竹取翁と万葉集のお勉強

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明日香新益京物語 紀伊御幸

2014年06月08日 | 実験 小説で万葉時代を説明する 
紀伊御幸

 朱鳥五年(690)、大王となった高市皇子は、祖母、斉明天皇に因むとして紀国に御幸された。そして、紀国の神の杜に祀られている皇祖、伊邪那岐の神と伊邪那美の神に、その即位を報じた。
 高市皇子は、紀国に対して、朱鳥三年、伊勢国に大海人大王の御霊を祀る皇太神宮の建立した代償として、大王に即位した皇子は皇祖たる熊野速玉神社の伊邪那岐の神にその即位を報ずると定めた。そして、これを大王即位の礼とされた。御霊を祀る皇太神宮の拝礼とは違い、皇祖、伊邪那岐の神への即位の奏上は日嗣の為すべき大礼として、熊野詣と云う形で後年に引き継がれた。
 大王即位の大礼と定められた高市大王は、天皇菟野皇女を含め朝廷の主だった人々を引き連れ、熊野速玉神社で皇祖、伊邪那岐の神へ大王就任の参拝・奏上を行った。大王はこの参拝に紀国の一宮日前神社の斎王檜隈女王、神主紀臣弓張や祝部どもを呼び寄せ、集わせた。そして、斎王檜隈女王を天皇菟野皇女に同道さすことで、紀国の祝部どもに斎王檜隈女王の権威を見せつけた。十六歳で斎王として降られた檜隈女王は、この時、三十歳となられていた。この紀伊国御幸での神祀りは、檜隈女王にとっても、一世一代の晴れ舞台でもあった。高市大王は、過去の経緯を知るだけに、その女王に存分の礼を尽くした。
 紀路を使い飛鳥から和歌浦に入った大王一行は、紀国の一宮日前神社で大王を願主とする祭礼を斎王檜隈女王に行わせた。これもまた、紀国の祝部どもに斎王檜隈女王の権威を見せつけた。千人を超えるきらびやかな大行列が突然、紀国に舞い降り、紀国の一宮日前神社で最新の清々しく荘厳の神祀りが執り行われる。その式次第を斎王檜隈女王が執る。そして、熊野速玉神社への道中、斉明天皇ゆかりの在田郡泣沢にある藤並神社に参拝の礼を行った。これもまた、紀国の斎王檜隈女王と神主紀臣が執り行った。

 この紀国の各所での斎王檜隈女王が執り行う神祀りで、高市大王と檜隈女王とには深い縁が出来た。高市大王は檜隈女王の紀国降りの時に立ち戻り、礼を云った。
「檜隈女王、達者でおられるか」
「大王、吾はこの通り、幸にしておりまする」
大王は、少し声を潜め聞いた。
「主が紀国に降るに、主から女子の幸せを奪ったと案じておる。許せ」
「大王、御気になさるな。紀国造たる神主は良きお人じゃ。吾を大切に斎いてくれる」
「それに都には知らさなかったが、日前大神はこの吾に神の御子を降し置かれた」
「そうか、大御神は神の御子を降し置かれたか。主、吾は安堵しても良いか」
「大王、そのように思し召しくだされ。ただ、先の大王の約定の大神主の件は、その内、ゆるゆると御頼み申し上げます」
「主、確かに紀国の大神主の約定、承知しておる」
 御幸の後、高市大王は日前神社の大神主の任命は勅許によると定められた。そして、この定めは任紀伊国造儀と云う法度として後年に伝えられて行った。

 高市皇子の大王への就任に伴っての祝いの叙位で柿本朝臣人麻呂は小錦中(正五位下相当)へ昇位し、鋳銭司長官から木工寮の頭となっていた。その人麻呂と恋人である宮中女官の巨勢媛もまた、この大王の紀国御幸に従っていた。人麻呂は高市大王の殿上人として、また、奉幣奉呈の折の祝詞の作詞者として同行した。巨勢媛は天皇鵜野皇女の付き人として、この紀伊国への御幸に随行して来ている。
 この時、人麻呂は四十四歳、巨勢媛は三十七歳になっていた。その二人が、都から遠く、紀国の黒牛潟で海を見ている。巨勢媛は近江凡津と吉野の山並みは知っているが、倭の国を遠く離れ、知らない土地を旅するのは、これが初めてであった。
 二人は、その旅の先々で、和歌で対話をした。

