竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集の中の古事記物語

2017年05月11日 | 初めて万葉集に親しむ
万葉集の中の古事記物語

 最初にお断りします。ここで紹介する歌の解釈は一般的な万葉集の理解では非常に特異な解釈と扱われます。そして、紹介する説明はその特異な解釈と評価されるものを明らかにするものですので、一般の社会人の方には退屈なものになっていますし、学生・学業には害悪となります。それをお含み下さい。

 奈良の都への遷都以前の作品を集めた巻一や巻二を中心とする原初万葉集の歌が詠われた時代は、『古事記』が編集された時代と重なります。一方、古事記は天武天皇から持統天皇の時代に国家としてその編集が計画された歴史書です。現代もそうですが、国家として歴史書を編集すると云う事業は、その時代の一大関心事であったと思います。すると、今日でも万博博覧会やオリンピック毎に歌が創られ詠われるように、万葉集の歌の中に古事記に因むような歌がなかったのかと云うと、ちゃんとそれはあります。それも万葉集の巻頭を飾る歌として取り入れられています。それが泊瀬朝倉宮御宇天皇と称される雄略天皇御製歌です。

天皇御製謌
標訓 天皇(すめらみこと)の御(かた)りて製(つく)らしし謌
集歌一
原歌 籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑 名告沙根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師告名倍手 吾己曽座 我許者背齒 告目 家呼毛名雄母

試訓 籠(こ)もと 御籠(みこ)持ち 布(ふ)奇(くし)もと 美夫君(みふきみ)し持ち この岳(をか)に 菜(な)採(つ)ます児 家聞かむ 名 告(の)らさね
空見つ 大和の国は 押し靡びて 吾こそ居(を)れ 師告(しつ)為(な)べて 吾こそ座(ま)せ 吾が乞(こ)はせし 告(の)らめ 家をも名をも

試訳 貴女と夜を共にする塗籠(ぬりごめ)と 夜御殿(よんのおとど)を持ち 妻問いの贈物の布を掛けた奇(めずら)しい犬とを 貴女の夫となる私の主(あるじ)は持っています。この丘で 春菜を採むお嬢さん 貴女はどこの家のお嬢さんですか。名前を告げてください。そして、私の主人の求婚を受け入れてください。
仏教が広まるこの大和の国は 豪族を押し靡かせ私がこの国を支配し、軍を指揮して私がこの国を統率している。その大王である私が求めている。さあ、私の結婚の申し込みを受け入れて、告げなさい。貴女の家柄と貴女の本当の立派な名前も。

 最初の段で万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌と紹介しました。この雄略天皇御製歌は、その基本に従って歌を解釈しなければならない歌です。
 万葉集の歌の表記の特徴と云う基本に立ち、この歌を調べますと、この歌は十七句で構成され、その各句の最初の漢字は「籠」、「美」、「布」、「美」、「此」、「菜」、「家」、「名」、「虚」、「山」、「押」、「吾」、「師」、「吾」、「我」、「告」、「家」です。これらの漢字は漢語か訓仮名に区分される文字で、大和言葉の発声を指示するだけの音仮名に分類される文字はありません。
 ところが、一般に雄略天皇御製歌の三句目の「布久思毛與」は「ふくしもと」と訓じ「掘串もと」と漢字で書く言葉として理解され、それを下にこの歌全体を解釈して、春菜摘みの予祝歌と解説します。しかし、この場合、「布」の文字は音仮名として訓む必要が出てきます。すると、他の句頭の文字に音仮名が使われていないのに、なぜ、この文字だけが音仮名として訓むことが正しいのかと云う問題が出てきます。一方、もしそれが例外なら、なぜこの文字だけが例外なのかと云う問題と、「掘串もと」と訓みたいのならそれに見合う漢語か訓仮名がなかったのかと云うことを考察する必要があります。そうでないのなら「布」の文字を漢語か訓仮名として解釈する必要があります。ここで音仮名とは「あ」を「阿」の文字を使って表すように大和言葉の音を表す漢字に漢語としての意味を持たない仮名文字で、訓仮名とは大和言葉の音を表す漢字に漢字本来の言葉の意味を持たせた仮名文字です。例として織物の布の文字の意味を持たせて「布」を「ふ」と訓む、美しいと云う意味を持たせて「美」を「み・び」と訓むようなものが訓仮名となります。
 この音仮名・訓仮名の言葉の理解を深めるために音仮名の歌を例題として東歌に載る歌から取り上げて説明します。紹介する例題が示すように、多くの東歌の歌は集歌三四四一の歌や集歌三四四三の歌のように使われる文字は音だけを表し、その一字一字は漢字としての意味を持ちません。これが音仮名の歌です。ところが、同じ東歌に載る歌ですが集歌三四四〇の歌に使われる「菜」や「兒」の文字は、正訓字と呼ばれる言葉の音を示す字音と漢字の意味を同時に持つ訓仮名です。これは主に音仮名で歌を表記する東歌の歌では特殊な用法とされています。そして、類推で「菜」や「兒」の文字の位置に注目すると「毛」と云う文字も音を表す音仮名の用法だけでなく、陰毛を暗示させる働きがあると推測されます。このように作歌者は音仮名と訓仮名を使い分け、文字が持つ力を引き出すような表記方法を駆使することで歌に奥行きを持たせていると推定されます。同じように万葉集で一番の猥歌とも称される集歌三五三〇の歌の「鹿」、「草」、「兒」、「門」の文字が正訓字で、文字に漢字本来の意味を持つ正訓字を特別に選択して使ったと云うことを踏まえて、この歌を解釈することになっています。その結果が、万葉集で一二を争う猥歌と云う評判です。

