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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 丗六 女性の恋文を鑑賞する

2013年09月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 丗六 女性の恋文を鑑賞する

 今回はネットから拾った女性が残した恋文を鑑賞して行きたいと思います。このブログの趣旨から女性が残した恋文と云っても近世や現代のものは対象外です。近々のものでも平安時代中期から鎌倉時代までです。
 なぜ、近々でも平安時代中期から鎌倉時代までかと云うと、ここのブログの趣旨に関係することと、実際面において恋文の記録と云うものを調査してみますとネット上では女性が残した恋文についてはそれほど蓄積されていません。そのために検索や資料収集に問題があることに由来します。
 『古今和歌集』や『新古今和歌集』に載る女流歌人の「恋歌」のジャンルの歌を、特定の男性への恋歌、つまり、恋人への恋文と考えているものがありますが、それらの歌は特定の男性を想定して詠った歌ではなく、歌会などで与えられた「恋」と云うテーマに添った歌です。つまり、それは職業歌人や有名歌人が人々の要望や期待に応えた歌であって、現実の恋愛関係や感情を下にした歌とは云えないものです。逆に『万葉集』を鑑賞される御方は良く御存知のように、『古今和歌集』や『新古今和歌集』の作歌事情から、時に、万葉集歌に対する虚構説が説かれます。これは、『古今和歌集』以降の歌々が虚構であることに由来します。およそ、このような背景があるために女性から男性へと贈った恋文を調べることは大変なのです。
 この大変と云う背景には社会の慣習と時代性も一因します。およそ、男女の間に恋文が交わされるには、相互に性別を超えた個々の人間としての自立性を認めている社会の存在が前提です。女性に個々の人間としての自立性がない社会では、一般論として恋文と云うものは存在しません。例えば、婚姻形態が売買婚や媒酌婚の場合、婚姻対象となる女性が相手となる男性に対して恋愛感情を持つか、持たないかを尊重するような価値観は存在しません。イメージとして、現代のイスラム社会の婚姻形態があります。異性との接触は家族内だけに許される社会道徳規律では、若い男女において婚姻や恋愛対象となる異性との接触機会は存在しませんから、恋文を贈ると云う機会自体が存在しません。確かに可能性として、婚約後や婚姻後に愛情表現として恋文を贈る可能性はありますが、それが社会一般的なものかと云うと違うのではないでしょうか。同様な風習は儒教の影響が強い時代の東アジアでも見られるものです。従いまして、女性の婚姻における選択性や自主性を認めない、そのような社会では女性から男性へ恋文を贈ると云う風習は育たないと考えます。なお、西欧については非常に複雑ですから考察の対象から外しています。
 およそ、男女が相互に恋文を贈るには、次のような条件が満たされる必要があると考えます。
 相手を見知っている(噂話や紹介も含む)
 相手の住所を知っていて、届ける手段がある
 相互に感情を表す文章表現方法と読解能力を持っている
 婚姻や性交渉に女性の了承を必要とする
 女性に恋愛に対する拒否権がある

 ここに恋文を贈ることが成立する条件を提示しましたが、その条件に反して儒教の影響が強い時代の東アジアでも例外的に女性が男性へ恋文を贈ることがあります。その例外的な事例が民妓楼(遊郭)に住む女性が男性に贈るものです。
 最初に唐末の時代に魚玄機と云う女性から男性に出された恋文を紹介します。この魚玄機は唐代の高名な妓女で、主人となる李子安との縁が切れることを恐れて、この詩を作り贈ったとされています。参考に日本語では「恋文」と云いますが中国などの漢字圏では「情書」と云い、当然のこと、それは漢詩や漢文です。

情書(書情寄李子安) 情書 (情書を李子安に寄す)
飲冰食檗誌無功 冰(ひょう)を飲み檗(きはた)を食ふも誌(しるし)に功なく
晉水壺關在夢中 晉水(しんすい)の壺關(こかん)は夢中に在り
秦鏡欲分愁墮鵲 秦鏡(しんきょう)分たんと欲するも墮鵲(だじゃく)を愁ひ
舜琴將弄怨飛鴻 舜琴(しゅんきん)弄(ろう)せんと將(す)るも飛鴻(ほうこう)を怨む
井邊桐葉鳴秋雨 井邊(せいへん)の桐葉(とうよう)は秋雨に鳴り
窗下銀燈暗曉風 窗下(そうか)の銀燈(ぎんとう)は暁風(ぎょうふう)に暗し
書信茫茫何處問 書信(しょしん)茫茫何れの處にか問はん
持竿盡日碧江空 竿を持つこと盡日(じんじつ)なるも碧江(へきこう)空し

