竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 高市皇子の恋

2014年01月12日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
高市皇子の恋

 白鳳二十年(667)、高市皇子は十五歳で袴着の儀礼を行い、男になった。

 古く、大和には成人式があった。それは現代の成人式とは違い、文字通り、児が子孫を残す大人へとなる成人への祝いであった。その祝いの夜、成人する男児には母方の女が性教育を施し、性交の方法と男が主導権を取って女を目合いに導く方法を実技で教えた。同じように、女児には同じく母方の男性が破瓜を確認し、男を支障なく受け入れる体に馴らした。そして、身分ある娘女には妻問いでの性交の儀礼を教えた。
 これが、褌祝いや腰巻祝いと云う風習である。祝いの夜に女児に性教育を行う大人を“紐親”とか“腰結い役”と称し、男児のは“褌親(たぶさおや、へこおや)”とか“添い臥”と称した。その祝いの期間は女児の場合は三日夜で、男児の場合は一夜で終わる。

 高貴な身分の高市皇子を、壬生、高市県主の里の女が添い臥としてねんごろに男とした。そして、この日以降、高貴な身分な皇子には性を処理する女子が付くことになった。ただ、平安時代とは違い、添い臥が高貴な男子の室になるわけでもないし、当然、性を処理する女子に夫人や嬪の身分が与えられるわけでもない。
 他方、高貴な身分の男女は妻問いと云う作法で逢う。この妻問いの作法では、若い男女は初対面のその日に、いきなり、支障なく夜を共にすることを求められる。母系社会では、特に入り婿となる男には相手の女を十分に楽しませる技量が求められる。当時の社会的風習の下、高市皇子もまた、それを当たり前と思う屋敷の夜床の女たちに鍛えられた。
 ただ、高貴な身分の高市皇子は、身が高貴な分、勝手に目に付いた女達に胤を播くわけにはいかない。皇子には周囲がその娘に児が出来ても支障がないと考えた、そのような性を処理する女子が用意される。当然、それは恋愛を行う相手ではない。

 中元三年(670)春、高市皇子は十八歳になった。その皇子が恋をした。相手は采女である。その采女に、屋敷に居る性を処理する女子とは違う女を感じた。
 前年、備中国都宇郡から貢ぎの采女が大津宮へと送られて来た。采女は宮中の奥深く居住し大王の神事に従うが、同時に大津宮に近い場所に土地を与えられ、その土地の収穫で己の食料の一部を手当てする。また、時に疾病時の宮下がりの住居を確保する。その都宇郡からの采女は故郷遠く大津宮で寄る辺が無いため、同じ市杵島媛を祀る同族の関係から鍛冶の里に宮下がりの家を持った。そして、皇子もまた祀る神が同じと云う関係で、氏上的立場で采女の家の手当てを援助した。
 結果、縁が出来た。采女は家が出来たとき、皇子に御礼の挨拶をした。このとき、皇子ははっきりと采女の顔や姿を見知った。

 規定では国司守は郡司から采女となる女か兵衛となる男のどちらかを貢がせ、規定の割合で選抜し、その国として見目美しい采女と残余の定員で兵衛を都へと送ることになっている。当然、貢ぎの采女はその国を代表する美人となる。また、宮中の神事采女は、神の寄代となり大王と神婚し、孕み、その身で神婚の証と豊穣の予祝を示すことを期待されている。つまり、性的に成熟した身であることが要請され、また、そのように選抜されている。采女となる娘はそのような女性であり、その采女に皇子は惚れた。