集歌三四四一
原歌 麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻
訓読 ま遠くの雲居に見ゆる妹が家(へ)にいつか至らむ歩め吾(あ)が駒
私訳 はるか遠くの雲が懸かって見える愛しい貴女の家に、そのうちに着くだろう。歩め、わが駒よ。

集歌三四四三
原歌 宇良毛奈久 和我由久美知尓 安乎夜宜乃 波里弖多弖礼波 物能毛比弖都母
訓読 うらもなく吾(わ)が行く道に青柳(あをやぎ)の張りて立てれば物思ひ出つも
私訳 無心に私が歩いて行く、その道に青柳が枝を張り立っていると、ふと、物思いをする。

集歌三四四〇
原歌 許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊弖兒多婆里尓
訓読 この川に朝菜(あさな)洗ふ子(こ)汝(なれ)も吾(あれ)も同輩児(よち)をぞ持てるいで子(こ)給(たは)りに
私訳 この川にしゃがみ朝菜を洗う娘さん。お前もおれも、それぞれの分身を持っているよね。さあ、お前の(股からのぞかせている)その分身を私に使わせてくれ。

集歌三五三〇
原歌 左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
訓読 さを鹿の伏すや草群(くさむら)見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
私訳 立派な角を持つ牡鹿が伏すだろう、その草むらが見えないように、姿は見えなくても、あの娘のりっぱな門を通るのは、それだけでも気持ちが良い。
注意 歌意において「さお鹿」は男性器、「金門」は女性器、「草群」は女性の陰毛を意味する隠語として扱います。その時、歌は若い娘の草群が見えない位置、つまり、立たせたままで後ろから抱いた時の話となります。

