竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その13

2009年04月28日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その13

原文 信巾裳成 者之寸丹取
訓読 食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし(13)
私訳 食薦を敷いて、裾を巻く脛裳を外して

脛裳は脛巾裳(はばきも)とも書いて、男性ではゲートルのように袴の裾を纏めるものです。行騰(むかばき)と同じもので、律令の規定では脛裳を使用するのは六位以下の官人です。脛巾や行纏とも書いて同じように「はばき」と読みます。ここで、対象とする万葉集の歌は集歌3825の歌ですが、八首が組みの歌ですので八首を解説した後で、最後にこの歌との説明をします。

長忌寸意吉麻呂謌八首
標訓 長忌寸意吉麻呂の歌八首
集歌3824 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武
訓読 さし鍋に湯沸かせ勢子ども櫟津(いちひつ)の桧橋(ひばし)より来こむ狐(きつね)に浴(あ)むさむ
私訳 さし鍋に湯を沸かせ、勢子たち。櫟津の桧橋から来る狐に湯を浴びせかけてやろう。
右一首傳云、一時衆集宴飲也。於時夜漏三更、所聞狐聲。尓乃衆諸誘奥麻呂曰、關此饌具雜器狐聲河橋等物、但作謌者。即應聲作此謌也。
注訓 右の一首は伝へて云はく、一時(あるとき)に衆(もろもろ)集ひて宴飲(うたげ)しき。時に夜漏三更(さよなか)にして、狐の声聞ゆ。すなわち衆諸(もろひと)が奥麻呂を誘ひて曰はく、此の饌(せん)具(ぐ)、雜器、狐の声、河、橋等の物に関けて、ただ歌を作れといひき。すなわち声に応(こた)へて此歌を作りきといふ。
解説 さし鍋に火鉢(ひばち)と火箸(ひはし)、さらに桧橋(ひばし)。櫟津(いちひつ)と櫃(ひつ)、「コム」と鳴く狐と来(こ)む、浴(あ)むと遭(あ)ふ。の言葉遊びを楽しんでください。また、場合によっては、この宴会に「湯和可世子等」の用字から「世子」に相当する貴族の子弟で長男の人物がいたかもしれません。当然、同じ音ですが召使いの「勢子」と貴族の子弟である「世子」では雲泥の差があります。


詠行騰蔓菁食薦屋梁謌
標訓 行騰(むかばき)、蔓菁(あをな)、食薦(すこも)、屋梁(やのうつはり)を詠める歌
集歌3825 食薦敷 蔓菁煮将来 梁尓 行騰懸而 息此公
訓読 食薦(すこも)敷(し)き青菜(あをな)煮持ち来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて息(おき)しこの君
私訳 食事の食薦を敷いて、少しだけ青菜を煮て持って来い。あそこで梁(うつはり)に行縢(むかばき)を懸(か)けて寝ている奴に。
解説 宴会の途中で寝てしまった人物に対するからかいと、宴会で目にした物の羅列を楽しんでください。なお、「息此公」の「息」は「おき」と読みますから、「懸」と「息」は、声に出して歌を詠う時に「かける」と「おく」という動作で同じ意味を想像させます。また、「息此公」は「おきしこのきみ」の音読みでは、男は起きているようですが、漢字表記では寝ています。これは原文だけでの面白みです。これを「息(やす)みし」と読んでは面白みがありません。

詠荷葉謌
標訓 荷葉(はちすは)を詠める歌
集歌3826 蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
訓読 蓮葉(はちすは)はかくこそあるもの意吉麿(おきまろ)が家なるものは芋(うも)の葉に在(あ)らし
私訳 蓮の葉に乗る仏像はこのように貴くあるべきでしょう。意吉麿の家にある蓮の葉に乗る仏像は里芋の葉に乗ったようなものです。
解説 集歌3837の左注からも宴会での干物を載せた蓮の葉の器からの発想の歌と思いますが、ここでは集歌3828の歌から仏塔のそばで宴会をしているようですから蓮の葉の上に載る仏像を想像しています。当時、役人の家には必ず仏像を安置するようにとの命令が出ていますから、「芋の葉に在らし」と蓮の葉の上に載るものの比較での歌です。芋から妹と読み替えての妻の比較までは、いってはいないと思います。

