竹取翁と万葉集のお勉強

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類聚歌林に載る歌を鑑賞する 後編

2011年04月10日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
類聚歌林に載る歌を鑑賞する 後編

高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麿作歌一首并短哥
標訓 高市皇子尊の城上(きのへ)の殯宮(あらぎのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌

集歌199 桂文 忌之伎鴨(一云、由遊志計礼杼母) 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛釼 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜(一云、拂賜而) 食國乎 定賜等 鷄之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破 人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡(一云、掃部等) 皇子随 任賜者 大御身尓 太刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻弖 吹響流 小角乃音母(一云、笛乃音波) 敵見有 虎可叭吼登 諸人之 恊流麻弖尓(一云、聞惑麻弖) 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之(一云、冬木成 春野焼火之) 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓(一云、由布乃林) 飃可毛 伊巻渡等 念麻弖 聞之恐久(一云、諸人、見惑麻弖尓) 引放 箭計久 大雪乃 乱而来礼 (一云、霰成 曽知余里久礼婆) 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相竟端尓(一云、朝霜之 消者消言尓 打蝉等 安良蘇布波之尓) 渡會乃 齊宮従 神風尓 伊吹惑之 天雲乎 日之目不合見 常闇尓 覆賜而定之 水穂之國乎 神随 太敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代 然之毛将有登(一云、如是毛安良無等) 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎(一云、刺竹 皇子御門乎) 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 垣安乃 御門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 鳥玉能 暮尓至者 大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未盡者 言右敞久 百濟之原従 神葬 ゞ伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香未山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文
訓読  かけまくも ゆゆしきかも (一(ある)は云はく、ゆゆしけれども) 言(こと)はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香の 真(ま)神(かみ)が原に ひさかたの 天つ御門(みかど)を 懼(かしこ)くも 定め賜ひて 神さぶと 磐(いは)隠(かく)り座(いま)す やすみしし 吾(わ)が大王(おほきみ)の 聞(き)こし食(め)す 背面(そとも)の国の 真木立つ 不破(ふは)山越えて 狛剣(こまつるぎ) 和射見(わざみ)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あまも)り座(いま)して 天の下 治め賜ひ (一は云はく、掃(はら)ひ賜ひて) 食(を)す国を 定め賜ふと 鶏(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 喚(め)し賜ひて ちはやぶる 人を和(やわ)せと 奉(まつ)ろはぬ 国を治めと (一は云はく、掃(はら)へと) 皇子ながら 任(よさ)し賜へば 大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り帯(をび)し 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を 率(あども)ひ賜ひ 斎(ととの)ふる 鼓(つつみ)の音は 雷(いかづち)の 声(おと)と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音(おと)も (一は云はく、笛の音は) 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の 