竹取翁と万葉集のお勉強

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車持朝臣千年を鑑賞する  神亀二年(725)の歌 冬十月幸于難波宮

2011年01月20日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
神亀二年(725)の歌 冬十月幸于難波宮
 ここで紹介する車持千年が詠う集歌931の歌は、神亀二年十月十日の大王の難波宮への御幸の時に笠金村が詠う歌に連続する歌です。この車持千年の詠う歌に次いで同じ御幸の情景を詠う山部赤人の歌があるために、笠金村、車持千年、山部赤人たちは神亀二年十月十日の大王の難波宮への御幸に随行して歌を詠ったと推定されています。
 ただし、笠金村や山部赤人の歌は大王の統治をテーマとする奉呈歌の形式を持ちますが、この車持千年が詠う歌は御幸の主催者である大王の統治に対する歌ではなく、祭事での土地誉めの感があります。同じ御幸の歌ですが歌を詠う主眼が違うために、どうもその立場は違うようです。

車持朝臣千年作謌一首并短謌
標訓 車持朝臣千年の作れる謌一首并せて短謌
集歌931 鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻尓 朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二 五百重浪因 邊津浪之 益敷布尓 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開廻有 住吉能濱

訓読 鯨魚(いさな)取り 浜辺(はまへ)を清(きよ)み うち靡き 生(お)ふる玉藻に 朝凪に 千重(ちへ)浪(なみ)寄せ 夕凪に 五百重(いほへ)浪(なみ)寄す 辺(へ)つ浪の いやしくしくに 月に異(け)に 日に日に見とも 今のみに 飽き足(た)らめやも 白浪の い開(さ)き廻(めぐ)れる 住吉(すみのへ)の浜

私訳 鯨魚も取れると云う位の立派な海の浜辺が清らかで、波間に靡き生えている美しい藻に、朝凪に千重の浪が寄せ、夕凪に五百重の浪が寄せる、その岸辺に寄す浪が、次ぎ次ぎと寄せるように月を重ね、日々に見ていても、今このように見るだけで、見飽きるでしょうか。白波が花飛沫を咲かせている住吉の浜よ。


反謌一首
集歌932 白浪之 千重来縁流 住吉能 岸乃黄土粉 二寶比天由香名
訓読 白浪の千重(ちへ)に来(き)寄(よ)する住吉(すみのへ)の岸の黄土(はにふ)に色付(にほひ)て行かな

私訳 白浪が千重に寄せ来る住吉の岸の黄土の色を、思い出に衣に染めて往きたい。


 さて、参考歌で示す集歌928の歌の標では「冬十月、幸于難波宮」だけですので、直接には年代は確定しません。この「冬十月」だけですと、翌年神亀三年十月十九日にも播磨国への御幸の帰路に難波宮に入られていますから、神亀三年の可能性も捨てきれません。ここで、正史によると神亀二年十月十日に天皇は難波宮に御幸されています。また、万葉集に載る順を信じると、同じ笠金村が詠う集歌935の歌が神亀三年九月十五日の歌とされていますので、集歌928の歌を神亀二年十月十日の歌とします。
 ここで、神亀二年十月の難波宮への御幸の折りに笠金村が詠う集歌928の歌と山部赤人の詠う集歌933の歌について、御幸の主体を笠金村と山部赤人は「大王」と詠います。ところが、同じ笠金村は神龜元年十月の紀伊国への御幸ではその主体を「天皇」と表記します。古代律令時代では、公表するような宮中での奉呈歌や御幸への随行で歌を詠うとき、高貴な御方に対する敬称は決まっていたのではないでしょう。歌の表記において「天皇」と「大王」との混同や交換はあったでしょうか。わたしは敬称において「天皇」と「大王」との混同や交換はなかったと思っています。つまり、少なくとも神亀六年二月までは政教分離だったのではないでしょうか。この敬称表記において「天皇」と「大王」との混同や交換はないとの発想は、古代史や万葉集の研究家が決して認めないことですが、万葉集を鑑賞する上から、敢えて、提案したいと思います。
 もし、神亀六年二月までは政教分離であったとしますと、笠金村と山部赤人との「大王」の敬称で詠う姿は統治を総べる大王の臣下の立場です。一方、車持千年は集歌932の歌の「二寶比天由香名」の表記から「天皇」に使える宮内女官のような立場と感じられます。この「にほひてゆかな」の言葉を「二寶比天由香名」と表す特別な選字は、「天皇」と「大王」との、お二方による御幸のような意味を持たした漢字表現ではないでしょうか。(注「にほひ」の表記は「尓保比」、「尓保敝」、「丹穂」が過半)
この立場の違いのためでしょうか、笠金村と山部赤人とは大王の統治を詠い、車持千年は国つ神のために住吉の土地を讃えます。


参考歌 その一
冬十月、幸于難波宮時、笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 冬十月に、難波宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌

集歌928 忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方

訓読 押し照る 難波(なには)の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人(ひと)皆(みな)の 思ひ息(やす)みて つれもなく ありし間(あひだ)に 続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷(たかし)きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味経(あじふ)の原に 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の壮(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)成(な)したり 旅にはあれども

