竹取翁と万葉集のお勉強

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初めての万葉集 社会人のための万葉集入門 7

2013年07月01日 | 初めて万葉集に親しむ
音仮名・訓仮名から考える万葉集の中の古事記物語

 最初にお断りします。ここで紹介する歌の解釈は、一般的な万葉集歌の理解では非常に特異な解釈と扱われます。また、紹介する解釈の根拠の説明は、特異な解釈と評価されるものを明らかにするものですので、一般の社会人の方には退屈なものになっています。それをお含み下さい。

 奈良の都への遷都以前の初期の万葉集の歌が詠われた時代は、古事記が編纂された時代と重なります。古事記は天武天皇から持統天皇時代に国家としてその編纂が計画された歴史書です。現代もそうですが、国家として歴史書を編纂すると云う事業は、その時代の一大関心事であったと思います。すると、万博博覧会やオリンピック毎に歌が創られ詠われるように、万葉集の歌の中に古事記に因むような歌がなかったのかと云うと、ちゃんとそれはあります。それも万葉集の巻頭を飾る歌として取り入れられています。それが泊瀬朝倉宮御宇天皇と称される雄略天皇御製歌です。

天皇御製謌
標訓 天皇(すめらみこと)の御(かた)りて製(つく)らしし謌
集歌1 籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑 名告沙根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師告名倍手 吾己曽座 我許者背齒 告目 家呼毛名雄母

試訓 籠(こ)もと 御籠(みこ)持ち 布(ふ)奇(くし)もと 美夫君(みふきみ)し持ち この岳(をか)に 菜採(つ)ます児 家聞かむ 名 告(の)らさね
空見つ 大和の国は 押し靡びて 吾こそ居(を)れ 師告(しつ)為(な)べて 吾こそ座(ま)せ 吾が乞(こ)はせし 告(の)らめ 家をも名をも

試訳 貴女と夜を共にする塗籠(ぬりごめ)と 夜御殿(よんのおとど)を持ち 妻問いの贈物の布を掛けた奇(めずら)しい犬とを 貴女の夫となる私の主(あるじ)は持っています。この丘で 春菜を採むお嬢さん 貴女はどこの家のお嬢さんですか。名前を告げてください。そして、私の主人の求婚を受け入れてください。
仏教が広まるこの大和の国は 豪族を押し靡かせ私がこの国を支配し、軍を指揮して私がこの国を統率している。その大王である私が求めている。さあ、私の結婚の申し込みを受け入れて、告げなさい。貴女の家柄と貴女の本当の立派な名前も。

 さて、最初の段で万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字で表記された歌と紹介しました。この雄略天皇御製歌は、その基本に従って歌を解釈しなければならない歌です。万葉集の歌の表記の特徴と云う基本に立ち、この歌を調べてみますと、この歌は十七句で構成され、その各句の最初の漢字は「籠」、「美」、「布」、「美」、「此」、「菜」、「家」、「名」、「虚」、「山」、「押」、「吾」、「師」、「吾」、「我」、「告」、「家」です。これらの漢字は漢語か訓仮名に区分される文字で、音仮名に分類される文字はありません。一般に雄略天皇御製歌の三句目の「布久思毛與」は「フクシモト」と訓み「掘串もと」と漢字で書く言葉として理解され、それを下にこの歌全体を解釈して、春菜摘みの予祝歌と解釈されています。ところが、この場合「布」の文字は音仮名として訓む必要が出てきます。すると、他の句頭の文字に音仮名が使われていないのに、この文字だけが音仮名として訓むことが正しいのかと云う問題が出てきます。例外なら、なぜこの文字だけが例外なのかと云う問題と、「掘串もと」と訓みたいのならそれに見合う漢語か訓仮名がないことを考察する必要があります。そうでないのなら「布」の文字は漢語か訓仮名として解釈する必要があります。ここで音仮名とは倭言葉の音を表す漢字に漢語としての意味を持たない仮名文字で、訓仮名とは倭言葉の音を表す漢字に漢語本来の言葉の意味を持たせた仮名文字です。例として織物の布の文字の意味を持たせて「布」を「フ」と訓む、美しいと云う意味を持たせて「美」を「ミ・ビ」と訓むようなものが訓仮名となります。
 この音仮名・訓仮名の言葉に対する説明が違う場合があります。インターネット検索でもデジタル大辞泉の訓仮名の説明と日本大百科全書(小学館)の万葉仮名の中での訓仮名の説明とでその定義が違います。ここでの説明は、日本大百科全書の沖森卓也氏の訓仮名の読みは訓音だけでなく漢語としての意味を持つ論に従っています。なお、賢明な社会人の方は、万葉集に特徴的に使われる万葉仮名自体の形態と定義が万葉集歌の研究において詳細では未だ定まっていないことに注目して下さい。
 ここでの音仮名・訓仮名の言葉の理解を深めるために音仮名の歌を例題として東歌に載る歌から取り上げます。この例題が示すように、多くの東歌の歌は集歌3441の歌や集歌3443の歌のように使われる漢字文字は音だけを表し、その一字一字は漢字としての意味を持ちません。これが音仮名の歌です。ところが、同じ東歌に載る歌ですが集歌3440の歌では「菜」や「兒」の文字は、正訓字と呼ばれる訓音と漢字の意味を同時に持つ訓仮名です。これは主に音仮名で歌を表記する東歌の歌では特殊な用法とされています。そして、類推で「菜」や「兒」の文字の位置に注目すると「毛」と云う文字も音を表す音仮名の用法だけでなく、陰毛を暗示させる働きがあると推測されます。このように作歌者は音仮名と訓仮名を使い分けることで、表記方法を駆使することで歌に奥行きを持たせることを意図していると推定されます。同じように万葉集で一番の猥歌とも称される集歌3530の歌の「鹿」、「草」、「兒」、「門」の文字が正訓字で、正訓字を選択して使ったと云うことを踏まえて、この歌を解釈することになっています。その結果が、万葉集で一番の猥歌と云う評判です。