怖(おび)ゆるまでに (一云 聞き惑ふまで) 指(さ)し挙(あ)げる 幡(はた)の靡きは 冬こもる 春去(さ)り来れば 野ごとに 著(つき)てある火の (一は云はく、冬こもり 春野焼く火の) 風の共(むた) 靡くが如く 取り持てる 弓弭(ゆはず)の驟(さはき) み雪降る 冬の林に (一は云はく、木綿(ゆふ)の林) 旋風(つむぢ)かも い巻き渡ると 念(おも)ふまで 聞(き)きの恐(かしこ)く (一は云はく、諸人の 見惑ふまでに) 引き放(はな)つ 矢の繁けく 大雪の 乱れし来(きた)れ (一は云はく、霰なす 彼方(そち)より来(く)れば) 奉(まつろ)はず 立ち向ひしも 露霜の 消(け)なば消(け)ぬべく 行く鳥の 相ふ竟端(けふたん)に (一は云はく、朝霜の 消(け)なば消(け)とふに 現世(うつせみ)と 争ふはしに) 渡会(わたらひ)の 斎(いつ)きの宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見へず 常闇(とこやみ)に 覆(おほ)ひ賜ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 天の下 申(まを)し賜へば 万代(よろづよ)に 然(しか)しもあらむと (一は云はく、如(かく)しもあらむと) 木綿花(ゆふはな)の 栄ゆる時に 吾が大王(おほきみ) 皇子の御門を (一は云はく、刺す竹の 皇子の御門を) 神宮(かみみや)に 装(よそほ)ひ奉(ま)つりて 使(つかひ)遣(や)り 御門の人も 白栲(しろたえ)の 麻衣(あさころも)着て 垣安(かきやす)の 門(みかど)の原に 茜さす 日のことごと 鹿猪(しし)じもの い匍(は)ひ伏(ふ)しつつ ぬばたまの 夕(ゆうへ)になれば 大殿を 振り放(さ)け見つつ 鶉(うずら)なす い匍(は)ひ廻(もとほ)り 侍(さもら)へど 侍ひえねば 春鳥の 彷徨(さまよ)ひぬれば 嘆(なげ)きも いまだ過ぎぬに 憶(おも)ひも いまだ尽きねば 言(こと)うへく 百済(くだら)の原ゆ 神葬(かみはふ)り 葬(はふ)りいまして 朝も吉 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高く奉(まつ)りて 神ながら 鎮(しづ)まりましぬ 然れども 吾(わ)が大王(おほきみ)の 万代(よろづよ)と 念(おも)ほし食(め)して 作らしし 香未山(かみやま)の宮 万代(よろづよ)に 過ぎむと念(おも)へや 天のごと 振り放(さ)け見つつ 玉(たま)襷(たすき) 懸(か)けて偲(しの)はむ 恐(かしこ)ありども
私訳 口にするのも憚れる、言葉でいうのも畏れ多い。明日香の真神の原に長久の天の王宮を尊くもお定めになって、今は神として岩戸に御隠れなされた天下をあまねく承知なされる我が大王の高市皇子尊が、お治めになる大和の背後にある美濃の国の立派な木が茂る不破山を越えて、高麗の剣の技を見せる、その和暫の原の仮宮に、神として降臨なされて、天下を承知なされ、そのご統治される国をお定めになるというので、鶏の鳴き朝が明ける東国の軍勢を呼び寄せなされて、荒々しい人々を従わせ、服従しない国々を統治せよと、日の御子ではありながら任じられなされると、皇子は御体に太刀を取り帯なされ、御手に弓を取り持って、軍勢を統率なされた。その軍勢を整える鼓の音は雷鳴の音と聞こえるようで、吹き渡る小角の音も敵を見た虎が吼えるのかと人々が思って恐れるまでに聞こえ、高く捧げた幡の靡くことは、冬も終わって春がやってきて、あちこちの野に付けた野火の風と共に靡くようで、兵士の手に取って持った弓の弭の動くざわめきは、み雪降る冬の林につむじ風が吹き巻き渡るかと思われるほど恐ろしく聞こえ、引き放つ矢がはげしく大雪の雪が乱れ来るのように飛んで来る。従わずに立ち向かって来た者は、露や霜が消えるなら解けて消えてしまうように、飛び行く鳥のように乱れ争うときに、度会の神を祭る宮の神風で賊軍を吹き惑わせ、天の雲で太陽の光も見せないまでに真っ暗に覆いなされた。神である大王が定めなされた瑞穂の国を神らしく承知なされ、天下をあまねく承知なされる我が大王が、その天下を治めなされると、万年にもこのようにあるだろうと王宮を寿ぐ木綿の花が栄える時に、我が大王、皇子の王宮を神の宮とお飾り申し上げて、皇子の手足としてお使えしていた御門の人々も白栲の麻の喪の衣をつけ、垣安の王宮の原が茜に染まる日の毎日、鹿や猪のように腹ばいになって伏して、漆黒の夜になると御殿を遠く見上げながら、鶉のように背を丸めてはいまわって、皇子の傍に侍しているけど皇子からお呼びがないので、春の鳥のようにあちこちと彷徨っていると、皇子を悼む嘆きが今でも嘆き過ぎないし、皇子への憶いも未だに尽きないが、言葉が通じない百済のその百済の原に神として葬り、葬り申し上げて、朝日が清々しい城上の宮を皇子の常宮として天高く奉じ、皇子は悠久の神でありながら常宮に鎮まりなされた。そうではありますが、我が大王が万代の王宮と思いなされて御作りになった香具山の宮。万代に時を過ごすと思う。その香具山の宮の御殿を天空のように仰ぎ見ながら。皇子送りの葬送の玉襷を懸けて、皇子を心に懸けて偲びましょう。恐れ多いことではあるが。

