竹取翁と万葉集のお勉強

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古歌集と古集を鑑賞する  古集の歌

2011年02月19日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
古集の歌を鑑賞する
 古集に載る集歌1770の送別の歌を贈られた大神大夫とは大神朝臣高市麻呂のことです。そこで大神高市麻呂が長門守に任命された年代を確認しますと、正史では大宝二年(702)正月乙酉(17)です。ここらから、古集は少なくとも大宝二年以降の編集であることになります。この古集は古歌集とは別系統の人物の歌、例えば大神高市麻呂に関係する安倍広庭や藤原麿の歌を採歌したような感覚があります。

集歌1196 欲得裹登 乞者令取 貝拾 吾乎沾莫 奥津白浪
訓読 つともがと乞(こ)はば取らせむ貝(かい)拾(ひり)ふ吾を濡らすな沖つ白浪

私訳 土産が欲しいと願ったら手に取らせようと貝を拾う私を濡らすな。沖からの白波よ。


集歌1197 手取之 柄二忘跡 礒人之曰師 戀忘貝 言二師有来
訓読 手に取りしからに忘ると磯人(いそひと)の云ひし恋忘れ貝言(こと)にしありけり

私訳 「手に取った、だから、愛しい人のことを忘れる」と磯の人の語った、恋忘れ貝よ。美しさは、その言葉の通りでした。


集歌1198 求食為跡 礒二住鶴 暁去者 濱風寒弥 自妻喚毛
訓読 漁(あさり)すと礒に住む鶴(たづ)暁(あかとけ)去(い)けば浜風寒(さぶ)み己妻(おのつま)喚(よ)ぶも

私訳 餌を探すと磯に住む鶴が、暁が明けていくと、浜風が寒くて自分の妻を鳴き呼ぶ。


集歌1199 藻苅舟 奥榜来良之 妹之嶋 形見之浦尓 鶴翔所見
訓読 藻刈(めかり)舟(ふね)沖榜(こ)ぎ来らし妹が島(しま)形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(かけ)る見ゆ

私訳 藻を刈る舟、沖を舟を操ってやって来る、その妹が島の形見の入り江に鶴が飛び翔けるのを眺めた。


集歌1200 吾舟者 従奥莫離 向舟 片待香光 従浦榜将會
訓読 吾が舟は沖ゆな離(さか)り向へ舟片待(かたま)ちがてり浦ゆ榜(こ)ぎ逢はむ

私訳 私の舟は沖から離れて行くな。迎いの舟をひたすら待ちながら、入り江から舟を操って行き逢おう。


集歌1201 大海之 水底豊三 立浪之 将依思有 礒之清左
訓読 大海(おほうみ)の水底(みなそこ)響(とよ)み立つ浪の寄らむと思(も)へる礒の清(さや)けさ

私訳 大海の海底まで轟かせて立つ浪が、きっと打ち寄せるでしょうと思う磯の清々しさよ。


集歌1202 自荒礒毛 益而思哉 玉之浦 離小嶋 夢石見
訓読 荒礒(ありそ)ゆもまして思(しの)へや玉の浦離(はな)れ小島の夢にし見ゆる

私訳 荒磯よりもまして思い出すからか、玉の浦の離れ小島を今でも夢に見える。


集歌1203 礒上尓 爪木折焼 為汝等 吾潜来之 奥津白玉
訓読 礒の上(うへ)に爪木(つまき)折(を)り焼(や)き汝(な)がためと吾が潜(かづ)き来(こ)し沖つ白玉

私訳 磯の上に木端を折り焼いて貴女のためと、私が海に潜って取って来た沖の白玉です。


集歌1204 濱清美 礒尓吾居者 見者 白水郎可将見 釣不為尓
訓読 浜(はま)清(きよ)み礒に吾が居(を)れば見む者は白水郎(あま)とか見らむ釣(つり)もせなくに

