竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

竹取翁の歌のお勉強 人麻呂のくびき

2009年04月10日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 人麻呂のくびき

 竹取翁の歌に入る前に、和歌の区分についての妄想にお付き合い下さい。

非常に初歩的な万葉集への疑問です。いつ頃から、記録に残る和歌が普段の人々に普及したのでしょうか。ここで、普段の人々とは特別な貴族階級でなく、無名歌を詠った人たちです。
貴族階級の知識人達が、漢詩のルールを取り得れての身内で通用する和歌は早くから成立していたでしょう。少なくとも、天智天皇の時代には非略体歌と分類される漢語と一部の「てにをは」を真仮名文字で記した記録に残る和歌はあったと思われます。しかし、まだ、それは一部の知識人だけの和歌です。普段の人々にとって、歌は口で詠い伝えるだけのものだったと思います。
 そんな時代に独りの天才が現れます。それが柿本人麻呂です。ただし、柿本人麻呂は、非常に困った天才です。彼は、いきなり、漢語や漢詩のルールで和歌を完璧に詠い挙げてしまったのです。また、時代の教養人も、その漢語や漢詩のルールで和歌を詠い挙げてしまったことに対して敏感に反応し、それを理想の姿としたようです。漢詩が母親のような和歌と云いますか、歌で使われている漢語や漢字のすべてが意味を持つような漢字表記の和歌です。
参考に例-1の歌で示すと、「河浪立奴」は「川波立ちぬ」と読むだけでなく、「立奴」には川岸に男が立っている風情があります。また、「由槻我高仁」は「由槻が嶽に」なのですが、「我高」には由槻が嶽が独り高くそびえている風情があります。「雲居立有良志」の「雲居立てるらし」にも、同様に「有良志」に心地よい思いが感じられます。それでいて、歌は口に出しても口調のよい大和歌なのです。だから、柿本人麻呂は非常な天才であり歌聖なのでしょう。例-2の歌でも、「足引之」の「あしひきの」には「葦や檜の」と「足を引きずる痛足」の意味合いが隠れていますし、「響苗尓」の「響るなへに」の「苗」に稲妻の謂れの「苗」の意味合いがあります。つまり、この「響るなへに」には、川瀬の音だけでなく雲行きが怪しい遠雷の音も含まれています。そして、万葉人は、この人麻呂調の和歌を善しとしたようです。
なお、今回、紹介する意訳は私訳では長々しい解説が必要になるために、不遜ではありますが万葉集(全訳注原文付 中西進 講談社文庫)をままに記載させていただきます。

人麻呂歌集 推定で柿本人麻呂の歌
例-1
集歌1087 痛足河 河浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志
訓読 痛足川川波立ちぬ巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし
意訳 痛足川には川波が騒ぎ立って来た。巻目の由槻が岳に雲が湧き起こっているらしい。

例-2
集歌1088 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡
訓読 あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る
意訳 あしひきの山川の瀬音が激しくなるにつれて、弓月が嶽に雲の立ち渡るのが見える。

柿本人麻呂が飛鳥時代の天才としますと、もう一人の天才が養老・神亀時代の大伴旅人です。その養老・神亀の天才を説明する前に、大伴旅人の人麻呂調の和歌を紹介します。

例-3
集歌575 草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天
訓読 草香江(くさかえ)の入江に求食(あさ)る葦鶴(よしたづ)のあなたづたづし友無しにして
意訳 草香江の入江に餌をあさる葦べの鶴のように、ああ心もとないことよ。友は遠くにして。

この歌の背景には鶴の日常があります。夫婦鶴と云うように鶴は普段は雌雄二匹が行動を共にしますが、その鶴が一匹だけで餌を取り、鶴が頭を上げて朋を求めて悲しく鳴く姿を思い描いて下さい。その背景が「入江二求食」と「友無二指天」の「二」です。そして鳴く悲しさが「友無二指天」の字の「指天」の空を見上げるのです。また、「痛多豆多頭思」の「あな、たどたどし」は「痛く、たどたどしい」の意味合いが本来ですが、「多くの頭を思う」で仲間のいない孤独も示します。一方、歌は都に戻った旅人から大宰府の沙弥満誓への歌ですから、「多豆多頭思」には遥か彼方の豆のように見える大宰府の人々の頭の意味も隠れています。このように、この歌は使われている漢語や漢字が、すべて意味を持つような漢字表記の和歌です。当然、歌の全景は、天平二年暮れの藤原氏全盛の中で隠れるように生活している旅人の孤独ですし、「友無二指天」の文字に隠す天に還って行った長屋王への悲しみです。その中の泣き笑いです。
また、次の歌の「方西有良思」は「かたにしあるらし」と読みますが、筑紫の大宰府は奈良の都からは「西の方に在ると思う」の意味もあります。これらは、一見は漢詩調の口調の硬い歌ですが、「表記する和歌」では軽い遊びがあります。

例-4
集歌574 此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思
訓読 ここにありて筑紫(つくし)や何処(いづち)白雲のたなびく山の方(かた)にしあるらし
意訳 ここ都にいて筑紫はどちらの方向になるのだろう。白雲のたなびく山の彼方にあるらしい。

