竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 天神地祇(あまつかみ、くにつかみ)

2014年03月16日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
天神地祇(あまつかみ、くにつかみ)

 大海人皇子は野上の本陣で戦後の経営を練る。
 皇子は「大和国は、大唐や新羅のように大王が治める国家にならねばならぬ」と思う。今度の戦いで近江朝廷の蘇我、中臣、巨勢などの大族やそれに従う者達の家産を公収すれば、当座の朝廷の経営は出来る。また、それで味方した者への恩賞も出せる。しかし、それだけでは、何時まで経っても、大王は大族たちから推挙された豪族どもの調整官の立場でしかない。
 つまり、諸公や豪族が連合するような形でしか、大和の国は成り立たない。それでは強勢となった新羅には対抗できないし、何時までも大唐や新羅の意を汲んだ豪族たちに国は振り回される。
 皇子は「大和の国々を豪族や国造が支配するのではなく、大王が直接、支配しなければならない」と考える。ただし、理想である。豪族や国造が己の支配権や生活を、ただ、黙って放棄するはずはない。豪族や国造との戦いを興すことなく、如何に人民を支配するかの手立てを探る必要がある。
 経営を練る大海人皇子と伊勢王は、ある方策を見つけた。それは「朝廷の大王が大和全体の神主となる」であった。古来、里の祝部が里の守り神を祝い祀る。そこに大和の大王との関係は無い。国造と里の祝部との関係も、遠い昔、国造が力で支配した記憶があるが、神祀りとしてはその関係は薄い。伊勢王はこの関係に縦に柱を通すと云う。そうすれば大和のすべての里は大王の下に集まる。また、税も集まると云う。
 里の祝部は神祀りのため、里人から収穫の一部を平等に集め、それで祭りの費用とする。里の共同作業もまた、里の祝部が公平に差配する。神祀りを利用して税を課すれば、里人は素直に従うし、理解する。これを「大唐の律令で定める租庸調の税じゃ」と云うても、鄙の里では誰も判らないし、従うはずもない。大海人皇子も、それはもっともなことだと思う。文字も書けず、読めない者どもが律令や大唐の租庸調の税制度なんぞ判るはずもない。倭の都から人を送り、ただ、「国の税じゃ」と云って収穫を取り上げれば「盗賊じゃ、盗人じゃ」と云うて、里で騒ぎが起きるだけだ。
「伊勢王、面白いのう。それは気に入った」
「神祀りの仕組みには、中臣も入れねばならん。そうじゃ、伊勢王、中臣大嶋と仕組みを探ってくれい」

 しばらくして、大海人皇子の許に伊勢王と中臣大嶋が顔を出した。良き案が出来たと云う。ただし、それには条件があると云う。先の伊勢国の神祀りと同じように鉄鍬と刀子を鍛冶の里から出してほしいと云う。それも、大王に従う里の祝部にそれぞれ一口ずつ。
 大海人皇子は聞いた
「いくら要る」
「当座、大祓と新嘗の年二回、神祀り毎にそれぞれ五百。都合、千」
「おお、それなら良かろう。二千でも良いぞ。戦が終われば太刀と甲羅は造らん。その余裕があるわい」
 それを聞いて伊勢王が説明を始めた、
「まず、倭で大王の名の下に豊穣を祝う夏の大祓祭と冬の新嘗祭をする。そこに倭中の氏上と里の祝部を呼ぶ。また、国造どもも呼ぶ」
「神祀りの後、氏上と里の祝部に降し物として鉄鍬と刀子を渡し、里で大王の仕儀に習い同じように大祓祭と新嘗祭をさせる。あの伊勢の神祀りと同じじゃ」
「これを毎年、繰り返す。そして、氏上と里の祝部どもには、必ず豊穣の神祀りの仕儀は大王の仕儀と同じにさせる。里神の祀りの仕儀はそのままでも良いが、降し物の鉄鍬と刀子を使う豊穣の神祀りは大王の仕儀とさせる」
 大海人皇子
「なるほどな。すぐに大王と氏上や里の祝部どもは神祀りの仕儀で統一されるであろうなあ」
「なお、里の祝部どもには、豊穣の神祀りの贖いとして里人から年三分の神税を出させる。これを郡の神倉に集め、一部は国の一宮の神倉にも集める」
「公に関わる里の普請は里の祝部どもにやらせる。これも里では古くからの習いじゃ、里人どもは文句を云わん」
「これを徐々に諸国に広げる。十年も経てば、大和の里は大王に従う」
「国造や里の祝部どもには、国守司から大王の招聘を伝える。伊勢国や紀国の例からして、従わぬ国造どもは二年と持たん」