短歌二首
集歌200 久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨
訓読 ひさかたの天知らしぬる君ゆゑに日月も知らに恋ひ渡るかも
私訳 遥か彼方の天上の世界を統治なされる貴方のために、日月の時も思わずに貴方をお慕いいたします。

集歌201 垣安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑
訓読 垣安(かきやす)の池の堤の隠(こもり)沼(ぬ)の去方(ゆくへ)を知らに舎人(とねり)は惑ふ
私訳 垣安の池の堤で囲まれた隠沼の水の行方を知らないように、どうしていいのか判らない舎人たちは戸惑っている。

或書反歌一首
標訓 或る書の反歌一首
集歌202 澤之 神社尓三輪須恵 雖禱祈 我王者 高日所知奴
訓読 哭沢(なきさは)の神社(もり)に神酒(みわ)据ゑ祷祈(いの)れども我が王(おほきみ)は高日知らしぬ
私訳 哭沢の神の社に御神酒を据えて神に祈るのですが、我が王は天上の世界をお治めになった。
左注 右一首類聚歌林曰、檜隅女王、怨泣澤神社之歌也。案日本紀曰、十年丙申秋七月辛丑朔庚戌、後尊薨。
注訓 右の一首は類聚歌林に曰はく「檜隅女王の、泣沢神社を怨むる歌」といへり。日本紀を案(かむが)ふるに曰はく「十年丙申の秋七月辛丑の朔の庚戌、後尊(のちのみこと)薨(かむあが)りましぬ」といへり。

大寶元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇幸紀伊國時謌十三首
標訓 大宝元年辛丑の冬十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)大行天皇(さきのすめらみこと)の紀伊国に幸(いでま)しし時の歌十三首
集歌1667 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
訓読 妹がため我れ玉求む沖辺(おきへ)なる白玉寄せ来(こ)沖つ白浪
私訳 貴女のために私は真珠の玉が欲しい。沖の方から白い真珠の玉を波とともに寄せて来い。沖に立つ美しい玉のような波立つ白浪よ。
左注 右一首、上見既畢。但、謌辞小換、年代相違。因以累載。
注訓 右の一首は、上に見ゆること既に畢(をは)りぬ。ただ、歌の辞(ことば)小(すこ)しく換(かは)り、年代相(あひ)違(たが)へり。これに因りて以ちて累ねて載す。

集歌1668 白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧
訓読 白崎は幸(さき)をあり待つ大船に真梶(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)きまたかへり見む
私訳 由良の白崎は御幸のふたたびの訪れを待っている。大船に立派な梶を差し込んで船を出し、また紀伊国の御幸の帰りに見ましょう。

集歌1669 三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人 見戀来六
訓読 三名部(みなべ)の浦潮(しほ)な満ちそね鹿島なる釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む
私訳 紀伊国の三名部の浦に磯の道を閉ざす潮よ満ちるな。鹿嶋で釣をする海人を見に行って来たいから。

集歌1670 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反将来
訓読 朝(あさ)開(ひら)き漕ぎ出て我れは由良(ゆら)の崎釣りする海人(あま)を見変(みかへ)り来まむ
私訳 朝が開け船を漕ぎ出すと、私は由良の岬で釣をする海人の色々な姿を見ることが出来るでしょう。

集歌1671 湯羅乃前 塩乾尓祁良乎志 白神之 磯浦箕乎 敢而滂動
訓読 由良(ゆら)の崎潮(しほ)干(ひ)にけらし白神(しらかみ)の礒の浦廻(うらみ)を敢(あ)へて漕ぐなり
私訳 由良の岬の潮は引き潮のようです。白浪が打ち寄せる白神の磯の浦の辺りを、敢えて船を楫を漕いでいく。

集歌1672 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裙須蘇延 往者誰妻
訓読 黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれなゐ)の玉裳(たまも)裾(すそ)引(ひ)き行くは誰(た)が妻
私訳 黒牛の潟の潮が干いた浜辺を紅の美しい裳の裾を引いて歩いているのは誰の恋人でしょうか。

集歌1673 風莫乃 濱之白浪 従 於斯依久流 見人無
訓読 風莫(かぜなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに
私訳 風があっても風莫の浜と呼ばれる浜の白波は、ただ無性に寄せてくる。見る人もいないのに。
左注 一云、於斯依来藻
訓読 一(あるひ)は云はく、ここに寄せ来も
左注 右一首、山上臣憶良類聚歌林曰、長忌寸意吉麿、應詔作此謌。
注訓 右の一首は、山上臣憶良の類聚歌林に曰はく「長忌寸意吉麿、詔(みことのり)に応(こた)へてこの歌を作る」といへり。

集歌1674 我背兒我 使将来歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
訓読 我が背子が使(つかひ)来(こ)むかと出立(いでたち)のこの松原を今日(けふ)か過ぎなむ
私訳 私の愛しい子が父からの便りの使いが来ないかと家の外に出て立つように、まだかまだかと待っていた出立のこの松原を今日は行き過ぎます。

集歌1675 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳
訓読 藤白(ふぢしろ)の御坂を越ゆと白栲の我が衣手(ころもて)は濡れにけるかも
私訳 藤白の御坂を越えると、有馬皇子の故事を思うと白栲の私の衣の袖は皇子を思う涙に濡れるでしょう。

