竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その14

2009年04月29日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その14

原文 為支屋所經
訓読 醜屋(しきや)に経(ふ)る(14)
私訳 粗末な小屋で時が過ぎて行って

竹取翁の長歌の一節「醜屋に経る」を「粗末な小屋で時が過ぎて行って」と解釈して、巻十三に載る集歌3270の歌を導き出しました。集歌3270の歌は「し」の音を集めた宴会での「音」の遊びの歌です。そして、返歌は「わ」の音です。
さて、集歌3270の歌の「醜の醜手を」をつまらない男の手と解釈するか、丈夫な立派な男の手と解釈するか二通りありますが、古事記と同じ解釈で丈夫な立派な男の手と解釈してます。自分の小屋に日中に恋人を引き込んだ男が、その強引さに女に振られた景色を見ています。普段の解説のように「醜の醜手を」をつまらない男の手と解釈して、女の嫉妬の歌とは解釈していません。随分に景色が違いますが、私のは大国主命を古事記では葦原色許男神、日本書紀では葦原醜男と云う世界と同じです。「恐ろしく強い」、「頑丈な」のような意味合いです。

(読み人知れず)
集歌3270 刺将焼 小屋之四忌屋尓 掻将棄 破薦乎敷而 所掻将折 鬼之四忌手乎 指易而 将宿君故 赤根刺 晝者終尓 野干玉之 夜者須柄尓 此床乃 比師跡鳴左右 嘆鶴鴨
訓読 さし焼かむ 小屋(をや)の醜屋(しきや)に かき棄(う)てむ 破薦(やれこも)を敷(し)きて 掻し折らむ 醜(しこ)の醜手(しきて)を さし交(か)へし 宿(しき)ます君ゆゑ 茜(あかね)さす 昼は終(しめら)に ぬばたまの 夜(よひ)は過(し)がらに この床の ひしと鳴きさふ 嘆きつるかも
私訳 焼き払ってしまいたい小屋のみすぼらしい家に、掻き集めて棄ててしまいたいような粗末な薦を敷いて、貴女を掻き寄せ押し伏せて、頑丈な男の手を差し交わし、共寝をした貴女のために、茜色の日のさす日中は一日中、夜は夜通しに、この寝台をぎしぎしと音をさせて、逢いたくて嘆いたことよ。

集歌3271 我情 焼毛吾有 愛八師 君尓戀毛 我之心柄
訓読 我(わ)が情(こころ)焼くも吾(わ)れなり愛(は)しきやし君に恋ふるも我(わ)の心から
私訳 自分の心を焼き焦がすのも元は自分にある、愛しいあなたに恋するもの自分の気持ちから

この集歌3270の歌は、長歌を紹介するために編まれた巻のような巻十三に載る歌です。巻十三に載る全百二十七首の内の六十六首が長歌で、残りの六十一首は付属の反歌です。つまり、巻十三は万葉集の中でも長歌のためにあるような特殊な位置にあります。
では、この歌はいったいその巻十三の中でどのような位置にあるのでしょうか。同じ巻十三にある人麻呂歌集の歌は、概ね肆宴(とよのほあかり)での寿詞と思われますから、何らかの宮中に残った歌なのでしょうか。

集歌3253 葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 言上為吾
訓読 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 事挙げせぬ国 しかれども 辞挙げぞ吾がする 言幸(さき)く ま幸(さき)くませと 障(つつ)みなく 幸くいまさば 荒礒(ありそ)波(なみ) ありても見むと 百重(ももへ)波(なみ) 千重(ちへ)波(なみ)しきに 言上げす吾れは 言上げす吾れは
私訳 天皇が治める葦原の瑞穂の国は地上の神々が気ままに人民に指図しない国です。しかし、私はその神々にお願いをする。その神々に誓約する。この国が繁栄しますようにと。そして何事もなく繁栄しているのなら、荒磯に常に波が打ち寄せるように百回も、千回も、私は神々に誓約します。私は神々に誓約します。

反歌
集歌3254 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
訓読 磯城島の大和の国は事霊(ことたま)の佐(たす)くる国ぞま幸(さき)くありこそ
私訳 天皇の志の貴い磯城島の大和の国は地上の神々が天皇を補佐する国です。きっと、繁栄するはずだ。

 参考として、飛鳥奈良時代の万葉集の歌やその頃成立したとされる延喜式に載る祝詞は、「言」、「辞」と「事」は同じ「こと」と読みますが、それぞれ意味が違います。同様に「言」、「云」と「謂」は同じ「いう」と読みますが、その意味合いは同じではありません。「言」の字は特別に神との契約のような約束や神である天皇の行為です。普段の万葉集の解説で、「言」、「辞」と「事」の字を混同したり、「言」、「云」と「謂」の字を混同するものもありますが、それは万葉時代の用法ではありませんし意味や解釈が異なります。
集歌3253の歌が宮中での寿詞としての厳密な「言」、「辞」と「事」の用字の使い分けとすると、集歌3270は軽みの言葉の使い分けでしょうか。「醜」を意味する「四忌屋」と「四忌手」での「四忌」の意味が違います。新しく「みすぼらしい」の意味と古風に「恐ろしく強い」の意味があります。
集歌3270の歌は、長忌寸奥麻呂が詠うような言葉に軽みを持つ、宮中の何かの宴会での「しき」や「し」の音を集めた言葉遊びの歌なのでしょうか。

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