 伊勢王は一通り説明を終えた。その話を聞いた大海人皇子は決心した。
「よし、準備が整い次第、倭から豊穣の神祀りを行う」
 その大海人皇子に伊勢王がさらに云う。
「吾の伊勢国は去年来、神祀りを行っている。これを大王のものとしたい。良かろうか」
「厭も応も無い、それを行え」
「では、皇子。伊勢国に大王の巫女を頂けるか、つまり、女子の御子じゃ」
「大王の御子を伊勢国の祭事の巫女をしたい。さすれば、国の祝部どもは大王の神祀りと実感する」
「良かろう、年長の大来皇女を伊勢の巫女として降す」
「有難き御沙汰、さっそく、準備いたします。ただ、巫女は祭事を執るゆえ、大人の御子でなくてはなりませぬ。大来皇女の裳着はお済みでしょうか」
「まだじゃ」
「では、裳着が終わりましたら、伊勢に御降り頂きましょう」
 倭では国中と大王家の祭事は大王家の血筋を継ぐ巫女である皇后が「天つ皇女=天皇」として執り、それを中臣と忌部が補佐をする。同席する大王家の神事を補佐する中臣大嶋は、伊勢王の望みを、いかにももっともの事として脇で聞いていた。それに、国々に大王に直結する「一の神」をそれぞれに定めることは、良い考えだと思った。そして、手始めに伊勢国では伊勢王が祀る都波岐神社となるであろうし、紀国では紀国造が祀る日前神社がそれとなるであろうと想像した。

 豊年の神祀りで国を治める策について、おおよその案を示し、了承された伊勢王と中臣大嶋が退出して行く。その伊勢王だけを大海人皇子が引き止めた。
「伊勢王、今少し、話がある。ここへ残れ」
 伊勢王だけが、部屋に残った。
 大海人皇子が周囲にだれもいないことを確認して、小声で伊勢王を問い質した。
「伊勢王、大来皇女を見知っているか、ここには主と吾、二人じゃ。真を云え」
 伊勢王は、しばらく、大海人皇子の顔を見つめていた。
 やがて、決心が付いたかのような口調で答えた。
「皇子には隠し事は出来んようですな。確かに吾は大来皇女を見知っている」
 皇子は鋭い口調で問い質した。
「では、伊勢王。主は、まだ稚児であるが、その大来が欲しいのか。真っ直ぐに云え」
 肝を据えた伊勢王が、皇子を見つめ答えた。
「おお、吾は大来皇女が欲しい。我が物にしたい。だが、倭の定めは大王の皇女(ひめみこ)は皇子にしか与えられん。で、吾は死ぬ気で策を考えた。それが、国の祭事の巫女じゃ。吾が大来皇女に仕える」
 予想が当たり、納得した皇子は穏やかな表情と口調で聞いた。
「伊勢王、今度の戦いの大功は主一人にある。如何ほどの褒美も取らせるつもりであった。それが、我が娘か、それとも他に願いはあるのか」
「吾が大来皇女に仕える。それだけで良い。伊勢の国中の者どもの褒美は、戦いが一月ほどで終われば、さほどはいらん。伊勢にある近江朝廷の大臣どもの家産を大海人皇子の思し召しで降されれば、それで収まる」
「我が伊勢国造一族は、一宮の都波岐神社に大来皇女を国の祭事の巫女に降し置かれれば、それだけで良い」
 大海人皇子は思案しつつ、伊勢王を問いただす。
「おい、伊勢王。いつ、大来を見た」
「それは、ここ野上の陣屋に来られてから、ずっとじゃ」
「大来は吾の妻、大田の最初の子じゃ。その綽名の通り壬生を付けず、我が手元で育てた。その子が欲しいか」
「おお。云うわ。笑うかも知れんが、吾は、今はまだ稚児ではあるかもしれんが、その大来皇女に惚れた。お願いじゃ、この吾に大来皇女をくれ」
 大海人皇子の顔をじっと見る、伊勢王も真っ直ぐに皇子の目を見る、
 皇子が口を開いた。
「今度の戦には勝つ。そして、吾は大王に就く。必然、大王の皇女となる大来は皇子にしかやれんが、大来の年を考えると、釣り合う相手は高市ただ一人じゃ。が、それでは我が妃の鵜野が承知せん」
 百済の役の時、産み月の身で筑紫への旅の途中での出産と、場合により産褥で死ぬかもしれぬ危険を顧みず皇子に従い、その筑紫への遠征の途中で大来皇女を産んだ大田皇女が愛しい。だが、その大田皇女はすでにこの世にいない。大海人皇子が大王に就任する時、その妹、鵜野皇女自身の大王の血の引くと云う立場は重い。
 大和の祭祀を司る天皇には大王の血を引く皇女でしか就けないし、政治を行う大王になるものはその天皇となるべき血を引く皇女を妻とする必要がある。その政治の要請と大田皇女への愛しさが、大海人皇子の心を複雑にする。今、大将軍であり長男の高市皇子が大来皇女を正妻として室に入れれば、次の大王はほぼ決まる。それでは、草壁皇子を産んだ鵜野皇女が承知しない。
「我が子、大来が愛しい。その大来に夫を持たせずに世を終わらすのは不憫じゃ。主が本気で大来が好きなら、主、伊勢王に大来をやる」
伊勢王の目が輝いた、
「確かに、伊勢に降されるか。吾は確かに大来皇女に仕える。約束するぞ」
伊勢王は大来皇女を妻に迎えるのではなく、臣下の立場で仕えることを強調する、
「そうか。では、伊勢の神の御社に大来を降す。そのように伊勢に触れよ」
「大海人大王。我が伊勢国造一族はこの大恩を、一族が続く限り忘れん。そして、吾等は皇女を伊勢の国の祭事の巫女とし、伊勢で大王家の神主となり仕える」
「伊勢王。ただし、大王が娘を伊勢国造家に出すのではないことだけは、肝に入れよ。また、そのような噂が立てば、吾は伊勢国造家を滅ぼさねばならん」
「君、それは百も承知ぞ。ただ、祭事の巫女は神の寄代となり、神降りした女神と神主は豊饒の目合いをする。これは、祭事じゃ。変えることは出来ん。これだけは承知下され」
 大海人皇子も大和人である。神降り神事で神主と神事采女が何をするかは知っている。ただ、国の祝部どもが立会、眺める中で神降り神事をされたのでは皇女と云う立場が侮られる。引いては大王家が侮られる。そこで、今後は神主だけの秘事にせよと命じた。
「伊勢王、伊勢国造が神主としてする、謹厳な御簾内での秘事の神事には口出しはせん。神降りの神事は秘事であることが、肝要ぞ。必ず、その工夫をせよ。そして、豊饒の証は伊勢国造家の大神主とせよ。これも守れよ」
「それならば、吾は、大和の大王として、今後、その大神主を大王家の神主と定めよう」

