竹取翁と万葉集のお勉強

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初めての万葉集 社会人のための万葉集入門 5

2013年07月01日 | 初めて万葉集に親しむ
第二部(少し、専門的にです)

複数の歌を歌の集まりとして楽しむ

 ここからは、先に説明した万葉集の鑑賞方法の発展になります。そのため、カルチャークラブなどでの講座を想定しますと入門講座第二部のような位置になる事をお含み置き下さい。

 先段で万葉集が持つ古今和歌集等の歌集との相違点として、万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで書かれた歌で、その使う漢字は表意文字が持つ特性から一字一字に意味を持たせて選択して使用が行われていると紹介しました。ここでは、万葉集の歌が持つある特徴に注目して万葉集の歌のさらなる鑑賞法を提案します。その特徴とは、万葉集に載るある一部の歌では複数の歌を相聞歌群と云うような一つの集まりとして鑑賞できると云うことです。
 伝統の歌道における和歌の鑑賞では、古今和歌集以来、この相聞歌群と云うような概念で複数の和歌を一つの集まりとして鑑賞を行うことは、まず、しません。万葉集の歌の鑑賞とその他の和歌集の歌の鑑賞の違いを説明する前に、ここで云う相聞歌群を説明しますと、それは数首以上の歌で歌物語を形成するような歌の集合体のことを意味します。ある種の歌垣の歌に相当すると思いますが、尻取り歌のような言葉だけを受け継ぐ連歌とは意味合いが違います。また、古今和歌集以降の歌は、平安時代などの歌合わせの宴で歌が相対で詠まれたとしても、それらの歌は互いの歌を対で一つの共通する内容として相聞歌群を形成することを前提としていません。ですから、和歌集に歌合わせの歌が対で採られたとしても、それはここでの相聞歌群と云う概念には相当しません。その歌合わせの歌の例として、六百番歌合より戀一の二番 初恋を紹介します。このように、歌合の歌は、どちらがよりお題にふさわしいかを競う歌です。

左 季経卿
行末の涙の程そ知られぬる今日濡れ初むる袖の雫に
右 経家卿
聞きもせず聞かずしもなき君故に思ひ定めぬ戀もするかな

 提案する相聞歌群と云う概念をもう少し紹介するため、歌垣歌を説明します。その歌垣歌のイメージとしては、中国や東南アジアに残る風習、日本での花一匁(はないちもんめ)の遊戯の童謡などを参照して、男女の集団が性別に相対し、伝承された集団歌を男女が掛け合い詠うもの(ある種の旋頭歌や歌謡)と、男女の代表が即興の掛け合い歌(短歌やごく短い長歌)で対話しつつ物語を紡いでいくものとの二種類を想定しています。この歌垣のイメージから説明する相聞歌群と云う概念とは、男女の代表が即興の掛け合い歌で対話しつつ物語を紡いでいくものの方の歌の集まりを意味します。参考で正史に残る歌垣歌を宝亀元年の例から紹介しますと、

続日本紀の歌垣歌の例;宝亀元年(770)三月廿八日の歌垣
乎止売良爾 乎止古多智蘇比 布美奈良須 爾詩乃美夜古波 与呂豆与乃美夜
をとめらに をとこたちそひ ふみならす にしのみやこは よろづよのみや
娘女に健男立ち副ひ踏み平す西京は万代の宮

布知毛世毛 伎与久佐夜気志 波可多我波 知止世乎麻知弖 須売流可波可母
ふちもせも きよくさやけし はかたがは ちとせをまちて すめるかはかも
淵も瀬も清く清けし博多河千年待ちて澄める河かも

 この二首は公式の祝賀行事の一貫で詠われたため、記事では歌垣歌ですが、祝賀行事の式次第による歌垣での詠い始めの独詠の寿歌として和歌の形になっていると考えます。集団での男女が掛け合い詠うものとしては人麻呂歌集に次のような歌があります。

旋頭歌の例;人麻呂歌集より未通女の腰巻祝いの集団歌謡
新室 壁草苅迩 御座給根 草如 依逢未通女者 公随
新室(にひむろ)の壁草(かべかや)刈りしに坐(いま)し給はね 草(かや)の如寄り合ふ未通女(をとめ)は公(きみ)がまにまに

