竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

初めての万葉集 社会人のための万葉集入門 2

2013年07月01日 | 初めて万葉集に親しむ
漢字に注目して歌を楽しむ

 次に、現在まで、その歌で使われる漢字の読み方の定まっていない歌を紹介します。この歌は三句目の「徃褐」をどのように読むかが問題となっています。

集歌2556の歌
原文 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の垂簾(たれす)を往(い)き褐(かち)む寝(い)は眠(な)さずとも君は通はせ
歌詠 たま垂れのをすの垂れ簾をいきかちむ寝はなさずとも君はかよはせ

 さて、この歌が若い女性から恋人の男性の許に今夜に妻問うことを願う内容であることを踏まえて下さい。当時の決まり事として、身分ある男性が妻問う時には、先駆けとなる使者が男性の許から女性の家に送られ、その使者がもたらす先触れを受けて、女性はあれこれと準備をするのが通例です。こうした時、この歌が詠われた時間帯を想像します。「褐」の漢字を使う古語に「かちむ」と云う言葉があり、それは「赤みを帯びた黒色にする、だんだん暗くなる」のような意味合いを表す言葉です。およそ、乙女の部屋らしく装飾された垂簾の掛かった夕暮れ近い室内の状況を想像させられます。そうした時、若い女性の許には、前回、男が妻問ったときに約束した訪問の連絡がまだ遣って来きていないと思われます。そうした時間帯での、女が詠う歌です。男からの妻問ひの連絡を、今か今かと待つのに、だんだん、室内がほの暗くなっていく、その気が急く情景です。この想像で、一般には、原文の漢字表記とは違いますが、簾が動く風情として「往き勝(か)ちに」と読むところを、ここでは原文の漢字表記通りに「往き褐(かち)む」と読んで、歌を解釈しています。そして、さらにこの歌を鑑賞しますと、五句目の「君者通速為」の表現で「通はせ」と音表記するのに「速為」と万葉仮名の漢字を選択して表現しています。これは「速く来て下さい」と云う感情を表すためと思われます。これらを訓読や歌詠の形だけで歌を鑑賞しますと、歌を詠った女性の男を待つ感情が十分に伝わらないと思います。このように使われるキーワードとなる漢字に思いを馳せ、新たな歌の世界を見つけるのもまた、一つの万葉集を楽しむ大人のゲームです。
 なお、発音においては「往き褐む」は、平安貴族の人々にとっては漢語の匂いがきつく美しい言葉はありません。歌意よりも詠歌を重視する平安時代の和歌人としては詠歌では「往き勝ちに」が許容できる範囲だったと考えられます。それで、歌は三句目の「徃褐」の表記が平安貴族たちには納得がいかず、今日まで読めない表記となっていたと考えられます。万葉集の現代語訳された歌には、時として、美しく歌を詠うために変更された歌があるかもしれないと云うことを知っていて下さい。

 どうでしょうか、万葉集の歌が漢語と万葉仮名と云う漢字とで表現された歌であることを知り、その使われる漢字には隠れた意図があることに気付くと、何か人より得した気持ちになりませんか。そして、自分でもそれを見つけようと思いませんか。この万葉集を楽しむ大人のゲームを理解して頂ければと思います。もし、この大人のゲームを楽しもうと思われるのなら、例題として次の三首を紹介します。紹介する歌は大伴旅人と詠み人知れずの歌ですが、旅人の歌には、旅人が九州の太宰府から奈良の都に戻った後に、大宰府に残った僧侶の満誓に歌を贈ったと云う背景があります。この背景を下に大伴旅人のお茶目な一面を感じて下さい。また、集歌2284の歌の「秋芽子之 四搓二将有」の隠れた言葉の意味を探ってみてください。この説明は男女の性戯のある所作に関わるものですので、口頭で説明するのが良いと思います。詳細は省略しますが「芽子」は女性のある部所を示す隠語で、次の句の「四搓二将有」の意味が深長です。

大納言大伴卿和謌二首より
此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思
このまありて筑紫(つくし)や何処(いづち)白雲のたなびく山の方(かた)にしあるらし

草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天
草香江(くさかえ)の入江に求食(あさ)る葦(あし)鶴(たづ)のあなたづたづし友無しにして

