竹取翁と万葉集のお勉強

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柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌 18

2013年04月14日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
柿本朝臣人麻呂の歌並びに人麻呂歌集の歌

正述心緒
標訓 正(まさ)に心緒(おもひ)を述べたる
集歌2368 垂乳根乃 母之手放 如是許 無為便事者 未為國
訓読 たらちねの母し手(て)放(はな)れかくばかりすべなき事はいまだ為(せ)なくに
私訳 乳を与えて育ててくれた母の手から離れるとは、このようなことでしょうか。母を頼らないですますことが、未だに出来ないのに。

集歌2369 人所寐 味宿不寐 早敷八四 公目尚 欲嘆
訓読 人し寝(ぬ)る味(うま)寝(い)し寝(ね)ずてはしきやし公(きみ)し目すらを欲(ほ)りし嘆(なげ)かむ
私訳 人が寝て熟睡するようには寝ることが出来なくて、夢の中で見る愛しい貴方の姿を見たいと思って嘆いています。
或本歌云、公牟思尓 暁来鴨
或る本の歌に云はく、
訓読 君を思ふに明けにけるかも
私訳 貴方を恋い慕っている内に夜が明けたようです。

集歌2370 戀死 戀死耶 玉桙 路行人 事告兼
訓読 恋しなば恋ひも死ねとや玉桙し道行く人し事し告げけむ
私訳 恋を占う辻占いをして、恋に苦しみ私が死ぬというのなら、その恋自体を終えてしまえと、美しい鉾を立てる路を行く人が、そのような事を告げました。

集歌2371 心 千遍雖念 人不云 吾戀嬬 見依鴨
訓読 心にし千遍(ちへ)し思へど人し云はぬ吾(われ)し恋(こひ)嬬(つま)見むよしもがも
私訳 心の中では千遍も貴女を愛していると思っていても、それを人には口に出して云いませんが、私の恋する貴女を抱く機会がありません。
注意 原文の「嬬」の語感から、相手の女性は男から見て正妻ではありません。人麻呂歌集で使われる「孋」、「嬬」、「妻」とでは、女性の立場に差があると思われます。

集歌2372 是量 戀物 知者 遠可見 有物
訓読 かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを
私訳 このように貴女に恋するものと知っていたら、初めて貴女に会ったとき、貴女を抱くことをせずに、遠くからただ貴女の姿を眺めているだけの方が良かった。

集歌2373 何時 不戀時 雖不有 夕方枉 戀無乏
訓読 何(いつ)し時恋ひぬ時とはあらねども夕方(ゆふかた)曲(ま)けて恋し羨(と)も無(な)し
私訳 どのような時も貴女を恋い慕わない一瞬はありせんが、日が沈み夕方が近づくにつれ、一層に貴女への恋の思いは甲斐なく感じられます。
注意 原文の「戀無乏」は伝統的に「恋はすべなし」と訓みますが、ここでは原文の漢字の読みを尊重してままに訓んでいます。なお、今日でも、この「無乏」の漢字を「すべなし」と訓むことは研究です。また「夕方枉」の「枉」を一般には「任」の誤字としますが、「枉」は「木が斜めに曲がる」を意味しますから「任」は後年の当字と思われます。

集歌2374 是耳 戀度 玉切 不知命 歳経管
訓読 かくのみし恋ひやわたらむたまきはる命も知らず年し経しつつ
私訳 このような形で貴女に恋していると、魂が体から切り離され寿命の尽きる時も承知しないで、ただ、年月が過ぎてゆく。

集歌2375 吾以後 所生人 如我 戀為道 相与勿湯目
訓読 吾(わ)が後(のち)し生まれむ人し我が如く恋する道しあひこすなゆめ
私訳 私の後に生まれてくる人は、私のような形で人を愛する羽目に、決して遭わないでほしい。

