竹取翁と万葉集のお勉強

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車持朝臣千年を鑑賞する  養老七年五月の歌 幸于芳野離宮

2011年01月17日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
車持朝臣千年を鑑賞する

 笠朝臣金村歌集と車持朝臣千年とは非常に関連があると思われますので、笠朝臣金村歌集関連歌として万葉集に載る車持朝臣千年の歌を鑑賞します。
 最初に、車持朝臣千年の人物像について説明しますと、その性別を含めて、一切が不明な人物です。同族で同時代人としては従五位上で主税頭に就いた車持朝臣益がいますが、この車持益と車持千年との関係も不明です。
 一部に車持の姓から藤原不比等との関係を取り上げる人もいますが、車持氏は渡来系の氏族と思われる関係上、部民制度から車持公、車持朝臣、車持連、車持首、車持部と多くの氏姓に分かれています。そのため、車持千年が属する車持朝臣一族と車持君国子(娘が与志古、伝承では不比等の母親)とが直接に関係するかも不明です。なお、平安期以降では藤原氏を中心に意図して車持公と車持君とを混同することもありますが、奈良時代の律令体制では姓氏録において「公」と「君」では意味合いが違います。「大臣」と「大使主」との違いと同じで、同じ「キミ」と発音をしますが車持公は皇孫で、車持君は渡来系の酋長です。それで、平安期初期では鏡姫王の伝承が必要です。
 さて、万葉集には車持朝臣千年の歌として長歌二首、短歌二首、異伝短歌二首が載っています。また、車持朝臣千年の伝承を持つ歌が四首、車持氏の娘女の歌として長歌一首、短歌一首、異伝一首があります。従いまして、車持千年が女性であり、車持氏の娘女の歌を含めたとしても長歌・短歌合わせて十三首が万葉集に載るばかりです。また、車持千年の名として詠われる歌は、養老七年五月の芳野離宮への御幸、神亀二年十月の難波宮への御幸と神亀五年の難波への御幸を題材にしたものだけに限られます。ところが、詠われる歌が御幸を題材にしますが奉呈歌の性格を持たないと思われるため、車持朝臣千年の身分や立場が定まりません。
 実に不思議な人物です。
 紹介する歌は、例によって西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。


養老七年五月の歌 幸于芳野離宮
 車持千年は、普段の解説では先に紹介しましたように性別もまた明らかではありません。ここでは、恣意的な意図を持って車持千年を宮中女官として歌を鑑賞していきます。それも、元正天皇のそばに仕えるような若い女官として鑑賞します。

車持朝臣千年作謌一首并短謌
標訓 車持朝臣(くるまもちのあそみ)千年(ちとし)の作れる謌一首并せて短謌
集歌913 味凍 綾丹乏敷 鳴神乃 音耳聞師 三芳野之 真木立山湯 見降者 川之瀬毎 開来者 朝霧立 夕去者 川津鳴奈辦詳 紐不解 客尓之有者 吾耳為而 清川原乎 見良久之惜蒙

訓読 身(み)凍(こほ)り あやに乏(とも)しく 鳴神(なるかみ)の 音(おと)のみ聞きし み吉野の 真木(まき)立つ山ゆ 見(み)降(お)ろせば 川の瀬ごとに 明け来れば 朝霧(あさぎり)立ち 夕(ゆふ)されば かはづ鳴くなべし 紐(ひも)解(と)かぬ 旅にしあれば 吾(あ)のみして 清き川原を 見らくし惜しも

私訳 身を凍らせるにわか雨のおもむきの、そのモノトーンの情景に何とも云えず心がひかれる、その雷神の鳴らす雷鳴を聞くように有名な評判を聞く、その吉野の立派な木々が茂る山から見下ろすと、川の瀬毎に朝が開けてくると朝霧が立ち、夕べになるとカジカ蛙が鳴くでしょう。上着の紐を解きくつろぐこともない御幸の旅路の途中なので、(貴方がいなくて)私独りでこの清らかな川原を見るのが、残念なことです。


反謌一首
集歌914 瀧上乃 三船之山者 雖 思忘 時毛日毛無
訓読 瀧(たぎ)の上(へ)の三船の山は雖(しかれ)ども思ひ忘るる時も日もなし

私訳 激流の上流にある三船の山は、趣があり心を惹かれますが、私は貴方を思い忘れる時も日々もありません。


或本反謌曰
標訓 或る本の反謌に曰はく
集歌915 千鳥鳴 三吉野川之 音成 止時梨二 所思君
訓読 千鳥鳴くみ吉野川の音(おと)成(な)りの止(や)む時無しに思ほゆる君

私訳 多くの鳥が鳴く美しい吉野川の轟きが止む時がないように、常に慕っている貴方です。


集歌916 茜刺 日不並二 吾戀 吉野之河乃 霧丹立乍
訓読 茜(あかね)さす日(け)並(なら)べなくに吾が恋は吉野の川の霧(きり)に立ちつつ

私訳 茜に染まる夕べの日々を重ねたわけでもないが、私の貴方への恋は、吉野の川に霧が立っている(ように行方が見えません)。

右、年月不審。但、以歌類載於此次焉。或本云、養老七年五月幸于芳野離宮之時作。
注訓 右は、年月は審(つばび)かならず。但し、歌の類(たぐひ)を以つて此の次(しだい)に載す。或る本に云はく「養老七年五月に芳野の離宮に幸(いでま)しし時に作れり」といへり。