私訳 浜が清らかなので磯に私が居ると、浜を眺める人は、私を漁師かと思うでしょう。釣りもしていませんが。


集歌1205 奥津梶 漸々志夫乎 欲見 吾為里乃 隠久惜毛
訓読 沖つ梶(かぢ)漸々(やくやく)強(し)ふを見まく欲(ほ)り吾がする里の隠(かく)らく惜しも

私訳 沖に向かう船の梶がしだいしだいに流れに逆らい船を操るのだが、私が眺めたいと思う里が浪間に隠れていくのが残念なことです。


集歌1206 奥津波 部都藻纒持 依来十方 君尓益有 玉将縁八方
訓読 沖つ波辺(へ)つ藻巻き持ち寄せ来(こ)とも君にまされる玉寄せめやも

私訳 沖の浪が岸辺の藻を巻き上げ持って打ち寄せて来ようとも、貴方より勝れる玉が打ち寄せるでしょうか。

一云 沖津浪 邊波布敷 縁来登母
一(ある)は云はく、
訓読 沖つ波辺(へ)波(なみ)しくしく寄せ来(こ)とも
私訳 沖の波や岸辺の波が幾度も幾度も打ち寄せ来ても


集歌1207 粟嶋尓 許枳将渡等 思鞆 赤石門浪 未佐和来
訓読 粟島(あはしま)に漕ぎ渡らむと思へども明石(あかし)の門浪(となみ)いまだ騒(さわ)けり

私訳 粟島に船を操り渡ろうと思うのだが、明石の水門(海峡)の浪はいまだに騒いでいる。

 西本願寺本の順に従ったため、集歌1208から集歌1222の歌は、集歌1193と集歌1194の歌の間に配置される。


集歌1223 綿之底 奥己具舟乎 於邊将因 風毛吹額 波不立而
訓読 海(わた)の底(そこ)沖榜(こ)ぐ舟を辺(へ)に寄せむ風も吹かぬか波立てずして

私訳 海の底の奥深く、沖で操る舟を岸辺に吹き寄せる風が吹いてくれないかなあ。波を立てないで。


集歌1224 大葉山 霞蒙 狭夜深而 吾船将泊 停不知文
訓読 大葉(おほば)山(やま)霞の蒙(おほ)ふさ夜(よ)更(ふ)けて吾が船泊(は)てむ泊(とま)り知らずも

私訳 大葉山を霞が覆い隠す、そのような夜は更けて、私が乗る船は泊まっている。どこの場所かは知らないが。


集歌1225 狭夜深而 夜中乃方尓 欝之苦 呼之舟人 泊兼鴨
訓読 さ夜(よ)深(ふ)けて夜中(よなか)の方(かた)に欝(おほほ)しく呼びし舟人(ふなひと)泊(は)てにけむかも

私訳 夜は更けて夜中近くにかすかに呼ばっていた舟人は、今はどこかに舟を泊めているのだろう。


集歌1226 神前 荒石毛不所見 浪立奴 従何處将行 与奇道者無荷
訓読 三輪の崎荒磯(ありそ)も見えず浪立ちぬいづくゆ行かむ避道(よきぢ)はなしに

私訳 三輪の崎の荒磯も見えないほどに、波が立っている。さて、どのようにして行こうか、避ける回り道はないし。


集歌1227 礒立 奥邊乎見者 海藻苅舟 海人榜出良之 鴨翔所見
訓読 礒に立ち沖辺(おきへ)を見れば藻刈り舟海人(あま)榜(こ)ぎ出らし鴨(かも)翔(かけ)る見ゆ

私訳 磯に立ち沖の方を眺めると、藻を刈る舟を漁師が漕ぎ出しているのだろう、鴨が飛び翔けるのが見える。


集歌1228 風早之 三穂乃浦廻乎 榜舟之 船人動 浪立良下
訓読 風早(かざはや)の三穂(みほ)の浦廻(うらみ)を榜(こ)ぐ舟の舟人(ふなひと)騒(さわ)く浪立つらしも

私訳 風が速い三穂の入り江を操り行く舟の舟人が騒いでいる。波が立って来るようだ。


集歌1229 吾舟者 明且石之潮尓 榜泊牟 奥方莫放 狭夜深去来
訓読 吾が舟は明且石(あかし)の潮(しほ)に榜(こ)ぎ泊(は)てむ沖へな放(さか)りさ夜(よ)深(ふ)けにけり

私訳 私が乗る舟は、明石の急な潮流に舟を操り行き泊まろう。沖へは出ていくな。夜は更けている。


集歌1230 千磐破 金之三崎乎 過鞆 吾者不忘 牡鹿之須賣神
訓読 ちはやぶる金(かね)の三崎(みさき)を過ぎぬとも吾は忘れじ男鹿(をが)の皇神(すめかみ)

