竹取翁と万葉集のお勉強

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類聚歌林に載る歌を鑑賞する 前編

2011年04月10日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
類聚歌林に載る歌を鑑賞する

 ここでは、山上憶良が著した類聚歌林から引用された万葉集の歌を鑑賞します。その万葉集において類聚歌林の記事を直接に引用する歌は、集歌5と集歌6、集歌7、集歌8、集歌10、集歌11、集歌12、集歌17と集歌18、集歌85、集歌202及び集歌1673の歌の十二首ですが、ここでは鑑賞の便宜を図るためにその前後の関係する歌も紹介して、同時に鑑賞します。
 さて、以下に万葉集に載る類聚歌林に関係する歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
 また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。
 参考に、ブログでの掲載順からすると、柿本朝臣人麻呂歌集、高橋連虫麻呂歌集、笠朝臣金村歌集、田邊史福麻呂歌集、古歌集と古集、そして、最後にこの類聚歌林を紹介したことになります。つまり、この類聚歌林を紹介することで万葉集に採録された先行する歌集をすべて紹介した形になります。

幸讃岐國安益郡之時、軍王見山作謌
標訓 讃岐國の安益(やすの)郡(こほり)に幸(いでま)しし時に、軍(いくさの)王(おほきみ)の山を見て作れる謌
集歌5 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨居 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情
訓読 霞立つ 長き春日の 暮れにける 被(かづ)きも知らず 村肝(むらきも)の 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠つ神 吾(わ)が大王(おほきみ)の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり座(ゐ)る 吾が衣手に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば 大夫(ますらを)と 念(おも)へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る 方法(たづき)を知らに 網の浦の 海(あま)処女(をとめ)らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾が下情(したこころ)
私訳 霞が立つ朧げな長い春の一日が暮れて逝った。気持ちを覆い隠すことも知らず、身に潜めた心が痛み、ぬえ鳥のようにひそかに泣いていると、美しい襷を懸けるように山容を彩る、遠くは神であり、今は吾らの大王がお出ましになられた、この山を越す風が、独りで座っている私の袖に、朝夕にひるがえすので、立派な男子と思っているこの私も、草を枕にするような苦しい旅の途中なので、愛しい貴女へ思いを送る方法も知らないので、網の入り江で漁師の娘女たちが焼く塩のように、恋心を焼く。そんな私の心の内です。

反謌
集歌6 山越乃 風乎時自見 寐不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
訓読 山越(やまこし)の風を時じみ寝(ぬ)る夜(よ)おちず家なる妹を懸(か)けて偲(しの)ひつ
私訳 山を越して吹き来る風が絶え間ない。毎晩毎晩、家に残る愛しい貴女を心に懸けて思い浮かべます。
左注 右、檢日本書紀 無幸於讃岐國。亦軍王未詳也。但、山上憶良大夫類聚歌林曰、記曰、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、幸于伊豫温湯宮云々。一書云、 是時宮前在二樹木。此之二樹斑鳩比米二鳥大集。時勅多挂稲穂而養之。乃作歌云々。若疑従此便幸之歟。
注訓 右は、日本書紀を檢(かむが)ふるに讃岐國に幸(いでま)すこと無し。亦、軍王は未だ詳(つまび)らかならず。但し、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「記に曰はく『天皇十一年己亥の冬十二月己巳の朔の壬午、伊豫の温湯(ゆ)の宮に幸(いでま)す、云々』といへり。一書(あるふみ)に云はく『是の時に、宮の前に二つの樹木在り。此の二つの樹に斑鳩(いかるが)・比米(ひめ)二つの鳥大(さは)に集まれり。時に、勅(みことのり)して多くの稲穂を挂けてこれを養ひたまふ。乃ち作れる歌云々』」といへり。若(けだ)し、疑ふらくは此より便(すなは)ち幸(いでま)ししか。

