竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  惜不登筑波山謌

2010年11月27日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
惜不登筑波山謌一首
標訓 筑波の山に登らざりしことを惜しめる謌一首

集歌1497 筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其
訓読 筑波嶺(つくばね)に吾が行けりせば霍公鳥山彦(やまびこ)響(とよ)め鳴かましやそれ

私訳 筑波の嶺に私が出向いていたなら、霍公鳥が山彦を響かせて鳴いたでしょうか、きっと。

右一首、高橋連蟲麿之謌中出。
注訓 右の一首は、高橋連蟲麿の謌の中に出づ。

 歌の標に「惜不登筑波山」とあります。さて、筑波山に登らなかったのは誰でしょうか。参考に集歌1753の検税使大伴卿登筑波山時謌では、標にあるように高橋蟲麿は大伴旅人に伴をして筑波山に登っていると推定が出来ます。すると、この歌は、高橋蟲麿ではなく高橋蟲麿が関係する人が評判の筑波山に登りたくて登れなかったときの歌となるのでしょう。
 ここで、筑波山に登らなかった人物を藤原宇合と推定しています。そのため「鳴麻志也其」の「其」の用字に注目して漢文的な感覚での高橋蟲麿特有の表現方法とする解説もあります。一方では、漢詩漢文の第一人者である藤原宇合の漢詩的表現ではないかと推定することも可能と考えています。専門家が「其」の漢文的な用字から高橋蟲麿特有の表現方法とした点を展開して、筑波山のような標高のある山の山頂には何度も何度も登るようなものではないと考えますと、漢文的な用字から歌は藤原宇合としても良いのではないでしょうか。
 このように推定しますと、高橋蟲麿と藤原宇合とが関係すると推定できるのは、集歌971の藤原宇合卿遣西海道節度使之時謌と集歌1497の惜不登筑波山謌だけような形となり、他の東国での歌の多くは高橋蟲麿と大伴旅人との関係の歌になります。ただ、先に説明した通り、集歌971の藤原宇合卿遣西海道節度使之時謌からは主従関係を見出すことは出来ません。
 こうした時、それぞれの歌を単独に取り上げ鑑賞する場合と、高橋蟲麿に関係する歌を連続的に鑑賞する場合では、解釈される歴史や歌の背景、さらには歌を詠った歌人までが違って来ます。ここに、素人の物を知らないかなしさがあります。


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