竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  藤原宇合卿遣西海道節度使之時謌

2010年11月26日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
四年壬申、藤原宇合卿遣西海道節度使之時、高橋連蟲麻呂作謌一首并短謌
標訓 四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣(つかは)さえし時に、高橋連蟲麻呂の作れる謌一首并せて短謌

集歌971 白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行君者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 君之来益者

訓読 白雲の 龍田の山の 露霜(つゆしも)に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い去(い)きさくみ 敵(あた)守(まも)る 筑紫に至り 山の極(そき) 野の極(そき)見よと 伴の部(へ)を 班(あか)ち遣(つかは)し 山彦(やまびこ)の 答へむ極(きは)み 谷蟇(たにくぐ)の さ渡る極(きは)み 国形(くにかた)を 見し給ひて 冬成りて 春さり行かば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の 丘辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの 薫(にほは)む時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎(むか)へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

私訳 白雲の立つ龍田の山の木々が露霜により黄葉に色づく時に、山路を越えて旅行く貴方は多くの山を踏み越えて敵が守る筑紫に至り、山の極み、野の極みまで敵を見つけて成敗せよと、部下の部民を編成し派遣し、山彦が声を返す極み、ヒキガエルが這い潜り込む地の底の極みまで、その国の様子を掌握されて、冬が峠を越え、春がやって来ると、飛ぶ鳥のように、早く帰ってきてください。龍田道の丘の道に真っ赤なツツジが薫る時の、桜の花が咲く頃に、ニワトコの葉が向かい合うように迎えに参り出向きましょう。貴方が帰って御出でなら。

反謌一首
集歌972 千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念
訓読 千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言(こと)挙(あ)げせず取りて来ぬべき男(をのこ)とぞ念(おも)ふ

私訳 千万の敵軍であるとして、改めて神に誓約しなくとも敵を平定してくるはずの男子であると、貴方のことを思います。

右、檢補任文、八月十七日任東山々陰西海節度使。
注訓 右は、補任の文を檢(かむが)ふるに、八月十七日に東山・山陰・西海の節度使を任す。

 ここで、これらの歌は万葉集巻六で次の御歌とともに鑑賞する歌ですので、その御歌を参考に載せさせていただきます。

天皇賜酒節度使卿等御謌一首并短謌
標訓 天皇(すめらみこと)の酒(みき)を節度使の卿等(まへつきみたち)に賜へる御謌(おほみうた)一首并せて短謌

集歌973 食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者

訓読 食国(をすくに)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝等(いましら)が かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 吾は遊ばむ 手抱(たむだ)きて 吾は在(いま)さむ 天皇(すめ)と朕(われ) うづの御手(みて)もち かき撫でぞ 労(ね)ぎ賜ふ うち撫でぞ 労(ね)ぎ賜ふ 還(かへ)り来(こ)む日 相飲まむ酒(き)ぞ この豊御酒(とよみき)は

私訳 天皇が治める国の遠くの朝廷たる各地の府に、お前たちが節度使として赴いたら、平安に私は身を任そう、自ら手を下すことなく私は居よう。天皇と私は。高貴な御手をもって、卿達の髪を撫で労をねぎらおう、頭を撫でて苦をねぎらおう。そなたたちが帰って来た日に、酌み交わす酒であるぞ、この神からの大切な酒は。


反謌一首
集歌974 大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴
訓読 大夫(ますらを)の去(い)くといふ道ぞ凡(おほ)ろかに念(おも)ひて行くな大夫(ますらを)の伴

私訳 立派な男子が旅立っていくと云う道だ。普通の人々が旅立つと思って旅立つな。立派な男子たる男達よ。

右御謌者、或云、太上天皇御製也。
注訓 右の御謌(おほみうた)は、或は云はく「太上天皇の御製なり」といへる。

 さて、集歌973の歌の「天皇朕」の詞は集歌974の歌の左注を採用すると、「朕」とは元正太上天皇を示すことになります。この場合、集歌973の歌の標には反しますが、この「天皇朕」の詞は「天皇と朕」と訓むことも可能です。それで、ここでは「天皇(すめ)と朕(われ)」と訓んでいます。歴史的行事としては、天皇の御出座での宴であったと思われますので、元正太上天皇が歌を詠われたとしても、宴の主催者としての「天皇賜酒節度使卿等」の表記なのでしょう。なお、標の「御謌」の表現だけでは、聖武天皇の御製か、元正太上天皇の御製かを区別することは出来ません。
 ここで、集歌971の歌から集歌974の歌までを一連の歌群としますと、集歌972の歌に「言擧不為」とありますから、本来なら節度使の出立の前に行われるような天皇による朝敵平定の神事が行われなかったと推測されます。その代替として、元正太上天皇により節度使への送別の宴が行われたようで、その宴に招かれたのが藤原朝臣房前、丹比真人県守と藤原朝臣宇合の三人だったと思われます。そして、この三人の中で藤原宇合は、万葉時代を代表する歌人ですし、元正太上天皇もまた和歌をよくする御方です。推測ですが、場合により宴での歌の交換は元正太上天皇、藤原宇合、高橋蟲麻呂を中心に行われたのかもしれません。なお、宮中での宴で、高橋蟲麻呂が集歌971の歌を詠ったのですと、宮中行事への参加身分の関係から定説である「高橋蟲麻呂は藤原宇合の従者説」は、万葉集の歌からは成り立たなくなります。
 参考として、集歌972の左注に天平四年八月十七日の日付が出ていますが、続日本紀に従えば、叙任の布告は八月十七日ですが、赴任のための身分証明になる駅鈴などの交付は十月十一日です。つまり、これらの歌々は新暦十月下旬から十一月頃の歌となります。それで、集歌971の歌が詠う季節が、生駒山系が黄葉となる季節です。このとき、集歌972の歌の左注を付記した人物の季節感に辛さを見ますし、公卿補任の書類だけを参照して続日本紀の記事を知らなかったようです。


コメント   この記事についてブログを書く
« 高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する... | トップ | 高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集」カテゴリの最新記事