竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  歌の遊び 六+七+六+九の末は二十八

2010年12月11日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
歌の遊び 六+七+六+九の末は二十八
 高橋蟲麻呂は、鹿嶋郡の苅野の橋で船に乗り奈良の京へと帰って行く大伴旅人を見送ったようです。集歌1780の歌は、この別れの前日に送別の宴が持たれた時の歌でしょうか。高橋蟲麻呂と大伴旅人とは歌人としての波長が合ったようで、そのため、長歌の集歌1780の歌はひどく大仰ですし、集歌1781の歌は数字遊びを取り入れた惜別の歌となっています。歌からは、高橋蟲麻呂が大伴旅人に随行して関東の各地を旅をして、その折に知的会話が弾んだような、そんな景色が想像できます。

鹿嶋郡苅野橋別大伴卿謌一首并短謌
標訓 鹿嶋郡(かしまのこほり)の苅野(かるの)の橋にして大伴卿に別れたる謌一首并せて短謌

集歌1780 牝牛乃 三宅之酒尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纒之 小梶繁貫 夕塩之 満乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈居而 反側 戀香裳将居 足垂之 泣耳八将哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者

訓読 牝牛(ちちうし)の 官家(みやけ)の坂に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小船(をふね)を設(ま)け 玉(たま)纏(まき)の 小梶(をかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 満ちの留(とど)みに 御船子(みふなこ)を 率(あとも)ひ立てて 喚(よ)び立たてて 御船(みふね)出(い)でなば 浜も狭(せ)に 後れ並み居て 反(こい)側(まろ)び 恋ひかも居(を)らむ 足(あし)垂(たり)の 泣(な)くのみや哭(ね)かむ 海上(うなかみ)の その津を指して 君が漕ぎ帰(い)かば

私訳 乳を採る牝牛を飼う官家のある坂に向かい立つ鹿島の崎に、丹を塗った官の使う小船を用意して、小さな梶を艫に取り付けて、夕潮が満潮になり、御船の水手達を引き連れ立て、呼び立てて、御船が出港すると、浜も狭いほどに後に残される人たちは並んで居て、悲しみに転げまわって貴方のことを慕うでしょう。寝転びて足をバタバタして泣くだけして貴方との別れを恨むでしょう。下総海上にある、その湊を目指して貴方が乗る船が漕ぎ行くと。

反謌
集歌1781 海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八
訓読 海(うみ)つ路(ぢ)の和(な)きなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや

私訳 海路を行くに凪である時を択んで渡るでしょう。このように波立っている波間に船出をするべきでしょうか。

右二首、高橋連蟲麻呂之謌集中出。
注訓 右の二首は、高橋連虫麻呂の謌集の中に出づ。

 なお、万葉集にはこの歌の情景を引き取ったかのような歌があります。それがつぎの巻七に載る二首です。普段の解釈とは変えて、集歌1780の歌が詠われた宴での歌として解釈してみました。こんな解釈も成り立つと思います。

集歌1174 霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜将行 戀敷物乎
訓読 霰降り鹿島の崎を浪高み過ぎてや行かむ恋しきものを

私訳 霰が降って鹿島の岬を波が高いとして行き過ぎていくべきでしょうか、後ろ髪が引かれるのに。


集歌1176 夏麻引 海上滷乃 奥津洲尓 鳥簀竹跡 君者音文不為
訓読 夏(なつ)麻(そ)引く海上(うなかみ)潟(かた)の沖つ洲(す)に鳥はすだけど君は音(おと)もせず

私訳 夏の麻を引き抜き績(う)む、その海上潟の沖の洲に鳥は集まり騒ぐけども、貴方は音沙汰もない。(貴方はこの宴で歌も詠わないし、詩も著さない)


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