竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  勝鹿真間娘子と菟原處女

2010年12月13日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
勝鹿真間娘子と菟原處女
 ここで紹介する「詠勝鹿真間娘子謌」と「見菟原處女墓謌」は、それぞれ東国常陸国の伝説と畿内摂津国の伝説を題材に長歌として詠われたものです。
さて、文学史を思うとき、万葉集の時代は、まだ竹取物語のような文体での物語は創作されていません。こうした時、伝説が民謡歌謡の形で口伝として伝わるとするならば、創作される物語もまた、このような長歌のような形で創作されたのではないでしょう。
 先に見ましたように、高橋虫麻呂と大伴旅人とは同時代の人物で、大伴旅人の東国巡視に同行する姿から互いに風流の交換はあったと思われます。この二人の関係を思うときに、高橋虫麻呂が長歌で物語を詠うのに対して、一方の大伴旅人が「遊松浦河序」で短歌による歌物語の創作を試みた姿は偶然でしょうか。詩歌において、高橋虫麻呂は長歌に秀でた人ですし、大伴旅人は漢文と短歌に秀でた人です。つまり、これらの歌々は、それぞれが得意の分野で文体での物語を創作した結果なのでしょうか。

勝鹿真間娘子の伝説を楽しむ

詠勝鹿真間娘子謌一首并短謌
標訓 勝鹿(かつしか)の真間(まま)の娘子(をとめ)を詠める謌一首并せて短謌

集歌1807 鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝牡鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹裏有 齊兒毛 妹尓将及哉 望月之 満有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物乎 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流 遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞

訓読 鶏(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の国に 古(いにしへ)に ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝牡鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(おをくび)着(つ)け 直(ひた)さ麻(を)を 裳には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 履(くつ)をだに 穿(は)かず行けども 錦(にしき)綾(あや)の 中に包める 斎児(いはひこ)も 妹にしかめや 望月(もちつき)の 満(た)れる面(おも)わに 花の如(ごと) 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫(なつむし)の 火に入るがごと 水門(みなと)入りに 船漕ぐ如(ごと)く 帰(い)きかぐれ 人の言(い)ふ時 いくばくも 生(い)けらじものを 何すとか 身をたな知りて 浪の音(と)の 騒く湊(みなと)の 奥津城(おくつき)に 妹が臥(こや)せる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日(きのふ)しも 見けむが如(ごと)も 念(おも)ほゆるかも

私訳 鶏が鳴き夜が明ける吾妻の国に、古く昔にあったことと、今まで絶えず言い伝えて来た勝鹿の真間の手兒奈が、麻の衣に青衿を付け、麻だけで裳を織って身に着け、髪の毛も掻き梳かず、履も穿かないで裸足で道を行くのだが、錦や綾の布に包まれ皆に祝福される児でも、手兒奈にはかなわない。満月のように満面の顔で、花のように微笑んで立っていると、夏の虫が明かりに惹かれて火に飛び込むように、また、湊に入ろうと船を漕ぐように、まっしぐらに帰って人が手兒奈に集まってきた。人々が語ったとき、どれほども生きているものではないが、どうしたことか、手兒奈は自分の運命を知ってしまって、浪の音が騒ぐ湊にある墓に手兒奈は身を横たえている。遠い時代にあったことなのだが、まるで昨日にあったことのように思われます。


反謌
集歌1808 勝牡鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家牟 手兒名之所念
訓読 勝牡鹿(かつしか)の真間井(ままゐ)見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児名(てこな)し念(おも)ほゆ

私訳 勝鹿の真間の井戸を見ると、その井戸の周りが平らになっている。昔、水を汲んで器に濯いだ手兒名のことが偲ばれます。



菟原處女の伝説を楽しむ
見菟原處女墓謌一首并短謌
標訓 菟原処女(うなはらをとめ)の墓(つか)を見る歌一首并せて短歌

集歌1809 葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壮士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天 叨於良妣 昆地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬尉蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨 (昆は、足+昆の当字)

