いぶせ)む時の 垣廬(かきほ)なす 人の誂(と)ふ時 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) 菟原(うなひ)壮士(をとこ)の 廬屋(ふせや)燎(や)く 荒(すす)し競(きほ)ひ 相結婚(あひよば)ひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手柄(たがみ)押しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競(きほ)ひし時に 吾妹子が 母に語らく倭文(しつ)手纒(てま)き 賎(いや)しき吾が故(ゆゑ) 健男(ますらを)の 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと 隠沼(こもりぬ)の 下延(したは)へ置きて うち嘆き 妹が去(い)ぬれば 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) その夜夢(いめ)に見 取り続(つつ)き 追ひ行きければ 後れたる 菟原(うなひ)壮士(をとこ)い 天仰ぎ 叫びおらび 足づりし 牙喫(きか)み建(たけ)びて 如己男(もころを)に 負けてはあらじと 懸(か)け佩(は)きの 小太刀(をたち)取り佩き 冬尉蕷葛(ところづら) 尋(と)め去(い)きければ 親族(うから)どち い帰(い)き集(つど)ひ 永き代に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓(をとめつか) 中に造り置き 壮士墓(をとこつか) 此方彼方(こなたかなた)に 造り置ける 故縁(ゆゑよし)聞きて 知らねども 新喪(にひも)の如(ごと)も 哭(ね)のみいし泣きつるかも

説明 幼髪の時に二人の男から女の親公認の求婚をされたのは、葦屋の菟名負処女だけです。高橋連虫麿は東歌の採歌や歌物語に深く関わっています。万葉集におけるこの分野の第一人者です。


丹(に)よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち(04)
私訳 年頃の美しい少女達と同じ頃は、蜷貝の腸が真っ黒のようにつややかに光る黒い髪の毛に櫛を当て

訓読 世間(よのなか)の 術(すべ)なきものは 年月(としつき)は 流るる如し 取り続き 追ひ来るものは 百種(ももたね)に 迫(せ)め寄り来る 娘子(をとめ)らが 娘子(をとめ)さびすと 唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし 同輩子(よちこ)らと 手携(たづさ)はりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過ぐし遣(や)りつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜の降りけむ 紅(くれなゐ)の 面(おも)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし 大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 猟弓(さつゆみ)を 手握り持ちて 赤駒に 倭文(しつ)鞍うち置き 這(は)ひ乗りて 遊び歩きし 世間(よのなか)や 常にありける 娘子(をとめ)らが さ寝(ね)す板戸を 押し開き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまて)の 玉手さし交(か)へ さ寝(ね)し夜の 幾許(いくだ)もあらねば 手束杖(たつかつゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老男(およしを)は 如(か)くのみならし たまきはる 命惜しけど 為(せ)む術(すべ)も無し

説明 歌の句とほぼ同じ句を万葉集から探してきました。さて、この集歌0804の歌は、詠う歌ではありません。日本最初の朗読する和歌です。竹取物語に先行する重要な歌物語です。なお、集歌3295の歌の方は採用していません。


ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為(な)しみ(05)
私訳 髪の毛を櫛で梳かして、それを取り束ねて上げて巻き髪にして、また、それを解き乱して子供のようなお下げ髪にして

訓読 束(た)けば解(ぬ)れ束(た)かねば長き妹が髪このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか

説明 集歌3791の歌の句の意味合いと同じ意味合いの歌です。長屋王と藤原総前の関係を思うとき、三方沙弥は重要人物です。また、養老・神亀年間では漢詩と和歌において欠くことに出来ない人物です。


薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ)(06)
私訳 上品に薄い絹の衣に相応しい深く紫色に染めた糸で織った大柄の柄の入った衣

