竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その17

2009年05月03日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その17

原文 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁
訓読 飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め忌(い)み(17)
私訳 飛鳥の明日香宮の男だろうか、眺めるのを避けている

訓読みの「明日香壮士か」を「明日香の男だろうか。」と疑問形の歌と解釈して、明日香からの大宮人が明日香の里を心残りに眺める歌を見つけてきました。実際の歌は高貴な女性の歌です。なお、この歌は万葉集の奈弖之故の区切りとなる歌となります。

和銅三年庚戌春二月、従藤原宮遷于寧樂宮時、御輿停長屋原遥望古郷御作謌  一書云 太上天皇御製
標訓 和銅三年庚戌の春二月、藤原宮より寧楽宮に遷(うつ)りましし時に、御輿(みこし)を長屋の原に停めて遥かに古郷を望みて作れる御歌  ある書に云はく「太上天皇の御製」といへり
集歌0078 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
訓読 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ
私訳 飛ぶ鳥の明日香の里を後にして去って行ったなら、あなたの明日香藤井原の藤原京の辺りはもう見えなくなるのでしょうか

 標にある「一書(ある書)」が天平年間以降に書かれたとすると、太上天皇を元明天皇と決め撃ちすることは出来ません。まず、奈良時代に太上天皇に為られたのは持統天皇、元明天皇、元正天皇、聖武天皇、孝謙天皇の五方いらっしゃいます。また、和銅三年の年号からすると元明天皇と元正天皇のお二方が歌を詠われる可能性に該当します。歌の標からは馬ではなく御輿に乗る人物で、その人物に対して「御作謌」と皇族級の敬語が使われています。そして、後に「太上天皇御製」と思われる人物です。これらから、この集歌78の歌を詠われた方は、後に元正天皇になられた氷高皇女と思います。これは、およそ氷高皇女の三十歳の時の出来事となります。
 正式な遷都の宣言は和銅三年三月十日ですが、歌の遷都は二月になっています。歌の季節感から和銅三年二月の奈良の京への御幸において、大宮人たちの新築なった奈良の京での各屋敷への寿詞となる集歌79の長歌と集歌80の短歌が、次のように詠われています。これらの歌から想像するに、遷都の御幸の順路は藤原京から一度東に向かい、桜井市金屋付近の泊瀬川で船に乗り込み、泊瀬川・大和川・佐保川と水路を移動したようです。
さて、この御幸の行列の順路からすると、集歌78の歌の標に記す「長屋原」は佐保川の北西岸の現在の奈良市役所付近の地名と思われます。ここで、船を下りて上陸したようです。ここからですと、藤原京を遥に望む位置に相応しいと思います。偶然ですが、この長屋原は、ちょうど、平城京での長屋王の屋敷跡付近となります。通常、高貴な人の尊称は住所等で代理しますから、「長屋原に屋敷を構える王」の意味合いで「長屋王」と尊称した可能性は十分にあると思います。

或本、従藤原京亰遷于寧樂宮時謌
標訓 或る本の、藤原京亰より奈良宮に遷れる時の歌
集歌0079 天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 船浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之氷凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武
訓読 天皇(すめろぎ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 柔(にき)びにし 家を置き 隠國(こもくり)の 泊瀬の川に 船浮けて 吾が行く河の 川隈(かわくま)の 八十隈(やそくま)おちず 万度(よろづたび) 顧(かへ)り見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い去(い)き至りて 我が宿(や)なる 衣(ころも)の上ゆ 朝(あさ)月夜(つくよ) 清(さや)かに見れば 栲(たへ)の穂に 夜の霜降り 磐床(いはとこ)と 川の氷(ひ)凝(ごほ)り 冷(さむ)き夜を 息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家(いへ)に 千代(ちよ)までに 来ませ多(おほ)つ公(きみ)よ 吾も通はむ
私訳 天皇のご命令を畏みて慣れ親しんだ家を藤原京に置き、亡き人が籠るという泊瀬の川に船を浮かべて、私が奈良の京へ行く河の、その川の曲がり角の、その沢山の曲がり角を残らずに何度も何度も振り返り見ながら、御門の御幸を示す玉鉾の行程を行き日を暮らし青葉の美しい奈良の都の佐保川に辿り着いて、私の屋敷にある夜具の上で早朝の夜明け前の月を清らかに見ると新築の屋敷を祝う栲の穂に夜の霜が降りて、佐保川の磐床に残る川の水も凍るような寒い夜を休むことなく藤原京から通って作ったこの家に、いつまでも来てください。多くの大宮人よ。同じように私も貴方の新築の家に通いましょう。

反謌
集歌0080 青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
訓読 あをによし奈良の家には万代(よろづよ)に吾も通はむ忘ると念(おも)ふな
私訳 青葉も美しい奈良の新築の貴方の家には、いつまでも私も通いましょう。新都となった奈良の京の貴方の新築の家を忘れると思わないで下さい。
右謌主未詳
注訓 右の歌の主(あるじ)いまだ詳(つばひ)らならず。

 元正太上天皇にとって長屋王は忘れることの出来ない股肱の忠臣ですが、一方、氷高皇女にとっては長屋原は忘れることの出来ない思い出の明日香の地を見詰めた場所になるようです。
ここに編者の意図があるのでしょうか。

蛇足ですが、和銅三年の奈良の京で佐保の地に関わる場所に屋敷を構える官僚で有名な歌人とすると、大納言兼大将軍の大伴安麿でしょうか。
なお、集歌79の歌で「来座多公与」を「きませおほきみよ」と読み「来(き)坐(ま)せ大王(おほきみ)よ」の訓読みではなく、「きませおほつきみよ」と読み「来ませ多(おほ)つ公(きみ)よ」と訓読みしている関係で、歌の「家」は貴族たちの「屋敷」と解釈しての新築祝いの寿詞です。

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