(現代語訳)
李子安さまへ私の愛しい気持ちを書に寄せます
冷たい氷を口に含んでも、苦いキハダを口に入れても、貴方に恋文を贈る気持ちを消すことが出来ず、貴方と過ごした晋水、壺関での想い出が夜毎の夢に出て来ます。
全ての心の内を映すという秦鏡の故事ではありませんが貴方への想いを断とうとしても、年に一度しか逢えない彦星と織姫との縁を繋ぐ天の川のカササギが作る橋が落ちてしまうことを恐れるように、完全に貴方との縁が切れてしまうのは怖いのです。
古代舜の時代から南風の中に琴を弾き太平を楽しむと云いますが、私の気持ちは貴方の許へと大鳥が行きたい処へ自由に飛んで行くのを恨むばかりです。
井戸のあたりに植えられている夫婦の象徴である青桐の葉は秋雨に打たれて音を立てながら今にも散りそうですし、窓の近くに置いてある燭火も夜明け前の風に消えそうです。
貴方からの便りはあやふやですが、貴方はどちらに御手紙を贈られたのでしょうか。希望を持って魚書の例えに因んで毎日、釣竿を垂れていますが、でも、その故事と違って碧江は何も答えてくれません。

 このように魚玄機は故事などを織り込み格調高く、逢いたい、そして、手紙も欲しいと訴えます。参考に中国の婚姻形態では家と家とを繋ぐ媒酌婚で正妻を定め、その正妻の下に妾や妓女たちを置きます。このとき、日本の妾が別邸に住むのと違い、中国では同邸宅内での同居形態を取ります。この生活形態の下、魚玄機はその正妻との確執により李子安の許を追われ、最後には縁が切れてしまいます。
 次に薛涛(せつとう)が詠う「春望詞」を紹介します。この薛涛もまた唐代の有名な妓女で、その漢詩を作る能力などから、魚玄機を含めて「詩妓」と云う特別な呼称を与えられています。この「春望詞」は縁が切れかけた主人を引き留めるために詠われた歌とも、妓女たちの気持ちを代表した詩とも評価されています。

春望詞 四首 薛涛(唐) 春の眺めの詞(うた) 四首 薛涛
其一
花開不同賞、花落不同悲 花開くも同(とも)に賞せず、花落つるも同(とも)に悲しまず
欲問相思處、花開花落時 問わんと欲す相(あい)思(おも)ふ処、花開き花落つるの時
其二
攬草結同心、將以遺知音 草を攬(と)りて同心を結び、将に以て知音に遺らんとす
春愁正斷絶,春鳥復哀吟 春の愁ひの正に断絶して、春鳥復(また)哀吟す
其三
風花日將老、佳期猶渺渺 風花日に将に老いんとするに、佳期猶ほ渺渺(べうべう)たり
不結同心人、空結同心草 同心の人を結ばずして、空しく同心の草を結ぶ
其四 
那堪花滿枝、翻作兩相思 花枝に満つるを那(なん)ぞ堪えむ、両相の思ひを翻(ふたた)び作(な)さむ
玉箸垂朝鏡、春風知不知 玉箸は朝鏡に垂(た)れ、春風知るや知らざるや

(現代語訳)
其一
花が咲いても一緒に楽しむこともならず、花が散る逝くときも残念に思う心を共に出来ません。
この思いを共に出来る処があったら教えて下さい。このように花が咲き、花が散り逝くときに。
其二
草花を摘み貴方のように風流を楽しむ気持ちをその草花に結び、風流を楽しむ貴方の許に送りましょう。
春の愁いはまさに極まり、春の鳥は今年もまたひそやかに啼いています。
其三
風に花びらが舞い、時は過ぎて行きますが、貴方との楽しい日はまだ遠い先でしょうか。
風流を共にする貴方と気持ちを結ぶことなく、私はただ独り空しくこのように風流を楽しんでいます。
其四
花が枝に満ちるこの時をどうして耐えられましょう、ねえ、二人が共に風流を楽しんだ時を再び過ごしましょう。
頂いた美しいカンザシは、朝、化粧をする鏡の中に揺れ、その時の私の想いを春風は、さて、知っているのでしょうか。