 ある初夏の夕暮れ、若く血が湧き立つ年頃の高市皇子は、宮下がりして来た采女の隙のある姿を、なにかの拍子に見た。そして、皇子の若い血が騒ぎ、その夜、皇子は妻問った。
 高貴な皇子の身分では、一人、密やかに妻問うのではない。舎人が付き人となり、同行する。
 その舎人が宮下がりの采女に予告する。
「今宵、皇子が妻問う」
 采女は困惑する。皇子の妻問いを拒むことも出来ず、さりとて、采女の立場から、大王以外の男と身を重ねることも出来ない。
 妻問った皇子に采女は聞く、
「皇子、吾は采女。いかが、いたしましょうか、吾は恐ろしい」
「主のことが気に入った。ゆえ、このように妻問った。主と逢った以上、なにも無かったとは、誰も信じん」
 采女は、どうして良いのか判らないまま、ただ、命じられるままに体を動かした。
 その命に従い、皇子の夜着への着替えをする。
 その皇子は、采女に次から次へと指示をした。その命令が采女の思考を止め、気を休める。
 そして、采女は自分に言い聞かせた、
「これは皇子の思し召し」
 着替えた皇子は胡坐を掻き、その膝の中に采女を引き寄せ、抱いた。
 皇子は采女の腕を引く、
「ここへ、来い」
 若い皇子は采女と物語をするより先に采女の柔らかい体に気をそそられた。そして、采女が漂わす、成熟したその女の匂いの源に気が行く。
 懐に采女を抱いた皇子の口は耳朶を甘噛み、口を吸う。そして、同時に指が乳や芽を弄る。増す潤いと共に、男を求める女の匂いは、一層漂い、皇子の理性を奪った。
 その采女は皇子の愛撫に身をもだしながらも腰に皇子の猛りを感じた。
 皇子の胸の中に背を合わせて抱かれ、己の手のやり場がなく、ただ、愛撫する皇子の手に添えていた采女の手が、思わず皇子の猛りに伸びた。
 古代の裳着の風習で男の逞しさを十分に知る采女は、その猛りを頼りにして身を支えに、どうかすると身を崩したくなるような甘い官能に身を漂わせた。
 己の潤いにしとどに腿を濡らした采女は、皇子の手をその潤いの源に導き、やっとの思いで皇子に乞う、
「主、もう、御許しを。この皇子の太刀で、この身をひと思いに」
 皇子は、息も絶え絶えに乞う采女の、その願いを叶えてやった。ただ、皇子の若さは、一度では、許さなかった。皇子を自らねだった采女はその罰として夜通し甘美の夜床の声を皇子に聞かせることになった。

 これをきっかけに、宮下がりしてくる采女の家に高市皇子が密かに通った。逢う度、采女は皇子の愛撫と男の逞しさに酔った。
 ある日、その采女が月の物を数えた。もう、三月も月をみていない。都宇の采女は宮中では直会や儀礼での給仕をするような役で、大王と神婚するような立場ではない。まだ、その外見は明らかではないが、采女は孕んだと思った。そして、誰に告げるでもなく、晩秋のもみじ葉が流れる瀬田の川面に身を投げた。
 大津宮の官人たちは身を投げた采女の体から理由を疑った。乳には孕みの兆しがある。だが、腹は膨らんではいない。ただ、疑った。これは事故ではなく、身投げではないかと。そして、相手は鍛冶の里の高貴な人物ではないかと思った。だが、その確証がなかった。
 その疑心暗鬼の中、柿本人麻呂は市杵島媛を祀る同族として、川辺で足を滑らし事故死した采女を弔った。だた、人麻呂は知る人は知っていると云う形で「若く高貴な御方の最愛の妻が亡くなられた。それは残念なことです」と挽歌を捧げた。

楽浪之志我津子等何罷道之川瀬道見者不怜毛
訓読 楽浪し志賀津し子らが罷道し川瀬し道を見ればさぶしも
私訳 さざなみが立つ、その志賀の津で備中国都宇郡から来たあの人の野辺送り行列を川瀬の道に見ることは心寂しいことです。

 若い高市皇子には、何度も肌を交わした女の死が身に応えた。その皇子を慰め、死んだ女の餞に挽歌を創り奉げてくれた柿本人麻呂に恩を感じた。そして、皇子と人麻呂とは主従ではあるが、皇子にそれ以上の感覚が湧いた。

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