新室 踏静子之 手玉鳴裳 玉如 所照公乎 内等白世
新室を踏む静む子が手玉(たたま)鳴らすも 玉の如照らせる公(きみ)を内(なか)にと申せ

 ここで、相聞歌群と云う概念に戻りますと、その相聞歌群の意味合いとは次のようなテーマ性を持つ歌の集まりです。

久米禅師、娉石川郎女時謌五首
水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞  (禅師)
御薦(みこも)刈りし信濃(しなの)の真弓(まゆみ)吾が引かば貴人(うまひと)さびて否(いな)と言はむかも

三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強作留行事乎 知跡言莫君二  (郎女)
御薦(みこも)刈りし信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずして強(し)ひさる行事(わさ)を知ると言はなくに

梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨  (郎女)
梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに依(よ)らめども後(のち)の心を知りかてぬかも

梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引  (禅師)
梓(あずさ)弓(ゆみ)弦(つら)緒(を)取りはけ引く人は後(のち)の心を知る人ぞ引く

東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問  (禅師)
東人(あずまひと)の荷前(のさき)の篋(はこ)の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも

また、阿倍女郎と中臣朝臣東人との貴族の集まりの宴での掛け合い歌では、次のような歌があります。

吾背子之 盖世流衣之 針目不落 入尓家良之 我情副 (阿倍女郎)
吾が背子が著(け)せる衣(ころも)の針目(はりめ)落ちず入りにけらしも我が情(こころ)副(そ)ふ

獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣 (中臣朝臣東人)
独(ひと)り宿(ね)て絶えにし紐をゆゆしみと為(せ)むすべ知らに哭(ね)のみしぞ泣く

吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸 (阿倍女郎)
吾が持てる三相(みつあひ)に搓(よ)れる糸もちて附(つ)けてましもの今ぞ悔しき

さらに人麻呂歌集には、次のような相聞歌群を進化させた歌物語的な歌があります。なお、万葉集ではこの歌群は挽歌のグループとして扱われていますので、ここでは特別に現代語訳を添えます。

勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟(女)
な念(おも)ひと君は言へども 逢はむ時何時と知りてかわが恋ひずあらむ

直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲 (女)
直(ただ)逢ひは逢はずに勝る 石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無(女)
天(あま)離(さ)る夷(ひな)の荒野に君を置きて 思ひつつあれば生けりともなし

旦今日ゞゞゞ 吾待君者 石水之貝尓 交而 有登不言八方 (女)
今日今日とわれ待つ君は 石見の貝(かひ)に交りてありといはずやも

鴨山之 磐根之巻 有吾乎 鴨不知等 妹之待乍将有 (男)
鴨山の巌根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹の待ちつつあるらむ

荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告(男)
荒波に寄りくる玉を枕に置き われこの間(ま)にありと誰か告げなむ

私訳
そんなに思い込むなと貴方は云いますが、貴方と逢うのは「今度は何時」と数えながら私は貴方に恋をしているのではありません。

直接、貴方に逢うことは、会わずに手紙を貰うことより勝ります。逢えない私は、雲が想いを届けると云う、あの石川精舎の大伽藍の上に立ち昇る雲を見ながら貴方を恋しく偲びましょう。
大和から遠く離れた荒びた田舎に貴方が行ってしまっていると思うと、私は恋しくて、そして、貴方の身が心配で生きている気持ちがしません。