 集歌914の歌の「雖」は、これだけでは意が取れないとして、普段の「訓読み万葉集」では新たに「畏」の字を作り「雖畏」として、「畏(かしこ)けど」と訓みます。そして、この新たに作歌した反歌の意味に合わせて集歌913の長歌を鑑賞します。ここでは、西本願寺本の原文に忠実に集歌914の歌の「雖」を「雖(しかれ)ども」と訓んでいるために、同じ歌ですが見る景色は違いますし、それに対応して集歌913の長歌の鑑賞も違います。また、集歌913の歌の「味凍」は、漢詩・漢文のような感覚で鑑賞しています。それで、枕詞とはせずに「味凍」を「身を凍らせるにわか雨のおもむき」と鑑賞しています。朝夕に十℃前後まで気温が下がる新暦六月十六日の吉野の梅雨寒の情景です。
 さて、万葉集の編纂では、車持千年の詠う集歌913の長歌に先立って、巻六の巻頭を飾る笠朝臣金村が詠う養老七年(723)五月九日の元正天皇の吉野御幸の折の歌が置かれています。その歌では吉野離宮のことを「三芳野之 蜻蛉乃宮」と詠いますから、雄略天皇の秋津野の故事を引いているものと思われます。そこから、普段の解説の「宮瀧」の地よりも、畝傍神事を含めて神功皇后・応神天皇ゆかりの「阿知賀(あちか)」の地の方が相応しいと思っています。そこで、集歌907 の歌の「神柄加」は吉野の山々の国つ神々よりも、神武天皇・雄略天皇・神功皇后・応神天皇の皇祖ゆかりの意味合いでの「神柄加」でしょう。つまり、養老七年の元正天皇の吉野御幸は、皇祖に重大な何事かを報告するような出来事と思われます。そして、普段の解説では、この御幸は翌年に行われた譲位に関する卜か、報告であろうと推定がなされています。
 ここで、集歌916の歌の左注に注目しますと「右、年月不審。但、以歌類載於此次焉」とありますように、車持千年が吉野御幸で奈良に残る恋人を慕う歌を詠うと、当時の人々は養老七年五月の出来事と思ったようです。或る本には「養老七年五月幸于芳野離宮之時作」と明確に記載してあるとしても、人々が歌の内容で出来事の年代を判断したことが重要です。
 ところで万葉集を編纂するときに、どのような車持千年の伝承があったのでしょうか。

参考歌
養老七年癸亥夏五月、幸于芳野離宮時、笠朝臣金村作謌一首并短歌
標訓 養老七年癸亥夏五月に、芳野の離宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短歌

集歌907 瀧上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓主有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 萬代 如是二三知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 國柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母

訓読 瀧(たぎ)の上(へ)の 三船の山に 瑞枝(みずえ)さし 繁(しじ)に主(ぬし)あり 栂(つが)の樹の いや継ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に かくに御(み)知(し)らさむ み吉野の 蜻蛉(あづき)の宮は 神柄か 貴(たふと)くあるらむ 国柄か 見が欲(ほ)しくあらむ 山川を 清(きよ)み清(さや)けみ うべし神代ゆ 定めけらしも

私訳 急流の上流に見える三船の山に、美しい枝を茂らせた山の主のような栂の樹が、ますます継ぎ継ぎと茂るように、継ぎ継ぎと万代までにこのように統治なされる吉野の蜻蛉の宮は、皇祖である神々が宿る由縁か、貴くあるのでしょう。土地柄か、心を引かれるのでしょう。山や川は清く清々しく、誠に皇祖である神の時代からこの地を吉野の蜻蛉の宮と定めて来たのでしょう。


反謌二首
集歌908 毎年 如是裳見牡鹿 三吉野乃 清河内之 多藝津白浪
訓読 毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内の激(たぎ)つ白浪

私訳 毎年のように、今、私が見るように見ていたのでしょう。吉野の清らかな河内に飛沫をあげる白波は。


集歌909 山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河内者 雖見不飽香聞
訓読 山高み白(しろ)木綿花(ゆふはな)に落(ふ)り激(たぎ)つ瀧(たぎ)の河内(かふち)は見れど飽かぬかも

私訳 山容が高い。白い幣の木綿の花のように白い飛沫を降らす激流の河内は、見ていても飽きることがありません。


或本反謌謌曰
標訓 或る本の反謌の謌に曰はく、

集歌910 神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧河内者 雖見不飽鴨
訓読 神からか見が欲(ほ)しからむみ吉野の瀧(たぎ)の河内(かふち)は見れど飽かぬかも

私訳 皇祖である神々が宿る由縁からか眺めたいと思うのでしょう。吉野の激流の河内は、見ていても飽きることはありません。


集歌911 三芳野之 秋津乃川之 万世尓 断事無 又還将見
訓読 み吉野の秋津(あきつ)の川の万世(よろづよ)に絶ゆることなくまた還(かへ)り見む

私訳 吉野の秋津を流れる川が万世までも絶えることがないように、再び、やって来て眺めましょう。


集歌912 泊瀬女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開来受屋
訓読 泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふはな)み吉野の瀧(たぎ)の水沫(みなわ)に咲きにけらずや

私訳 泊瀬女が造る木綿の花よ。その白い木綿の花が、吉野の激流の飛沫に咲いているのでしょうか。


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