額田王謌 未詳
標訓 額田(ぬかだの)王(おほきみ)の歌 未だ詳(つばびら)かならず
集歌7 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
訓読 秋の野の御草(みくさ)刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治の京(みやこ)の仮(かり)廬(ほ)し念(おも)ほゆ
私訳 (皇位を譲って隠棲した古人大兄皇子は吉野で)秋の野の草を刈り屋根を葺いて住まわれているようです。(古人大兄皇子と同様に皇位を譲って隠棲した菟道稚郎子の伝えられる)石垣を積んで作られた宇治の宮の故事が偲ばれます。
左注 右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、一書戊申年幸比良宮大御謌。但、紀曰、五年春、正月己卯朔辛巳、天皇、至自紀温湯。三月戊寅朔、天皇幸吉野宮而肆宴焉。庚辰日、天皇幸近江之平浦。
注訓 右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむ)がふるに曰はく「一(ある)書(ふみ)に戊申の年に比良の宮に幸(いでま)しし大御歌」といへり。但し、紀に曰はく「五年の春、正月己卯朔辛巳に、天皇、紀(きの)温湯(ゆ)に至る。三月戊寅朔、天皇の吉野の宮に幸(いでま)して肆宴(とよのほあかり)す。庚辰の日に、天皇の近江の平浦に幸(いでま)す」といへり。

額田王謌
標訓 額田(ぬかだの)王(おほきみ)の謌
集歌8 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
訓読 熟田津(にぎたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
私訳 熟田津で朝鮮に出兵するための対策を立てて実行してきたが、全ての出陣への準備が願い通りに整ったし、この遅い月の月明かりを頼って出港の準備をしていたら潮も願い通りになった。さあ、今から出港しよう。
左注 右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑、九年丁酋十二月己巳朔壬午、天皇大后、幸于伊豫湯宮。後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔丙寅、御船西征始就于海路。庚戌、御船、泊于伊豫熟田津石湯行宮。天皇、御覧昔日猶存之物、當時忽起感愛之情。所以因製謌詠為之哀傷也。即此謌者天皇御製焉。但、額田王謌者別有四首。
注訓 右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむが)みて曰はく「飛鳥岡本宮の御宇天皇の元年己丑、九年丁酋の十二月己巳の朔の壬午、天皇(すめらみこと)大后(おほきさき)、伊豫の湯の宮に幸(いでま)す。後岡本宮の馭宇天皇の七年辛酉の春正月丁酉の朔の丙寅、御船の西に征(ゆ)き始めて海路に就く。庚戌、御船、伊豫の熟田津の石湯(いはゆ)の行宮(かりみや)に泊(は)つ。天皇、昔日(むかし)より猶存(のこ)れる物を御覧(みそなは)して、當時(そのかみ)忽ち感愛(かなしみ)の情(こころ)を起こす。所以に因りて謌を製(つく)りて哀傷(かなしみ)を詠ふ」といへり。即ち此の謌は天皇の御(かた)りて製(つく)らせしなり。但し、額田王の謌は別に四首有り。

中皇命、徃于紀温泉之時御謌
標訓 中(なかつ)皇命(すめらみこと)の、紀温泉(きのゆ)より徃へりましし時の御歌(おほみうた)
集歌10 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
訓読 君が代も吾が代も知るや磐代(いはしろ)の岡の草根(くさね)をいざ結びてな
私訳 貴方の寿命も私の寿命も司るという磐代の丘の言い伝えにしたがって、この丘の木の若枝を、さあ結びましょう。

集歌11 吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
訓読 吾が背子は仮廬(かりほ)作らす草(くさ)無くは小松が下の草を刈らさね
私訳 私の愛しい貴方が仮の宿を作る草が無いならば、若々しい小松の下に生える草をお刈りなさい。

集歌12 吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 (或頭云 吾欲 子嶋羽見遠)
訓読 吾(あ)が欲(ほ)りし野島は見せつ底(そこ)深き阿胡根(あこね)の浦の珠ぞ拾(ひり)はぬ (或る頭(かしら)に云はく、吾(あ)が欲(ほ)りし子島(こしま)は見しを)
私訳 私が見たいと思っていた野島を見せてくれましたが、まだ、海の底の深い阿胡根の浦の真珠を手で拾い上げてくれません。
左注 右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、天皇御製謌云々。
注訓 右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむが)がふるに曰はく「天皇(すめらみこと)の御(かた)りて製(つく)らしし謌、云々」といへり。