 壬申の乱の戦いは大将軍高市皇子により平定された。
 高市皇子はその大将軍の立場で、戦時体制を保つ飛鳥朝廷の首脳となった。近江朝廷が崩壊しても、亡き葛城大王が盟約した大唐・百済残党の連合軍は、七月の大友王による新羅征伐の行動予定に従い、耽羅から南朝鮮へ攻撃を行っているはずである。また、近江朝廷の主体を成した亡命百済人やそれを支える倭漢氏どもの動静には注意を要する。
 当時、大和は大王の専制国家ではなく、大豪族の連合体のような形態であった。近江朝廷の太政大臣大友王が死んだからと云って、大海人皇子がいきなり大和の専制君主になれるものではない。あくまでも、大豪族の連合体の調停役のような束ねの長になるだけである。そのため、大海人皇子は戦時体制を解かず、高市皇子は大将軍の立場でそれぞれの豪族どもに睨みを利かした。

 壬申の乱の大津宮での戦いが終結した直後、大海人皇子はその高市皇子を美濃国、野上の本営に呼んだ。お召に参上した高市皇子に伊勢王が今後の大和の国の形を説明した。
「大王の治める国々は、今後、この日の本、すべての大和でなくてはならん。そうでなくては新羅に侮られ、大唐の思惑に翻弄される」
「伊勢王、それはそうじゃ。だが、如何にそれをする。力ですべての大和の者どもを従えるのか。新羅は二百年かかっても、韓国の南半分も収めきれん。この大和では如何ほどかかると思う」
「高市皇子が云うのも、もっともじゃ。力では数百年もかかるであろう。そのようなことをすれば、筑紫は新羅か、大唐に取られ、国は滅ぶ。じゃによって、力ではせん」
 佐和山での戦いで蘇我果安と巨勢比等に、もう一歩で負けに追い込まれそうになった高市皇子は戦いの厳しさが肌身に染み、また、多くの死者も見た。
「おお、それは善き心がけじゃ。力では国は簡単に収まらん。しかし、力以外でどのように大和の国々を纏める」
 大海人皇子は何も云わず、高市皇子と伊勢王の話を見守る。この戦いで若い高市皇子は急激に成長した。生き死を賭けた戦いを勝ち抜いた経験が人を成長させていた。大海人皇子は若い高市皇子を頼もしく思う。
 そして、この姿を見れば倭の豪族どもは高市皇子に従うと確信する。葛城大王が若い大友王を太政大臣に据え、結果、その朝廷は滅ぼされた。大海人皇子は、その轍を踏まないためにも、我が子ではなく、政治家高市皇子と云う人物を眺める。
 伊勢王は説明する、
「高市皇子、大和は大和の神の力で国を治める」
 そして、伊勢王が大海人皇子にすでに説明し、了承を得た神祀りの方策を説明する。
 高市皇子は聞く、
「よう判った。で、その神祀りに、毎年、どれほどの鉄鍬と刀子がいる」
「今年は、千。来年は二千。その後、五千ほどいる」
 伊勢王は平然と云う。この要求に、あの近江朝廷で千、二千口の鉄鍬を求め、新羅征伐をする、しないと云う議論があったことが不思議になる。
 対する高市皇子も平然と答える、
「伊勢王、それで良いのか。栗東の鍛冶の里をこぞってすれば、それは可能じゃ。ただ、五千の鉄片は出来るかもしれんが、それを鍬刃に作るのは辛いかもしれん」
「いや、高市皇子。鉄片でも良いのじゃ。大和の国々の祝部どもが、他では得られぬ宝を大王から頂くのが肝心じゃ。それも里人が皆、目で見、そして喜ぶものでなくてはならん」
「そうか、鉄鍬は良い考えじゃ。数年の後までに年、五千口の鍬刃を作るよう、工夫をしよう」