 雄略天皇御製歌に戻ります。以上の説明に従い、他の句頭の文字と同じように「布」の文字を訓仮名として解釈してみます。そして、雄略天皇に関係して「布」と「くし」との言葉で歴史を探ると、参考資料として示す古事記の雄略天皇と若日下部王との妻問い物語に辿り着きます。古事記に載る物語では、天皇は白い犬に布を掛け、鈴を付けたものを「奇しきもの」と述べています。万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌と云う原則を下に、万葉仮名には音仮名と訓仮名の区分があることを認識すると、この雄略天皇御製歌とは古事記の物語を題材に創られた歌物語と云うことが導き出されます。このように万葉集の歌の特徴をきちんと踏まえると、社会人らしい万葉集の歌の中にある種の言葉のゲームを楽しむことが出来ます。
 なお、原歌の「布久思毛與」を「掘串もと」と訓じる校本万葉集では歌を春の菜摘みの予祝歌として歌意を取るため、それに合わせるように西本願寺本万葉集の原歌に対して歌句を校訂して鑑賞します。この校訂が必要と云う昭和初期に成った新しい研究成果により本歌は原歌のままでは訓じることが出来ない歌と区分されます。一方、示しましたように西本願寺本万葉集の原歌はそのままで古事記を題材にした歌として訓じを持ちます。ここに本編が特異・独特な鑑賞を行っていると云う問題点が現われます。
 本段では万葉集の歌は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された歌と云う視線で万葉集歌を鑑賞する時に、その万葉仮名と云う漢字には音仮名と訓仮名との二つ区分があることを紹介しました。そして、万葉集歌を鑑賞する時に、万葉仮名が使われるその文字を音仮名と訓仮名とを区分することが歌の解釈において時には重要な問題を提起する可能性を紹介しました。
 参考に、この「初めて万葉集に親しむ」では詳しくは紹介をしませんが、万葉仮名には「ゐ」、「ゑ」、「を」の祖となる上代仮名遣いと云う発音での区分があります。これも歌の解釈では重要な問題を提起しますが、甲・乙音の上代仮名遣い表に従って使われる万葉仮名の漢字を当て嵌めればよいので、音仮名と訓仮名との区分よりは取り付きやすいと思います。なお、音仮名と訓仮名との使い分けには作歌者の明確な選字の意図がありますが、上代仮名遣いでの万葉仮名の選字は倭地域に住む人の発音がベースです。そのため作歌者の意図した選字関与は薄いと考えます。ただ、日本各地との人の交流が進んだ奈良時代後期には倭方言と思われるこの上代仮名遣いは次第に姿を消します。
 
 ここで古事記の話題に戻りますと、雄略天皇御製歌と同じように万葉集の中に人麻呂歌集から採歌したものなどに古事記を題材にした歌を見つけることできます。もし、興味がお有りでしたら、万葉集と古事記、特に雄略天皇紀や仁徳天皇紀を中心に比べてみて下さい。また、万葉集の挽歌では古事記に載る倭建命の故事を引用する場合があります。なぜ、柿本人麻呂が詠う近江海で千鳥が鳴くと昔を偲ぶのかを、倭建命の故事と天智天皇の倭皇后が詠う歌から考えてみるのも、万葉集の歌の中での言葉のゲームとして良い題材ではないでしょうか。
 こうした時、『古事記』に「和加久佐能 都麻能美許登(わかくさの つまのみこと)」と云う歌の句があり、「みこと」と云う言葉において「尊」または「命」の尊称を持つから男であり、女ではないとします。ここから、伝統ではこの句を「若草の夫(つま)の命(みこと)」と訳しますが、一方では万葉集の慣用句である「吾妹」と同じ意味合いで「若草の妻の命」と読み「若草のような若々しい貴方の妻である私の、その貴方」と解釈し、沼河日賣が妻問ひの場面で、夫に歌を詠いかけるときに自分が貴方の妻であると云うことを強調していると解釈することも可能です。また、万葉集に載る集歌四四三の歌の句「帶乳根乃 母命者」、集歌一七七四の歌の句「垂乳根乃 母之命乃」などと云う言葉の存在は、伝統の解説では存在しないかのように扱います。従いまして昭和以降の伝統ではありますが、古語で「つま」と云う言葉が「夫」も示すと決めつけるのはどうでしょうか。このように語源解説をたどると古語では「夫」も「つま」と読むと云う説の根拠が怪しくなります。時に、歌を解釈していて伝統的な言葉の定義がしっくりこない時、その語源まで探ることが出来るのは社会人の特権です。その調査・考察の結果が従来の学説と違っていても市井の人では問題ありません。そこが学会・権威の意向に従わないと身分が保障されない大学研究者との違いです。
 参考として、次に紹介するものは本編独自の解釈によるものです。集歌一五三の歌は古事記に載る倭建命の故事 美濃で亡くなった皇子の魂が白千鳥となって倭へと飛び去ったと云うものを踏まえ、さらに、亡くなられた天智天皇を悼む倭皇后が詠うその集歌一五三の歌を踏まえた上で柿本人麻呂の集歌二六六の歌が詠われたと解釈しています。ここには二段階の背景があります。そのため、みなさんが普段に目にする現代語訳や解説とは違っています。挽歌で飛び立つ鳥が倭建命の故事から八尋白智鳥としますと、倭皇后の詠う「嬬之念鳥立」と云うものと柿本人麻呂の「夕浪千鳥」の情景とが符号して来ます。古事記を踏まえますと、この二首の関係は非常に判り易いものと考えます。

