竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 竹取翁の長歌 もじり歌紹介 3/4

2009年04月12日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 竹取翁の長歌 もじり歌紹介 3/4

 竹取翁の歌の内の長歌 集歌3791の説明です。

食薦(しきむも)なす 脛裳(はばき)に取らし(13)
私訳 食薦を敷いて、裾を巻く脛裳を外して
説明 脛裳は脛巾裳(はばきも)とも書いて、男性ではゲートルのように袴の裾を纏めるものです。行騰(むかばき)と同じもので、律令の規定では脛裳を使用するのは六位以下の官人です。脛巾や行纏とも書いて同じように「はばき」と読みます。

訓読 食薦(すこも)敷(し)き青菜(あをな)煮持ち来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて息(おき)しこの君

説明 脛裳が行騰と同じゲートルのように脛に巻く布の意味から、集歌3825の歌を取っています。なお、この歌を詠った長意吉麻呂は、万葉集での即興歌のジャンルの第一人者です。なお、歌では食薦を「しきむも」と訛ってしまいました。この集歌3825の歌は、ある節会の夜の宴で詠われた即興歌八首の内の一首です。


醜屋(しきや)に経(ふ)る(14)
私訳 粗末な小屋で時が過ぎて行って

(読み人知れず)
訓読 さし焼かむ 小屋(をや)の醜屋(しきや)に かき棄(う)てむ 破薦(やれこも)を敷(し)きて 掻き折らむ 醜(しこ)の醜手(しこて)を さし交(か)へし 宿(しき)ます君ゆゑ 茜(あかね)さす 昼は終(しめら)に ぬばたまの 夜(よひ)は過(し)がらに この床の ひしと鳴きさふ 嘆きつるかも

説明 醜屋に恋人と時を過ごす歌を見つけて来ました。巻十三の集歌3270の歌は「し」の音を集めた宴会での「音」の遊びの歌です。そして、返歌は「わ」の音です。巻十三は、古今の神事、恋歌から挽歌までの雑多な長歌の巻で、万葉集のために長歌を採歌した時の資料集のような形態をしています。


否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに(15)
私訳 求婚を拒む娘女だろうか 夜に娘女の許を訪れているのに

(田辺福麻呂歌集)
過葦屋處女墓時作謌一首并短謌
訓読 古(いにしへ)の 健(ますら)壮士(をとこ)の 相競(きほ)ひ 妻問ひしけむ 葦屋(あしのや)の 菟原(うなひ)処女(をとめ)の 奥城(おくつき)を 我が立ち見れば 永(なが)き世の 語りにしつつ 後人(のちひと)の 偲(しの)ひにせむと 玉桙の 道の辺(へ)近く 磐構(いわかま)へ 作れる塚を 天雲の そくへの限(かぎ)り この道を 去(い)く人ごとに 行きよりて い立ち嘆かひ ある人は 啼(な)くにも哭(ね)つつ 語り継ぎ 偲(しの)ひ継ぎくる 処女(をとめ)らが 奥城処(おくつきところ) 吾さへに 見れば悲しも 古(いにしへ)思へば

説明 歌に二人の男の求婚に板挟みになった娘女の姿を見ています。一方、万葉集には、女の許を夜這った後で二人の男がその女を争って、女が恋の板挟みのために死んだ歌は二首あります。それが、菟原処女墓歌と葦屋処女墓歌です。その歌で女の許に夜這ふ「妻問ひ」の表記は、集歌1809の高橋連虫麻呂の菟原処女墓歌は「須酒師競相結婚」の表記ですが、田辺福麻呂の葦屋処女墓歌は「各競妻問為祁牟」です。そこで、歌の「妻問」と同じ表記で集歌1801の歌を選んでいます。田辺福麻呂は高橋連虫麻呂より少し後の時代に位置するようです。


我れに来なせと 彼方(をちかた)の 挿鞋(ふたあやうらくつ)(16)
私訳 私の許に来なさいと恋人を誘う、彼方に居る皇太子
言葉の説明 「二綾裏沓」は、裏まで綾で作られた沓で天子の履物の意味。挿鞋(そうかい)と云う。

訓読 大名児(おほなご)を彼方(をちかた)野辺(のへ)に刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も吾(わ)れ忘れめや

説明 二綾裏沓を挿鞋と解釈してその意味に従い、皇太子で「彼方」と詠う歌を見つけてきました。この歌は、皇子自身が詠った歌でしょう。大津皇子の歌とされるような献歌ではないと思っています。天武天皇の浄御原宮での歌です。


飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め忌(い)み(17)
私訳 飛鳥の明日香宮の男だろうか、眺めるのを避けている

