竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 丹波の鉱石

2014年07月13日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
丹波の鉱石

 昔、柿本人麻呂と丹比嶋とは長門の銅鉱山開発で縁が出来た。今、右大臣となった丹比真人嶋が木工寮頭、柿本朝臣人麻呂に丹波地方の鉱物探査を命じた。新益宮が完成し、一息ついた人麻呂を、朝廷はさらに追い使う。高市大王は世の人々に常に駆け足することを求めた。

 朱鳥十年(695)春、右大臣の丹比嶋が、今は小錦上(正五位下相当)、木工寮頭となった柿本人麻呂を太政官府に呼んだ。
「木工寮頭、柿本朝臣。新益宮の匠は苦労であった。良き宮が出来た」
「さて、人麻呂。主も知るように、新益宮に勤める者どもは古き浄御原宮より、遥かに多い。それに連れ、新益の京に住む、その者どもが生活するには銭が入る。人数が人数だけに、昔のように布などを使うての物々交換と云う訳にはいかん」
「右大臣、それはそうじゃ。今、官人や宮人の中にも鄙からの人も増えた。その者どもは己が里から食い物を、日々、運ばすわけにはいかん。この飛鳥で購う必要がある。当然、銭による交換が便利じゃ」
「人麻呂。そこまで判っておれば、話が早い。その大本となる銭が足らん。新益宮の匠の次は、銭じゃ。人麻呂、それをどうにかせい」
「右大臣、では、肝心の銅と白鑞はどうする。また、木炭も問題じゃ。飛鳥では人が増えすぎた。山は薪や木炭の求めで、禿げてきておる」
「人麻呂、そこは主の縄張りじゃ。何か良き案があろうが、それを云え」
「右大臣、では云うぞ。鋳銭司を飛鳥から難波か、河内に移そうと思う。銭を鋳る地金は長門や伊予から大船で来る。それを無理に飛鳥まで運ぶこともなかろう。ただ、宝飾は女どもが住む宮の傍でなくてはならんだろうて」
「しかし、難波や河内は右大臣の里じゃ。そこに鋳銭司を移して苦情は来ぬか」
 丹比嶋がその話を引き取った。
「人麻呂、鋳銭司の移転の件は大王と談合して決めよう。吾は良い案と思う」
 鋳銭司の移転の必要性は誰もが知っている。ただ、鋳銭司の設置は、ある種、利権となるので、それは政治家の領分である。技術官僚である人麻呂にとって、それは首を突っ込みたくない領分であった。
 鋳銭司移転の件のあと、人麻呂はさらに話をする。
「次に、丹波の山を覗いて来ようと思う。古くから丹波には新羅からの韓鍛冶人が住む。きっと、良き山があるはずじゃ」
 人麻呂は言葉を継いだ。
「本来、銭を作るには銅と錫がいる。じゃが、大和にはその錫が少ない。それで銅と白鑞とで銭を鋳ている。噂では丹波で錫が採れると云う。それも確かめたい」

 平城京には最盛期に四~五万の人々が生活していたと云う。そこから推定して、新益京では、少なくても、飛鳥の里に住む元々の人々を合わせて、二万以上の人々が生活していたと考えて良いと思う。
 その新益宮に勤める人々とその家族を合わせて数万の人々が定められた朝廷の時間に合わせて生活するには貨幣経済は絶対の条件となる。物々交換では数万の人々の日々の副食材や薪炭を調達することすら出来ないであろう。そのためにも交換に便利な銭は必要である。また、陸上交通が弱い古代においては日常生活の薪炭調達の為にも、生活と工業は地域を分ける必要がある。飛鳥の里に大規模な官営の貨幣鋳造工場があることは、生活者の薪炭事情を圧迫する。実際、薪炭や家屋の材木の調達などで飛鳥の山々は荒れ、それに連れ、河川への土砂流失と河道上昇の問題が生じている。
このように数万規模の大都市を運営する時、社会システムからの要請や制約がある。
 丹比嶋と人麻呂は、それらの社会システムからの要請を検討した。そこで、まず、出来ることとして飛鳥の鋳銭司を河内に移すことに決めた。次に、鋳銭の問題点である銅と錫の調達について、再度、全国に鉱山探査の命を下した。