 唐代の女流歌人の作る恋文を紹介しましたが、これらの女性は詩妓と称されるように科挙に合格した役人や士大夫階級が行う宴に侍り、そのような教養ある男性に伍して風流を行う人々です。ただ、このような女性の多くは自身が売買や贈呈の対象とされるような自己の意思を持つことを許されないの身分が大半です。
 儒教の影響が強い東アジアでは、婚姻は家と家との結びつきを基本とした媒酌婚で正妻を娶り、その正妻の配下に性奉仕を基本とする売買婚や奉公人としての妾や妓女等を置く形態を取ります。また、時に贈答品として妓女を養うこともしています。この社会風土のため、相互の恋愛感情を下にする恋文を作る社会風習は育ちません。
 しかしながら、その時代、唯一、儒教の家族制度の外に位置する民妓楼(遊郭)の高級な妓女だけが自由恋愛や自己表現を行うことが許されていました。この薛涛の生家は下級役人階級であったとされていますから、薛涛は自己の持つ文学才能を認識して自ら妓女という立場を選択したと思われます。当時、高級妓女として十分な資産を有する女性は客を選択するという行為で自由恋愛をすることが可能ですし、そこから発展して恋愛で選んだ資産家の男に囲われること(=疑似恋愛婚)を理想としたとされています。
 その妓女として成功し社会的に自立していた薛涛は、ある時、役人であり、詩人であった元と云う男性に出合い、次のような恋文を贈っています。詩の末句「同心蓮葉間」は長命を祝う「蓮葉の宴」の比喩とし、そこでは死ぬまで貴方の傍に居たいと云う感情を表しています。このように情熱的に恋文を贈った薛涛ですが、歴史は薛涛と元とは一時の恋のままに終わったと伝えています。立場上、薛涛が正妻になると云う可能性はありませんし、薛涛が元の正妻の支配下に置かれることを良しとするも難しいと思います。

池上双鳥、 池の上(ほと)りに双(ふた)つの鳥
双栖緑池上、朝暮共飛還 双(とも)に池の上りの緑に栖み、朝暮共に飛び還える
更忙将趨日、同心蓮葉間 更に忙(おちつ)かず日は趨(すす)まんとし、同心は蓮葉の間

 最初に中国唐時代の女性が作る恋文を紹介しました。次に日本の鎌倉時代のものを紹介しようと思います。赤裸々な恋愛物語で有名な『とはずかたり』から、雪の曙と作者である後深草院二条との恋文交換となる和歌を紹介します。この『とはずかたり』の世界とは実話と創作との中間ではないかとされていますが、紹介する相聞歌はほぼ現実に交わされた恋の和歌ではないでしょうか。日本では文章ではなく、恋の和歌を結び文にし、花枝や趣きある品に添えて相手に贈るのが恋文の習いですから、この歌々は当時、実際に交わされた恋文となります。
 歌の背景は少し複雑です。作者であり主人公の二条は幼い時に後深草院の養女として引き取られています。その二条は初潮を見る前の十四歳頃にどうも雪の曙との間に男女の関係を結んだようです。その後、正式に初潮を見て成女となった二条は裳着の儀式を経て、その儀式の夜、長く二条の裳着を待ちわびていた後深草院からすぐさま寵愛を受けます。その直後、雪の曙から二条の許に和歌を添えた豪華な衣装が贈られて来ました。歌はその時のものです。従いまして、これらの歌は複雑な立場での二人の恋仲を確認する恋文となります。
 この雪の曙は西園寺実兼ではないかと推定され、複雑な政治情勢であった南北朝の鎌倉時代、京都の貴族と鎌倉の武士との間で調整役を果たした有力な政治家であり、和歌や琵琶の風流人でもあったと伝えられる人物です。このとき、雪の曙と二条とは年齢的では二十二歳ほど、離れた関係となります。

雪の曙
つばさこそ重ぬることのかなはずと着てだに馴れよ鶴の毛衣
後深草院二条
よそながら馴れてはよしやさ夜衣いとど袂の朽ちもこそすれ
雪の曙
契りおきし心の末の変はらずはひとり片敷け夜半の狭衣

 次に紹介するものは平安時代に作られた『蜻蛉日記』に載る後に摂政を務めた藤原兼家と作者藤原道綱母との妻問い前の相聞歌です。つまり、兼家は一生懸命に藤原道綱母なる女性を口説いている時の恋文とその返事です。この時の状況を説明しますと、本人以外の女家族全員は藤原兼家が妻問うことを許しており、既に返事を出すのを渋る藤原道綱母に為り変わって歌を返すようなことをしています。その妻問う前に兼家がこれから妻問う女性本人からの返歌を求めた時の相聞です。ただし、この時、兼家には清和天皇の孫である源兼忠の娘(四世王格)が正妻として嫁いでいましたから、格式では藤原道綱母は下となります。そのためか、藤原道綱母の返歌は気位の高いものとなっています。