 伊勢王は平然と鍬の要求数量を述べたが、内心、それは無理であろう。そこで、隔年での国を挙げての神祀りを開くことを考えていた。しかし、高市皇子は出来ること、出来ないことを整理し、どうにか出来そうだと答える。この物事を確かに運ぶ態度に感心したが、それに益して、年に五千口もの鉄鍬の調達が可能だと云うことに驚いた。
 やや、興奮気味に伊勢王は云う、
「高市皇子。もし、年、五千もの鍬刃が得られるなら、この大和は大王の下に収まる。きっと、収まる」
 高市皇子が、さらに聞く、
「伊勢王。主は大和の神祀りで大王の下に国を治めると云う。では、百済人のように大和の神を持たぬ奴らはどうする。また、大和の神々は里や氏の神じゃ。よそ者の神ではない。大王の下に里や氏の神が従うと云うても、それでは国々、里毎に分かたれ、縦に割ける。そこはどうする」
 伊勢王は答えに窮する。そこまでは考えが及ばない。伊勢国はまだ渡来人は少なく、居ても農民主体で彼らも韓渡りの神を持つ。また、伊勢国造がする神祀りの力は強い。ところが、倭や近江では今来の渡来人が多数を占める。百済の役以降の今来の渡来人は、特に仏教を信じるものが多い。また、倭には、それぞれの神を祀る多くの大族がひしめく。

 そこを大海人皇子が引き取った、
「高市。それは仏教で治める。国が大寺を建て、国が僧の長を任命する。その僧の長を大寺に住まわし、僧尼を管理する。仏教の信者どもは僧尼の説法を聞く。国は官人すべてに仏を拝ます」
「僧尼の説法や言質は、国が管理し、差配する」
「仏教は仏の下に平等を説く。官人どもに仏を拝ませ、その平等の心を諭す」
「ただし、仏は大和の神の上に立つことはない。天皇と大王は大和の神を祀り、また、大王の朝廷が仏を庇護する」
「君、よう判りました」
「その手始めに、栗東の鍛冶の里に、もっと励めと命じまする」
 大海人皇子は、高市皇子と伊勢王にさらに指示を出し、去らせた。
 伊勢王はもっぱら神祀りを担当し、高市皇子は鍛冶の里の経営と大寺の建立からの今来の渡来人対策や大和人の横の連携の方策を考える。

 伊勢王と中臣大嶋は大和の神祀りの儀礼を整える準備に入った。その手始めに、大王即位の儀礼を調べた。大王が祀る大和の豊饒の神祀りには、即位の大礼をなぞるのが良いと思ったからである。
 伊勢王は中臣と忌部の物知り達から、先の田村大王と軽大王の即位の儀礼を調べた。
 結局、大門に物部連が大鉾と大盾を立て、大伴連がそれを警護し、中臣が神寿詞を捧げ、忌部が神璽の太刀を奉ることしか判らなかった。また、その儀礼の詳細は古老毎に云う事が違った。検討の結果、大海人皇子の了承の下、古風に従うが新たに即位の大礼の儀礼を整えることになった。これを手始めに大和の神祀りの儀礼を整えた。
 伊勢王と中臣大嶋が中心となり即位の大礼の儀礼を整えた。基本方針として、倭の大王から大和の大王へとの視点から、大礼の儀礼には地方の国造や郡司も参加させる。また、礼には道教や墨子の教えを取り入れる。大海人皇子と伊勢王とは、大和の大王は人民と共に汗をかき、国を造ると云う立場を取り、支配者・被支配者を峻別する儒教から距離を置いた。
 この精神は大王が捧げる祈年祭の祝詞の一節「皇(すめかみ)等(たち)の依さし奉らむ奥津御年(おきつみとし)を、手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)畫(か)き垂り、向股(むかもも)に泥(ひぢ)畫(か)き寄せて、取作らむ奥津御年を」の詞に端的に見られる。

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