竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 国津神祇(くにつかみがみ)

2014年02月02日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
国津神祇(くにつかみがみ)

 中元四年(671)春、大津宮。
 大海人皇子の屋敷に伊勢の国造でもある伊勢王が来ている。数旬前、栗東にある高市皇子の鍛冶の里でも会ったが、秋の豊饒を祈願する初夏の祭りのために伊勢に帰る伊勢王が挨拶に訪れて来た。
 伊勢王は大海人皇子のことを先の太皇太后天皇宝皇女の末の子の意味を込めて末の大兄と呼ぶ。
 大海人皇子、伊勢王に大海人皇子の舎人朴井雄君の三人だけで、ささやかな宴を張っている。貴人に付く給仕の女どもはいない。まるで、密議のようでもあるが、部屋の周囲は開け放たれている。外見は、軽い小話をするための宴に見える。
「末の大兄、今度の鉄鍬、十分に馳走になった。国に戻って郡司の者どもに良い顔向けが出来る」
「伊勢王、わずか百ほどの鉄鍬で、すまぬのう。鍛冶の里を責めておるが、今はこれだけじゃ」
「いやいや、末の大兄。今、伊勢の国の鉄鍬は、掻き集めて数百ほどぞ。それに比べ、吾が百口ほどの鉄鍬を抱えて国に戻れば、伊勢の国は湧く。郡司どもは、こぞって、吾に擦り寄ってくるぞ」
「そうか、喜んで貰えてうれしいぞ」
 伊勢王が、なぜか、身を正し直す。その姿に舎人朴井雄君は緊張した。
「なあ、末の大兄。吾はのう、主人が好きじゃ。そこで、吾の話を聞いてくれ」
「なんじゃ、主の話なら、存分に聞くぞ」
「おお、それでは云うぞ。今度の馳走は新羅討伐に関わるものであろう。云わずとも判る。吾は戦には反対じゃ、が、吾からは声を挙げん。父や伯父のように闇で殺されるのはかなわん」
「そこでじゃ、今度の馳走を吾は貰わん」
 瞬間、大海人皇子と付き人の朴井雄君の目に殺気が走った。
 とたん、伊勢王が小声だが、鋭い声を挙げる。
「おい、早まるな、話は最後まで聞け、良いか」
「この百口の鉄鍬の馳走は、伊勢の神が頂く。つまり、神祀りの据え物じゃ。厩戸大王のあの話じゃ。日出る国の神祀りとして伊勢国の神が頂く。さすれば、大津の大王に仕える百済人も苦情は出せんし、吾からも戦勝祈願の噂を流す」
「次に、末の大兄。主人の手元の鉄鍬を掻き集め、紀伊の神々を祀る」
「紀国造にはこの伊勢王から話をする。あくまでも、神祀りとしてな。末の大兄、吾が云う事は判るな」
「それとな、諸王たちの湯沐地は摂津、河内、伊勢、美濃にあるが、伊勢の国は吾がどうにかする。美濃は末の大兄、主人がどうにかせい」
「さすれば、多くの諸王は、芳しき風に靡く」
 黙って聞いていたが、大海人皇子は伊勢王の云うことが、ずしんと腑に落ちた。そして、光明が射すのを感じた。如何に味方を増やすのかを苦心していたが、糸口が開けた。
 そして一番肝心は、伊勢王は大海人皇子の積極的な味方であると宣言してくれたことである。
「伊勢王、これは丁重な馳走じゃ。紀伊の神々に百口の鉄鍬を捧げよう。これは約束する」
「さらに神々が吾の望みを叶えるなら、毎年、鍛冶の里の獲物で神祀りをしようぞ。これも約束する」
「さすがじゃ、末の大兄」
 伊勢王が念を押して云う。
「ただし、吾は主人と大和の神祀りの話をしただけじゃ。よいな」
「おお、判っとるわい。神祀りの話だけじゃ」
「末の大兄。伊勢の国には祀部(はふりべ)が十三人いる。つまり、朝廷の郡司となる郷長が十三人じゃ。これらの者が神の奉げ物の御降り物として少なくとも鉄鍬三口を貰う。その神祀りを吾の伊勢一宮である都波岐神社で執り行う。その時、高市皇子を寄こせ。時期はこの五月の満月の日じゃ、良いな」
「伊勢王、神祀りはすべて任す。高市も祀りには出さす、よろしく頼む」
「末の大兄、吾は臆病じゃ。まだ、死にたくはない。吾を殺すなよ」
「なんの、これほどの馳走をくれ、もてなしをしてくれた主を粗末にするはずはない」
「そうか、次に会えるのは、吾が治める鈴鹿辺りかのう」
「いや、何事もなく、再び、この大津の屋敷で酒を酌み交わすのが良いのだが。のう、伊勢王」
「そうよのう、十分、馳走になった」