集歌1676 勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
訓読 背の山に黄葉(もみち)常敷く神岳(かむたけ)の山の黄葉(もみちは)は今日か散るらむ
私訳 有馬皇子の藤白の御坂の山は黄葉で覆われています、大和の明日香の雷丘の黄葉はもう散っているでしょうか。

集歌1677 山跡庭 聞往歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
訓読 大和には聞こえ往(い)かぬか大我野(おほがの)の竹葉(たかは)刈り敷き廬(いほり)せりとは
私訳 大和にはその評判が聞こえているでしょうか、大我野にある珍しい竹葉を刈り取って仮の宿に敷いていることを。

集歌1678 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
訓読 紀(き)の国の昔弓雄(さつを)の響矢(なりや)用(も)ち鹿取り靡けし坂上(さかへ)にぞある
私訳 紀の国で、昔、弓の勇者が神の響矢で鹿を取り従わせた熊野荒坂です。

集歌1679 城國尓 不止将往 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄
訓読 紀(き)の国にやまず通(かよ)はむ妻の杜(もり)妻寄しこせね妻と言(い)ひながら
私訳 紀の国には止むことなくいつも通いましょう。仁徳天皇の妻の磐姫命皇后の御綱柏の社の故事のように、妻を御綱柏を採りに寄せ来させましょう。貴女は妻と言ひながら。
左注 一云、嬬賜尓毛 嬬云長良
訓読 一(あるひ)は云はく、妻賜はにも妻と言ひながら
左注 右一首、或云、坂上忌寸人長作。
注訓 右は一首は、或は云はく「坂上忌寸人長の作なり」といへり。

後人謌二首
標訓 後(のこる)人(ひと)の歌二首
集歌1680 朝裳吉 木方往君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
訓読 朝も吉(よ)し紀(き)へ行く君が信土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)そ雨な降りそね
私訳 今朝は日よりも良いようです。紀の国に行く貴方が大和と紀の国との境の信土山を今日は越えていく。雨よ降らないで。

集歌1681 後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
訓読 後(おく)れ居(い)て吾(わ)が恋ひ居(を)れば白雲の棚(たな)引(ひ)く山を今日(けふ)か越ゆらむ
私訳 後に残り居て私が貴方を恋慕っていると、彼方に見える白雲の棚引く山を、貴方は今日は越えるのでしょうか。

 以上で類聚歌林から引用された万葉集に載る歌の鑑賞を終わります。
 ここで、この類聚歌林の成立の時期を推測して見ますと、山上憶良が著した類聚歌林は、集歌1673の歌の標から、少なくとも、大宝元年(701)以降にまとめられたことになります。これが時代を遡れる上限です。
 歴史において、山上憶良は大宝元年(701)正月二十三日に遣唐使の随員に任命され、慶雲元年(704)七月頃まで遣唐使の一員でした。類聚歌林が歌集であり、歴史書のような姿をしていたのではないかとの推測と参照資料収集の困難性などの関係から、類聚歌林は山上憶良が大唐から帰京してからの物ではないでしょうか。そして、山上憶良は霊亀二年(716)任官の伯耆守を経て養老五年(721)に東宮の侍従のような立場になりますから、養老五年までに類聚歌林は成立し、山上憶良の学識が広く知られていたと想像しています。つまり、類聚歌林は慶雲元年(704)以降、養老五年(721)までに成立したと思っています。
 さらに想像を膨らませますと、山上憶良が伯耆守として山陰地方に赴任しますと、当時の通信状況や書物の流通を思うときに、類聚歌林で示すような歴史の情報量が極端に欠乏するのではないかと想像します。そこらから、実際は伯耆守として赴任以前に成立していたのではないでしょうか。およそ、慶雲元年(704)以降、霊亀二年(716)までの、約十年間の内に成立したと思っています。
 山上憶良は、遣唐使の随員に任命されるまでは天武天皇の時代からの国事編纂の責任者である川島皇子に随員して、朱鳥四年(690)に紀伊国で川島皇子の代作の和歌を詠う姿(推定三十歳)から推測して、無位ではありますが雑任(ぞうにん)の内の書生(しょしょう)のような官吏の立場と推定されます。そして、同時に国事編纂の責任者である川島皇子と関係が深い点や集歌7の歌の左注の「類聚歌林曰、一書戊申年幸比良宮大御謌」の文が示すように、古事記や日本紀の編纂過程で多くの歴史資料に目を通すことのできる立場であったのではないでしょうか。その後の大唐での経験から国歌収集・考証の必要性を刺激され、帰国後は国事編纂時代の資料や伝手を頼って、国歌収集・考証として類聚歌林を著したと妄想しています。
 万葉集に先行する歌集の紹介の最後を締めるはずが、最後まで酔論と妄想と思い込みの与太話になりました。申し訳ありません。


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