訓読 葦屋(あしのや)の 菟名負(うなひ)処女(をとめ)の 八年児(やとせご)の 片生(かたおひ)の時ゆ 小放髪(をはなり)に 髪たくまでに 並び居(を)る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 牢(こも)りて座(いま)せば 見てしかと 悒憤(いぶせ)む時の 垣廬(かきほ)なす 人の誂(と)ふ時 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) 菟原(うなひ)壮士(をとこ)の 廬屋(ふせや)燎(や)く 荒(すす)し競(きほ)ひ 相結婚(あひよば)ひ しける時は 焼太刀(やきたち)の 手柄(たがみ)押しねり 白真弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取り負(お)ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競(きほ)ひし時に 吾妹子が 母に語らく倭文(しつ)手纒(てま)き 賎(いや)しき吾が故(ゆゑ) 健男(ますらを)の 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと 隠沼(こもりぬ)の 下延(したは)へ置きて うち嘆き 妹が去(い)ぬれば 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ) その夜夢(いめ)に見 取り続(つつ)き 追ひ行きければ 後れたる 菟原(うなひ)壮士(をとこ)い 天仰ぎ 叫びおらび 足づりし 牙喫(きか)み建(たけ)びて 如己男(もころを)に 負けてはあらじと 懸(か)け佩(は)きの 小太刀(をたち)取り佩き 冬尉蕷葛(ところづら) 尋(と)め去(い)きければ 親族(うから)どち い帰(い)き集(つど)ひ 永き代に 標(しるし)にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓(をとめつか) 中に造り置き 壮士墓(をとこつか) 此方彼方(こなたかなた)に 造り置ける 故縁(ゆゑよし)聞きて 知らねども 新喪(にひも)の如(ごと)も 哭(ね)のみいし泣きつるかも

私訳 芦屋の菟原処女が、八歳頃の子供の時から振り分け髪を結ぶまで、となりの家にも顔を見せずに引きこもっているので、その処女を見たいと心に悩んで、垣根ができるほどの人が尋ねてきたとき、中にも茅渟壮士と菟原壮士が芦屋を焼くように激しく、互いに競い合って夜這ひした時は、焼き太刀の柄をひねり握り、真弓と靫を取って肩に背負い、娘子のためなら水の中にも火の中にも入るような思いで二人が立ち向かい競ったときに、貴女が母に語るには日本製の錦の帯を手に巻くような貧しい私のために、立派な勇者が争うのを見ると、生きて行けましょうか、どちらかと結婚出来ましょうか、それであの世で会いましょうと、ひっそりした沼の水草の生える中に悲しいことに貴女が死んでしまったので、茅渟壮士はその夜の夢の中に菟原処女の姿を見て、娘子に続いて死んでしまったので、死に遅れた菟原壮士は、天を仰いで叫びおらび、足ずりして、歯をかみ締めたけびて、その男に負けては居られないと腰に懸けて着けた小太刀を取り出して、処女の跡をたどるように求めて死んでしまったので、親族たちは死んでしまった場所に集まってきて、末永い世に手本にしようと、遠い先の世に語り継ごうと、処女墓を真ん中に作って置き、二人の壮士墓を左右に造って置いた。この由来を聞いて、私のことではないのだけれど、新しい葬儀のように声を上げて泣いたことだ。

反謌
集歌1810 葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣
訓読 葦屋(あしのや)の菟名負(うなひ)処女(をとめ)の奥城(おくつき)を往(ゆ)き来(く)と見れば哭(ね)のみし泣かゆ

私訳 芦屋にある菟原処女の墓を行くとなく帰るとなく見ると声を出して泣いてしまう


集歌1811 墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母
訓読 墓(はか)の上(うへ)の木(こ)の枝(え)靡けり聞きし如(ごと)茅渟(ちぬ)壮士(をとこ)にし寄りにけらしも

私訳 墓の上の木の枝が靡いている。聞いたように菟原処女は茅渟壮士に寄り添っているのだろうか

右五首、高橋連蠱麻呂之謌集中出。
注訓 右の五首は、高橋連虫麻呂の謌集の中に出づ。


参考資料
遊松浦河序
序訓 松浦(まつら)河(かは)に遊(あそ)ぶの序

余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨王魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳歎曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠謌曰