私訳 一面に光輝く難波の国は、葦で垣根を作るような古びた郷と人が皆、そのように思い忘れ去って、見向きもしない間に、紡いだ麻の糸が長いように長柄の宮に立派な柱を高々とお立てになり君臨なされて、御領土をお治めなさると、沖を飛ぶ味鴨が宿る味経の原に、立派な大王の廷臣の多くのつわものは、仮の宿りをして、さながら都の様をなした。旅ではあるのだが。


反謌二首
集歌929 荒野等丹 里者雖有 大王之 敷座時者 京師跡成宿
訓読 荒野(あらの)らに里はあれども大王(おほきみ)の敷きます時は京師(みやこ)となりぬ

私訳 荒野のような里ではあるが、大王が御出座しになるときは都となる。


集歌930 海末通女 棚無小舟 榜出良之 客乃屋取尓 梶音所聞
訓読 海(あま)未通女(をとめ)棚無し小舟榜(こ)ぎ出(づ)らし旅の宿りに梶の音聞こゆ

私訳 漁師のうら若い娘女が、側舷もない小さな船を操って船出をするようだ、旅の宿りにその船を操る梶の音が聞こえる。


山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌933 天地之 遠我如 日月之 長我如 臨照 難波乃宮尓 和期大王 國所知良之 御食都國 日之御調等 淡路乃 野嶋之海子乃 海底 奥津伊久利二 鰒珠 左盤尓潜出 船並而 仕奉之 貴見礼者

訓読 天地(あまつち)の 遠きが如く 日月の 長きが如く 押し照る 難波の宮に 吾(わ)ご大王(おほきみ) 国知らすらし 御食(みけ)つ国 日の御調(みつき)と 淡路の 野島(のしま)の海人(あま)の 海(わた)の底(そこ) 沖つ海石(いくり)に 鰒(あはび)珠(たま) さはに潜(かづ)き出(で) 船並(な)めて 仕(つか)へ奉(まつ)るし 貴(とほと)し見れば

私訳 天と地が永遠であるように、日と月が長久であるように、照る陽に臨む難波の宮で吾らの大王がこの国を統治される。御食を奉仕する国、大王への御調をする淡路の野島の海人が、海の底、その沖の海底にある岩にいる鰒の玉を大勢で潜水して取り出す。船を連ねて大王に奉仕している姿を貴いと見ていると。


反謌一首
集歌934 朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信
訓読 朝凪に梶(かぢ)の音(おと)聞こゆ御食(みけ)つ国野島(のしま)の海人(あま)の船にしあるらし

私訳 朝の凪に梶の音が聞こえる。御食を奉仕する国の野島の海人の船の音らしい。



参考歌 その二
神龜元年甲子冬十月、幸紀伊國之時、為贈従駕人、所誂娘子笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 神亀元年甲子の冬十月に、紀伊國(きのくに)に幸(いでま)しし時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむがために、娘子(をとめ)に誂(あとら)へて笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌

集歌543 天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 點然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手嫋女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

訓読 天皇(すめろぎ)の 行幸(みゆき)のまにまに 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の雄(を)と 出で去(ゐ)きし 愛(うつく)し夫(せも)は 天飛ぶや 軽の路より 玉(たま)襷(たすき) 畝傍を見つつ 麻(あさ)裳(も)よし 紀路(きぢ)に入り立ち 真土山(まつちやま) 越ゆらむ君は 黄葉(もみぢは)の 散り飛ぶ見つつ 親(にきびに)し 吾は思はず 草枕 旅を宜(よろ)しと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 點然(もだ)もありえねば 吾が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千遍(ちたび)思へど 手弱女(たわやめ)の 吾が身にしあれば 道(みち)守(もり)の 問はむ答へを 言ひ遣(や)らむ 術(すべ)を知らにと 立ちて爪(つま)づく

私訳 天皇の行幸に随って、たくさんの武官の者と共に出発して行った私が愛する夫は、雁が空を飛ぶ軽の道から美しい襷を懸けたような畝傍の山を見ながら、麻の裳にも良い生地の、その紀伊の国への道に入っていく。真土山を越えていくでしょうあの御方は、黄葉の葉々が散り飛ぶのを見ながらそれを親しみ、私はそうとは思いませんが、草を枕にする苦しい旅も好ましい常のことと思いながら、あの御方は旅路にいらっしゃると、私はぼんやりとは想像しますが、しかしながら何もしないではいられないので、愛しい貴方が出かけていったように追いかけて行こうと千度も思いますが、手弱女である女である私は、道の番人が旅行く私に浴びせかける質問に答えるすべも知らないので、旅立とうとしてためらってしまう。


反謌
集歌544 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは紀伊(き)の国の妹背(いもせ)の山にあらましものを

私訳 後に残されて一人で貴方を恋い慕っていないで、紀伊の国にある妹背の山の名に因んだ貴方に愛される妹背でありたいものです。


集歌545 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨
訓読 吾が背子が跡(あと)踏(ふ)み求め追ひ行かば紀伊(き)の関守(せきもり)い留(とど)めてむかも

私訳 私の愛しい背の君の跡を辿って追いかけて行けば、紀伊の関の番人は私を関の内に留めるでしょうか。


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