人麻呂、
古尓有兼人毛如吾歟妹尓戀乍宿不勝家牟
訓読 古(いにしへ)にありけむ人も吾がごとか妹に恋ひつつ寝(い)ねかてずけむ
私訳 天之日矛の伝説のように昔の人の天之日矛も、私と同じように恋人が恋しくて夜も眠れなかったのでしょうか。そして、私が、今、倭から貴女を追ってきたように、きっと、阿加流比売神を追って来たのでしょう。

巨勢媛、
今耳之行事庭不有古人曽益而哭左倍鳴四
訓読 今のみし行事(わざ)にはあらず古(いにしへ)し人ぞまさりて哭(ね)にさへ泣きし
私訳 男性が女性を邪険にするのは、今に始まったことではありません。昔の人の阿加流比売神は相手の男性につれなくされて、今の私以上にもっと恨んで泣いたのでしょう。

人麻呂、
三熊野之浦乃濱木綿百重成心者雖念直不相鴨
訓読 御熊野(みくまの)し浦の浜(はま)木綿(ゆふ)百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも
私訳 御熊野の有馬の浦の浜に有る花窟の伊邪那美命をお祭りする、その幣の木綿の糸が折り重なるように、私の気持ちは幾重にも貴女を慕っています。直接には会えませんが。

巨勢媛、
百重二物来及毳常念鴨公之使乃雖見不飽有哉
訓読 百重(ももへ)にも来(き)及(し)かぬかもと思へかも君し使(つかひ)の見れど飽かずあらむや
私訳 貴方からの便りが何度でも来て欲しいと思うからなのでしょうか。今日、花窟の伊邪那美命への幣奉呈を行った天皇の使人を見たように、貴方からの使いは何度見ても飽きることはありません。

 天皇菟野皇女に同行する巨勢媛は、初めての外国への旅に気は高揚し、華やぐ。媛は見知らぬ地と太平洋の荒々しくも雄大な姿に魅せられた。その旅の巨勢媛は宮中や忍坂の媛の屋敷で見せる姿からすると、まるで、別人であった。三十後半の年齢であるが、壮麗な宮中に務め、歌詠いなどの文化面を引き受ける巨勢媛はもとより華やいでいるが、今、一層に美しく輝いていた。技術官僚として政府の中心にある男盛りの人麻呂の目に、この巨勢媛の姿はまぶしく、見知らぬ美しい女を見た気持ちに陥った。そして「この媛を、今、ここで抱き臥したい」と若い欲望が沸き起こった。
 御幸の旅ではあるが、人麻呂は見知らぬ美しい女となった巨勢媛を愛へと誘った。

人麻呂の誘い歌、
吾戀妹相佐受玉浦丹衣片敷一鴨将寐
訓読 吾(わ)が恋ふる妹し逢はさず玉し浦に衣(ころも)片(かた)敷(し)き独りかも寝(ね)む
私訳 私が恋しい貴女は逢ってくださらず、美しい玉の浦で私は自分の衣だけの半分を身に掛け、鴨は二匹で仲良く寝ますが、今夜は、私は独りで寝るのでしょう。

玉匣開巻惜吝夜矣袖可礼而一鴨将寐
訓読 玉櫛笥(たまくしげ)開けまく惜(を)しき吝(お)しむ夜を袖(そで)離(か)れて独りかも寝(ね)む
私訳 美しい櫛を納める箱を開けるのを渋る、そのように貴女は私が貴女の衣を開くのを渋るように、貴女がその身を吝しむ、そのこの夜を共寝の袖を交わすことをしないで、私は独りで今夜は寝るのでしょう。

