竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

笠朝臣金村歌集を鑑賞する  神亀元年(724)の歌

2010年12月25日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
神亀元年(724)の歌
 神亀元年は続日本紀では首王(聖武天皇)の即位の年となっていますが、万葉集の大和歌や懐風藻の漢詩などからは、首王ではなく長屋王の大王への就任ではないかと思われます。ここでは、独自の視点から長屋王の紀伊国への御幸と捉えています。当時は、大王に就任すると神武天皇ゆかりの熊野へ報告に行くことが慣わしだったようです。
 歌は御幸に従駕する人に、奈良の都に残る女性の気持ちに成り代わって作り贈ったものです。したがって、奉呈歌の物でもありませんし、笠金村が紀国への御幸に従駕したかどうかも不明です。

神龜元年甲子冬十月、幸紀伊國之時、為贈従駕人、所誂娘子笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 神亀元年甲子の冬十月に、紀伊國(きのくに)に幸(いでま)しし時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむがために、娘子(をとめ)に誂(あとら)へて笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌

集歌543 天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 點然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手嫋女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

訓読 天皇(すめろぎ)の 行幸(みゆき)のまにま 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の雄(を)と 出で去(ゐ)きし 愛(うつく)し夫(つま)は 天飛ぶや 軽の路より 玉(たま)襷(たすき) 畝傍を見つつ 麻(あさ)裳(も)よし 紀路(きぢ)に入り立ち 真土山(まつちやま) 越ゆらむ君は 黄葉(もみぢは)の 散り飛ぶ見つつ 親(にきびに)し 吾は思はず 草枕 旅を宜(よろ)しと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 點然(もだ)もありえねば 吾が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千遍(ちたび)思へど 手弱女(たわやめ)の 吾が身にしあれば 道(みち)守(もり)の 問はむ答へを 言ひ遣(や)らむ 術(すべ)を知らにと 立ちて爪(つま)づく

私訳 天皇の行幸に随って、たくさんの武官の者と共に出発して行った私が愛する夫は、雁が空を飛ぶ軽の道から美しい襷を懸けたような畝傍の山を見ながら、麻の裳も良い紀伊の国への道に入っていく。真土山を越えていくでしょうあの御方は、黄葉の葉々が散り飛ぶのを見ながらそれを親しみ、私はそうとは思いませんが、草を枕にする苦しい旅も好ましい常のことと思いながら、あの御方は旅路にいらっしゃると、私はぼんやりとは想像しますが、しかしながら何もしないではいられないので、愛しい貴方が出かけていったように追いかけて行こうと千度も思いますが、手弱女である女である私は、道の番人が旅行く私に浴びせかける質問に答えるすべも知らないので、旅立とうとしてためらってしまう。


反謌
集歌544 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは紀伊(き)の国の妹背(いもせ)の山にあらましものを

私訳 後に残されて一人で貴方を恋い慕っていないで、紀伊の国にある妹背の山の名に因んだ貴方に愛される妹背でありたいものです。


集歌545 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨
訓読 吾が背子が跡(あと)踏(ふ)み求め追ひ行かば紀伊(き)の関守(せきもり)い留(とど)めてむかも

私訳 私の愛しい背の君の跡を辿って追いかけて行けば、紀伊の関の番人は私を関の内に留めるでしょうか。

コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 笠朝臣金村歌集を鑑賞する ... | トップ | 笠朝臣金村歌集を鑑賞する ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
これは (白壁)
2015-04-30 20:25:01
前書きに驚きました。なかなか見えてきません
びっくりしましたか (作業員)
2015-05-01 13:35:31
北宮の署名、懐風藻での君王の尊称、日本書紀や続日本紀での日食記事の問題、元号問題、中国正史と日本の正史の一年のずれ、・・・

何か、天平元年までは歴史を歴史として記述することに問題があったようです。
お時間があれば、日本挽歌を鑑賞するを参照ください。

コメントを投稿

柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集」カテゴリの最新記事