詠雙六頭謌
標訓 双六の頭(さへ)を詠める歌
集歌3827 一二之 目耳不有 五六 三四佐倍有来 雙六乃佐叡
訓読 一二(ひとふた)の目のみにあらず五六(いろく)三四(みし)さへありける双六の采(さえ)
私訳 出目を見るのは人の二つの目だけではない。深く瞑想の境地にある弥勒菩薩も興味一杯で見たであろう双六のサイコロの出目よ。
解説 宴会の脇で、双六賭博をしているのでしょう。この歌は、それを見ての歌です。サイコロの目を全部詠み込んだ歌ですが、それに人だけでなく深く瞑想の境地にある弥勒菩薩さえも、サイコロの出目に興味があると詠ったのが面白みです。双六のサイコロは二個ですから、出目は二から十二です。一から六では双六の出目にはなりませんので、普段の目にする意訳ではもうひとひねり足りないと思っています。当然、「佐倍」の「さへ」の意味には、「博打での冴え」と「○○さえある」の両方の意味合いがあります。少し、訛りました。


詠香塔厠屎鮒奴謌
標訓 香、塔、厠、屎、鮒、奴(やつこ)を詠める歌
集歌3828 香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
訓読 香(こり)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそふな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)
私訳 好い匂いのする香を塗った貴い仏塔には近寄るな。川の曲がりにある厠から流れる屎を餌に育った鮒でつくった鮒寿司を食べた臭いがきつい女の召使よ。
解説 高貴で好い匂いがするものと、忌避するような嫌な臭いがするものとの対比を楽しんでください。なお、仏教的には女性は仏閣には近寄ってはいけないことになっています。「痛女奴」は、私はきつい裾腋臭のような意味合いではないと理解してます。


詠酢醤蒜鯛水葱謌
標訓 酢、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛、水葱(なぎ)を詠める歌
集歌3829 醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃煮物
訓読 醤酢(ひしはす)に蒜(ひる)搗(つ)きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)
私訳 醤と酢に蒜を混ぜ合わせて鯛で作ったご馳走を食べたいと空想しているのだから、私の目の前に現実に引き戻すような水葱の煮物を持って来るな。
解説 空想での食べたいご馳走と現実に食べている食事のギャップを楽しんでください。


詠玉掃鎌天木香棗謌
標訓 玉掃(たまははき)、鎌、天木香(むろのき)、棗を詠める歌
集歌3830 玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹與棗 本可吉将掃為
訓読 玉掃(たまはき)刈り来(こ)鎌(かま)麿(まろ)室(むろ)の木と棗(なつめ)が本とかき掃(は)かむため
私訳 神聖な玉掃をつくる玉掃の草を鎌で刈り採って来い、そこにいる鎌麿よ。庭の室と棗の木の下を掃除をしたいから。
解説 神事で使用する掃除用具のシンボルとしての高貴な玉掃と実用品の掃除用具の対比と、鎌のあだ名をもつ鎌麿がたまたま宴会にいたようです。この対比と言葉遊びを楽しんでください。

詠白鷺啄木飛謌
標訓 白鷺の木を啄(くは)ひて飛ぶを詠める歌
集歌3831 池神 力土舞可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武
訓読 池(いけ)神(がみ)の力士(りきし)舞(まひ)かも白鷺の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛び渡るらむ
私訳 池神の寺で演ずる男女の力士舞なのだろうか。白鷺が桙で切り落としたものをくわえて飛び渡っていくように、女が男を外へ連れ出しているよ。
解説 力士舞の力士とは金剛力士のこととされ、その力士舞とは美女の呉女を襲う外道の崑崙(こんろん)退治して、その男根を金剛力士が鉾で切り落とし舞う、伎楽の一つです。したがって、力士は仏を守る十二神将の一人を示すことになりますから、池神は寺の所在地ですので、当時の地名で池神、現在の地名で田原本町にあった法起寺のことを示します。現在は池坐朝霧黄幡比売神社と姿が変っていますが、この歌が詠われた当時は大和地方有数の大寺です。
ここで、白鷺を女性の比喩とすると、伎楽の力士舞の演目から「桙啄ひ持ちて」の言葉に女性が男根を持って行く意味合いが生じます。つまり、力士舞の風景とは逆に女性が男性を誘惑して連れ出している風情になります。それで、白鷺が「桙啄持而」しなければいけないのでしょう。酒の乱れの上でのことですが、皆が二人の行動を知っているような雰囲気です。宴会では、この歌の後で二人を指差して笑うような雰囲気です。少し、下世話な話ですが、「後家が男を銜え込む」世界です。