私訳 岩戸を開き現れた神の宿る金の三崎を通り過ぎたけれども、私は忘れません男鹿の大切な神を。


集歌1231 天霧相 日方吹羅之 水莖之 岡水門尓 波立渡
訓読 天(あま)霧(き)らひ日方(ひかた)吹くらし水茎(みづくき)の岡の水門(みなと)に波立ちわたる

私訳 空を一面に霧が覆い、南東の風が吹き出すようだ。水茎の岡の湊に波が立ち渡っている。


集歌1232 大海之 波者畏 然有十方 神乎齊祀而 船出為者如何
訓読 大海(おほうみ)の波は畏(かしこ)ししかれども神を斎(いは)ひて船出せばいかに

私訳 大海の浪は恐ろしいけれど、それでも海神に無事を願い祭って船を出せばどうでしょうか。


集歌1233 未通女等之 織機上乎 真櫛用 掻上栲嶋 波間従所見
訓読 未通女(をとめ)らが織る機(はた)の上(へ)を真櫛(まくし)もち掻上(かきあ)げ栲島(たくしま)波の間(ま)ゆ見ゆ

私訳 少女たちが織る機の上をりっぱな櫛を用いて糸を掻き上げて「たく」、その栲嶋が浪の合間に見える。


集歌1234 塩早三 礒廻荷居者 入潮為 海人鳥屋見濫 多比由久和礼乎
訓読 潮早み磯廻(いそみ)に居(を)れば潜(かづ)きする海人(あま)とや見らむ旅行く吾(わ)れを

私訳 潮が速い磯辺に居ると、潜水漁をする海人だろうと人は思うでしょう。旅行く私を。


集歌1235 浪高之 奈何梶取 水鳥之 浮宿也應為 猶哉可榜
訓読 浪高しいかに梶(かぢ)取る水鳥の浮(うき)寝(ね)やすべきなほや榜(こ)ぐべき

私訳 浪が高い、どのように船の梶を取るのか。水鳥のように海上で宿りをするべきか、それとももっと船を操り行くべきか。


集歌1236 夢耳 継而所見 小竹嶋之 越礒波之 敷布所念
訓読 夢のみに継ぎて見えつつ小竹(しの)島の礒越す波のしくしく念(おも)ほゆ

私訳 夢にだけ続けて見えていた小竹島の磯を越す波のように、次々と思いが襲う。


集歌1237 静母 岸者波者 縁家留香 此屋通 聞乍居者
訓読 静(しづ)けくも岸には波は寄せけるかこれの屋(や)通(とほ)し聞きつつ居(を)れば

私訳 静かな中にも岸には波は打ち寄せているのだろう、この屋内から壁を通して聞いていると。


集歌1238 竹嶋乃 阿戸白波者 動友 吾家思 五百入鉇染
訓読 高島の阿戸(あと)白波は動(とよ)むとも吾は家(いへ)思(も)ふ廬(いほり)悲しみ

私訳 高島の安曇に船出を遮る白波は立つけれど、私は故郷の家を偲ぶ、仮の宿りが侘しい。


集歌1239 大海之 礒本由須理 立波之 将依念有 濱之浄奚久
訓読 大海(おほうみ)の礒もと揺り立つ波の寄せむと念(おも)へる浜の清(きよ)けく

私訳 大海の磯を根元から揺らして立つ波が打ち寄せるでしょう、その船を寄せようと思う浜の清らさよ。


集歌1240 珠匣 見諸戸山 奚行之鹿齒 面白四手 古昔所念
訓読 珠匣(たまくしげ)三諸戸(みもろと)山(やま)ゆ奚(なに)行(ゆ)かばおもしろくして古(いにしへ)念(おも)ほゆ

私訳 美しい櫛を入れる匣を見るように、眺める三諸の入り口にある山よ、どうしてなのだろうか、訪ね行くと興味がそそられ昔の出来事を想像してします。


集歌1241 黒玉之 玄髪山乎 朝越而 山下露尓 沾来鴨
訓読 ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも

私訳 漆黒の黒髪の、その黒髪山を朝に越えて帰り往くと山の麓の露に濡れてしまうでしょう。


集歌1242 足引之 山行暮 宿借者 妹立待而 宿将借鴨
訓読 あしひきの山行き暮らし宿借らば妹立ち待ちて宿借(か)さむかも

私訳 足を引くような険しい山に行き日を暮し、一夜の宿を借りようとすると、愛らしい貴女は屋外に出て私を待っていて宿を貸して呉れるでしょうか。


集歌1243 視渡者 近里廻乎 田本欲 今衣吾来 礼巾振之野尓
訓読 見わたせば近き里廻(さとみ)をた廻(もと)ほり今ぞ吾(あ)が来る礼巾(ひれ)振りの野に

私訳 見渡せば近い里の辺りなのに、遠回りして、今、私がやって来た。女性が恋人を呼び寄せるのに礼布を振ると云う、その礼巾振りの野に。


集歌1244 未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見
訓読 未通女(をとめ)らが放(はなり)の髪を木綿(ゆふ)の山雲な蒙(おほ)ふな家のあたり見む

私訳 少女たちがお下げ髪を結う、その木綿を祀る山を、雲よ覆うな。恋人の家の辺りを見つめたい。


集歌1245 四可能白水郎乃 釣船之綱 不堪 情念而 出而来家里
訓読 志賀の白水郎(あま)の釣船の綱堪(あ)へずして情(こころ)に念(おも)ひて出でて来にけり

私訳 志賀の海人の釣り船の綱のようには気持ちが堪えられず、貴女を内心に慕う気持ちが表に出て来てしまった。


集歌1246 之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引
訓読 志賀の白水郎(あま)の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ立ちは上(のぼ)らず山に軽引(かるひ)く

私訳 志賀の海人が塩を焼く煙は、風が速いのでまっすぐに立ち上らず、山に薄く流れる。

右件謌者、古集中出。
注訓 右の件(くだん)の謌は、古き集(しふ)の中(うち)に出(い)ず。



大神大夫任長門守時、集三輪河邊宴謌二首
標訓 大神大夫の長門守に任(ま)けらし時に、三輪河の邊(ほとり)に集ひて宴(うたげ)せる謌二首

集歌1770 三諸乃 神能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也
訓読 三諸(みもろ)の神のお座(ば)せる泊瀬川水脈(みを)し絶えずは吾(われ)忘れめや

私訳 三諸の神々がいらっしゃる泊瀬川の水の流れが絶えないように、思い出を絶って、私が貴方を忘れるでしょうか。


集歌1771 於久礼居而 吾波也将戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
訓読 後(おく)れ居(ゐ)て吾(われ)はや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去(ゐ)なば

私訳 大和の国に残されて居て、私は貴方のことを慕うでしょう。春の霞が棚引く山を貴方が越えて去って行ったらならば。

右二首、古集中出
注訓 右の二首は、古き集(しふ)の中(うち)に出(い)づ。



 遊びとして、古謌集に載る集歌1257の歌を鑑賞した上で、集歌2467の歌を鑑賞して見ます。すると、普段の訓読み万葉集の歌の世界とは違った鑑賞もあるようです。ここでの遊びの鑑賞では古謌集に載る集歌1257の歌と集歌2467の歌には相聞関係が成り立ちます。すると、集歌2467の歌は人麻呂歌集の歌ですから、集歌1257の歌もまた人麻呂歌集に関係する歌なのかもしれません。
 なお、歌の表記方法が違うために歌の製作時代は大幅に違うと評論されると思います。ここで、歌が人麻呂の若い時代に製作されたとしますと、その原歌は人麻呂の手元に漢詩体の形で記録されたのでしょう。一方、恋人の詠う歌が人伝に伝わったとしますと、古歌集に採歌された時、その時代の表記方法で記録されたのではないでしょうか。このように憶測と酔論を重ねると、表記方法は違っても相聞関係が成り立つのではないでしょうか。

集歌1257 道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也
訓読 道の辺(へ)の草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)の花咲(ゑみ)に咲(ゑ)みしがからに妻と云うふべしや

私訳 道のほとりの草深い中に咲く百合の花が咲くように、私が貴方に微笑みかけたからと「私の妻」と貴方は云ってしまうので
すか。


比較例 普段の鑑賞
集歌2467 路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
訓読 路(みち)の辺(へ)の草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)の後(ゆり)にとふ妹(いも)が命(いのち)をわれ知らめやも

意訳 道ばたの草深い中に咲く百合のように、「後(ゆり)も」と言う、妹の命を私がしっていようか。


比較例 私訓の鑑賞
集歌2467 路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
私訓 路(みち)の辺(へ)の草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)の後(ゆり)にとふ妹(いも)が命(みこと)を我は知るらむ