集歌3441の歌
麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻
ま遠くの雲居に見ゆる妹が家(へ)にいつか至らむ歩め吾(あ)が駒

集歌3443の歌
宇良毛奈久 和我由久美知尓 安乎夜宜乃 波里弖多弖礼波 物能毛比弖都母
うらもなく吾(わ)が行く道に青柳(あをやぎ)の張りて立てれば物思ひ出つも

集歌3440の歌
許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊弖兒多婆里尓
この川に朝菜(あさな)洗ふ子汝(なれ)も吾(あれ)も同輩児(よち)をぞ持てるいで子給(たは)りに

集歌3530の歌
左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
さを鹿の伏すや草群(くさむら)見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも

 雄略天皇御製歌に戻ります。こうした時に「布」の文字を訓仮名として解釈します。そして、雄略天皇に関係して「布」と「クシ」との言葉で歴史を探ると、参考資料として示す古事記の雄略天皇と若日下部王との妻問い物語に辿り着きます。物語では白い犬に布を掛け、鈴を付けたものを「奇しきもの」と述べています。万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字で表記された歌と云う原則を下に、万葉仮名には音仮名と訓仮名の区分があることを認識すると、この雄略天皇御製歌とは古事記の物語を題材に創られた歌物語であることが導き出されます。このように万葉集の歌の特徴をきちんと踏まえると、社会人らしい万葉集の歌の中にある種の言葉のゲームを楽しむことが出来ます。なお、原文の「布久思毛與」を「掘串もと」と訓む校本万葉集では、歌を春の菜摘みの予祝歌として歌意を取るために、それに合わせるように西本願寺本万葉集の原文底本に対して漢字を一部変更・校訂して鑑賞します。
 今回は万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字で表記された歌と云う視線で万葉集歌を鑑賞する時に、その万葉仮名と云う漢字には音仮名と訓仮名との二つ区分があることを紹介しました。そして、万葉集歌を鑑賞する時に、万葉仮名が使われるその文字を音仮名と訓仮名とを区分することが歌の解釈において時には重要な問題を提起する可能性を紹介しました。参考に、この「初めて万葉集に親しむ」では紹介はしませんが、万葉仮名には上代仮名遣いと云う発音表記での区分があります。これも歌の解釈では重要な問題を提起しますが、甲・乙音の上代仮名遣い表に従って、使われる万葉仮名の漢字を当て嵌めればよいので音仮名と訓仮名区分よりは、取り付きやすいと思います。ただし、音仮名と訓仮名との使い分けには作歌者の明確な選字の意図がありますが、上代仮名遣いでの万葉仮名の選字は発音がベースですから、そこには作歌者の意図の関与は薄いと考えます。
 なお、古事記の話題に戻りますと、雄略天皇御製歌と同じように万葉集の中に人麻呂歌集から採歌したものの中などにも古事記を題材にした歌などを見つけることできます。もし、興味がお有りでしたら、万葉集と古事記、特に雄略天皇紀や仁徳天皇紀を中心に比べてみて下さい。また、万葉集の挽歌では古事記に載る倭建命の故事を引用する場合があります。なぜ、柿本人麻呂が詠う近江海で千鳥が鳴くと昔を偲ぶのかを、倭建命の故事と天智天皇の倭皇后の詠う歌から考えてみるのも、万葉集の歌の中での言葉のゲームとして良い題材ではないでしょうか。こうした時、古事記に「和加久佐能 都麻能美許登」と云う歌の句があり、ここから夫も古語では「つま」と読むことになっています。伝統ではこの句を「若草の夫(つま)の命(みこと)」と読みますが、一方では万葉集の慣用句である「吾妹」と同じ意味合いで「若草の妻の命」と読み「若草のような若々しい貴方の妻である私の貴方」と解釈し、沼河日賣が妻問ひの場面で、夫に歌を詠いかけるときに自分が貴方の妻であると云うことを強調していると解釈することも可能ですから、古語で「つま」と云う言葉が「夫」も示すと決めつけるのはどうでしょうか。このように源流をたどると古語では夫も「つま」と読むと云う説の根拠が確定出来なくなる可能性があります。時に、歌を解釈していて伝統的な言葉の定義がしっくりこない時、その語源まで考えることが出来るのは社会人の特権です。
 参考として、個人的には万葉集歌の集歌153の歌は古事記の倭建命の故事を踏まえていて、さらに、その集歌153の歌を踏まえて集歌266の歌が詠われたと解釈しています。そのため、みなさんが普段に目にする現代語訳万葉集の解説とは違っています。そして、伝統では集歌153の歌の「若草乃 嬬之」の「嬬」を古事記の「和加久佐能 都麻能美許登」を引用して男性の「つま」と解釈します。