 朱鳥十年盛夏六月、人麻呂は播磨国宍粟郡の山中に来ている。
 新益宮を夏五月に出発し、播磨の加古川を伝い山中に入った。その山中、宍粟郡伊和郷富士野で有望な銅と錫の鉱石を見つけた。さらに人麻呂は探査範囲を広げ、丹波高原の川筋に薄いが錫鉱が堆積する層が点在することを認めた。
 大和随一の鉱山開発の専門家である人麻呂は、鉱石や堆積の状況からその開発の検討を行った。そして、銅鉱石は播磨の国で製錬する。錫は各所に点在するため専門家の技術者の指導の下、郡司が里人を使い採掘し、飛鳥の京へ送ることとした。それを右大臣丹比真人嶋に進言・報告した。
 朱鳥十一年(696)の高市大王の崩御により事業の進行は遅れたが、大長三年(700)、朝廷は丹波国司守と郡司に命じ、錫鉱石の採掘と納入を行わせるようになった。ここに。大和は良質な銅鋳造に必要な錫を安定的に自給することが可能になった。また、播磨国に鋳銭司を置き、銅鉱石の掘削から製錬までを負わせた。播磨鋳銭司は伊和郷富士野周辺の銅鉱山の開発を進め、和銅三年(710)正月には朝廷に銅銭を献納するほどになった。同時に当初の目論見通りに飛鳥から移した河内の鋳銭司もまた、和銅二年前後には銅銭の鋳造を開始した。これらの対策により、銭の流通量は新益京で生活する人々の社会需要をまず満たした。
 さらに、倭からの鋳銭司の移転により藤原京周辺での薪炭事情の改善にも一定の役割を果たした。ただ、この頃には新益宮から平城宮へと遷都をしており、民の暮しに役に立つより、鋳銭司自体の運営面での制約改善の度合いが高くなっている。ついで、朝廷は庸調の調達・運搬からの要請で全国規模の銭の流通を目指した。銭が全国規模で流通すると荷役人やその従者どもの旅の道中での食料の調達に便があり、それらの者どもが里から京への往復の食料を得るために物々交換の為の布等を持参する必要がなくなる。

 少し、金属の自給体制の話をする。
 従来、大和の銅銭は、原料供給の制限から銅・アンチモン合金による鋳造であったが、この丹波高原の褐錫鉱や錫鉱の発見により、次第に銅・錫合金の鋳造へと変わって行く。ちなみに東大寺大仏の原料供給の主力を担ったのは銅が長門国長登、錫がこの播磨国宍粟郡である。ここに、大和では鉄、銅、鉛、錫、銀、金、水銀など主要な金属の自給体制が整った。そして、同時に朝廷の財政基盤が強化された。特に銀と錫の生産は国際貿易での重要な資金源であり収支の改善となる。
 また、安土桃山時代以前、大和の工業の最盛期は神亀・天平年間である。その時代、鉄鉱石は近江高島郡・備前国赤坂郡から、銅・銀・鉛鉱石は長門国大津郡から阿武郡・豊前国香春岳・播磨国宍粟郡にかけて、錫鉱石は播磨国宍粟郡、水銀は倭国葛城山や宇陀山中が主力の生産地であった。これら多くの鉱山は和銅年間以前までには、発見・開発を開始している。
 こうした時、鉄鉱石の備前国赤坂郡を除いて柿本朝臣人麻呂歌集には、その地名を詠った歌がある。現在、人麻呂歌集の大半は人麻呂自身の詠う歌と考えられている。つまり、人麻呂がこれらの鉱山開発に深く関与していたことの推定が可能である。
 一方、丹比嶋と柿本人麻呂の関係に目を向けると、元々、丹比真人嶋は播磨国宍粟郡の家原氏(現兵庫県宍栗市一宮町付近の豪族)の娘女を室に入れており、この頃、その家原の娘女は丹比一族の刀自のような立場にあり家政を取っている。その丹比一族の影響下にある播磨国の丹波高原から銅や錫の鉱石が発見されたことは、経済的に丹比一族に重要なサポートを与えることになる。この関係からか、家原氏の本拠宍粟郡伊和郷には播磨一宮の神社である伊和神社があり、その摂社には柿本一族などの鍛冶を生業とする氏族が祀る市杵島姫が祀られている。およそ、鉱山開発には柿本鍛冶どもが携わったと思われる。すこし時代は下るが、人麻呂の孫となる柿本朝臣市守が丹波国の分割により生じた丹後の国司守となっている。これらの人々の背景を思う時、偶然では無い、朝廷の意図を想像させられる。
 万葉集を眺めると、人麻呂は加古川からこの丹波の鄙の里を探査した時の歌を次のように残している。

珠藻刈敏馬乎過夏草之野嶋之埼尓舟近著奴
訓読 珠藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ
私訳 美しい藻を刈る敏馬を行き過ぎて夏草の茂る野島の崎に船は近づいた。

稲日野毛去過勝尓思有者心戀敷可古能嶋所見
訓読 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島見ゆ
私訳 稲美野も行き過ぎてしまって、ふと思うと目的としていた加古の島が見える。

天離夷之長道従戀来者自明門倭嶋所見
訓読 天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
私訳 大和の空から遠く離れた田舎からの長い道を大和の国を恋しく思って帰ってくると明石の海峡から大和の山並みが見えたことよ。

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