 そして、見知らぬ美しい女を名高の浦の黒牛潟へと誘った。

紫之名高浦之愛子地袖耳觸而不寐香将成
訓読 紫(むらさき)し名高(なたか)し浦し真砂子(まなご)土(つち)袖のみ触れて寝(ね)ずかなりなむ
私訳 紫の衣を着る天皇の御名も高い、紀伊国の名高の浦の真砂子の砂に愛しい貴女と私の袖を触れさすだけの立ち話だけで、袖を交わして寝ることはないのでしょうか。

紫之名高浦乃名告藻之於礒将靡時待吾乎
訓読 紫(むらさき)し名高(なたか)し浦の名告藻(なのり)しを礒し靡かむ時待つ吾を
私訳 紫の衣を着る天皇の御名も高い、紀伊国の名高の浦の名を告げると云う名告藻の生える磯に、その「私は貴方に抱かれ本名を名乗りました」と貴女が靡き来る時を待っている私です。

 人麻呂の熱く若々しい欲望に媛もまた、妖しく答えた。そして、その黒牛潟の磯に、今宵、行くと応じた。

巨勢媛の歌、
荒礒超浪者恐然為蟹海之玉藻之憎者不有手
訓読 荒礒(ありそ)越す浪は恐(かしこ)ししかすがに海し玉藻し憎(にく)くはあらずて
私訳 名告藻が生えると云う荒磯を越す浪は恐しいものです。だからと云って、その蟹が遊ぶ海の美しい名告藻は憎くはないでしょう。ねえ、貴方。

 巨勢媛は旅先の宿を抜け出し、海辺へとやって来た。その名高の浦の黒牛潟の磯浜では、人麻呂の小者が葦垣で風蔽いを立て、月見の床と小さな控えを用意していた。その月見の床から、優しい風の中、晩秋の澄んだ十八夜の月とその月明かりに照らされた穏やかだが力強いうねりが打ち寄せる海が見える。
 巨勢媛は淡い黄蘗地に草を散らした小袖に萱草色の袴を半袴に着、被衣姿でその月見の床へとやって来た。人麻呂は櫨で淡く波自に染め鳶色で柄を散らした小袖姿で、媛を迎えた。
「若茅、よう、こられた」
「今夜は形作らず、若茅と月見をしたく、このような軽い姿じゃ。許せ」
「麻呂、吾もその想いで、替えを用意した、しばし、待たれよ」
 媛も、磯で人麻呂と二人して逢うことに期することがあったのか、控えの間で少し濃い目でくすみを持たした一斤染めの小袖姿に替えた。淡い月明かりに若く華やぐ。
 人麻呂は床に座り、十八夜の月明かりに照らされる波を見ていた。そこに、媛は案内された。人麻呂の前に、急に、あの見知らぬ美しい女が現れた。その見知らぬ美しい女は脇に座り、人麻呂の視線の先に目を合わせ、海を見た。その視線の先には、上がり行く月明かりを受け、海に一筋の光の道が現れていた。清々しい美しさである。
「麻呂、これは清々しい」
「吾は凡津宮の淡海や飛鳥の豊浦の池しか、見たことが無かった。これが、大海か。怖いくらいに、果てが無い。でも、この世のものとは思えないほどに、美しい」
 媛は、視界の先には常に山並みが有る、狭い水面の池や川がある倭の世界しか知らなかった。しかし、この視線の先に何も無い。ただ、月光に照らされる黒々とした力強い海しかない、この知らない世界に圧倒されていた。同時に、それを感情として表わす言葉を失った。
 媛は思った。「人麻呂は、吾との時間に海に月の道が出来き、その後、波頭が月明かりでキラキラと輝く姿を見せる場所を選んだ。この景色は偶然ではない。これは、人麻呂が初めての外国への旅に心弾ませる、この吾に用意してくれた特別の贈り物だ」と。
 いつしか、媛は黒牛潟の磯浜の月見の床で、人麻呂の腕の中に居る。そして、己の背に人麻呂の温もりを受け、二人して太平洋の月明かりに照らさせる力強く打ち寄せる波を眺めていた。
 巨勢媛は人麻呂に包まれ、人麻呂が媛の耳朶、乳房や芽子にする愛撫の中、黒潮の潮騒と月明かりを浴びた。その心地よさと潮騒のリズムが媛を愛の魔法に陥れた。その魔法が解けた時、媛の体は素肌に人麻呂の荒々しい体の重みを受け止めていた。その媛の体は久しい男の逞しさにうれしい悲鳴を上げた。そして、初めての星空を見上げながらの草生す匂いと時外れの栗花の匂いが入り混じった、その官能の匂いに酔いしれた。その媛は、経験したことの無かった月明かりの下で初めて男と夜を過ごし、朝を迎えた。

