竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 番外編 ひばりの声 大伴家持の独特な世界観

2019年05月19日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 番外編 ひばりの声 大伴家持の独特な世界観

 五月中旬は野では雲雀や鶯などの野鳥の季節です。子育てのためか、容易にその鳴き声を聞くことができます。
 ここでは万葉集では非常に珍しい雲雀の歌を眺めてみます。万葉集では三首しかなく、すべて大伴家持に関係しますし、二首は家持の歌です。順序は額になりますか、最初に巻二十に載る二首を紹介し、次いで巻十九に載る一首を紹介します。

三月三日、檢校防人勅使并兵部使人等、同集飲宴作謌三首
標訓 三月三日に、防人(さきもり)を檢校(けんかう)する勅使(ちよくし)并せて兵部(ひやうぶ)の使人等(つかひたち)と、同(とも)に集(つど)ひ飲宴(うたげ)して作れる謌三首
集歌4433 阿佐奈佐奈 安我流比婆理尓 奈里弖之可 美也古尓由伎弖 波夜加弊里許牟
訓読 朝な朝な上がるひばりになりてしか京(みやこ)に行きて早帰り来む
私訳 毎朝、空に翔け昇る雲雀になりたいものです、奈良の都に行って、人に逢ったらすぐに帰って来よう。
左注 右一首、勅使紫微大弼安倍沙弥麿朝臣
注訓 右の一首は、勅使(ちよくし)紫微(しびの)大弼(だいひつ)安倍沙弥麿朝臣

集歌4434 比婆里安我流 波流弊等佐夜尓 奈理奴礼波 美夜古母美要受 可須美多奈妣久
訓読 ひばり上がる春へとさやになりぬれば京(みやこ)も見えず霞たなびく
私訳 雲雀が空に翔け昇る春の季節へとはっきりなったので、都も見えない、霞が棚引いている。

 雲雀に係る集歌4433の歌と集歌4434の歌は、天平勝宝7年3月3日に難波で節句の祝いの宴で詠われた歌です。歌は朝日とともに天空に舞い上がり啼く雲雀のように、高く舞い上がれば難波から奈良の都が見えるだろうとの誇張を詠ったもので、歌で詠う雲雀に特段の心情が込められているかというとそれはありません。
 一方、集歌4292の歌は、古く、色々な解釈がある歌で、大正末期から昭和初期に当時の歌人たちにより再評価を受け、大伴家持の代表的な歌とされます。それまでの大伴家持の代表的な歌は平安時代に作られた家持集に載る全く他人の歌を指名していました。万葉集の歌の研究が進んできた昭和初期になって、他人の歌を代表作として評価するのは、いかにもあんまりだろうとしての再評価です。
 ただし、もし、現代人で神経を病んでいる人が雲雀の鳴き声を聞いたなら、さてその鳴き声に耐えられるか、疑問です。雲雀の鳴き声は忙しく高い音での鳴き声で、静かでしみじみとした鳴き声ではありません。万葉集でホトトギスと表記して実際ではカッコウの鳴き声を示すのとは違い、集歌4433の歌から推測して雲雀は雲雀であろうと推定されています。それで、本当の雲雀の鳴き声を知っている歌人は色々と解説を展開します。

廿五日、作謌一首
標訓 廿五日に、作れる謌一首
集歌4292 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比等里志於母倍婆
訓読 うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)上がり心悲しも独し思へば
私訳 うららかに輝いている春の日に雲雀が飛び上がる。でも、気持ちは悲しいのです、独りで物思いをすると。
左注 春日遅〃鶬鶊正啼、悽惆之意非歌難撥耳。仍作此歌、式展締緒。但此巻中不稱作者名字、徒録年月所處縁起者、皆大伴宿祢家持裁作歌詞也。
注訓 春日(はるひ)は遅遅(ちち)にして、鶬鶊(ひばり)正(まさ)に啼く、悽惆(せいちう)の意(こころ)は歌にあらずは撥(はら)ひ難しのみ。仍(よ)りて此の歌を作り、式(も)ちて締(むすば)れし緒(こころ)を展(の)ぶ。但(しかし)、此の巻の中に作者の名字(な)を稱(い)はず、徒(ただ)、年月・所處・縁起を録(しる)せるは、皆大伴宿祢家持の裁作(つく)れる歌詞(うた)なり。
注訳 春の日はゆるゆるのどかにして、雲雀はその季節に鳴く、気鬱の気分は歌でなければ打ち払うことが難しい。そこでこの歌を作り、よって凝り固まった気持ちを解く。なお、この巻の中に作者の名を示さず、ただ、年月・場所・縁起だけを記したものは、すべて大伴宿祢家持の作った歌である。