集歌一五三 倭皇后
原歌 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来舡 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
訓読 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖(おき)放(さ)けて 漕ぎ来る船 辺(へ)附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かひ) いたくな撥ねそ 辺(へ)つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 嬬(つま)の 念(おも)ふ鳥立つ
私訳 大きな魚を取る淡海の海を、沖遠くを漕ぎ来る船、岸近くを漕ぎ来る船、沖の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、岸の船の櫂よそんなに水を撥ねるな、若草のような妻が思い出を寄せる八尋白智鳥が飛び立つ

集歌二六六 柿本人麻呂
原歌 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思奴尓 古所念
訓読 淡海(あふみ)の海夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)念(おも)ほゆ
私訳 淡海の海の夕波に翔ける千鳥よ。お前が鳴くと気持ちは深く、この地で亡くなられた天智天皇がお治めになった昔の日々を思い出す。

参考資料 古事記 雄略天皇紀より 抜粋読み下し
初め大后(おほきさき)の日下(くさか)に坐(いま)します時に、日下の直(ただ)越(こ)への道より河内に幸行(いでま)しき。爾(ここ)に山の上(うへ)に登りて國の内を望めば、堅魚(かつを)を上げて舎屋(や)を作れる家有り。天皇(すめらみこと)の其の家を問わさしめて云はく「其の堅魚(かつを)を上げて作れる舎(や)は誰が家(いへ)ぞ」といへり。答えて白(もう)さく「志幾(しき)の大縣主(おほあがたぬし)の家そ」といへり。爾に天皇の詔(の)らさくに「奴(やつこ)や、己(おの)が家の天皇の御舎(みあから)に似せて造れり」といへり。即ち人を遣りて、其の家を燒かしめむ時に、其の大縣主の懼(お)じ畏(かしこ)みて稽首(ぬかつ)きて白さく「奴(やつこ)に有れば、奴(やつこ)隨(なが)ら覺(さと)らずて過ち作れるは甚(いと)畏(かし)こし。故(かれ)、能美(のみ)の御幣物(みまいもの)を獻(たてまつ)らん(能美の二字は音を以ちてす)」といへり。布を白き犬に懸け、鈴を著(つ)けて、己が族(うがら)、名は腰佩(こしはき)と謂う人に犬の繩を取らしめて以ちて獻上(たてまつ)りき。故、其の火を著くるを止めしむ。
即ち其の若(わか)日下部(くさかべ)の王(おほきみ)の許に幸行(いでま)して、其の犬を賜い入れ詔(の)らさくに「是の物は、今日、道に得たる奇(くし)しき物ぞ。故、都麻杼比(つまとひ)(此の四字音を以ちてす)の物ぞ」と云いて賜い入れき。ここに若日下部の王、天皇に奏(もう)さしめしく「日に背きて幸行(いでま)す事、甚(いと)恐(かしこ)し。故、己(おのれ)、直(ただ)に參い上りて仕え奉(まつ)らん」といへり。是を以ちて宮に坐(ま)す時に、其の山の坂の上(ほとり)に行き立ちて歌いて曰く、
日下部の 此方(こち)の山と 畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の 此方(こち)此方(ごち)の 山の峡(かひ)に立ち栄ゆる 葉広(はひろ)熊(くま)白檮(かし) 本(もと)には い茂(く)み竹(たけ)生(お)ひ 末辺(すえへ)には た繁(し)み竹生ひ い茂(く)み竹 い隠(く)みは寝ず た繁(し)竹 確(たし)には率(い)寝(ね)ず 後も隠(く)み寝む 其の思ひ妻 あはれ
即ち、此の歌を持たしめて使を返しき。

コメント   この記事についてブログを書く
« 万葉集の歌物語を楽しむ | トップ | 平安貴族の万葉集の訓みを考える »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

初めて万葉集に親しむ」カテゴリの最新記事