集歌2376 健男 現心 吾無 夜晝不云 戀度
訓読 健男(ますらを)し現(うつ)し心も吾(われ)は無み夜昼(よるふる)といはず恋ひしわたれば
私訳 立派な男を示す心意気も、今の私にはありません。夜昼と云わずに貴女に恋し続けていると。

集歌2377 何為 命継 吾妹 不戀前 死物
訓読 何せむし命継ぎけむ吾妹子(わぎもこ)し恋ひせぬ前(さき)し死(し)なましものを
私訳 どのように私の命を永らえましょう。私の愛しい貴女と恋の行為(=同衾)をする前に、この恋の苦しみに死んでしまいそうだ。

集歌2378 吉恵哉 不来座公 何為 不厭吾 戀乍居
訓読 よしゑやし来(き)まさぬ公(きみ)し何せむし厭(いと)はず吾し恋ひつつ居(を)らむ
私訳 どうなっても良い。いらっしゃらない貴方に対して、どうして、このように厭うことなく私は貴方に恋焦がれるのでしょうか。

集歌2379 見度 近渡乎 廻 今哉来座 戀居
訓読 見渡しし近き渡りを廻(たもとほ)り今か来ますと恋ひし居(を)るらむ
私訳 向こう岸まで見渡すことの出来る近い川の渡しにやって来て、今に来られるでしょうかと、貴方を恋い慕いながら待っています。

集歌2380 早敷哉 誰障鴨 玉桙 路見遺 公不来座
訓読 愛(は)しきやし誰し障(さ)ふれかも玉桙し道見忘れて公(きみ)し来まさぬ
私訳 ああ愛おしい。誰かが邪魔をしているのでしょうか。それとも御門の立派な桙を建てる宮中への道を忘れたようで貴方が遣って来ません。

集歌2381 公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉
訓読 公(きみ)し目し見まく欲(ほ)りしてこの二夜(ふたよ)千歳(ちとせ)し如し吾(あ)し恋ふるかも
私訳 貴方の姿を直接にお目にしたいと思って、お逢いするまでのこの二夜がまるで千年のように感じるように私は貴方に恋い焦がれています。

集歌2382 打日刺 宮道人 雖滿行 吾念公 正一人
訓読 うち日さす宮道(みやぢ)し人し満ち行けど吾(われ)し思(も)ふ公(きみ)ただひとりのみ
私訳 日が輝く宮殿への道を人はあふれるように歩いて行くが、私がお慕いする男性はただ一人、貴方だけです。

集歌2383 世中 常如 雖念 半手不忌 猶戀在
訓読 世し中し常(つね)かくのみし思へどもはて忌みえずし猶(なほ)恋ひしけり
私訳 人の世の中は、やはり、このようなものかと思ってみたけれど、それでも貴方への片恋心を忌むことが出来ず、それにまして、貴方に恋しています。

集歌2384 我勢古波 幸座 遍来 我告来 人来鴨
訓読 我が背子は幸(さき)く坐(いま)せし遍(まね)く来(き)て我(われ)し告げ来(こ)む人し来ぬかも
私訳 私の大切な貴方が無事で居ますと、何度も遣って来て、私に告げに来る人だけでも来ないものでしょうか。

集歌2385 麁玉 五年雖経 吾戀 跡無戀 不止恠
訓読 あらたまし五年(いつとせ)経(ふ)れど吾(わ)が恋し跡(あと)無き恋し止(や)まなく怪(あや)し
私訳 はるかに遠く貴重な玉のような五年過ごしたけれど、私の恋の、その貴女と実際に愛し抱き合うことの出来ない、そんな恋なのに止むことがない不思議さよ。

集歌2386 石尚 行戀通 建男 戀云事 後悔在
訓読 巌(いはほ)すら行き通(とほ)るべき建男(ますらを)し恋云ふ事し後(のち)悔(くひ)にけり
私訳 邪魔ならば岩であっても蹴散らして通っていくこの丈夫な男も、恋の表し方で後に悔いが残る。