 中元四年(671)五月十五日、伊勢国鈴鹿の杜にある都波岐神社で豊作を祈願する神事が行われている。伊勢の国を治める伊勢王が国中の郡の祝部と大社の神主に神祀りの招集を掛けたが、集まったのは十名ほどであった。
 常の里の神祀りでは、巫女の神降ろしの踊りの後に、酒を酌み交わし里の見目美しい女子と目合って、祀りに集う者が共に宴を楽しむのが主体のような祭りである。そのため、目合いに飽きた長老の中には姿を見せないものもいた。
 今度の祀りは例年とは違い境内が菰蓆の垣で囲われ、式場が隠されている。
 伊勢王の社人が集う祝部たちに云う、
「倭の大王の皇太弟と伊勢王の談合で、今度の一宮の神祀りは清らかな形にし、身分ある者だけが神祀りに集う」
「身分なき里の者は、それぞれの里で神祀りに集え。今後、卑しき奴どもが一宮の神祀りを覗くことは許さん。里の者には己ら祝部が、おのおのの里で神祀りを行え」
 伊勢王の小者に「皇太弟の命で身分ある者だけが集う」と云われて、祝部たちは新しい神祀りの形に納得した。祝部たちは、今、古くからの里の神主と云う立場だけでなく、郡司と云う朝廷の役職を頂いている。その身分に対し「皇太弟の命で選ばれた者だけ」と云う言葉は心地良い。
 選ばれ招聘された祝部たちが、飛鳥の最新の衣装を着た都波岐神社の采女に誘われて菰蓆の垣で囲われた式場に入った。案内する采女は白の和栲の小袖に緋の袴姿、それに垂髪(すべらかし)だが、それは見慣れた鄙の里での古風の装いではない。倭の新しい装束が取り入れられている。日頃、見知る采女もいたが、新しい衣装に身を包んだ姿に見知らぬ美しい女子を感じる。そして、祝部たちはこの倭の大王の神祀りの仕儀に興味を惹かれた。
 その伊勢の祝部どもは菰筵の垣で囲まれた式場に入ったとたん度肝を抜かれた。彼らの目にとんでもないものが飛び込んできた。普段の小屋掛けの籠りの室がある。これは判る。それは今までも神降りの神事に使ってきた。祝部どもにとって、とんでもないものは、その室の前にあった。神祀りの奉げ物として、盛土で台を造り、笹と蓆が敷かれた上に黒光りする鉄の鍬刃を付けられた鍬が、およそ六十口並び据えられていた。古風の仕来りでは神祀りが終われば、奉げ物は神からの御降り物として集う者に分け与えられる。
 祝部どもは、思わず鉄鍬の数と集う祝部たちの人数を数える。何度、数えても鉄鍬は六十、祝部は十。悪くても五口は貰えると踏んだ。
 そして、目が眩んだ。己の里の鉄鍬の数に等しいか、多いほどだ。そして、今度の神祀りにきていない祝部の顔が浮かんだ。当然、良く知る者たちであったが、その欠席者のおかげで鉄鍬が一口余分に貰えると思った。顔を見せない者に、お陰と云う気分と、後で里者に問い詰められ、その身が窮するであろうことへの憐みとの複雑な感情が湧いた。

 神祀りは、新旧、取り混ぜた形で行われた。
 都波岐神社の神主たる伊勢王が、儀礼の口火として、皇太弟から降された宣を読み上げた。

「我が皇祖(みおや)の天皇(すめらみこと)等(たち)、世を治めたまふこと、天にせかがまり地にぬきあしにふみて、篤く神祇(あまつかみくにつかみ)を礼(ゐや)びたまふ。周(あまね)く山川を祀り、幽(はるか)に乾坤(あまつち)に通す。是を以て、陰陽(ふゆなつ)開(ひら)け和(あまな)ひて、造化(なしいづる)共(ことども)に調(ととのほ)る。今の世に当りて、神祇を祭(いは)ひ祀(まつ)ること、豈、怠ること有らむや。故、伊勢国の神主(かんぬし)祀部(はふり)、共(とも)に為に心を盡して、神祇を拝(ゐやびまつ)るべし」