訓読 紫草(むらさき)の色付(にほへ)る妹を憎くあらば人嬬(ひとつま)故に吾(あ)が恋ひめやも

説明 紫色の大綾の衣を着ることが出来るのは、律令制の規定では天皇とその皇后だけです。そして、歌の薄絹に相応しい人から皇后と考えました。つまり、大海人皇子が詠う蒲生野の倭皇后です。額田王の夫人以下の身分では紫の衣は着ることが出来ません。近江朝の代表です。


住吉(すみのゑ)の 遠里小野の ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に(07)
私訳 住吉から遠い里の小さな野にある榛の葉を持ってきて衣を摺り染めましょう

(読み人知れず)
訓読 住吉(すみのゑ)の遠里(とほさと)小野(をの)の真榛(まはり)もち摺(す)れる衣(ころも)の盛り過ぎゆく

説明 集歌3791の歌の句と同じものを万葉集の中から探してみました。おぼろな後期難波宮を懐かしむ歌です。万葉集後編を閉める歌に相当します。


高麗錦 紐に縫ひつけ(08)
私訳 到来の高価な高麗製の錦を紐に縫い付けて

(読み人知れず)
訓読 針はあれど妹しなければ着(つ)けめやと吾を煩(なやま)す絶ゆし紐の緒

説明 紐を縫う行為を想像させるのは万葉集で集歌2982の歌だけです。この句は言葉を起こす目的のような歌と解釈してます。集歌2982の歌をひねると阿倍郎女に辿り着きます。養老・神亀に活躍した機知に富む阿倍郎女も、万葉女流として忘れることは出来ません。


刺(さ)さへ重(かさ)なへ 浪累(し)き(09)
私訳 打ち寄せ重なり浪が折り敷くように繰り返し

大伴宿祢駿河麿謌一首
訓読 一日(ひとひ)には千重(ちへ)浪しきに思へどもなぞその玉の手に纏(ま)き難(か)たき

説明 集歌3791の歌の句の意味するものと言葉の響きから、集歌0409の歌を拾って見ました。この大伴駿河麿は大伴旅人の甥で、平城京時代最後を飾る武人の万葉歌人の位置にあり、奈良の大和歌の最後を見届けた人とも云えるかもしれません。古来、万葉集の写しを行なうときに、不可思議と思っても改字や順番の入れ替えはしてはいけないと堅く戒められていたそうです。この歌は、その理由を示すものと思っています。万葉集に関わる人間模様が裏にあります。


賭博為し 麻続(をみ)の子ら(10)
私訳 賭博をした、麻続の子たちは

(読み人知れず)
訓読 打麻(うつそ)を麻続王(をみのおほきみ)白水郎(あま)なれや伊良虞(いらこ)の島の玉藻刈ります

説明 歌の「打十八為」を「とはちなし」と読んで「賭博為し」と訓読みしました。そして、刑罰を受けた麻続の子を探すと集歌0023の歌です。左注の説明が歌にぴったりです。なお、持統三年十二月に双六博打の禁止令が出ていますので、天皇四年を持統天皇四年と見ると歴史と似合ってきます。


あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は(11)
私訳 美しい衣を纏った宝のように大切で触れてはいけない人だからか いや、かならずしも

大納言兼大将軍大伴卿謌一首
訓読 神樹(かむき)にも手は触(ふ)るといふを未必(うつたへ)に人妻といへば触れぬものかも

説明 手には触れてはいけない大切な宝の意味合いと「うつたへ」の言葉の響きから、集歌0517の歌を拾ってみました。人麻呂のくびきを逃れ、現在の和歌の形を作った第一人者です。万葉集から、大伴旅人を欠くことは出来ません。


延(は)へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しの 麻手(あさて)作りを(12)
私訳 麻を植えて織る布を日に晒して麻手を作って

訓読 庭に立つ麻手(あさて)刈り干し布(ぬの)曝(さら)す東女(あづまをみな)を忘れたまふな

説明 庭に生えている麻を刈り取り麻手を織る歌の意味合いから、集歌0521の歌を拾って見ました。良いも悪いも神亀・天平時代を代表する藤原宇合を忘れることは出来ません。

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