竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その15

2009年04月30日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その15

原文 稲寸丁女蚊 妻問迹
訓読 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに(15)
私訳 求婚を拒む娘女だろうか 夜に娘女の許を訪れているのに

歌に二人の男の求婚に板挟みになった娘女の姿を見ています。一方、万葉集には、女の許を夜這った後で二人の男がその女を争って、女が恋の板挟みのために死んだ歌は二首あります。それが、菟原処女墓歌と葦屋処女墓歌です。その歌で女の許に夜這ふ「妻問ひ」の表記は、集歌1809の高橋連虫麻呂の菟原処女墓歌は「須酒師競相結婚」の表記ですが、田辺福麻呂の葦屋処女墓歌は「各競妻問為祁牟」です。そこで、歌の「妻問」と同じ表記で集歌1801の歌を選んでいます。

(田辺福麻呂歌集)
過葦屋處女墓時作謌一首并短謌
標訓 葦屋の処女の墓を過ぎし時に作れる歌一首并せて短歌
集歌1801 古之 益荒丁子 各競 妻問為祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奥城矣 吾立見者 永世乃 語尓為乍 後人 偲尓世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人毎 行因 射立嘆日 或人者 啼尓毛哭乍 語嗣 偲継来 處女等賀 奥城所 吾并 見者悲喪 古思者
訓読 古(いにしへ)の 健(ますら)壮士(をとこ)の 相競(きほ)ひ 妻問ひしけむ 葦屋(あしのや)の 菟原(うなひ)処女(をとめ)の 奥城(おくつき)を 我が立ち見れば 永(なが)き世の 語りにしつつ 後人(のちひと)の 偲(しの)ひにせむと 玉桙の 道の辺(へ)近く 磐構(いわかま)へ 作れる塚を 天雲の そくへの限(かぎ)り この道を 去(い)く人ごとに 行きよりて い立ち嘆かひ ある人は 啼(な)くにも哭(ね)つつ 語り継ぎ 偲(しの)ひ継ぎくる 処女(をとめ)らが 奥城処(おくつきところ) 吾さへに 見れば悲しも 古(いにしへ)思へば
私訳 いにしえに 男達が競って求婚したという 葦屋の 菟原娘子の 墓の前に 立ってみると いついつまでも 後の世に語り伝え 偲ぼうと 道の傍らに 岩を組んで造った塚は 天雲のたなびく果てまで 知れ渡り この道を行く人は みな寄り道をして訪れ 立ちどまって嘆き なかには 声をあげて泣く里人もいたりして 語り継ぎ 偲び継いで来た あの乙女の墓所の前に立つと わたしも悲しさが こみ上げてくる

反謌
集歌1802 古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奥城叙此
訓読 古(いにしへ)の小竹田(しのだ)壮士(をとこ)の妻問ひし菟原(うなひ)処女(をとめ)の奥城(おくつき)ぞこれ
私訳 昔に小竹田の壮士が妻問ひした菟原処女の墓がこれだ

集歌1803 語継 可良仁文幾許 戀布矣 直目尓見兼 古丁子
訓読 語り継ぐからにもここだ恋しきを直目(ただめ)に見けむ古(いにしへ)壮士(をとこ)
私訳 語り継ぐだけなのだが、ひどく菟原処女が恋しいのに、それを直接に菟原処女に会った昔の男たちよ

この田辺福麻呂は、大伴家持の天平二十一年三月二十三日の日記に「左大臣橘家の使者、造酒司令史田辺史福麿を、守大伴宿禰家持が館に饗す。ここに新歌を作り、また古詠を誦ひて、各心緒を述ぶ」の記録がありますが、唯一、この記事と云うぐらいに人物の不明な人です。万葉集には「田辺福麻呂之歌集」から採歌された歌がありますから、天平年間後半に田辺福麻呂は和歌集を編んだようです。
大伴家持の日記の記事からは、左大臣橘諸兄から越中国守の大伴家持へ田辺福麻呂が使者に立ったようですが、公務か私的な使いか、解釈の難しいところです。田辺福麻呂は造酒司令史の八位相当官の官位を持った役人です。個人的な使いで一月くらいの休暇を取ったのでしょう。それとも、準公務だったのでしょうか。

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