竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

笠朝臣金村歌集を鑑賞する  蝦夷慰撫への旅か、越前への旅か

2010年12月23日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
蝦夷慰撫への旅か、越前への旅か
 ここでは、普段の「訓読み万葉集」の解説とは違い、奇を衒った解釈を行っています。

塩津山と伊香山の歌
 集歌365の歌に登場する塩津山は、滋賀県の浅井から福井県敦賀へと抜ける街道にある峠の山と推定します。また、普段の解説では集歌368の歌が石上朝臣乙麿の越前国守として赴任するときの歌と解釈する関係で、集歌364の歌から集歌369の歌までの一連の歌々を石上乙麿の越前国守赴任の折の越の国への道中の歌と見ています。もし、この推定が成立しますと、笠金村が国守である石上乙麿の随員と推定する場合は、普段の解説に従うと地方官任官の期限の規定からおよそ六年を越前国で過さなければいけないことになります。
 ここで集歌364と365の歌に関連すると思われる歌が万葉集にあり、それが集歌1532の歌と集歌1533の歌で伊香山を詠う歌です。この伊香山は塩津山の東南の位置にあり賤ヶ岳の南嶺を形成しますので、集歌364の歌と集歌365の歌との組歌と集歌1532の歌と集歌1533の歌との組歌は、ともに同じ旅での歌と思われます。
 こうした時、素人考えで集歌368の歌を、普段の解説で採用する推定とは違い、和銅七年(714)に石上朝臣豊庭が右将軍に任じられ陸奥の蝦夷の慰撫に出向いた時の歌と考えます。この推定の関係上、集歌364の歌から始まり集歌369の歌までの六首と、集歌1532の歌と集歌1533との歌二首は、和銅七年の歌と推定しています。年代としては、ちょうど、先の霊亀元年(715)の志貴親王への挽歌が詠われた前年に当たります。
 このように推定しますと、集歌364の歌などは、蝦夷を慰撫に向かう勇壮な右将軍石上朝臣豊庭の姿にふさわしくなるのではないでしょうか。この推定では、笠金村は和銅七年に越の国に赴き、翌年霊亀元年正月以前に奈良の京に戻っていることになります。


笠朝臣金村塩津山作謌二首
標訓 笠朝臣金村の塩津山にて作れる謌二首
集歌364 大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金
訓読 大夫(ますらを)の弓上(ゆづゑ)振り起し射つる矢を後(のち)見む人は語り継ぐがね

私訳 塩津山の峠で立派な大夫が弓末を振り起こして射った矢を、後にそれを見る人はきっと語り継いでしょう。


集歌365 塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家戀良霜
訓読 塩津山(しほつやま)打ち越え行けば我が乗れる馬ぞ爪(つま)づく家恋ふらしも

私訳 塩津山を越えて行こうとすると、私が乗る馬がつまずく。家に残す人が私を慕っているようです。


参考歌
笠朝臣金村伊香山作謌二首
標訓 笠朝臣金村の伊香山にて作れる謌二首
集歌1532 草枕 客行人毛 徃觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞
訓読 草枕旅行く人も行き触れば色付(にほひ)ぬべくも咲ける萩かも

私訳 草を枕にするような苦しい旅を行く人も、道を行き道の傍らの花に触れただけでも着る衣が染まってしまうほどに咲いている萩の花です。


集歌1533 伊香山 野邊尓開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念
訓読 伊香山(いかごやま)野辺(のへ)に咲きたる萩見れば公が家なる尾花(をばな)し念(おも)ほゆ

私訳 伊香山の野辺に咲いている萩の花を見ると、同行するこの御方の家にある尾花を思い出します。



塩焼炎をどのように訓むか
 この集歌366の長歌に詠われる「塩焼炎」をどのように訓むかで、柿本人麻呂が詠う軽皇子の安騎野の歌の解釈が変わって来る事で有名な歌です。
 ここでは、素人らしく「塩焼く炎(ほむら)」と訓んでいますが、専門家の間では「塩焼く炎(けぶり)」と訓むのが正しいとする説が有力です。素人の訓みの根拠として参考の歌を以下に掲げますが、それぞれの歌には遠近感があります。集歌366の歌は焚き火に立つ娘女の腕輪を見つめて、故郷の女への想いを募らせます。一方、集歌354の歌や集歌1246の歌は、遠望した山に棚引く煙を詠ったものです。ただし、和歌の専門家は、歌詞における歌の表情が違うのは明らかですが、なぜか伝承文献を重要視して「燒塩煙」、「塩焼火氣」、「塩焼炎」の訓みと意味合いは同じとします。そこから、柿本人麻呂が詠う軽皇子の安騎野の歌の「野炎立所見而」を「野に炎(かげろひ)の 立つ見えて」ではなく、「野に炎(けぶり)立つ ところ見し」と訓むことになります。煙に咽びながら娘女の腕輪を見つめるか、夕刻の塩を煮る釜の脇から立ち上がる炎のゆらぎ越しに相対する娘女の腕輪を見つめるかは、読み手の感性です。素人は後者の解釈です。同じように、集歌354の歌の「山尓棚引」に引きずられて集歌1246の歌の「山尓軽引」を「山に棚引く」と訓む人もいますが、漢字の「軽」には幽かなさまを意味す場合がありますから、「山尓軽引」の表記からは山に煙が流れ行き、そして薄れ行く様を味合うべきと思います。つまり、集歌1246の歌の「山尓軽引」は、そのままに「山に軽引く」と訓むのが良いのではないでしょうか。これが認められると「燒塩煙」、「塩焼火氣」、「塩焼炎」が同じ訓みであるとする説は成り立たないのは明らかになります。
 当然、伝承文献の参照を学問とする専門家の立場からすると、素人がよくする歌の表情や漢語本来の意味から、その漢字の標準の和訓である「塩焼く火氣(ほのけ)」や「塩焼く炎(ほむら)」と訓まれては困ることになりますし、人麻呂の歌での「炎」論争の存在自体が、下品ですが、朝顔が仰ぎ見る朝立のような様相になります。
 なお、集歌366の歌は、敦賀から越前武生方面に旅して、敦賀市田結の海岸に上陸しての歌ではないでしょうか。そのときの景色が、明石方面から大和方面を眺めたときの景色に似ていての感想と思われます。これからも先の長い旅の途中で、故郷に帰る道順で見る景色に似た情景を見た人の、思わず感じた望郷の歌です。目的は、まだ、先のようです。
 この感覚からも、笠金村は石上乙麿の越前国守赴任に随行したのではなく、右将軍石上朝臣豊庭の陸奥・出羽の蝦夷慰撫に随行したと考えています。