集歌2387 日促 人可知 今日 如千歳 有与鴨
訓読 日し促(せ)ばみ人知りぬべし今(いま)し日し千歳(ちとせ)し如くありこせぬかも
私訳 一日が速く短い。そのうちに人が貴方と私の仲を気づくでしょう。逢う今日の一日は千年の時のように長くならないでしょうか。
注意 原文の「日促」の「促」を一般には「竝」の誤字とし「日竝」と表記し「日ならべば」と訓みます。ここでは原文のままに訓んでいます。ただし、歌意は違います。

集歌2388 立座 熊不知 雖唯念 妹不告 間使不来
訓読 立ちし坐(ゐ)し隈(くま)をも知らず思へども妹し告げねば間使(まつかひ)し来(こ)ず
私訳 立っていても座っていても恋する思いを隠すことなく貴女を慕っていても、貴女にそれを告げなくては、貴女から便りの使いが来ません。
注意 原文の「熊不知」の「熊」は「隈」の当字として訓んでいます。一般に「熊」は「態」の誤字として「たどきも知らに」と訓みます。

集歌2389 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたましこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く公(きみ)し待たば苦しも
私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。
注意 集歌2399の歌に「朱引秦不経雖寐心異我不念」と詠う歌があり、万葉集でただ二回だけ人麻呂歌集の歌の中で使われる原文の「朱引」を、人麻呂独特の女性の肌を示す言葉とも解釈しています。

集歌2390 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋ひしせし死(し)ぬせしものしあらませば我が身し千遍(ちたび)死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。
注意 隋唐の戀の指南書である「玉房秘訣」に「八淺二深、死往生還、右往左往」なる言葉があるそうです。

集歌2391 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)し夕(ゆふべ)見しものし今日(けふ)し朝(あした)し恋ふべきものを
私訳 美しい玉のような響きの声。昨日の夜に抱いた貴女の姿を思い出すと、後朝の別れの今日の朝にはもう恋しいものです。
注意 原文の「玉響」は諸訓があり、「玉あへば」、「玉ゆらに」、「玉さかに」、「玉かぎる」等がありますが、ここでは「玉とよむ」と原文のままに訓んでいます。

集歌2392 中ゞ 不見有従 相見 戀心 益念
訓読 なかなかし見ずあらましを相見てし恋ほしき心まして思ほゆ
私訳 むしろ、貴女を抱かなければ良かった。貴女と床を共にしてからは、恋しい心がいっそう募って来た。

集歌2393 玉桙 道不行為有者 惻隠 此有戀 不相
訓読 玉桙し道行かずあば惻(いた)隠(こ)もるかかる恋には逢はざらましを
私訳 美しい鉾を立てる官道を行って貴女に出会わなかったら、自分を哀れむ気持ちに包まれる、このような恋をすることもなかったでしょう。
注意 原文の「惻隠」は伝統的に「ねもころ」と訓みますが、その理由は特に無いようです。そのために「ねもころ」と訓む理由が研究テーマになっています。ここでは、原文の漢字の意味のままに訓んでいます。

集歌2394 朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故
訓読 朝影(あさかげ)し吾(わ)が身はなりぬ玉(たま)垣(かき)るほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
私訳 光が弱々しい日の出のように私は痩せ細ってしまいました。大宮へ入って行く風のように、ほんの少し姿を見せて行きすぎて行った貴女のために。

集歌2395 行ゞ 不相妹故 久方 天露霜 沽在哉
訓読 行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたし天(あま)露(つゆ)霜(しも)し沽(とも)しけるかも
私訳 逢いに行っても、なかなか逢えない貴女のために、遥か彼方の天からの清らかな露霜に貴女の家に立つ私はみすぼらしくなりました。
注意 原文の「沽在哉」の「沽」は一般に「沾」の誤字として「沾在哉」と表記して「濡れにけるかも」と訓みます。ここでは「沽」の形容詞の意味を尊重して原文のままに訓んでいます。


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