集歌2284の歌
率尓 今毛欲見 秋芽子之 四搓二将有 妹之光儀乎
ゆくりなくに今も見が欲(ほ)し秋萩のしなひにあるらむ妹が姿を


同訓異字や同字違訓の言葉で歌を複雑に表現する

 万葉集の歌が漢語と万葉仮名と云う漢字とで表現された歌であることを知ると、万葉集の歌の中にもっと面白い大人のゲームを楽しむことができます。先の例では一つの歌の中に「恋」と「孤悲」との異なる表記をしていました。このように万葉集では同じ事物を示す時、漢語や万葉仮名を使って異なる表記で意図する感情を表現することがあります。そして、時には、その異なる表記が歌の解釈で重要な意味を持つ場合があります。ここでは、男女が歌を交す相聞歌と云うジャンルから、その一例を紹介します。

原文 内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國
訓読 うち日さす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ情(こころ)吾(あ)が思はなくに
歌詠 うち日さす宮にはあれどつき草のうつろう心我おもはなくに

原文 百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方
訓読 百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草(つきくさ)のうつろふ情(こころ)吾(われ)持ためやも
歌詠 ももにちに人は言ふともつき草のうつろう心我もためやも

 最初の一首の三句目の「鴨頭草(つきくさ)」は、現在の露草(ツユクサ)を意味し、別に「空草」、「月草」、「鴨跖草」とも表記します。この鴨頭草の表記でツユクサを表す時は、言葉を使う意識の内にその花の形状があり、言葉の意味合いにおいて「男女の性交渉」 (この説明はツユクサの花の構造と比較して女性のある部所の形について説明する必要がありますので、口頭で説明するのが良いと思います。詳細は省略します) を暗示します。つまり、宮仕えする女が男に対して、噂話に登るような気移りする尻軽女では無いと云う歌意になります。その応歌の三句目ではツユクサを鴨頭草の表記ではなく「月草」の表記に変えています。男女の恋歌では、女が性交をイメージさせる「鴨頭草」の表記を使って尻軽女では無いと云う歌を詠った時、その内容を踏まえて、性のイメージを取り除いて「月草」と表記を変えたことが風流人と思われます。そして、同時に月が雲に隠れるような疑念の気持は持たないと告げるのが大切です。この心の機微を示す「鴨頭草」と「月草」の表現を、同じ表記の「月草」の言葉で括ってしまっては万葉集の相聞歌の感情がなくなります。男女の相聞歌として並べられる二つの歌で、ほぼ同じような訓読みに対して、なぜ、違う鴨頭草と月草との表記の使い分けがあるのかと疑問を持つと、ここでのような個々の言葉の語源まで探って、心の機微を想像する云う万葉集を楽しむ大人のゲームとすることが出来ます。これもまた、一つの楽しみ方です。
 参考に万葉集の歌が漢語と万葉仮名と云う漢字とで表現された歌との認識で、原文の「宮庭有跡 鴨頭草之」の表現の鑑賞では、露草の言葉を調べるときに「鴨跖草」の単語から見つけられる奈良時代の露草は漢方薬や染料として中国から輸入された栽培植物であることを思い出して下さい。そうすると、原文の「宮庭有跡」の表現が絶妙であることに気付くはずです。きっと、歌を詠った女性は日常の庭の情景を見たままに詠ったのでしょうが、私たちは、奈良時代の宮廷の庭が想像できて楽しくなります。
 万葉集歌で、この鴨頭草と月草の例は同訓異字ですが、同字違訓の例が巻十二にあります。それが次の例です。歌の背景をこれから筑紫へと旅立つ男が妻問いした翌朝の男女の会話と想像して、男女の愉快ですが甘い相聞を堪能して下さい。二首目の十月を神無月と読まないのがミソです。なお、校本万葉集では神無月と読むために、西本願寺本万葉集の歌の記述を「十月雨 〃間毛不置」から「十月 雨間毛不置」へと変えてしまいました。当然、校本万葉集と西本願寺本万葉集では歌の感情が違います。なお、これも「徃褐」と同じですが「十月雨」と云う言葉は「神無月」の言葉に対して「調べに雅さ」がありません。このため、校本万葉集では歌意より調べを優先して「十月 雨間毛不置」と校訂したと思われます。

十月 鍾礼乃雨丹 沾乍哉 君之行疑 宿可借疑 (女)
十月(かむなつき)時雨(しぐれ)の雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)か借(か)るらむ

十月雨 〃間毛不置 零尓西者 誰里之間 宿可借益 (男)
十月(そつき)雨(あめ)雨(あま)間(ま)も置かず降りにせば誰(た)が里の間(ま)の宿(やど)か借らまし

コメント   この記事についてブログを書く
« 初めての万葉集 社会人のた... | トップ | 初めての万葉集 社会人のた... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

初めて万葉集に親しむ」カテゴリの最新記事