訓読 余(われ)暫(たまたま)松浦の縣(あがた)に徃きて逍遥し、聊(いささ)かに玉嶋の潭(ふち)に臨みて遊覧せしに、忽ちに魚を釣る女子らに値(あ)ひき。花のごとき容(かほ)雙(ならび)無く、光(て)れる儀(すがた)匹(たぐひ)無し。柳の葉を眉の中に開き、桃の花を頬の上に發く。意氣雲を凌ぎ、風流世に絶れたり。僕問ひて曰はく「誰が郷、誰が家の兒らそ。若疑(けだし)、神仙ならむか」といふ。娘ら皆咲みて答へて曰はく「兒らは漁夫の舎の兒、草菴の微(いや)しき者にして、郷(さと)も無く家も無し。何そ稱(な)を云ふに足らむ。唯、性(さが)水を便(つて)とし、復、心に山を樂しぶのみなり。或るは洛浦に臨みて、徒らに王魚(さかな)を羨み、 乍(ある)は巫峡(ふかふ)に臥して空しく烟霞(えんか)を望む。今邂逅(たまさか)に貴客(うまひと)に相遇(あ)ひ、感應に勝(あ)へずして、輙(すなわ)ち歎曲(くわんきょく)を陳ぶ。而(また)今(いま)而後(よりのち)、豈偕老にあらざすべけむ」といふ。下官對へて曰はく「唯々(をを)、敬みて芳命を奉(うけたまは)る」といふ。時に日山の西に落ち、驪馬(りば)去なむとす。遂に懐抱(くわいほう)を申(の)べ、因りて詠謌を贈りて曰はく、


集歌853 阿佐里流須 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等
訓読 漁(あさり)るす海人(あま)の子どもと人は云へど見るに知らえぬ貴人(うまひと)の子と

私訳 漁をする漁師の子供と貴女は私に告げるけれど、貴女に逢うと判ります。身分ある人の子であると。


答詩曰
標訓 答へたる詩に曰はく

集歌854 多麻之末能 許能可波加美尓 伊返波阿礼騰 吉美乎夜佐之美 阿良波佐受阿利吉
訓読 玉島(たましま)のこの川上(かはかみ)に家(いへ)はあれど君を恥(やさ)しみ顕(あらは)さずありき

私訳 玉島のこの川の上流に私の家はありますが、貴方をかしこまって、それを申し上げませんでした。


蓬客等更贈謌三首
標訓 蓬客(ほうかく)等の更(また)贈れる謌三首

集歌855 麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛河 毛能須蘇奴例奴
訓読 松浦川(まつらかは)川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ

私訳 松浦川、その川の瀬で光る鮎を釣ろうとしてお立ちの愛しい貴女の裳の裾が濡れている。


集歌856 麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛
訓読 松浦(まつら)なる玉島川(たましまかは)に鮎釣ると立たせる子らが家道(いへぢ)知らずも

私訳 松浦にある玉島川で鮎を釣るとお立ちになっている貴女の、家への道を私は知りません。


集歌857 等富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米
訓読 遠人(とほつひと)松浦(まつら)の川に若鮎釣る妹が手本(たもと)を吾(わ)れこそ巻(ま)かめ

私訳 遠くからの人を待つ、その松浦の川に若鮎を釣る愛しい貴女の腕を、私は絡み巻きて抱きたい。


娘等更報謌三首
標訓 娘等の更(また)報(こた)へたる謌三首

集歌858 和可由都流 麻都良能可波能 可波奈美能 奈美邇之母波婆 和礼故飛米夜母
訓読 若鮎(わかゆ)釣る松浦(まつら)の川の川浪(かはなみ)の並(なみ)にし思(も)はば吾(わ)れ恋ひめやも

私訳 若鮎を釣る、その松浦川の川浪の言葉のように、並の出来事と思うのでしたら、私はこれほど恋い慕うでしょうか。


集歌859 波流佐礼婆 和伎覇能佐刀能 加波度尓波 阿由故佐婆斯留 吉美麻知我弖尓
訓読 春されば吾家(わがへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走る君待ちがてに

私訳 春が遣って来れば私の家のある里の川の狭まった場所には子鮎が走り回る。貴方を待ちわびるように。


集歌860 麻都良我波 奈々勢能與騰波 与等武等毛 和礼波与騰麻受 吉美遠志麻多武
訓読 松浦川(まつらかは)七瀬の淀は淀むとも吾(わ)れは淀(よど)まず君をし待たむ

