竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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万葉集 集歌4102から集歌4106まで

2023年01月30日 | 新訓 万葉集巻十八
集歌4102 白玉乎 都々美氏夜良波 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢
訓読 白玉を包みて遣らば菖蒲草(あやまくさ)花橘に合(あ)へも貫くがね
私訳 真珠を包んで贈ったら、菖蒲草や花橘に合わせて薬玉に貫くでしょうか。

集歌4103 於伎都之麻 伊由伎和多里弖 可豆具知布 安波妣多麻母我 都々美弖夜良牟
訓読 沖つ島い行(ゆ)き渡りて潜(かづ)くちふ鰒玉(あはびたま)もが包みて遣らむ
私訳 沖にある島に渡って行って潜るらしい、そのアワビ珠がほしい。包んで贈りたい。

集歌4104 和伎母故我 許己呂奈具左尓 夜良無多米 於伎都之麻奈流 之良多麻母我毛
訓読 我妹子が心(こころ)慰(なぐさ)に遣らむため沖つ島なる白玉もがも
私訳 私の愛しい貴女の心の慰めとして贈るために、沖の島にある真珠が欲しい。

集歌4105 思良多麻能 伊保都追度比乎 手尓牟須妣 於許世牟安麻波 牟賀思久母安流香
訓読 白玉の五百箇(いほつ)集(つど)ひを手にむすび遣(おこ)せむ海人(あま)は昔(むかし)くもあるか
私訳 真珠をたくさんたくさん集めて手に掬い取って、私に贈ってくれる海人は古くからの友人とも感じられるでしょう。
一云 我家牟伎波母
一(ある)は云はく
訓読 輝(かか)むきむはも
私訳 神々しいでしょう
右、五月十四日、大伴宿祢家持依興作
注訓 右は、五月十四日に、大伴宿祢家持の興に依りて作る

教喩史生尾張少咋謌一首并短謌
標訓 史生(ししやう)尾張(をはりの)少咋(をくび)に教へ喩(さと)せる謌一首并せて短謌
七出例云、但犯一條、即合出之。無七出輙奇者、徒一年半。三不去云、雖犯七出不合奇之。違者杖一百。唯、犯奸悪疾得奇之。兩妻例云、有妻更娶者、徒一年。女家杖一百離之。詔書云、愍賜義夫節婦。謹案、先件數條、建法之基、化道之源也。然則義夫之道、情存無別、一家同財。豈有忘舊愛新之志哉。所以綴作數行之謌、令悔奇舊之惑。其詞云
標注 七出(しちしゆつ)の例に云はく「ただし、一條を犯さば、即ち合ひ出(いだ)すべし。七出無くして輙(たやす)く奇(あや)しとするは、徒(づ)一年半なり」といへる。三不去(さんふきょ)に云はく「なお、七出を犯すとも之を合ひ奇しとせず。違へる者は杖一百なり。ただ、奸(かん)を犯せると悪疾(あくしつ)とは之を奇(あや)しと得(う)る」といふ。兩妻の例に云はく「妻有りて更に娶(めと)る者、徒一年なり。女家は杖一百にして之を離て」といふ。詔書(しょうしょ)に云はく「義夫と節婦を愍(あはれ)み賜(たま)へる」といふ。謹(つつし)みて案(あん)ずるに、先の件(くだり)の數條は、法を建つは之の基にして、道に化(おもむ)くは之の源なり。然らば則ち義夫の道は、情(こころ)の別(べち)なきことに存り、一家は財を同じくす。豈、舊(ふる)きを忘れ新しきを愛(め)づる志(こころ)有らめや。所以(ゆゑ)に數行の謌を綴(つづ)り作(な)し、舊きを奇(あや)しとの惑(まどひ)を悔(く)いしむ。其の詞(ことば)に云はく、
標訳 七出の例に云うには「ただし、七出の一条を犯せば、離縁出来る。七出が無いのに安易に疑い訴える者は、徒刑一年半」である。三不去に云うには「七出の条を犯しても、これを疑いとはしない。疑惑を間違えたものは杖刑一百なり。ただし、姦通を犯したものと悪質の疾病は、これを七出の疑いと出来る」と云う。両妻の例に云うには「妻が有って、更に娶る者は、徒刑一年なり。女は杖刑一百を執行して離縁させろ」と。詔書に云うには「義夫と節婦には朝廷は褒賞をお与えになる」と。謹んで考えてみると、先に示す数カ条は、法を執行するのは義夫と節婦との規範を基にし、道徳を行うのは義夫と節婦との規範を源とする。もし、そうであるならば、義夫の道徳は、人を愛しむ心を人により別たないことにあり、一家の財の恩恵を皆が共々に共有することである。それならば、どうして古きを忘れ、新しいのを愛する心持があるだろうか。そこで、数行の歌を綴って作り、古きに疑いがあるとの迷える気持ちを悔い改めされる。その詞に云うには、
集歌4106 於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良之 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美々恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之部尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良 多之家牟 等吉能沙加利曽 波居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良無 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐  (言佐夫流者遊行女婦之字也)
訓読 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 云ひ継ぎけらく 父母を 見れば尊(とふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし 現世(うつせみ)の 世の理(ことわり)と かくさまに 云ひけるものを 世し人の 立つる言立(ことた)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻(つま)の子と 朝夕に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは 永久(とこしへ)に かくしもあらめや 天地の 神言(かむこと)寄せて 春花の 盛りも安ら たたしけむ 時の盛りぞなみをりて 嘆かす妹が 何時(いつ)しかも 使(つかひ)の来むと 待たすらむ 心(こころ)寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(まさ)りて 射水川(いづみかは) 流る水沫(みなは)の 寄る辺(へ)並み 左夫流(さふる)その児(こ)に 紐の緒の いつがり合ひて 鳰鳥(にほとり)の ふたり並び居 奈呉の海の 沖を深めて さと馳せる 君が心の 術(すべ)も術なさ  (佐夫流(さふる)と言ふは、遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり)
私訳 大汝と少彦名の神代から語り継がれてきたことには「父母を見れば尊く、妻子を見れば愛しい」と。この世の、世の理屈と、このように語られるのに、世の人の口にする誓いの、ちさの花が咲く盛りに、いとおしい、その妻である娘女と、朝夕に喜び頬笑むその笑顔をなくして、嘆いて語らいあったことには「永遠にこんなことが続くだろうか、天地の神に祈って、春の花の盛りに安らかになるでしょう(=春には戻って来る)。その花の最中に」と。世の人と同じように嘆いていた愛しい貴女が「いつにか、貴方からの使いが来るでしょう」と、待っているでしょう、その気持ちを寂しくさせて、南風が吹き雪溶けの水が溢れる射水川を流れる水沫が寄り続く、そのような寄り続く左夫流、その娘女に、紐の緒のようにもつれあって、鳰鳥のように二人並び居て、奈呉の海の沖の海の底が深いように気持ちを深めて、その気持ちに心を馳せる。その貴方の気持ちのどうしようもないことです。(左夫流とは、遊行女婦のあだ名なり)
注意 前置漢文の序と長歌で西本願寺本と校本とで、原文が違う箇所が複数あります。そのため、各所、訓読みと意訳が違っています。

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