竹取翁と万葉集のお勉強

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改訂 社会人のための万葉集入門 おわりに

2017年05月14日 | 初めて万葉集に親しむ
おわりに

 本編は「社会人のための万葉集入門」と称して、万葉集をその原歌から楽しむことを色々と例題を挙げて紹介しました。ここまで進まれて来た方はご理解いただいたと思いますが、和歌に関する国文学の世界では鎌倉時代からの和歌道と学問としての近代文学とのせめぎ合いがあるようです。和歌道を大切に思う場合、万葉集は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌であることは重要ではなくなり、先達が解釈したもの、つまり、伝統の漢字交じり平仮名表記への翻訳歌が示す歌心を鑑賞することが重要になります。一方、近代文学と云う学問からしますと、歌は表語文字である漢字で表記されていること、隋唐時代の中国中古音からの音韻と大和言葉の発声との関係、さらに飛鳥・奈良時代の社会や生活というものを考慮して鑑賞する必要があります。益して和歌道では採用されない歌群や物語性と云う概念も取り入れる必要があります。およそ、扱うものへの配慮は非常に広範囲なものになります。
 和歌道から万葉集を眺めるとき和歌語、忌語、季語、縁語などから言葉と言葉の接続や発声での響きなどが重要となりますが、対して万葉集の時代、そのような藤原定家以降の人々が思う作歌技法は確立していたのでしょうか。また、逆に万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌であり、漢字と云う文字が表語文字として個々に意味を持つものであることを認識していたでしょうか。一方、馴染みの古今和歌集はこの漢字と云う文字が表語文字としての力を示すことを拒否した歌で万葉集とは対極に位置するものです。人々はこの対極にある古今和歌集を和歌のバイブルとして和歌道を学び、万葉集を眺めます。
 藤原定家は源平合戦などの戦乱や鎌倉幕府の成立と云う社会の激変などにより文学力が落ちた平安京に住む貴族のために読み易さを優先して多くの古典文学を鎌倉時代の言語で翻訳しました。ただもし、その時、万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌と云う概念を持たずに翻訳をしていたとしたら、その翻訳が万葉集の歌心を十分に満たすものかは不明になります。古今和歌集を例として紹介しましたが、紀貫之と藤原定家との歌心はその古典原典と翻訳されたものとが表記で使う変体仮名文字の選択を含め歌の句も相違するように同じではありません。類推で万葉集でも歌心は違う可能性があります。
 ただ、鎌倉時代からの伝統の和歌道からしますと、本編は何も知らない無教養の素人による、ある種、便所の落書きです。そのようなものではありますが、万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌であり、漢字と云う文字が表語文字として個々に意味を持つ文字であることを認めますと、和歌道で示すものとは違う歌心の世界が広がっている可能性があります。本編はその可能性を尊重し、鑑賞を試みています。
 最後に変な話となりますが、最初に紹介しましたように本編ではこのような態度・考え方から万葉集を原歌から鑑賞するという非常に特殊なことを行っています。これは伝統の漢字交じり平仮名歌に翻訳されたものを拝受すると云う正統な和歌道における鑑賞方法ではありません。つまり、受験や学業で扱うものではないのです。そのため、本編はそのような学業と云うしがらみから切り放たれた社会人だけに紹介するものです。繰り返しますが、本編は学業からしますと害悪であり、悪書です。高校や大学で万葉集や古今和歌集を学ぶ人には全くに向きません。

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