藤原兼家
鹿の音も聞こえぬ里に住みながらあやしくあはぬ目をもみるかな
藤原道綱母
高砂の小野辺(をのへ)わたりに住まうともしか醒(さ)めぬべき目とは聞かぬを

藤原兼家
逢坂の関や何になり近けれど越えわびぬれば嘆きてぞふる
藤原道綱母
越えわぶる逢坂よりも音に聞く勿来(なこそ)をかたき関と知らなむ

 さて、ご存知のように『源氏物語』は物語本ですから、ここから恋文歌として相聞恋歌を取る訳にもいきません。また、『古今和歌集』などの平安時代の和歌集には「恋歌」のジャンルはありますが、恋をテーマにした男女の「相聞歌」となるものはありません。それらの歌集に載る恋歌は、作歌での約束の中での想像の歌であって、現実に相手の顔や姿を心に浮かべて作歌したものではありません。逆にそれが歌会歌のルールです。ですから、その約束の世界から抜け出すために平安時代の女性たちは、恋する相手の顔や姿を心に浮かべて「日記」や「物語」を作らなければならなかったのでしょうし、紫式部たちが理想とする恋愛の歌が載る『万葉集』、それも人麻呂歌集に載る相聞歌を愛した所以かもしれません。感覚として平安女性たちは人麻呂歌集に男女の本当の恋愛を見たと想像します。
 そうした点では、万葉時代の女性が、一番、自由であったかもしれません。一つには妻問い婚の風習から家産は女系相続が基本でしたし、子は母親だけでなく、その女系家族全体で育てるのが基本です。そして、日本の良さは儒教を上辺だけで取り入れ、社会に取り入れなかったことにあります。そのため、女性が教育を受けることに対し社会的な忌諱は無く、女性の漢字・漢文に対する障害は無かったようです。現在もなお平仮名が女手と云うように漢字・漢文に弱い女性向けの文字であるとの迷信がありますが、清少納言や紫式部の時代、『紫式部日記』にも載るように宮中女房に抜擢されるような女性は漢字・漢文の素養は必修でしたし、男性以上に使いこなせる女性はたくさんいました。また、そうでなければ、宮中行事の式次第や変体仮名で書かれた日常での文章は読めませんし、古典文学もまた読めません。それ以前であれば、平仮名と云う文字はまだありませんから、宮中女房生活をするのであれば、漢字・漢文の識字能力を欠くことはできません。つまり、万葉時代、都市生活を送る貴族階級の女たちには恋愛を謳歌する素地は整っていたのです。この背景からか、女性が漢字・漢文の素養を持つ分、日本では後宮秘書や庶務に宦官のような特殊な男性を用意する必要はありませんでした。
 このような時代の恋文を『万葉集』の中から紹介します。歌は相聞歌の中でも特に問答と分類されるような男女の二首相聞の恋歌で、相思相愛の男女が交わす和歌の恋文です。
 最初は人麻呂歌集から紹介します。歌に示すように男女は相思相愛の関係ですが、女性は宮中女官ですし、男性は朝廷に出仕する官人です。日々、逢える状況でもありませんし、同居する仲でもありません。そうした時、歌は雰囲気的に若い男女の会話のような恋文の様相を見せています。まず、宴などで披露する歌ではありません。

集歌2508 皇祖乃 神御門乎 衢見等 侍従時尓 相流公鴨
訓読 皇祖(すめろき)の神し御門を衢(みち)見しと侍従(さもら)ふ時に逢へる君かも
私訳 皇祖の神の御殿で、通路を見張るためにお仕えしている時の、その時だけに、お目に懸かれる貴方ですね。
注意 原文の「衢見等」の「衢」は、一般に「懼」の誤字として「懼(かしこ)みと」と訓みます。ここでは原文のままに訓んでいます。

集歌2509 真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣渕乃 隠而在孋
訓読 真澄鏡(まそかがみ)見とも言はめや玉かぎる石垣淵(いはがきふち)の隠(こも)りし麗(うるわし)
私訳 見たい姿を見せると云う真澄鏡、その鏡に貴女の姿を見て、逢ったと語れるでしょうか。川面輝く流れにある岩淵が深いように、宮中の奥深くに籠っている私の艶やかな貴女。

 次に紹介する歌は先の人麻呂歌集の二首相聞歌より、男女の関係は進んでいる雰囲気があります。仮に宮中での宴で交わされた歌としても、女性は非常に男性に対して好意を抱いていますから、この歌が交わされるまで恋仲でなかったとしても、その夜の男女関係が想像出来そうな女性からの返歌ですし、応諾歌の雰囲気があります。