私訳 道ばたの草深い中に咲く百合のように、人には「後で」と云う、そんな愛しい貴女の身も心も私はほんとは良く知っていますよ。

 同様に、反歌である集歌3304の歌に対して集歌1258の歌が相聞関係にあると妄想しますと、集歌1258の歌は大伴旅人の歌となります。


集歌3304 不聞而 點然有益乎 何如文 君之正香乎 人之告鶴
訓読 聞かずして點然(もだ)あらましを何しかも君が正香(ただか)を人の告げつる

私訳 噂を聞きもしないで、ただ独りだけでいましたのに、どうして、あの人の本当の気持ちを私に教えたのでしょうか。


集歌1258 黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来
訓読 黙然(もだ)あらじと事(こと)の慰(なぐさ)に云(い)ふ言(こと)を聞き知れらくは許しはありけり

私訳 黙っているのは良くないと私が拗ねた事の慰めに語りかける言葉を聞き貴方の気持ちを知れれば、もう、貴方を許しても良いでしょう。


 ここで、このような柿本人麻呂や大伴旅人への酔論があるならば、人麻呂と旅人を継ぐ人物がいなくてはいけません。その継ぐ人物が古歌集を編み、人麻呂歌集を世に伝えた可能性があります。思い付きですが、入唐に際して当時の二大歌人である山上憶良や笠金村から送別の歌を贈られた丹比真人広成がその継ぐ人物かもしれません。
 一方、古集に係ると思われる安倍広庭に焦点を当ててみますと、安倍広庭は政治家の側面を置くと、万葉集ではおおむね大宝年間から神亀年間の人となります。また、この同時代人としては、大伴旅人、山上憶良、大伴坂上郎女、高橋蟲麻呂等がいて、日本語が漢語と万葉仮名とで書記され、日本文学が誕生する礎を築いた時代に生きた人です。
 こうした時、万葉集に先行する歌集に注目しますと、先に紹介したように古集と称される歌集が存在したことが集歌1771の歌の左注などから確認されます。その時、集歌1770の歌から集歌1772の歌までを連続に鑑賞しますと、古集に載るこれらの歌が詠われた宴に安倍広庭も同席していたか、又は、その時の宴で詠われた歌に接する機会があったようです。
 ここで、参考として、万葉集に載る安倍広庭の歌をすべて紹介します。


中納言阿倍廣庭卿謌一首
標訓 中納言阿倍廣庭卿の謌一首

集歌302 兒等之家道 差間遠焉 野干玉乃 夜渡月尓 競敢六鴨
訓読 児らが家道(いへぢ)やや間(ま)遠(とほ)きをぬばたまの夜渡る月に競(きほ)ひあへむかも

私訳 愛しいあの子の家路はすこし間があり遠いのだが、私はこうして、漆黒の夜空を同じ向きに渡って行く月と競いあっている。



阿倍廣庭卿謌一首
標訓 阿倍廣庭卿の謌一首

集歌370 雨不零 殿雲流夜之 潤濕跡 戀乍居寸 君待香光
訓読 雨降(ふ)らずとの曇(くも)る夜のぬるぬると恋ひつつ居(を)りき君待ちがてり

私訳 雨は降らずどんより曇った夜がなまあたたかいように、身も心も濡らして恋い慕っています。貴方をお待ちしながら。
ここでは、技巧の歌として「ぬるぬる」に「微温(ぬる)微温し」と「濡(ぬ)る濡るし」との意味を取った。



中納言安倍廣庭卿謌一首
標訓 中納言安倍廣庭卿の謌一首

集歌975 如是為管 在久乎好叙 霊剋 短命乎 長欲為流
訓読 如(かく)しつつ在(あ)らくを好(よ)みぞ霊(たま)きはる短き命を長く欲(ほ)りする

私訳 このようにこの世にあることが結構だからこそ、体に宿る霊にも限りがある、その限りある短い命が長くあって欲しいと思う。



中納言阿倍廣庭卿謌一首
標訓 中納言阿倍廣庭卿の謌一首

集歌1423 去年春 伊許自而殖之 吾屋外之 若樹梅者 花咲尓家里
訓読 去年(こぞ)の春い掘(こ)じて植ゑし吾が屋外(やと)の若樹の梅は花咲きにけり

私訳 昨年の春に根ごと掘って植えた私の家の若木の梅に花が咲きました。



大神大夫任長門守時、集三輪河邊宴謌二首
標訓 大神大夫の長門守に任(ま)けらし時に、三輪河の邊(ほとり)に集ひて宴(うたげ)せる謌二首

集歌1770 三諸乃 神能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也
訓読 三諸(みもろ)の神のお座(ば)せる泊瀬川水脈(みを)し絶えずは吾(われ)忘れめや