白妙之袖不數而烏玉之今夜者不寐明将開
訓読 白栲し袖數(な)めづてぬばたまし今夜は寝ずて明けば明けなむ
私訳 今夜、色白の肌美しい貴女との白い栲の夜衣の袖を交わした回数を数えることもせず、また、貴女とのために漆黒の今夜に眠りを取ることなく、それで夜が明けてしまうなら明けるがよい。

白細之手本寛久人之宿味宿者不寐哉戀将渡
訓読 白栲し手本(たもと)寛(ゆた)けく人し寝(ぬ)る味寝(うまゐ)は寝(ね)ずや恋ひわたりなむ
私訳 白い栲の夜衣の袖の貴方の手枕に気持ちがなごむ。世の人が眠りを取るように今夜に安らかな眠りを取ることなく、貴方と「恋の行い」を夜通ししましょう。

 媛が三十五歳になった時、媛は人麻呂が彼の家に妻を入れることを認めた。当時、女の三十五は、性において女と老女とを区分する年齢であった。律令が世を治める時代、官人として代を継ぐ男子が出来なかった媛には、人麻呂が別に女を求め、その女に男子を産ますことは仕方がないことであった。そして、男子を産んだ春日一族のその女が柿本一族の自刀となった。それを境に、次第、二人の仲は夜床を共にする仲から、心の朋であり、和歌の世界の同志へと変わった。
 巨勢媛にとって、この黒牛潟の磯浜での人麻呂との営みは、その時以来の人麻呂の体の重みであった。


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3 コメント

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高市大王について (しらかべ)
2014-07-15 08:44:48
高市大王について
大変興味深く拝見いたしました。
高市大王と柿本人麻呂の関係に興味があります。
藤原宮、藤原京の事実から見て、新益京というのは、日本書紀、続日本紀の、藤原京の名称消し去りのための操作ではないかと思います。藤原京は飛鳥に付け足したような小さな京ではないことが明確になりました。創作したフィクションの藤原不比等とは共存できません。高市大王には人麻呂の壮大な挽歌があります、その時期は708年頃ではないでしょうか。高市大王は高市大寺から大官大寺、大宝律令、藤原京までを実現したまさしく大王ではないかと思います。それを隠蔽するため日本書紀と続日本紀に分断し、更に天武、持統、文武を創作しているものと思います。持統は則天武后の年表からの引き写しのようです。大化の改新以降のフィクションが証明できれば、古代史は分かりやすくなると思います、それ無しには何時まで経っても金石文や中国史書との齟齬が解消できないと思います。
日本書紀は天皇一系の小説、それは山部が百済出自を正当化するためのフィクションということです。徳川家康が何時までも豊臣秀頼の後見を勤めることが無かったように、藤原百川が山部の後見を何時までもしたとは思えませんから山部は百川でしょう、だから緒継にいかに百川のお陰を受けたかと物語ったものと思います。
返事が遅れました (作業員)
2014-07-16 23:19:19
ご指摘の歴史観については、「日本挽歌を鑑賞する」で私案を述べさせて頂いています。
私案では続日本紀は桓武天皇の改竄であり、日本書紀は嵯峨天皇による日本紀からの改訂と結論付けています。
続日本紀の現代語訳本は伝統の歴史観に合わせるために意訳や創訳がふんだんに含まれています。
可能なら原文から続日本紀や日本後紀等の点検をお勧めします。

宜しく、お願い致します。
ありがとうございました (しらかべ)
2014-07-18 05:29:42
該当記事拝見いたしました。古典基礎がありませんので内容がいまいち理解に至りませんが、高市大王から長屋大王までの流れはわかりました。大変すっきりと700年前後の流れが理解できました。
ありがとうございました。

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