 その場に皇太弟からの使者の形で、高市皇子が連なる。
 ある種、高市皇子と伊勢の郡司たちとの顔合わせである。集う者達は、当然、想像する。
「この鉄鍬は倭の高市皇子からか。豪勢なものじゃのう」
 その宣の後、古風の儀礼に従い、巫女による神降ろしの神事が始まった。巫女代が神寿詞を唱え、神降ろしをする中、一人の采女に神が寄付いた。その寄代となった神事采女を籠りの室の内に据え、神事采女と神主は御門の目合いをする。境内に平伏する祝部どもは漏れ聞こえる秘儀に豊穣の神事が行われたことを確信する。
 やがて、天降りした豊穣の女神は天に還って行った。神主伊勢王と皇太弟の代理である高市皇子は祝部どもと直会を行い、皆で酒を酌み交わし共食をした。その夜、それぞれが直会に連なる采女と豊穣の証を求めて目合いをした。
 夜が明けた。里に帰る祝部たちに、思惑の六口の鉄鍬が渡された。祝部たちは、涙を流し、興奮して、その鉄鍬を握りしめた。
 興奮とざわめきの中、伊勢王の小者が云う、
「皇太弟と伊勢王の思し召しで、これを伊勢国の夏の慣例とする。者ども、集え」
 その宣言に、どよめきが上がった。
「来年もか、ほんとに、そうか」
「伊勢王は、すごい御方じゃ。さすが、伊勢国、一宮の神主じゃ。吾は、来年もきっとくるぞ」
「そうじゃ、ここに来んやつは、呆けものじゃ」

 里への帰り道、祝部は勘定する。今から鉄鍬六口で里の荒野を開墾すれば、来年の田起こしまでに十町の田が新たに出来るであろう。すべての祝部が参集するであろう来年も悪くしても鉄鍬四口は貰えそうだ。今年が十町なら、来年は十五町の田が新たに開拓出来る。女子どもが子をいくら産んでも、もう、飢えることはない。吾がこの土産を持って帰れば、里の者どもはきっと湧き立つ。

 里に戻った祝部は、里者を村の神の杜に集めた。
「やい、者ども、これを見よ」
 祝部は、息子どもに持たした真新しい黒光りする六口の鉄鍬をかかげさせた。里全体が、どよめいた。
「伊勢一宮の都波岐神社からの降し物ぞ。神主伊勢王が『里の神に奉げよ』との思し召しじゃ」
「この鉄鍬六口は神に奉げたあと、里の宝として、この神主たる吾が預かる。じゃが、これは里の物じゃ。つまり、皆で使う」
「明日、神祀りを行う。そして、三日後から田を興す。田が欲しい者は、その朝、ここに集まれ」
「隣の里も、都波岐神社からの降し物として鉄鍬を貰うた。遅れを取るな。判ったか」
 里人が、恐る恐る聞く、
「里長、その鉄鍬は、吾等がずっと使えるのか、そりゃ、まこと、吾等の里の物か」
「そうじゃ、吾等の里の宝じゃ。これから、田はな、木鍬でなくて、この鉄鍬で興す」
別な里人が、心配そうな顔をして尋ねる、
「里長、今度は、何人、娘を出さねばならんのか、先の里長の時は、鉄鍬一口に娘五人で贖った。もし、娘三十人なら、この里に娘はそんなにもおらんぞ」
「えい、者ども、聞けい。これは伊勢一宮の都波岐神社からの降し物じゃ。贖ったのではない。里の娘を交換に出す必要はない。判ったか、者ども」
「ほんに都波岐神社からの降し物か。伊勢一宮とは、えらく剛毅な神の御社じゃのう」
「吾も伊勢一宮に参ると、鉄鍬が貰えるのか。それなら、今から駆けるか」
「やい、己ら。ぐだぐだ、ぬかすな。神主伊勢王からの御達しじゃ。都波岐神社は伊勢一宮じゃ。これは吾のような祝部であり、郡司がお祀りする神の社じゃ。己らはこの里の御社を通じて、伊勢一宮に繋がる。己らの身分で伊勢一宮に参ると神威に触れるぞ。勝手に参って社人に叩き殺されても、吾は知らん。心得よ」

 当然、伊勢王の都波岐神社の社人たちは、伊勢一宮の神祀りの後、都波岐神社の周囲をうろつく里人を追い返すし、場合により、袋叩きにする。
 里の祝部だけが伊勢一宮の神主伊勢王を通じて、今後、倭の大王の神祀りでの降り物の恩恵にあずかる。その神祀りを通じ、神主伊勢王と里の祝部とが上下関係で繋がる。伊勢王の思惑はそこにあった。