万葉時代の教養ある歌人は、人麻呂調の和歌を詠う必要があったようです。ただし、これでは漢語や漢字の素養の要求水準が高すぎて、和歌は大衆のものにはなりません。教養ある貴族の集いで木簡に墨書して披露する風景があり、清談の歌であり、漢詩の曲水の宴の和歌版です。万葉集の巻一や巻二が捧呈歌や挽歌が中心であり、その相聞歌に後年の伝承歌謡からの採歌の雰囲気があるのは、人麻呂調の和歌の要請の結果ではないでしょうか。大衆の口には東歌で代表されるように和歌があります。が、表記方法がつたないのです。そして、人麻呂歌集の異伝が示すように大衆の歌は、人麻呂調の和歌の要請する基準に満たないのです。
日本人が言葉の表記において、漢字で言葉の意味を示し仮名で音を表す表記方法を続けるのならば、現在でも、この人麻呂調の和歌は和歌の最高峰に位置すると思います。私たちは「当字とルビ」という武器があり、「表記する和歌」と「調べの和歌」を同時に持つことが出来るのです。この思想の表れが、私が固執する漢字だけの原文、ルビ付の訓読文の併記です。ですが、歌を読むには好いのですが、詠むにはレベルが高すぎるのです。人麻呂調の和歌は漢詩で和歌を歌う姿ですから、漢語・漢詩・漢字を自由に支配している必要があります。そして、その教養があってさらに歌心が必要です。このハードルを越えたものだけが、「表記する和歌」を詠うのです。この姿は日本文学の高度なレベルを示すのですが、一方、滅びの世界への誘いです。では、人麻呂亡き後、いったい誰が和歌を詠うのでしょうか。この人麻呂調の和歌の要請は、一種「人麻呂のくびき」と呼ぶべき障害でもあります。

そのとき、次の時代の天才が現れます。それが、大伴旅人です。漢語・漢詩・漢字を自由に支配した旅人が、人麻呂を棄てます。人麻呂を棄てることによる万葉仮名での一字一音表記の和歌の誕生です。原則、使用する万葉仮名の漢字に意味を期待しない、あくまでも耳で聞く「調べの和歌」です。極論すると、目で読み頭で理解する和歌から、耳で聞き心で理解する和歌への転換です。
この大伴旅人と云う変革の天才が現れたことで、和歌は大衆の心を表す歌になりました。人々は「人麻呂のくびき」から開放され、心の思いを一字一音に映すのです。ただし、和歌が心の思いを音に映すだけの表現作業になり、結果、大衆化したことにより、公式の場の和歌には歌での貴賎の区分と格調が要請されることになります。
なお、この和歌における「貴賎の区分」の歌論による説明は、紀貫之の古今和歌集の仮名序の誕生まで約百五十年ほど待つ必要があります。人麻呂調の和歌は、「表記する和歌」から絶対的な価値判断が可能ですが、旅人調の和歌は「調べの和歌」のために相対的価値観しか生まれません。そして、その相対的価値観を論として、区分・整備したのが紀貫之です。

例-5
集歌822 和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
訓読 吾(わ)が苑(その)に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
意訳 わが庭に梅の花が散る。天涯の果てから雪が流れ来るよ。

集歌851 和我夜度尓 左加里尓散家留 宇梅能波奈 知流倍久奈里奴 美牟必登聞我母
訓読 吾(わ)が屋戸(やと)に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
意訳 わが家に盛りと咲いている梅の花は、今にも散りそうになった。見る人があってほしい。

例-5で示す歌々は、一字一音の万葉仮名の楷書体です。これを、もう一度、名詞や動詞を漢語で表しそれ以外の音を一字一音の万葉仮名で記し、それを草書や草仮名で表記するとそこには古今和歌集の世界が広がっています。そして、「ひらがな」ならば現代の和歌の世界です。
つまり、現在の和歌を和歌というのならば、その産みの親は大伴旅人で、その誕生日までわかります。天平二年正月十三日です。その後、歌の表記の体感速度は、行書小字体、草書連綿、草仮名連綿から「ひらがな」へと上がりましたが、本質は大伴旅人以来なにも変わっていません。なお、単語・発音・語の意味は、同じでは無いと云う「為にする」専門家一流の茶化しはなしです。
旅人調の和歌は心の思いを一字一音に映すだけですから、その大衆性の故に、時代毎に上品下品の基準を設けたり、歌心の無い世襲の歌道の家の人の為にマニュアルでの技巧論が要請されます。ただし、和歌における本質的技巧を語るのならば、人麻呂調の和歌で語らなければいけません。現在に通じる旅人調の和歌は、人麻呂調の和歌の本質的技巧論による作歌を避けるために生まれた歌です。
万葉集を眺めるとき、最初にこの二つの嶺を見てからそれぞれの山容を見ることになっているようです。なお、人麻呂調の和歌が源流であるならば、原文を表記しない万葉歌の鑑賞は一切成り立ちません。人麻呂調の「表記する和歌」から、その表記を取ったら何が残るのでしょうか。また、何を鑑賞するのでしょうか。佐佐木隆氏、古橋信孝氏や白川静氏は、確実に人麻呂調の「表記する和歌」と旅人調の「調べの和歌」とを認識して万葉集を解釈されています。残念ながら、斉藤茂吉氏に代表される明治から戦前の歌人にとって、この人麻呂調の「表記する和歌」は理解の外だったようです。人麻呂調の「表記する和歌」を知らない故に、万葉歌をすべて「調べの和歌」として評価をくだします。ここでの典型が、斉藤茂吉氏の集歌574の歌への評価です。彼に歌の「方西有良思」の表記に、大宰府は奈良の都からは西の方に在ると思うの想像はありません。それ以前の万葉研究書のマニュアルに書いてないからです。
竹取翁の歌のお勉強には、この人麻呂調の和歌と旅人調の和歌の区分と思想があります。それを受容していただいて、このとぼけた世界を眺めて下さい。現在の主流の「調べの和歌」しか見せない万葉歌の鑑賞法だけでなく、「表記する和歌」も重要な万葉歌の鑑賞の要素です。そうして、初めて、竹取翁の歌が見えてくると思います。

コメント   この記事についてブログを書く
« 竹取翁の歌のお勉強 万葉集... | トップ | 竹取翁の歌のお勉強 竹取翁... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する」カテゴリの最新記事