 初めにこの左注の解釈では、この左注を記述した人物を大伴家持とする立場と、そうでないとする立場があります。家持がこれを記述したとする立場での左注の漢文の解釈では、少なくともこの巻十九は家持の編纂と推定します。一方、左注の漢文の「皆大伴宿祢家持裁作歌詞也」の句などの文言や文章構成から家持の文章では無いとする立場では、万葉集巻十九の編纂と家持との関係が、依然、不明となります。素人感覚ですが、この文章の前半は集歌4292の歌に対する評論のみで、後半は巻十九全体の作歌者の推定を述べています。およそ、この文章の構成からは左注を記述した人物は家持ではない他の人物によるものと推定され、文章の趣旨としては集歌4292の歌の鑑賞とその作歌者を大伴家持とする推定を述べたものと考えられます。これは集歌4292の歌の「比婆理安我里 情悲毛」の句における、相互の句のつながりの特殊性によるものと考えられます。

 話題を歌の解釈に戻しますと、躁鬱病の躁状態でなければ、病んだ心には雲雀の鳴き声が心を鎮めるとは聞こえないでしょう。初夏に向けての気持ち良い風や日の光を楽しむ心には向きますが、落ち込む気持ちを慰めるものではないでしょう。
 それで、伊藤博氏は歌の初句「うらうらに」という言葉に注目します。一般には明るい感触を持つ言葉であるので、その明るい感情に対し雲雀と云う鳴き声が向き合うのです。ところが、家持は四句目・末句で「心悲しも独し思へば」と詠いますから、支離滅裂となります。いかにも家持らしい作品ですが、それでは万葉集を代表する歌人と持ち上げた人たちの立場は無くなります。
 伊藤博氏は、古語「うらうらに」という言葉に「明るさを含みながらも、何か焦躁を誘う霞がかった世界を言い表わそうとしたものと説くことができるのではあるまいか」と説きます。このようにでも説明しないと、まともな和歌としては成立しません。この古語「うらうらに」の解釈を補強するものとして、伊藤博氏は左注の漢文から「春日遅〃」を取り上げ、この中国語「遅〃」が大和言葉「うらうらに」に対応するものであり、中国語「遅〃」は今昔物語などの訓じでは「ウラウラニ」であるから、中国語「遅〃」とは「春の日が長く、進まず、どこかほんのりと霞んだ、そして何かしらそわそわさせられる情況を言ったもの」と紹介します。
 しかしながら、伊藤博氏であっても雲雀の鳴き声には困ったようで、解説では雲雀の鳴き声を完全に無視をします。


 高校古文の解説では次のように解説するようですが、解説者は現実に野で雲雀の鳴き声を聞いたのでしょうか。それとも、古今和歌集以降のように、単に、季語のような扱いで雲雀に仲春の朝を代表させただけと考えたのでしょうか。困ったことに雲雀は簡単には鳴き止みません。物静かにしていますと、次から次へと、その忙しく高い声で鳴き立てます。同じ時期の同じ場所で鳴く鶯とは違うのです。
 私はヘビメタ音楽で和む人間ではありません。一方、電車の中でヘビメタのシャカシャカ音を音漏れさせるほどの音量で聞いて心を落ち着かせる人もいますから、時に、大伴家持はそのようなリズムを好むような人だったかもしれません。それならば、野鳥の中でもそれに近いリズムと声を持つ雲雀の声に「心悲しも独し思へば」としみじみとした心境になれるのでしょう。ただ、標準的な和歌の心とは違います。

現代語訳
のどかに照る春の日差しの中を、ひばりが飛んでいく。そのさえずりを耳にしながら一人物思いにふけっていると、なんとなく物悲しくなっていくものよ。

解説・鑑賞のしかた
この歌は、大伴家持によって詠まれたものです。なんとなく、ふと寂しさを感じることがある。そのようなメランコリーな感じを表した歌です。楽しそうにさえずっている鳥と、作者の物寂しさが対比されています。
また「心悲しもひとりし思へば」の部分は、「物寂しく感じるなぁ。一人で物思いにふけっていると」と倒置表現になっています。

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