竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 阿騎野

2014年06月29日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
阿騎野

 朱鳥七年(692)冬、人麻呂は草壁皇子の御子、軽皇子を連れ阿騎の野を旅している。ちょうど、あれから二十年が経っていた。その年の十一月、新羅が貢ぎを献上した。高市大王はその貢ぎを伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足の神の御社に奉げるとして、柿本人麻呂を伊勢皇太神宮への奉幣使として派遣した。

 高市大王が私的に木工寮頭柿本朝臣人麻呂を宮内に呼んだ。
「やい、人麻呂。今度、伊勢皇太神宮を拝んで来い」
 人麻呂はいぶかしんだ。今、新益宮の建設の真最中で、飛鳥池の官営工房を指揮する人麻呂は猫の手も借りたいほど忙しい。
「君、なにか特別の訳でもありましょうか」
 大王はしっかり人麻呂の目を見据えて言葉を継いだ。
「人麻呂。主が新益宮の匠に励んでいるのは承知じゃ。今度の命は軽皇子にある。皇子は今年、十歳になる。また、壬申の戦いから二十年じゃ。主なら我が命の意味が判るであろう」
「そこでじゃ、主が皇子を連れ、皇太神宮を拝んで来い」
 人麻呂は、高市大王が云わんとすることがおおよそ判った。壬申の乱の時、草壁皇子は十歳であった。今、軽皇子は父親、草壁皇子と同じ歳になった。その軽皇子は、高市大王の即位の折、草壁大王の御子と指定されたが、ともすれば大王の御子、長屋皇子の陰に隠れてしまう。高市大王は、常々、大海人大王の遺志に従い、軽皇子に大王位を継がすと意志表示をしている。高市大王は、その意志表示の一つとして、人々に壬申の戦いと十歳でそれに従軍した草壁皇子を思い起こさせ、軽皇子はその草壁大王の遺児であることを知らしめることを考えていた。
 人麻呂は感慨深く云った。
「君。もう、あれから二十年ですか」
「そうじゃ、二十年じゃ」
「人麻呂、あの時、大海人大王に従って伊勢に行った者どもは、皆、この世から失せた。残る者でめぼしい者は主ぐらいになった。もう、あの伊勢行きを知る者はおらん」

 確かに宮中の大官に壬申の乱での勇者はいる。だが、それらの人々は大海人皇子の挙兵の後に呼応して倭で旗を上げた大族で、最初からの伊勢への従軍の者どもではない。高市大王の言葉に吊られ人麻呂は伊勢行きの勇者たちの顔を想い出す。東道将軍紀臣阿閉麻呂、志摩の膳臣摩漏や都祢の星川臣麻呂は、もう、この世にいない。残るは丸部臣君手ぐらいか。確かに生き残った者で高官の立場では人麻呂が筆頭に上げられる。

「人麻呂、主が皇子に壬申の戦いの物語をせい。ただし、今度、道中で宿は使うな。あの時のように、伊勢へ駆けて行け。皇子に男の戦いのなんたるかを、教えよ」

 高市大王は幼いころから巻狩りに連れられ、人より大きな獣を狩り、殺し、それを解体して肉にするのを見て来た。そして、壬申の戦いでは己の命を賭け、生き死の戦いをし、多くの人が死ぬのを見た。既に世には二十年を越える平和があるが、大王は時代が要求した戦人(いくさひと)である。その戦人たる大王は朝廷に仕える者どもに乗馬と武装の徹底を求める。また、機会あるごとに巻狩りと云う軍事訓練を催す。
 高市大王は人々に軽皇子の伊勢行きから壬申の戦いと草壁皇子の従軍を思い起こさせるが、同時に軽皇子にはその従軍がどのようであったかを知らしめよと人麻呂に求めた。

 人麻呂は高市大王の命に従い、十二月十七日に飛鳥浄御原宮から伊勢国度会を目指して出発して来た。予定では廿一日中に皇太神宮に着き、廿四日早朝に新羅からの貢ぎ物を含め、皇太神に奉幣することになっている。官人たる柿本朝臣人麻呂は小錦中(正五位下相当)木工寮頭の官位官職を持つ正式の奉幣使である。同行する軽皇子は、将来、大王を継ぐかもしれぬが、今はまだ無冠無位の御子である。宮中儀礼と法度では人麻呂に礼を尽くす同行者の立場となる。歌にも示すように、人麻呂から軽皇子には公式の場では敬語は使えない。
 十七日の夜、その人麻呂一行は大王の命に従い宇陀の阿騎の野で野宿をした。人麻呂は焚火を前に武官である丸部臣君手と昔話をした。それを、軽皇子は聞く。武官である君手は壬申の乱に従軍し近江正規軍との激戦を戦った将であるが、また、同じように草壁皇子の宇陀の巻狩りにも従ったこともある。君手は壬申の戦いや宇陀の巻狩りの思い出を軽皇子に物語した。
 夜半、幼い軽皇子は寝たが人麻呂や君手は、ぽつり、ぽつりとその昔話をする。奉幣使に従う若き者どもは、その二人を囲んで壬申の乱の物語を聞いた。何時しか夜が明けた。その夜明け時、沈みゆく十八夜の月と山際から登り来る朝焼けの光の筋を見、人麻呂はその情景を歌にした。
 飛鳥に戻って来た人麻呂は高市大王の意図に添うように奉幣使慰労の宴でその歌を宮中で仕える者どもに披露した。人々は人麻呂の歌から改めて壬申の乱、草壁皇子の従軍、そして草壁皇子の遺児、軽皇子の事を思った。

阿騎乃野尓宿旅人打靡寐毛宿良目八方古部念尓
訓読 阿騎の野に宿(やど)る旅人打ち靡き眼(い)も寝(ぬ)らめやも古(いにしへ)思ふに
私訳 阿騎の野に宿る旅人は薄や篠笹のように体を押し倒して寝ることができるでしょうか。昔の出来事を思い出すのに。

真草苅荒野者雖有黄葉過去君之形見跡曽来師
訓読 ま草刈る荒野はあれど黄葉(もみぢは)し過ぎにし君し形見とそ来し
私訳 本来なら大嘗宮の束草を刈り取る荒野なのですが、このように黄葉の葉が散り過ぎるようにお隠れになった君の形見。その形見の御子といっしょに来た。

東野炎立所見而反見為者月西渡
訓読 東(ひむがし)し野(の)し炎(かぎろひ)し立つそ見て反(かへ)り見すれば月西渡る
私訳 夜通し昔の出来事を思い出していて、ふと、東の野に朝焼けの光が雲間から立つのが見えて、振り返って見ると昨夜、一夜中、照らした月が西に渡って沈み逝く。

日雙斯皇子命乃馬副而御羯立師斯時者来向
訓読 日並(ひなみし)し皇子し命(みこと)の馬並(な)めて御猟(みかり)立たしし時は来(き)向(む)かふ
私訳 日並皇子の尊が馬を並び立てて御狩をなされた、そのような時刻になってきたようです。


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