竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その7

2009年05月24日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 娘女の参歌 その7

七人目の娘子の歌  元正太上天皇の答え
集歌3800 者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依  (七)
訓読 はだ薄(すすき)穂にはな出(い)でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ
私訳 はだ薄の穂のように取り立てて言葉にださなくてもよい。お前の気持ちは判っている。私も大和歌を寄せましょう。

七人目の娘女が歌う「はだ薄」からの、由緒ある集歌1637の歌です。
この集歌1637の歌は元正太上天皇の御製で、万葉集巻八からの採歌となります。ただ、困ったことに延喜式では、天皇が大嘗祭を執り行う大嘗宮は黒木で室を造ることになっています。そこで、集歌1637の歌と組になる集歌1638の歌の作者が不明です。

巻八より
太上天皇御製謌一首
標訓 (元正)太上天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1637 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はだ薄(すすき)尾花(おばな)逆葺(さかふ)き黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
私訳 はだすすきの尾花を逆さに葺いて黒木で造った室は、永遠であれ。

天皇御製謌一首
標訓 天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1638 青丹吉 奈良乃山有 黒木用 造有室者 雖居座不飽可聞
訓読 あをによし奈良の山なる黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は座(ま)せど飽かぬかも
私訳 木々の葉色も青々と匂うように美しい奈良の山にある黒木を使って造った室はいくら居ても飽きることはない。
右、聞之御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製。
注訓 右は、聞かく「左大臣長屋王の佐保の宅に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)のきこしめす御製(おほみうた)なり」といへり。

この太上天皇御製と天皇御製は大嘗祭の風景がありますので、大嘗宮が理解できていないと判らない世界です。
さて、延喜式の大嘗祭の規定に、大嘗宮について次のような項目があります。

悠紀院所造正殿一宇、長四丈廣一丈六尺、棟當南北、以北三間為室、以南二間為堂。南開一戶、蔀蓆為扉、甍置堅魚木、八枝著高博風、搆以木、葺以青草、以檜竿為天井、席為承塵、壁蔀以草、表裏以席、地敷束草(所謂阿都加)

この記載にあるように大嘗祭を執り行う大嘗宮の中の悠紀院は南北に建てられ、内部を二部屋に仕切り、北を「室」、南を「堂」と呼ぶ構造になっています。入り口は南に一箇所だけですから、天皇が大嘗祭の儀式を行なう場所は「室」です。
この悠紀院の建物の構造は樹皮のついた丸太そのままの黒木で組上げ、壁を蓆(むしろ)、屋根を青草で葺き、床に束草(あつかくさ)を敷くことになっています。
つまり、集歌1637や集歌1638の歌は、古風な長屋王の佐保の屋敷を詠ったものではありません。大嘗祭を執り行う大嘗宮を詠ったものなのです。さらに、大嘗祭での肆宴(とよのあかり)は豊楽院で行なうもので、この豊楽院は朝堂院の西に置かれたとされていますから大嘗宮の西側横の位置に当たります。参考に、当時の太政官布告から官人の屋敷の屋根は瓦で葺くことになっていますから、長屋王の屋敷の屋根は瓦葺きのはずです。律令制度や官僚組織から考えて、長屋王の屋敷の屋根を尾花で葺くことはありません。
このような律令の規定や遺跡発掘の状況があるために、集歌1638の歌の「天皇」の正体が不明なのです。律令の規定と万葉集の歌の左注からすると、長屋王は間人中皇命の生存中の葛城皇子(後の天智天皇)と同じような摂政宮のような準天皇の立場になります。
藤原氏出身の夫人とされる子である聖武天皇が亡くなられたことで、万葉集にこの標と左注を付けることが出来たのではないでしょうか。万葉集が天皇家のものであるならば、別な意味で必要な歌です。
神事における采女が廃止された平城天皇以降の平安京時代では、歌の理解が難しいのかもしれません。瓦葺きが当たり前で萱葺きが風流な時代と、萱葺きや板葺きから瓦葺きに変る時代では、社会全体を俯瞰できなければ「室」の言葉の深刻さが判らないでしょう。

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