竹取翁と万葉集のお勉強

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田辺福麻呂歌集を鑑賞する  悲寧樂故郷作謌一首

2011年02月07日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
田辺福麻呂歌集を鑑賞する

はじめに
 田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の歌及び田辺福麻呂歌集を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
 また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や一部に解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。
 さて、田辺福麻呂を紹介しますと、集歌4032の歌の標に左大臣橘家(橘諸兄)の使者として造酒司令史田辺史福麿と登場するのが、唯一の人物像の情報です。官人としては造酒司(さけのつかさ)で令史(さかん)の役職ですので、大宝律令では大初位上の官位の役人となります。また、氏族としては「史(ふひと)」の姓(かばね)を持っていますので、渡来系の氏族と推定されます。なお、集歌4056の歌から推測するに、万葉集での歌人としての田辺福麻呂は、後編万葉集である「宇梅之波奈」の最後の時代を飾る位置にあると思われます。
 歌の素人が、原万葉集を「奈弖之故」と「宇梅之波奈」との名を持つ二つの歌集と妄想するとき、その「奈弖之故」の編纂の御下命の主は阿部内親王で、その御下命を受けて詩歌集を企画したのは橘諸兄であり、その詩歌集の編纂責任者が丹比国人、編纂員は大伴旅人と大原今城となります。こうした時、原万葉集「奈弖之故」の編纂が始まる直前に、奈良の京に住む橘諸兄が越中国に赴任中の大伴旅人の下に歌人田辺福麻呂を使者に立てたことが、非常に興味深いことです。そして、その田辺福麻呂を迎える宴では、宴に参加する人たちが新しく宴で創った歌だけでなく、それぞれが知る古い歌々も披露をしています。これらの歌々は後で紹介しますので、参照してみてください。
 なお、ここで紹介する歌は普段に紹介される「訓読み万葉集」での田辺福麻呂の歌数とは違い、素人の感覚で集歌1784、1790及び1791の歌も恣意的に田辺福麻呂の歌として数えていますので、紹介する万葉集に載る歌は本人及び田辺福麻呂歌集の歌として長歌十一首、短歌四十三首が採られていると勘定しています。つまり、学問とは違い、長歌一首と短歌二首が余分に加わっています。この特別に採用した素人感覚については、弊ブログ「万葉集巻九を鑑賞する」を参照して頂きますようお願いいたします。


悲寧樂故郷作謌一首并短謌
標訓 寧樂(なら)の故(ふ)りにし郷(さと)を悲しびて作れる謌一首并せて短謌

集歌1047 八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀塊丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男牡鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思並敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞

訓読 やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和の国は 皇祖(すめろき)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 平城(なら)の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺に 桜花 木の暗(くれ)隠(こも)り 貌鳥(かほとり)は 間(ま)無くしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 射駒(いこま)山 飛火(とぶひ)が塊(たけ)に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし 大夫(もののふ)の 八十伴の男(を)の うち延(は)へて 念(おも)へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 念(おも)へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の京(みやこ)を 新世(あらたよ)の ことにしあれば 皇(すめろぎ)の 引きのまにまに 春花の 移(うつ)ろひ易(かは)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(い)かねば 荒れにけるかも

私訳 天下をあまねく承知なられる吾等の大王が天まで高らかに統治なられる大和の国は、皇祖の神の時代から御統治なされる国であるので、お生まれになる御子が継ぎ継ぎに統治ならせると、八百万、千年の統治なされる歳とを兼ねてお定めになられた奈良の都は、陽炎の立つ春になると春日山の三笠の野辺に桜の花、その樹の暗がりにはカッコウが絶え間なく啼く、露霜の秋がやって来れば、生駒山の飛火の丘に萩の枝のシガラミを散らして角の立派な牡鹿が妻を呼び声が響く。山を見れば山を眺めたくなり、里を見れば里に住みたくなる。立派な男たちの大王に仕える男たちが寄り集まって願うことには、天と地が重なり合う果てまで、万代まで栄えていくでしょうと、念じている大宮だけでも、頼もしく思っていた奈良の都だが、新しい時代のことであるので、天皇の人々を引き連れるままに、春の花が移ろい変わり、群れた鳥が朝に寝床から揃って飛び立つように旅たっていくと、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮の宮人が踏み均して宮に通った道は、馬も行かず、人も行かないので荒れてしまったのでしょう。

反謌二首
集歌1048 立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異利
訓読 たち易(かは)り古き京(みやこ)となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生ひにけり

私訳 繁栄していた時代とは立ち代り、古い都となってしまったので、路に生える芝草が長く伸びてしまった。


集歌1049 名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益
訓読 なつきにし奈良の京(みやこ)の荒(あ)れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増さる

私訳 慣れ親しんだ奈良の都が荒れていくと、都度、立ち寄るたびに嘆きが増してくる。


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