額田王下近江國時作謌、井戸王即和謌
標訓 額田王の近江國に下りし時に作れる歌、井戸王の即ち和(こた)へる歌
集歌17 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
訓読 味酒(うまさけ) 三輪の山 青(あを)丹(に)よし 奈良の山の 山の際(は)に い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積もるまでに 委(つば)らにも 見つつ行かむを しばしばも 見(み)放(は)けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや
私訳 味酒の三輪の山が、青丹も美しい奈良の山の山の際に隠れるまで、幾重にも道の曲がりを折り重ねるまで、しみじみと見つづけて行こう。幾度も見晴らしたい山を、情けなく雲が隠すべきでしょうか。

反謌
集歌18 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
訓読 三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠さふべしや
私訳 三輪山をこのように隠すのでしょうか。雲としても、もし、情け心があれば隠すでしょうか。
左注 右二首謌、山上憶良大夫類聚歌林曰、遷都近江國時、御覧三輪山御謌焉。日本書紀曰、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、遷都于近江。
注訓 右の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく「都を近江國に遷す時に、三輪山を御覧(みそなは)す御歌(おほみうた)なり」といへり。日本書紀に曰はく「六年丙寅の春三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といへり。

集歌19 綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
訓読 綜麻形(へそがた)の林のさきの狭野(さの)榛(はり)の衣(ころも)に著(つ)く成(な)す目につく吾(わ)が背
私訳 綜麻形の林のはずれの小さな野にある榛を衣に摺り著け、それを身に着けている。私の目には相応しく見えます。私が従う貴女よ。
左注 右一首謌、今案不似和謌。但、舊本載于此次。故以猶載焉。
注訓 右の一首の歌は、今案(かむ)がふるに和(こた)ふる歌に似はず。但し、旧き本には此の次(しだひ)に載す。故に以つてなお載す。

 集歌18の歌での左注の「御覧三輪山御謌焉」の詞に注目すると、歌の作者は倭皇后の可能性がありますが、この「御謌」の意味合いが「御製謌」と同じで「御(かた)りて製(つく)らしし謌」であるならば、倭皇后の思いを額田王が代表して歌に起こした可能性があります。その時、歌の作者は二人いてもおかしくはありません。そうした場合、集歌19の歌の「狭野榛能 衣尓著成」を「榛を衣に摺り著け、それを身に着けている」と解釈しますと、神事等の重要な儀礼で着用する「榛摺り染めの御衣」を着た倭皇后の姿を詠ったものになります。女性一流の、故郷を離れる悲しみと同時に自分の姿が人にどのように見られているかを心配する心を詠ったものとなり、それはそれで、近江國へ下る女性たち一行に相応しい歌です。

磐姫皇后思天皇御作謌四首
標訓 磐姫(いはひめの)皇后(おほきさき)の天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて御(かた)りて作(つく)らしし謌四首
集歌85 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行尓 待可将待
訓読 君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かに待ちにか待たむ
私訳 貴方が帰って往かれてからずいぶん日が経ちました。山路を越えて訪ねて迎えにいきましょうか、それともここで待っていましょうか。
左注 右一首謌、山上憶良臣類聚歌林載焉。
注訓 右の一首の謌は、山上憶良臣の類聚歌林に載す。

集歌86 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物乎
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐(いは)根(ね)し枕(ま)きて死なましものを
私訳 このように貴方の訪れを恋焦がれているよりは、故郷の傍の香具山の麓で死んでしまいたい。

集歌87 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読 ありつつも君をば待たむ打ち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに
私訳 このまま貴方の訪れを待っていましょう。豊かに流れる私の黒髪が霜が降りたように白髪になるまで。

集歌88 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読 秋の田の穂の上(うへ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何処(いつ)辺(へ)の方(かた)に我が恋やまむ
私訳 秋の田の稲穂の上に霧が流れて朝霞のようにはっきり見えない私の恋。いついつも私の貴方を慕う気持ちに休まる場所もない。

或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰はく
集歌89 居明而 君乎者将待 奴婆珠乃 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読 居(い)明(あか)して君をば待たむぬばたまの吾(あ)が黒髪に霜は降るとも
私訳 貴方がいらっしゃるというので、貴方がいらっしゃるまで夜を明かしてでもいつまでも貴方を待ちましょう。待ち続けた私の黒髪が霜が降りたように白髪になったとしても。
左注 右一首古謌集中出。
注訓 右の一首は、古き謌の集(しふ)の中(うち)に出(い)づ

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