竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  筑波の歌四首

2010年12月09日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
筑波の歌四首
 集歌1753の歌から集歌1760の歌までを、筑波の歌と想像しています。そのため、集歌1755の詠霍公鳥の歌には地名は見つけられませんが、筑波山での歌とみています。

検税使大伴卿登筑波山時謌一首并短謌
標訓 検税使(けんぜいし)大伴卿の筑波の山に登りし時の謌一首并せて短謌
集歌1753 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者
訓読 衣手(ころもて) 常陸(ひたち)の国の 二(ふた)並(なみ)の 筑波の山を 見まく欲(ほ)り 君来(き)ませりと 熱(あつ)けくに 汗かき嘆(な)け 木(こ)の根取り 嘯(うそ)ぶき登り 峯(を)の上(うへ)を 公に見すれば 男(を)の神も 許し賜まひ 女(め)の神も ちはひ給ひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくばね)を 清(さや)に照らして いふかりし 国のま秀(ほ)らを 委曲(つぶらか)に 示し賜へば 歓(うれ)しみと 紐の緒解(と)きて 家の如 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日(けふ)の楽しさ
私訳 衣手を濡(ひた)す常陸の国にある二つの山が並ぶ筑波の山を見たいと思い、貴方がいらっしゃったので、日差しが暑く汗をかき辛い思いをし、木の根にすがり悪態を吐いて登り、嶺の頂を貴方に見せると、男岳の神も許しなされ、女岳の神も霊験を現しなさって、のべつ雲が懸かり雨が降る筑波の嶺をくっきりと照らして、明らかでなかった国の宝の山容をはっきりとお示しなされたので、嬉しさに上着の紐を解いて、家に居るかのように気持ちを解いて風景を楽しむ。霞の棚引く春に見るよりは、夏草が茂ってはいるが、今日の風景はすばらしい。

反謌
集歌1754 今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛
訓読 今(いま)の日(ひ)にいかにか及(し)かむ筑波嶺(つくばね)に昔の人の来(き)けむその日も
私訳 今日、この日にどうして及びましょうか。筑波の嶺に昔に人(倭建命)が来たと云う、その日にも。

詠霍公鳥一首并短哥
標訓 霍公鳥(ほととぎす)を詠める一首并せて短哥
集歌1755 鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥
訓読 鴬の 生卵(かひこ)の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生(う)まれて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己(な)が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし 橘の 花を居(ゐ)散らし 終日(ひねもす)に 鳴けど聞きよし 幣(まひ)はせむ 遠くな行きそ 吾が屋戸(やと)の 花橘に 住み渡れ鳥
私訳 鶯の産む卵の中に霍公鳥は独り生まれて、お前の父鳥に似た声では鳴かず、お前の母鳥に似た声では鳴かず、卯の花の咲いている野辺を飛び翔けて、やって来て鳴き声を響かし、橘の花を枝に留まって散らし、一日中、鳴いているがその鳴き声は聞き好い。贈り物をしよう。遠くには行くな。私の家の花咲く橘に住み渡って来い。霍公鳥よ。

反謌
集歌1756 掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 可怜其鳥 (可は忄+可)
訓読 かき霧(き)らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて去(い)くなりあはれその鳥
私訳 林に霧が立ち流れ雨の降る夜を霍公鳥は鳴きながら去っていく、風情のある、その霍公鳥よ。

登筑波山謌一首并短歌
標訓 筑波の山に登りし謌一首并せて短歌
集歌1757 草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有武跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼
訓読 草枕 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる 事もありやと 筑波嶺(つくばね)に 登りて見れば 尾花(をばな)散る 師付(しづく)の田居(たゐ)に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にひはり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白浪立ちぬ 筑波嶺の 吉(よけ)くを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来し 憂(うれ)へは息(や)みぬ
私訳 草を枕にするような旅の辛さを慰めることもあるのだろうかと、筑波の嶺に登って見ると、尾花が散る師付の田には雁も寒さの到来に連れてやって来て鳴いている。新しく開墾した鳥羽の湖にも秋風に白波が立っている。筑波の嶺のすばらしい眺めを見ると、旅の長い日々に思い出を積み重ねてやって来た、旅の辛さは癒される。

反謌
集歌1758 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈
訓読 筑波嶺(つくばね)の裾廻(すそみ)の田居(たゐ)に秋田刈る妹がり遣(や)らむ黄葉(もみち)手折(てを)らな
私訳 筑波の嶺の裾野の田に、秋の収穫の田を刈る。愛しい貴女に贈るにふさわしい黄葉を手折ましょう。

登筑波嶺為嬥謌會日作歌一首并短歌
標訓 筑波嶺(つくばね)に登りて嬥謌會(かがひ)を為し日に作れる歌一首并せて短歌
集歌1759 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女牡士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 (嬥歌者柬俗語曰賀我比)
訓読 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津(つ)の上(うへ)に 率(あとも)ひて未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 往(い)き集(つど)ひ かがふかがひに 他妻(あたつめ)に 吾(わ)れも交(まじ)らむ 吾妻(あがつめ)に 他(あた)も言問(ことと)へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 事も咎(とが)むな (嬥歌は、俗(ならひ)を柬(あつ)めた語(ことば)に賀我比【かがひ】と曰ふ)
私訳 鷲の住む筑波の山の裳羽服津の、その池のほとりに連れ立って乙女や青年がやって来て集まり、歌を掛け合う嬥歌で、他人の妻に私は交わろう。私の妻に他の人も嬥歌の神事の誓いの言葉をかけよ。この山を治めになる神が、昔から禁じない風習です。今日は監視もするな、男女のする事を咎めるな。(嬥歌は、風俗を集めた図書にカガヒと記している。)

反謌
集歌1760 男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉
訓読 男(を)の神に雲立ち上り時雨(しぐれ)降り濡れ通るとも吾れ帰らめや
私訳 男岳の神の嶺に雲が立ち上がり時雨が降り、衣を濡れ通すとも、私は嬥歌の途中で帰ることがあるでしょうか。
左注 右件謌者、高橋連蟲麻呂謌集中出。
注訓 右の件(くだり)の謌は、高橋連蟲麻呂の謌集の中に出づ。

 ここで、集歌1759の歌の左注の「嬥歌者柬俗語曰賀我比」をどのように訓むかにより、嬥歌の位置が大きく変わります。明治時代に漢学者が「柬」と「東」は同じ漢字としてしまったために、明治から昭和にかけて「柬俗語」は「東俗語」と改字してしまいました。このため、「嬥歌者柬俗語曰賀我比」は「嬥歌は東俗の語で賀我比(かがひ)と云う」と解釈して、嬥歌は東国の風習と理解していました。それで今でも、このように解説するものもあるようです。ところが、平成になり、やはり漢字本来の意味に戻そうとのことで「柬」と「東」とは違う漢字として扱うことになりました。それで、平成になってからは明治以前の「嬥歌は、俗(ならひ)を柬(あつ)めた語に賀我比(かがひ)と曰ふ」と訓むことも可能になりました。つまり、嬥歌は東国だけの風習ではないことになります。歌の解釈の前提として、その風習は日本各地に古くからあり、場所としては東国では筑波山が有名であったと解釈するのが良いようです。
 なお、元暦校本、藍紙本や類聚古集などは「東俗語」と表記するようですから、ある時代以降の平安京の人々は、嬥歌は東国だけの風習と解釈していたのかもしれません。


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