貴方に再びお目に懸かれるのは今朝か今朝かと恋しく思っているのに、その貴方は、なんと、人の噂では、まだ石見の国にいて、女を抱いているというではありませんか。

丹比道の鴨習太(かもならいた)の神の杜(やしろ)のほとりで旅寝をする私を、そうとも知らないで私の愛しい貴女は私を待っているらしい。

石見の荒波の中から手にいれた真珠を枕元に置き、私はここに居ますよと、誰が貴女の耳元で告げるのでしょうか。

 このように、数首以上の歌で歌物語を形成するような掛け合いの歌の集合体を成しています。奈良時代の奈良の都では続日本紀に何度もその記事が載るように貴族階級から一般市民まで歌垣は大きな娯楽の一つです。人々の間での大きな娯楽として歌垣が屋外で男女二つの大集団に分かれ行われるものならば、夜間の明かりが自由に使え、男女が集うことができる大きな屋敷を所有する貴族の間では、歌垣と同様なものを屋内で行うことがなされたのではないでしょうか。つまり、飛鳥・奈良時代には、少人数で行う男女の室内での歌垣に相当する「歌会」が行われていたと思います。
 ここに万葉集の歌の特徴が現れます。先に六百番歌合の例で紹介したように古今和歌集以降の和歌が漢詩のように歌合で詠うテーマが与えられたとしても、それぞれが独立して歌を詠います。一方、万葉時代は歌垣のスタイルを継承するような与えられたテーマに沿って相対する男女が歌を戦わせながらも、歌で物語を紡いでいくことが行われていたと思われます。そして、この歌垣風の歌会の歌々が万葉集の中で相聞歌群として載せられていると考えます。ここに万葉集の歌が持つ特徴から万葉集の歌とその他の和歌集の歌の違いがあります。当然、一首一首を単独で鑑賞することを前提とするものと歌がある一定の集まりで鑑賞することを前提とするものでは、その歌の鑑賞方法は異なるはずです。ところが、平安中後期以降の和歌の鑑賞では、このような二つの異なるものの存在を考慮することなく、万葉集で相聞歌群に属すると思われる歌であっても一首単独に切り出し鑑賞することが行われています。なお、万葉集の筑波の「かがひ」の関わる歌から、歌垣を東国特有の夷の民俗と紹介するものもありますが、それは何かの伝聞の、その又聞きです。奈良時代では歌垣は朝廷の祝賀行事でたびたび行われ、また、常陸国、摂津国、筑後国などの地域には歌垣行事の記録があり、ほぼ、日本民族に共通する風習です。この事実を見誤ると、万葉集の相聞歌群の一部に歌垣歌が取られていると云う可能性への発想は現れてきません。
 さて、古今東西、若い男女の最大関心事は、恋愛です。従って、歌垣風の歌会の歌々は与えられたテーマがどうであれ、集う人々の希望と期待からも男女の恋愛を詠う相聞歌に収斂するでしょう。すると、ここに新たな社会人らしい万葉集と云う和歌集の歌のあらたな鑑賞方法が生まれます。それは、従来、専門家は万葉集の歌を古今和歌集以来の歌と同様に一首一首をその相互の関連性をさほど考慮せずに鑑賞して来ましたが、新たな認識下ではある種の歌は相聞歌群として鑑賞する必要があることになります。つまり、最初に説明した「本来の万葉集の歌」からその歌を鑑賞すると共に、今回、説明する「周辺に配置されている歌々との関連性を想像する」と云う楽しみが生まれて来ます。この楽しみは、歌一首単独に鑑賞する手法での和歌への感性に依存する相対的な専門家の感覚によるものではなく、歌の内実を絶対的な理性で楽しむものですから一般の社会人向けの鑑賞方法です。
 ここに、万葉集の歌を鑑賞する時に、その歌が相聞歌群を形成する可能性を認めますと、もう一つの社会人の鑑賞方法として「万葉集歌を鑑賞する時に、周辺に配置されている歌々との関連性を想像する」と云う知的な楽しみが生まれます。

 ここで、お尋ねします。男女の恋愛の相聞歌が、どうして、万葉集に載せられているのでしょうか。貴女や貴方は、夜を共にすることを前提とする二人だけの愛の歌を、広く人々に公表しますか。この視線で万葉集の相聞歌群を鑑賞しますと、公表されるのを前提としたものと秘すべきものとに分けられると考えます。その二つに分けられる歌が、共に万葉集に載った理由を想像すると、宮中等の宴会での歌垣風の歌会の歌々が記録に残った、また、人に秘している私的な記録が何らかの形で万葉集の編者の許に渡った、等の推理が出来ます。先に紹介した阿倍女郎と中臣朝臣東人との貴族の集まりの宴での掛け合い歌は、ある種、歌会の歌々の記録です。一方、私歌集である人麻呂歌集に載る歌の一部は、人麻呂と隠れ妻との人に秘すべき相聞歌ではないでしょうか。

秘すべき相聞歌 人麻呂歌集より抜粋、編集
剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依 (女)
剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君に依(よ)りては

我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得 (男)
我妹子に恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名の惜しけくも思ひかねつも