集歌153 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来舡 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
訓読 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る船 辺(へ)附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)の 念(おも)ふ鳥立つ
私訳 大きな魚を取る淡海の海を、沖遠くを漕ぎ来る船、岸近くを漕ぎ来る船、沖の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、岸の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、若草のような妻が思い出を寄せる八尋白智鳥が飛び立つ

集歌266 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思奴尓 古所念
訓読 淡海(あふみ)の海夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)念(おも)ほゆ
私訳 淡海の海の夕波に翔ける千鳥よ。お前が鳴くと気持ちは深く、この地で亡くなられた天智天皇がお治めになった昔の日々を思い出す。


参考資料 古事記 雄略天皇紀より 抜粋読み下し
初め大后(おほきさき)の日下(くさか)に坐(いま)します時に、日下の直(ただ)越(こ)への道より河内に幸行(いでま)しき。爾(ここ)に山の上(うへ)に登りて國の内を望めば、堅魚(かつを)を上げて舎屋(や)を作れる家有り。天皇(すめらみこと)の其の家を問わさしめて云はく「其の堅魚(かつを)を上げて作れる舎(や)は誰が家(いへ)ぞ」といへり。答えて白(もう)さく「志幾(しき)の大縣主(おほあがたぬし)の家そ」といへり。爾に天皇の詔(の)らさくに「奴(やつこ)や、己(おの)が家の天皇の御舎(みあから)に似せて造れり」といへり。即ち人を遣りて、其の家を燒かしめむ時に、其の大縣主の懼(お)じ畏(かしこ)みて稽首(ぬかつ)きて白さく「奴(やつこ)に有れば、奴(やつこ)隨(なが)ら覺(さと)らずて過ち作れるは甚(いと)畏(かし)こし。故(かれ)、能美(のみ)の御幣物(みまいもの)を獻(たてまつ)らん(能美の二字は音を以ちてす)」といへり。布を白き犬に懸け、鈴を著(つ)けて、己が族(うがら)、名は腰佩(こしはき)と謂う人に犬の繩を取らしめて以ちて獻上(たてまつ)りき。故、其の火を著くるを止めしむ。
即ち其の若(わか)日下部(くさかべ)の王(おほきみ)の許に幸行(いでま)して、其の犬を賜い入れ詔(の)らさくに「是の物は、今日、道に得たる奇(くし)しき物ぞ。故、都麻杼比(つまとひ)(此の四字音を以ちてす)の物ぞ」と云いて賜い入れき。ここに若日下部の王、天皇に奏(もう)さしめしく「日に背きて幸行(いでま)す事、甚(いと)恐(かしこ)し。故、己(おのれ)、直(ただ)に參い上りて仕え奉(まつ)らん」といへり。是を以ちて宮に坐(ま)す時に、其の山の坂の上(ほとり)に行き立ちて歌いて曰く、
日下部の 此方(こち)の山と 畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の 此方(こち)此方(ごち)の 山の峡(かひ)に立ち栄ゆる 葉広(はひろ)熊(くま)白檮(かし) 本(もと)には い茂(く)み竹生(お)ひ 末辺(すえへ)には た繁(し)み竹生ひ い茂(く)み竹 い隠(く)みは寝ず た繁(し)竹 確(たし)には率(い)寝(ね)ず 後も隠(く)み寝む 其の思ひ妻 あはれ
即ち、此の歌を持たしめて使を返しき。

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