 里の祀りが終わって二日後、神の杜の前に、朝、薄暗い中、多くの里人が集まってきている。
 里長が云う、
「今年はな、十町の田を新たに興す。そして、溝を掘り、水も引く。みな、励め」
 里長に率いられた里人は原野を焼き、木根を掘り抜き、草根を根切りする。里長は時を区切り、里人に車懸りで休むことなく鉄鍬を使わす。
 荒れ地が日に日に田畑に変わって行く。早い場所では、その年に蕎麦や麦を蒔く。里人どもは、開き行く新たな田畑に伊勢一宮の神威を実感した。
 里長は目の前に広がり行く開拓地をみて思う、
「今年は運が良かった。もし、神祀りに行ってなければ、里人の怒りに殺されたかもしれん」
「しかし、倭の鉄鍬は、良く草根を切る。木鍬ではこうはいかんし、里人もこれほど湧き立ち、働かん」
「日に日に田が見えれば、励みになる。実に鉄鍬は神の使いのような物じゃ」
 そして、早くも芽を出す蕎麦に目を細めて思う、
「まだまだ、土地はある。女子共に、もっと子を産めと今夜も責めねばならんのう」
「去年は、里の女子どもに『食い物が足りん。もう、産むな』と云うた。実に、今とは大違いじゃ。ほんに、吾は良き時に巡り合ったものじゃ」

 こうして、中元四年五月に伊勢の国で神祀りが行われた。
 さらに伊勢王が大海人皇子に進言したように、七月になって紀伊国の一宮である日前神社や北近江の要所である坂田郡宇賀野の岡神社(=坂田神明宮)でも神祀りが行われた。
 日前神社では紀臣阿閉麻呂が皇太弟からの宣を読み、岡神社では坂田公雷が宣を読んだ。紀伊国や北近江でも、伊勢国と同じように神祀りに参集した里ではその国の一宮の神威に湧き立ち、参集しなかった里では失望や祝部の交代のような事件が起きた。
 伊勢国、紀伊国、北近江国の祝部たちは身に染みた。国の一宮の神主が振れ出す衆参の呼び掛けは、時に天国と地獄となる。

 中元四年の夏までに、鉄鍬と云う品物を通じて大海人皇子に心を寄せる者たちが増えていった。少なくとも事が起きた時、味方にならなくても敵にはならない。
 伊勢王が提案した鉄鍬を奉げる神祀りの成果が伊勢、紀伊、北近江で現れ始めた秋になって、蘇我臣安麻侶が知らせを入れて来た、
「葛城大王が急激に体調を崩している。そのため、左大臣蘇我赤兄や右大臣中臣金たちが、今後の方策を考えている。その一環で、大海人皇子の処遇について議論がある」
 大海人皇子は、
「田村大王の崩御の後、我が母、宝皇女が皇太后天皇として立ったように、葛城大王に万が一のことがあれば、朝廷は倭姫王を皇太后天皇として立てるであろう。その時、この吾は邪魔になる」
「殺される前に、隠棲のような形で大津宮を離れるのが良さそうだ」
と考えた。
 この意向を受け、安麻侶は鉄鍬を奉げる神祀りの関係で大海人皇子と意が通じている御史大夫の紀臣大人へと根回しをした。
 近江の朝廷で新羅討伐の議論をする、その中で、紀臣大人、蘇我臣安麻侶や朝廷の諸王たちは唱えた。
「例え、新羅討伐に従わないとは云え、皇太弟たる大海人皇子に手を出せば、あの蘇我入鹿が殺された乙巳の変のように、大和の国は大混乱になり、新羅討伐どころでは無くなる。今は大海人皇子を隠棲させ、幽閉するのが良い」
 右大臣中臣金は「新羅討伐に反対する者に死を賜えよ」と強硬論を主張するが、結局、左大臣蘇我赤兄と太政大臣大伴王が大海人皇子を隠棲・幽閉することに決めた。そして、軍を把握する御史大夫である蘇我臣果安、巨勢臣比等や紀臣大人の本貫の傍で、朝廷の監視の目が届き易い吉野の里で幽閉することを決めた。
 ただし、新羅討伐が決着するまで表向きは葛城大王を弔う大海人皇子自身の意向での出家と仏門修行とした。


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