 長忌寸奥麻呂は、万葉集の中でも飛び切り異才を放つ歌人です。長忌寸奥麻呂は、奥麿や意吉麻呂とも表記され、その名前は「ながのいみきおきまろ」と発音するようですが、人物そのものについては不明の人です。なお、長忌寸の「長」を「なか」と読み、「那珂忌寸」と読み替えて、紀伊国那珂郡の人とする説もありますが、実際のところは、一切が不明です。この語呂合わせの発想ですと、人麻呂の歌に出て来る讃岐国那珂川流域の人でも良くなりますし、讃岐国那珂川流域の人とした場合、一世代後になりますが同郷のひとが弘法大師ですので、語呂合わせなら讃岐国も棄てがたいと思います。
 この長忌寸奥麻呂について推定できる最初の作歌活動が持統四年(690)の紀伊国の御幸で、最後が大宝二年(702)十月の持統太上天皇の伊勢・三河国への御幸での捧呈歌です。詔に応じて歌を献上する立場を考えると、持統四年の時点で三十歳を過ぎていたと思われます。しかし、歌の特徴から精神は若いと推定されますので、持統四年の段階では老人ではないでしょう。
さて、長忌寸奥麻呂の歌は、瞬発力が特徴です。その場、その場の状況に合わせ、巧みに言葉遊びを取り入れて歌を詠っています。人麻呂が歌を表現する漢字一字一字を慎重に選んですべての文字に意味を持たせた世界とは違い、奥麻呂は音を基調にした大和言葉の同音異義語の言葉遊びの世界があります。そして、この歌のスタイルは、後世の連歌、狂歌、能・狂言に繋がる、大切なものです。

ここで、紹介した奥麻呂の歌八首は、非常に特異な歌々です。物や事柄を読み込んだ即興の歌ですが、山上憶良の秋の七草の歌とは少し趣が違います。同僚と酒を飲みながらの宴会での即興歌です。それも、宴会の場所には、火鉢には酒を煮るさし鍋が掛けてあるし、屋根の梁には日頃は使わない道中着が掛けてあったりしてますから、下級の役人がたむろするような場所での夜通しの酒宴です。酒を飲む横では双六博打をするような雑多の場です。そして、最後には宴会での女性と男性が二人して闇に消えて行く風情です。この宴会の、季節柄は蓮葉や白鷺から推測して、四月頃でしょうか。
これらの歌から、下級の役人たちが、日頃の憂さを晴らすのにどんな場所で酒宴を開き、どんな内容で宴を楽しんだかが分かる歌ですので、現在のサラリーマンと同じ風景を見て感心してします。なかなか、人間は進歩しないようです。
歌八首は歌自体に技巧が凝らしてありますから、何の気なしに読むと単なる言葉の寄せ集めの歌のように見えるかも知れませんが、大変、手ごたえのある歌です。さらに、これらの歌が酒を飲んでの即興歌であることを、前提にお楽しみください。
人麻呂が漢字・漢語で大和歌を詠った天才なら、奥麻呂もまた即興で歌を詠う天才です。ただ、残念なことに、「何の気なしに言葉の寄せ集め」としてしか読まない人が大勢ですので、多数決では評価されていません。

蛇足ですが、これらの歌八首が同じ宴会での歌としますと、奈良県田原本町の池神にあった法起寺での宴会だったかもしれません。そして、宴会が行なわれたのが、白鷺が巣作りをする頃合の四月八日の仏生会の夜と思われます。この法起寺は聖徳太子ゆかりの大寺で、当時、大寺では四月八日の仏生会の日と夏安居(げあんご)の修行の最終日にあたる七月十五日の伎楽会の日には伎楽を奉納するのが慣わしでした。そして、現存する聖徳太子ゆかりの寺には弥勒菩薩が祭られていますから、法起寺にも弥勒菩薩は祭られていたと思われます。さらに、この池神にあった法起寺は大和川を通じて櫟津のそばでもありますから、歌で詠われている地名や季節が揃ってきます。これらの歌が詠われたと思われる年代は、文武年間から大宝年間の西暦700年前後の春の歌でしょうか。

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