竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その4

2009年04月19日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 長歌のもじり歌 その4

原文 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持
訓読 丹(に)よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち(04)
私訳 年頃の美しい少女達と同じ頃は、蜷貝の腸が真っ黒のようにつややかに光る黒い髪の毛に櫛を当て

万葉集にはこのもじりの原文となったと思われる歌が二首あります。集歌0804の歌と集歌3295の歌です。ただ、集歌3295の歌は集歌0804の「世間の住り難きを哀しびたる歌」の一節を借りたような雰囲気がありますので、私は、長歌のもじり歌の元は集歌0804の「世間の住り難きを哀しびたる歌」と思っています。
さて、この集歌0804の歌は、声に出して詠唱する歌ではありません。集歌0804の歌が神亀五年七月の作品で、同じ山上憶良の作品の貧窮問答の歌が天平四年頃とされていますから、集歌0804の歌が日本最初の朗読する歌に相当すると思われます。其の点で、竹取物語などに先行する重要な歌物語の位置づけになるのではないでしょうか。柿本人麻呂の長文の挽歌が公の場で荘厳な調べで歌い上げるものに対して、この「世間の住り難きを哀しびたる歌」は独りでじっくり鑑賞する歌です。長文の長歌に分類されますが、まったく、性格やジャンルの違うものです。この観点に立つと、この歌は万葉集の編纂に欠くことのできない歌になります。
なお、神亀五年七月を神亀六年七月と特別に誤読すると、歌の意味合いが変わってきます。山上憶良は養老五年に東宮侍講に任命されています。歴史では、この東宮とは首皇子となっていますが、万葉集の歌から長屋王か膳部王の可能性も棄て切れません。こうした時、神亀六年七月は長屋王の変で長屋王と膳部王との親子が暗殺された直後となります。そして、現在の東京都知事に匹敵する筑前国守に山上憶良を抜擢したのは長屋王政権です。その恩人の親子が暗殺された直後の歌とすると、違った景色に感じるはずです。一種、頼るべき人を失い、死に遅れた感覚を感じるのでは無いでしょうか。もし、歌を神亀六年七月としたとき、個人の実力で登ってきた山上憶良は長屋王派の官僚として自身の身の危険と官僚としての身分を失う危機に接していたはずです。
この神亀五年七月を神亀六年七月と特別に誤読できる可能性については、すこぶる長くなりますので特別に章を設けて説明したいと思います。

(山上憶良)
哀世間難住謌一首并序
標訓 世間(よのなか)の住(とどま)り難きを哀(かな)しびたる歌一首并せて序
易集難排、八大辛苦、難遂易盡、百年賞樂。古人所歎、今亦及之。所以因作一章之謌、以撥二毛之歎。其謌曰
序訓 集(つど)ひ易く排(はら)ひ難きは八大の辛苦にして、遂(と)げ難く尽し易きは百年の賞楽なり。古人の歎きし所は、今亦これに及(し)けり。ここに因(よ)りて一章の歌を作りて、二毛の歎きを溌(はら)ふ。其の歌に曰はく

集歌0804 世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留母能波 毛々久佐尓 勢米余利伎多流 遠等良何 遠等佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻多麻提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆恵 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久麻延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳波流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新
訓読 世間(よのなか)の 術(すべ)なきものは 年月(としつき)は 流るる如し 取り続き 追ひ来るものは 百種(ももたね)に 迫(せ)め寄り来る 娘子(をとめ)らが 娘子(をとめ)さびすと 唐玉(からたま)を 手本(たもと)に纏(ま)かし 同輩子(よちこ)らと 手携(たづさ)はりて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過ぐし遣(や)りつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜の降りけむ 紅(くれなゐ)の 面(おも)の上(うへ)に 何処(いづく)ゆか 皺(しは)が来(き)りし 大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 猟弓(さつゆみ)を 手握り持ちて 赤駒に 倭文(しつ)鞍うち置き 這(は)ひ乗りて 遊び歩きし 世間(よのなか)や 常にありける 娘子(をとめ)らが さ寝(ね)す板戸を 押し開き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまて)の 玉手さし交(か)へ さ寝(ね)し夜の 幾許(いくだ)もあらねば 手束杖(たつかつゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老男(およしを)は 如(か)くのみならし たまきはる 命惜しけど 為(せ)む術(すべ)も無し
私訳 人の世でどうしようもないことは、歳月が流れるごとくに、次々に追い来るものは、百のも苦しみの姿で攻め寄せてくる。娘女たちが娘女らしく舶来の唐玉を手に巻いて、同輩の仲間たちと手に手を取って風流を楽しんだ、その娘女時代の盛りを留めかね、時が過ぎて行ってしまうのにつれて、蜷の腸のように真っ黒な髪が、いつの間に霜が降りてしまい、紅の顔の上に、どこから皺がやって来てた。大夫が男子らしく剣や大刀を腰に帯びて、狩弓を手に握り持って、赤駒に倭文の鞍を置き、よじのぼって馬に乗り狩りをして行く、そんな人の世がいつまでもあるだろうか。娘女たちが寝る籠の板戸を押し開き、探り寄って、玉のような美しい腕を差し交わして寝た夜が、そんな夜など幾らもないのに、手束の杖を持って腰にあてがい、あちらに行っても人に嫌がられ、こちらに行っても人に憎まれて、年老いた男というのはこうしたものらしい。魂きはる命は惜しいけれども、嫌がられ憎まれて、どうしようもない。

反謌
集歌805 等伎波奈周 迦久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母
訓読 常磐(ときは)なすかくしもがもと思へども世の事なれば留(とど)みかねつも
意訳 常盤のように末長くとそのようにありたいと思うのですが、人の世のことであるので人の命を末長くと留めることは出来ないようです。
神龜五年七月廿一日、於嘉摩郡撰定。筑前國守山上憶良
注訓 神亀五年七月廿一日、嘉摩郡にして撰定す。筑前國守山上憶良

 長歌と反歌で、「人の命」について意味合いが異なっています。長歌は耐え忍び生きている自分で、反歌は惜しまれて死んでいった誰かです。
普段の解説では「その誰か」は大伴郎女と推定されますが、そのとき、「嫌がられ憎まれて耐え忍び生きている自分」は大伴旅人になります。山上憶良は大宰師の大伴旅人をそのように表現したでしょうか。それとも憶良の人妻への恋でしょうか。

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