訓読 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ

説明 明日香の壮士だろうか。と疑問形の歌と解釈して、飛鳥の明日香壮士が明日香の里を残念に眺める歌を見つけてきました。明日香藤原宮から奈良平城京への遷都の時とすると、万葉集「奈弖之故」の区切りとなる歌です。


烏皮履(くりかわのくつ) 差(さ)し佩(は)きし(18)
私訳 烏皮履の沓を履く大夫が太刀を腰に着けて
言葉の説明 「縫為黒沓」は黒く塗った皮製の浅沓で烏皮履(うりひ)という。大夫(殿上人)の履物の意味。

訓読 剣太刀(つるぎたち)身に佩き副(そ)ふる大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ

説明 奈良時代に「皮を縫った黒い沓」を烏皮履の沓といい、大夫が履く沓です。その大夫が腰に刀を差し佩く歌を探してみました。そして、舎人皇子を思い出させます。


庭たつすみ いたな立ち(19)
私訳 庭にあふれる水を大げさに振舞う

訓読 はなはだも降らぬ雨故(ゆゑ)にはたづみいたくな行きそ人の知るべく

説明 歌の風景と同じ情景の歌を万葉集から探して見ました。それが、集歌1370の歌です。調べると、ちょと歴史的に奥が深い歌です。


禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて(20)
私訳 男性との交際を禁じられた娘女だろうか、おぼろげに聞いて

訓読 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 念(おも)ひ居れか 栲縄(たくなは)の 長き命を 露こそば 朝(あした)に置きて 夕(ゆふへ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝(あした)は 失(う)すといへ 梓弓 音(おと)聞く吾も 髣髴(おほ)に見し こと悔しきを 敷栲の 手枕(たまくら)まきて 剣刀(つるぎたち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その嬬(つま)の子は 寂(さぶ)しみか 念(おも)ひて寝(ぬ)らむ 悔しみか 念(おも)ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露の如(ごと) 夕霧の如(ごと)

説明 飛鳥奈良時代に男性と交際を禁じられたのが采女の女性です。その神事に従事する采女が掻き鳴らす神寄せの梓弓の音を髣髴に聞きました。


我れに来なせと 水縹(みずはだ)の 絹の帯を 引き帯(び)なし 韓(から)を帶に取らし(21)
私訳 私の方に来なさいと水色の絹の帯を引き戻す帯として、韓国(からくに)を帯で絡め取って

訓読 遠人(とほつひと)松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)夫恋(つまこひ)に領巾(ひれ)振りしより負(お)へる山の名
訓読 山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領巾(ひれ)を振りけむ
訓読 万世(よろづよ)に語り継げとしこの岳(おか)に領巾(ひれ)振りけらし松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
訓読 海原(うなはら)の沖行く船を還(かへ)れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
訓読 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋しくありけむ松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)

説明 歌に外国に海を越えて赴く夫を領巾で引き寄せる女性を見ました。その情景に合わせて、万葉集から歌を拾って見ました。集歌0871の歌は標と和歌が一体となり、後の伊勢物語の世界につながるものです。なお、歌の「韓を帶に取らし」は欽明二十三年の調吉士伊企儺の妻の大葉子が韓国から救助の領巾を振り、その救助に向かった大伴連狭手彦の伝説を元にしています。


海若(わたつみ)の 殿(あらか)の盖(うへ)に(22)
私訳 海神の宮殿の上に

(読み人知れず)
詠水江浦嶋子一首并短謌
訓読 春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船の とをらふ見れば 古(いにしへ)の 事ぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦島(うらしま)の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海若(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向ひ 相(あひ)眺(あとら)ひ 言(こと)成しかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海若(わたつみ)の 神の宮(みや)の 内の重(へ)の 妙なる殿(あらか)に 携(たづさ)はり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚人(おろかひと)の 吾妹子に 告(つ)げて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 吾は来(き)なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 墨吉(すみのへ)に 還り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 恠(あや)しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に 垣もなく 家滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺(とこよへ)に 棚引(たなび)きぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反(こひ)側(まろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(かう)せぬ 若くありし 膚も皺(しわ)みぬ 黒(ぐろ)かりし 髪も白(しろ)けぬ ゆなゆなは 気(き)さへ絶えて 後(のち)つひに 命死にける 水江(みづのへ)の 浦島の子が 家地(いへところ)見ゆ

説明 歌の言葉を万葉集の歌に求めて見ました。「わたつみ」の「海神」を「海若」と同じ読みの漢字に変え、殿は「との」でなく「あらか」と読んでいます。集歌1740の歌は、民間の伝承の歌謡を採歌して長歌として形を整えたものですが、後の浦嶋太郎の物語につながる重要な歌です。

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