角鹿津乗船時笠朝臣金村作謌一首并短謌
標訓 角鹿の津で船に乗れる時に、笠朝臣金村の作れる謌一首并せて短謌

集歌366 越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

訓読 越の海の 角鹿(つぬが)の浜ゆ 大船に 真梶(まかぢ)貫(ぬ)き下(さ)し 鯨魚(いさな)取り 海道(うみぢ)に出でて 喘(あへ)きつつ 我が榜ぎ行けば 大夫(ますらを)の 手結(てゆひ)が浦に 海(あま)未通女(をとめ) 塩焼く炎(ほむら) 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験(しるし)なみ 海神(わたつみ)の 手に纏(ま)かしたる 玉(たま)襷(たすき) 懸(か)けて偲(しの)ひつ 大和島根を

私訳 越の海の角鹿の浜辺から、大船に立派な梶を挿し下ろして鯨を取るという海原に海路を取り出航して、喘ぎながら船を操って行くと、立派な大夫が手に結ぶと云う、手結の浜辺で漁師の娘女達が塩水を煮て塩を焼く炎の中に、草を枕にするような苦しい旅の途中であるので、娘女の手結から独りで見ても思いはどうしようもない。海の神が授けて漁師の娘女の手に巻かせている玉、その玉の襷を懸け下げて思い出しましょう。大和の島のような山並みを。


反謌
集歌367 越海乃 手結之浦矣 客為而 見者乏見 日本思櫃
訓読 越の海の手結(たゆひ)が浦を旅にして見れば乏(とも)しみ日本(やまと)思(しの)ひつ

私訳 越の海にある手結の浜辺を旅の途中で見ると気持ちがおろそかになり、大和の風景を思い出します。


参考歌 その一
日置少老謌一首
標訓 日置少老(へきのをおゆ)の謌一首
集歌354 縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引
訓読 縄(なは)の浦に塩焼く火気(ほのけ)夕されば行き過ぎかねて山にたなびく

私訳 縄の浦で塩を焼くその煙は、夕方になると流れ行くことなく山に棚引く。


参考歌 その二
集歌1246 之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引
訓読 志賀の白水郎(あま)の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ立ちは上(のぼ)らず山に軽引(かるひ)く

私訳 志賀の海人の塩を焼く煙は、風が強いので真っ直ぐには立ち上らずに山に薄く流れる。

右件謌者、古集中出
注訓 右の件(くだり)の謌は、古き集(しふ)の中に出(い)ず。



和銅七年の時の歌か
 集歌368の歌の左注の解釈とは違い、和銅七年(714)に石上朝臣豊庭が右将軍に任じられ陸奥の蝦夷の慰撫に出向く時の歌と解釈しています。
 和銅七年十一月に大伴旅人が左将軍に、石上朝臣豊庭が右将軍に任じられた、その翌年の霊亀元年正月に、皇太子の就任を祝う式典に奄美・屋久等の南の諸島の人々と陸奥・出羽の蝦夷が招かれています。ここから、石上朝臣豊庭は和銅七年の秋に陸奥(越後・出羽)の蝦夷の慰撫と出迎えの使者であったのではないかと推測しています。


石上大夫謌一首
標訓 石上大夫の謌一首
集歌368 大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 礒廻為鴨
訓読 大船に真梶(まかじ)繁(しじ)貫(ぬ)き大王(おほきみ)の命(みこと)恐(かしこ)み磯廻(いそみ)するかも

私訳 大船に立派な梶を貫き下ろして、大王のご命令を恭みて従って陸奥の蝦夷の慰撫への航海をしましょう。

右今案、石上朝臣乙麿任越前國守 盖此大夫歟
注訓 右は今案(かむが)ふるに、石上朝臣乙麿の越前國守に任けらる。盖し此の大夫か。


和謌一首
標訓 和(こた)ふる謌一首
集歌369 物部乃 臣之壮士者 大王 任乃随意 聞跡云物曽
訓読 物部(もののふ)の臣(おみ)の壮士(をとこ)は大王(おほきみ)の任(ま)けのまにまに聞くといふものぞ

私訳 大楯を立てる物部一族の大王に仕える男子とは、大王が任じるままに従うと云うものです。

右作者未審。但、笠朝臣金村之謌中出也
注訓 右は作る者、未だ審(つま)びらかならず。但し、笠朝臣金村の謌の中に出ず。


コメント   この記事についてブログを書く
« 笠朝臣金村歌集を鑑賞する ... | トップ | 笠朝臣金村歌集を鑑賞する ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集」カテゴリの最新記事