私訳 松浦川の多くの瀬が淀として水が淀むとしても、私は逡巡することなく貴方だけを待っています。


後人追和之謌三首  帥老
標訓 後の人の追ひて和(こた)へたる謌三首  帥(そち)の老(をひ)

集歌861 麻都良河波 河波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良哉
訓読 松浦川(まつらかは)川の瀬早み紅(くれなゐ)の裳の裾濡れて鮎か釣るらむや

私訳 松浦川の川の瀬の流れが早く、その瀬に立つ乙女の紅の裳の裾は濡れて鮎を釣るのでしょうか。


集歌862 比等未奈能 美良武麻都良能 多麻志末乎 美受弖夜和礼波 故飛都々遠良武
訓読 人(ひと)皆(みな)の見らむ松浦(まつら)の玉島(たましま)を見ずてや吾(わ)れは恋ひつつ居(を)らむ

私訳 人が皆眺めているはずの、その松浦にある玉島を、眺めることなく私は思い焦がれています。


集歌863 麻都良河波 多麻斯麻能有良尓 和可由都流 伊毛良遠美良牟 比等能等母斯佐
訓読 松浦川(まつらかは)玉島(たましま)の浦に若鮎(わかゆ)釣る妹らを見らむ人の羨(とも)しさ

私訳 松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る愛しい貴女を眺めているでしょう、その人がうらやましい。


おわりに
 最初に、このような素人の人物と歴史に対する酔論に、お付き合いいただき有難うございます。このご縁の次第で、もう少し、酔論にお付き合いいただくと幸いです。
 さて、高橋蟲麻呂歌集に載る歌をこのように集めて鑑賞しますと、高橋蟲麻呂歌集の歌の多くが、その独特な長歌での構成方法等から高橋蟲麻呂の作品と推定されると思います。こうした時、万葉集の多くの歌人の中でも高橋蟲麻呂は大和言葉での物語の祖のような立場にあるのではないでしょうか。高橋蟲麻呂に対比させるために大伴旅人の「遊松浦河謌」を紹介しましたが、この「遊松浦河謌」が漢文で物語の場を設定するように、その作品は、まだ士大夫の風流の域を脱していません。一方、高橋蟲麻呂の作品は、男女貴賤を問わずに楽しめる庶民性のある大和言葉での物語の展開です。ここに高橋蟲麻呂の作品の特徴があります。
 素人の思い付きで、このように高橋蟲麻呂の作品の特徴を酔論した上で、集歌973の賜酒節度使卿等御謌が、集歌971の藤原宇合卿遣西海道節度使之時の謌と同じ宴でのものと憶測をしますと、宮中における高橋蟲麻呂と元正太上天皇との関係の可能性を見ることが出来ます。つまり、高橋蟲麻呂歌集とは、東国と畿内との地理に明るい歌人高橋蟲麻呂が、各地の民俗を元正太上天皇に説明するために、また、日々の徒然の慰めに献上したものではないかとの妄想の可能性です。それはちょうど、竹取翁物語が歌人丹比国人により阿部内親王に献上されたのではないかとの妄想の先例のような位置になります。言い換えれば、氷高皇女が楽しむ高橋蟲麻呂の浦嶋物語に対しての阿部内親王が楽しむ丹比国人の竹取物語の関係です。
 物語の歌は、当然に、歌を詠う歌人本人だけで楽しむものではありません。その作品の要請から、誰かに語りかけ、楽しんでもらうことを目的にしたはずです。さて、高橋蟲麻呂歌集に載る長歌の形式を取る歌物語は、誰のためのものだったのでしょうか。特定の個人でしょうか、それとも庶民性のある大和言葉での物語の展開から一般大衆が対象でしょうか。私は宮中行事に参加しますし、行幸にも同行する、その高橋蟲麻呂の立場から、高橋蟲麻呂歌集の歌とは特定の高貴な個人に対する歌物語としています。その時、高貴な御方が漢語と万葉仮名で記された謌本を目で追いながら、稗田阿禮や志斐の嫗のような人物が詠い上げる音律の世界を鑑賞する、そんな風景を想像しています。これが想像と妄想での万葉集の集歌236の歌の志斐の強語の姿です。
 最後まで酔論になりました。



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