竹取翁と万葉集のお勉強

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初めての万葉集 社会人のための万葉集入門 3

2013年07月01日 | 初めて万葉集に親しむ
表記と朗詠とのギャップを楽しむ歌

 万葉集には、万葉集の歌が漢語と万葉仮名と云う漢字とで表現された歌であることを作歌者が特別に意識して作った歌があります。特別に意識したある種の歌では、漢字が持つ表意文字性と発音での漢語と日本語との言葉の違いを巧みに使い、歌を詠います。その一例を長忌寸意吉麻呂の歌から紹介します。

集歌3824の歌
刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武
さし鍋に湯沸かせ勢子ども櫟津(いちひつ)の桧橋(ひばし)より来こむ狐(きつね)に浴(あ)むさむ

集歌3825の歌
食薦敷 蔓菁煮将来 梁尓 行騰懸而 息此公
食薦(すこも)敷(し)き青菜(あをな)煮持ち来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて息(おき)しこの君

集歌3827の歌
一二之 目耳不有 五六 三四佐倍有来 雙六乃佐叡
一二(ひとふた)の目のみにあらず五六(いろく)三四(みし)さへありける双六の采(さえ)
(人、二の目のみにあらず、弥勒見しさへありける、双六の采)

 集歌3824の歌の「湯和可世子等」の読みは「湯沸かせ勢子ども」ですから、原文の「世子等」の読みでの意味は、そのあたりにたむろする小物の召使いを意味します。ところが、その漢字表記は「世子」ですから一族の家を継ぐ頭領の長男を意味します。ここに、朗詠と表記のギャップがあります。次に集歌3825の歌の「息此公」の漢字表記では「寝ているお方」を意味しますが、読みでは「おきしこの君」ですから「行騰を梁に掛けて置いた、このお方」や「起きている、このお方」とも意味が取れます。三首目の集歌3827の歌は、サイコロの出目である一から六までの数字を使った巧みな語呂遊びの歌です。長忌寸意吉麻呂が詠うこれらの歌は宴会での即興和歌ですが、歌には朗詠での発声と墨書での表記とのギャップを楽しむと云う技巧が尽くされています。
 また、万葉集では次のような朗詠での発声と墨書での表記とのギャップを楽しむ歌群があります。これらは悪口を詠う歌ですから、表面上の墨書での表記では悪口にならないことが大切です。朗詠での発声で、初めて、悪口と判る仕組みになっています。これも万葉集の歌が漢語と万葉仮名と云う漢字とで表現された歌であるから出来る遊びです。

集歌3840の歌
寺々之 女餓鬼申久 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播
寺々の女餓鬼(めがき)申(もを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)戯(たは)りてその子(こ)を播(ま)かむ

集歌3841の歌
佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
仏造る真朱(まそ)足らずは水渟(た)まる池田の朝臣(あそ)が鼻の上(へ)を穿(ほ)れ

集歌3842の歌
小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
童(わらは)ども草はな刈りそ八穂蓼(やほたで)を穂積の朝臣(あそ)が腋(わき)草(かや)を刈れ

 歌で朗詠での発声と墨書での表記とのギャップを楽しむとき、少し、意味深長な男歌があります。それが次の恋歌です。この歌で「核不所忘」の「核」の意味を考えてみて下さい。一般には「さね」と読み、言葉は文法上、副詞と解釈します。ただ、大人の男女では「核」を名詞として鑑賞できることを思い出して下さい。これも男女の性戯のある所作に関係することですので、詳細は省略します。参考に、この集歌1794の歌は長歌の反歌ですので、この歌の解釈によっては長歌の隠れた意図が現れます。

集歌1794の歌
立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天
たち替わり月(つき)重(かさ)なりて逢はねどもさね忘らえず面影(おもかげ)にして


校訂で歌意が変わった歌を知る

 ここからの紹介は、少し、専門的になります。もし、退屈で興味が湧かないようでしたら、そんなこともあるのかと、知識として知っていただければ幸いです。

 これらの「表記する歌」が内包する複雑さを踏まえた上で、歌で使われる漢字一文字の内の一画が違うために歌全体の歌意が変わる歌の事例を紹介します。それは有名な大津皇子と石川郎女との相聞歌とされるものです。最初に紹介するものが西本願寺本に載る歌で、次に紹介するものが校本万葉集の歌です。

西本願寺本の相聞歌
原文 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
原文 吾乎待跡 君之沽計武 足日木能 山之四附二 成益物乎

校本万葉集の相聞歌
原文 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二
原文 吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎

 この二つの相聞歌の西本願寺本と校本万葉集とでの違いは、「沽」と「沾」との漢字の、ほんの僅かな漢字一字での一画の差です。ほんのわずかな相違と思われるでしょうが、そうではありません。それは「沽」と「沾」とでは漢字の意味が違うために「山之四付」や「山之四附」の解釈が変わるからです。それぞれの漢字の意味を確認しますと、「沽」の意味は「対価を払って手に入れる」ですが、「沾」の意味は「うるおう、しめり気をおびる」です。従って、「沽」に対して「山之四付」は「山の雌伏」と解釈し、「沾」に対しては「山之四付」は「山の雫」と解釈するようになります。この解釈に対応して、二首目の石川郎女が大津皇子の歌に答えた句の「山之四附二 成益物乎」の解釈が、劇的に相違します。「沽」では「貴方が待つ山の雌伏に行けたら良いのですが」と解釈しますが、「沾」では「貴方を濡らしたその山の雫に私が成れたら良いのですが」と解釈するようになります。当然、西本願寺本を下にしてこの歌を鑑賞する場合は、大津皇子と石川郎女との間に特別な男女関係は想定しません。一方、校本万葉集を下にしてこの歌を鑑賞する場合は二人の間に濃密な男女関係を想定しますし、二人の親密な肉体関係を理解することを歌の鑑賞の成果として要求します。このために、今日ではこの校本万葉集によって、石川郎女は恋多き女(宮武外骨に代表される明治から昭和の文化人は淫売女又は売春婦と云います)とみなされています。伝本としては元暦校本や仙覚本系が「沽」派で、金沢本や細井本が「沾」派です。ただし、平安中期以降に付けられた訓では「沽」の漢字に対して「ぬれぬ」ですから、万葉集が一度読めなくなった平安中期以降に訓を間違えたか、漢字の誤記なのかは難しいところです。本来、「沽」が正しいとしますと、平安中期以降に訓を間違え、その間違えた訓に合わせるために「沽」の字を「沾」へと直したとの推理が可能になります。この点については「平安貴族の万葉集の訓みを考える」の章で概説として触れますが、歌の調べとしては校本万葉集の方が優艶です。藤原俊成や定家たち平安貴族は万葉集の歌を正確に訓むより詠歌での歌の調べを優先した感がありますので、歌本来の歌意を大事にするより詠歌での調べを優先して歌の言葉を改変した可能性があります。
 万葉集が「漢字だけで表現された和歌」であると云う原点に立ち戻りますと、なぜ西本願寺本と校本万葉集とで漢字表記が違い、なぜ西本願寺本では「沽」の漢字に対して「ぬれぬ」の訓を与えたのかを考え時、ここに万葉集を楽しむ大人のゲームが現れます。

西本願寺本の相聞歌
訓読 あしひきの山の雌伏(しふく)に妹待つと吾立ち沽(か)れぬ山の雌伏に
私訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立って待っている。山の裾野で。

訓読 吾を待つと君が沽(か)れけむあしひきの山の雌伏に成らましものを
私訳 「私を待っている」と貴方がじっと辛抱して待っている、葦や檜の生える山の裾野に私が行ければ良いのですが。

校本万葉集の相聞歌
訓読 あしひきの山のしづくに妹待つと吾立ち濡れし山のしづくに
意訳 あしひきの山の雫に、妹を待つとて私は立ちつづけて濡れたことだ。山の雫に。

訓読 吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを
意訳 私を待つとてあなたがお濡れになったという山のしずくに、私はなりたいものです。

 参考に、西本願寺本万葉集と校本万葉集とで、ほんの僅かな漢字一字での数画の差で、歌を鑑賞する時にその歌の意味が大きく変わる例として、他にも次のような歌があります。ここで、集歌2986の歌では「縦」と「緩」では漢字の訓みは同じですが、意味は「弓を放つ」と「弓を引くのを止める」との差があります。なお、誤解が無いように紹介しますが、ここでのものは多くの万葉集の中での一例で、全てのものを紹介しているのではありません。

集歌2955の歌 の「情班」の「班」を「斑」とする例、校本万葉集では「月數多二」を「月數多」とする
西本願寺本
夢可登 情班 月數多二 干西君之 事之通者
夢かとも情(こころ)は返す月(つき)数(あま)たに離(か)れにし君が事(こと)の通へば

校本万葉集
夢可登 情斑 月數多 干西君之 事之通者
夢かとも情(こころ)は惑(まと)ふ月(つき)数(まね)く離(か)れにし君が事(こと)の通へば


集歌2986の歌の「引見縦見」の「縦」を「緩」とする例
西本願寺本
梓弓 引見縦見 思見而 既心齒 因尓思物乎
梓弓(あづさゆみ)引きみ縦(ゆる)へみ思ひ見てすでに心は寄りにしものを

校本万葉集
梓弓 引見緩見 思見而 既心齒 因尓思物乎
梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ思ひ見てすでに心は寄りにしものを

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