私訳 三諸の神々がいらっしゃる泊瀬川の水の流れが絶えないように、思い出を絶って、私が貴方を忘れるでしょうか。


集歌1771 於久礼居而 吾波也将戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
訓読 後(おく)れ居(ゐ)て吾(われ)はや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去(ゐ)なば

私訳 大和の国に残されて居て、私は貴方のことを慕うでしょう。春の霞が棚引く山を貴方が越えて去って行ったらならば。

右二首、古集中出
注訓 右の二首は、古き集(しふ)の中(うち)に出(い)づ。


大神大夫任筑紫國時、阿倍大夫作謌一首
標訓 大神大夫の筑紫國に任(ま)けらし時に、阿倍大夫の作れる謌一首

集歌1772 於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
訓読 後(おく)れ居(ゐ)て吾(あれ)はや恋ひむ稲見野(いなみの)の秋萩見つつ去(ゐ)なむ子故に

私訳 大和の国に残されて居て、私はあの人のことを慕うでしょう。稲見野の秋萩を眺めながら去って行くあの人のために。


 繰り返しになりますが大神大夫は大神(三輪)朝臣高市麻呂のことで、集歌1772の歌は大宝二年(702)正月十七日の大神高市麻呂の長門守への就任を祝った歌です。万葉集に示す阿倍大夫を時代の中から推測しますと、慶雲元年(704)七月の時点で従五位上の官位にあった安倍広庭が相当します。当時、従四位下の官位にあった安倍宿奈麻呂は慶雲元年十一月に引田朝臣から安倍朝臣へ改姓を行っていますから、大宝二年に時点では引田朝臣宿奈麻呂です。それで、安倍宿奈麻呂は阿倍大夫に該当しません。なお、万葉時代には安倍は阿部、阿閉とも記しますので、安倍大夫と阿倍大夫とは同じ人物を指すと考えています。こうした時、懐風藻によると安倍広庭は天平四年(742)二月に七十四歳で亡くなっていますので、集歌1772の歌を詠ったときは従五位下の官位で三十四歳となります。この後、安倍広庭は霊亀元年(715)に宮内卿となり元明太上天皇、元正天皇の身辺近くに侍従します。
 集歌1772の歌が古集に載る歌を前提に歌を詠んでいる側面を捉えますと、平城京初期の歌を採歌したと思われ古集の編者に安倍広庭が位置しても良いのではないでしょうか。そして、古歌集と古集とは、共に世間に知られた歌集と思われますので、私蔵する私家本ではなかっと思います。ある程度の学識のある人物が、世の歌を取捨して歌集を編み宮中に奉呈した可能性もあるのではないでしょうか。つまり、公共性のあるものと考えています。もし、宮中に収めるものですと、古歌集や古集の、その奉呈先は安倍広庭にゆかりある阿閉皇女(元明天皇)となります。逆に、奉呈歌でないのなら、安倍一族の安倍虫麿と大伴一族の坂上郎女の関係から、安倍一族から大伴一族へと伝わった可能性もあるかもしれません。
 そして、万葉時代の古歌集や古集以降については、歌舞所の葛井連広成たちが職務上から和歌の記録と保存をしていたのではないでしょうか。葛井広成は天平勝宝元年から中務少輔として、朝廷の公式記録係のような立場で元正天皇に仕えています。個人的には、この歌舞所の資料から、万葉集の多くの詠み人知れずの歌が採歌されたと思っています。提起しました葛井広成については、引き続き「古曲を鑑賞する」で紹介します。
 なお、古歌集や古集を奉呈歌集としますと、高橋連虫麻呂歌集の鑑賞で憶測した「高橋連虫麻呂歌集とは氷高皇女(元正天皇)へ奉呈する歌集」ではなかったかとする姿は、時代を経た写しでしょうか。


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