集歌2812 吾妹兒尓 戀而為便無 白細布之 袖反之者 夢所見也
訓読 吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲し袖返ししは夢(いめ)そ見えきや
私訳 愛しい貴女に恋しても逢えず、どうしようもないので、白い栲の夜着の袖を折り返して寝たのを、貴女は夢にきっと見えたでしょう。

集歌2813 吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有
訓読 吾(あ)が背子(せこ)し袖返す夜し夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし
私訳 私の愛しい貴方が白い栲の夜着の袖を折り返した夜の夢なのでしょう。だから、まるで、夢の貴方は実際にお逢いしたようでした。

 最後になりますが、次の歌を紹介します。歌は親密で長い男女関係が前提です。昨日今日の関係ではありません。どこかの宴で詠われた歌としても、女性は男性の歌に対して、貴方と私とは昨日今日の関係ではないけれど、艶聞豊富な貴方は私との間が御無沙汰ですよと、詠っていますから、先の歌と同じように女性が相手の男性に対して持つ好意を想像させます。
 一見、しっぺ返しのようですが、男性の歌は襟元から覗く色を見たのか際どいのですが通り一遍のようにも窺え、女性との関係の深度までは詠っていません。ところが、女性が詠う返歌は閨での二人の行為を想像させるようなものですし、今、襟元から覗かせている色と閨で見せる色とは違うことを匂わせています。そこには、その夜の二人がどのようになったかを想像させるものがあります。

集歌2828 紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
訓読 紅(くれなゐ)し濃(こ)染(そめ)の衣(きぬ)を下し着(き)ば人し見らくににほひ出でむかも
私訳 貴女の紅色に濃く染めた衣を下に着たら、人が私の姿をじっと見つめる時に、その下着の色が透けて見えるでしょうか。

集歌2829 衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
訓読 衣(ころも)しも多くあらなむ取り替へに着ればや君し面(おも)忘れたる
私訳 下着と云っても、それをたくさん持っているからでしょうか。後朝の別れに下着を取り換えて着た貴方ですが、相手の女性の面影(=交換した下着の色)を忘れていますよ。

 参考として、一見、男女の恋の相聞歌のようですが、そうではない歌を紹介します。次の歌は宮中か、貴族の邸での宴に詠われた歌と思われます。ただし、現代語訳が示すように、宴会で男性が女性に対して「紐」と云う言葉が持つ男女関係での約束事から「貴女と私は夜を共にする仲」を前提に歌を詠い掛けていますが、対する女性はその「紐」を男女関係の約束事を示す言葉ではなく、物理的な物として歌を詠い返歌としています。歌は男性の歌に対して、女のたしなみとして裁縫道具は持っているが、貴方とは恋仲では無いと頓知で遣り込めた形となっています。宴では、ここで大笑いとなるようなもので、宴の後のその二人の関係を予感させるものではありません。そこが、先に紹介した相聞の恋歌との違いです。ちょっとこれでは恋文にはなりません。

中臣朝臣東人贈阿倍女郎謌一首
標訓 中臣朝臣東人の阿倍女郎に贈れる歌一首
集歌515 獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣
訓読 独(ひと)り宿(ね)て絶えにし紐をゆゆしみと為(せ)むすべ知らに哭(ね)のみしぞ泣く
私訳 今、独りで夜を過ごし、貴女との夜の営みが絶えていると、貴女と操を誓ったのに取れてしまった衣の紐がはばかられると、どうしていいのか判らなくて恨めしく泣いています。

阿倍女郎答謌一首
標訓 阿倍女郎の答たる歌一首
集歌516 吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸
訓読 吾が持てる三相(みつあひ)に搓(よ)れる糸もちて附(つ)けてましもの今ぞ悔しき
私訳 衣の紐が取れたことを気にして下さるな。私が持っている丈夫な三つ縒りの糸で縫い付けてあげればよかったのに、今になって悔やまれます。

 今回は中国と日本との古代の恋文を紹介しましたが、鑑賞において好きなのは、やはり、『万葉集』のものです。そこには男女相互での尊敬と自立があり、対等の人間としての雰囲気があります。その分、歌には相思相愛の柔らかく、それでいて、艶色が漂います。日本のものでも平安、鎌倉と時代が遷るにつれ女性の社会的地位が変わり、それが和歌交換にも現れて来ています。こうしますと、日本の万葉時代の女性たちは、世界でも稀な立場を与えられた人たちだったのかもしれません。
 ただし、女性史などを研究される方々に万葉集の本来の世界を理解して頂いていないような気がするのが、残念であります。

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