我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨 (女)
我が背子が朝明(あさけ)の姿よく見ずて今日の間(あひだ)を恋ひ暮らすかも

玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物 (男)
玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)の夕(ゆふべ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものを

我心 不望使念 新夜 一夜不落 夢見与 (女)
我が心見ぬ使(つかひ)思(も)ふ新夜(あらたよ)の一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)に見えこそ

烏玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物 (男)
烏玉(ぬばたま)の間(あひだ)開(あ)けつつ貫(ぬ)ける緒もくくり寄すれば後(のち)もあふものを

私訳
二人で寝る褥の側に置いた貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に、私が足を踏んで死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。

私の愛しい貴女を押し伏せて抱いていると、剣や太刀を付けている健男の名を惜しむことも忘れてしまいます。

私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿がはっきりと見えなくて、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。

美しい玉のような響きの声。昨日の夜に見たあなたの姿は、今日の朝には私が恋い慕うべき姿です。
私の気持ちは心を伝える貴方からの使いを見ることではなく、逢えない夜は一夜を欠けることなく夢の中に貴方の姿を見せてください。

漆黒の夜の間、解いた衣を通す紐の緒も、朝になり衣をくくり寄せれば結びあうように、再び、逢うもの
です。

 この例において、先の阿倍女郎と中臣朝臣東人との相聞歌と人麻呂と隠れ妻との相聞歌は、区分されるべきものと考えます。人麻呂歌集の歌々は、本来、公表される歌集ではなく、彼が長門国で海難死した後に周囲の人々による彼の身辺整理の過程で、有名歌人の私歌集として世に出たものと考えます。このように歌会での楽しみや風流としての相聞歌と秘すべき恋の相聞歌との区分はあると考えます。ところが、従来の万葉集の相聞歌の研究では歌垣風の歌会の歌々の相聞歌群のような発想や概念がないため、ほとんどの相聞歌の鑑賞において、最初に紹介した大津皇子と石川郎女の相聞歌に代表されるように、歌を交わす男女には性的交渉(=妻問ひの婚姻関係)を想定します。そうした時、万葉の女流歌人が多数の男性と相聞歌を詠う姿を下に、江戸時代から昭和時代の和歌研究家の理解である、宮武外骨に代表されるような万葉女流歌人売春婦説に継ながります。そして、この相聞歌を交わす男女には性的交渉(=妻問ひの婚姻関係)を認めることを前提として、万葉集の歌から想像される関係を一部取り入れて奈良時代の貴族の婚姻等の相関図が作成されています。もしここで、先に指摘した男女の恋愛の相聞歌群には秘すべき歌と歌垣風の歌会の歌々との二種類があるとすると、奈良時代前期における貴族の婚姻等の相関図が修正される可能性が出て来ます。つまり、「本来の万葉集の歌」に対して「その歌を相聞歌群」と云う概念で社会人としての知的な楽しみを行うと、専門家が示す歴史とは違う、十分、根拠ある別の歴史を貴女や貴方が造り上げると云う、もう一つの万葉集を楽しむことへの可能性があります。
 万葉集釋注を書かれた伊藤博氏は、その発刊に際して釋注一の本で「万葉集の従来の注釈書は、語釈を中心に一首ごとに注解を加えるのを習いとしている。しかし、万葉歌には、前後の歌とともに味わうことによって、はじめて真価を発揮する場合が少なくない。」(p503)と述べられています。今回は、この伊藤博氏が指摘した事実を下に、ある種の万葉集歌を相聞歌群として鑑賞する可能性について説明をしました。このような鑑賞方法も可能だとして、ゲーム感覚で社会人らしい知的な楽しみをトライしてみてください。
 参考に、万葉集の編纂では最初に採歌した歌に編者が題目(これを標と云います)を付けて巻き物の本として出来たようです。これに後年に巻毎に目次となる目録が付けられ、同時に巻本を書写する過程で注釈が補筆されたと推定されています。従って、万葉集の目録や標に補筆されている人物の紹介や家系関係は、万葉集の時代のものとは限りません。一部には後年の注釈者の推測も雑じっている可能性があります。現在の解説は、これらの目録記述や注釈はすべてが正しいとの前提で行われていますから、その背景を考えるとき絶対的な根拠があって行われているのではありません。

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