竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

笠女郎

2011年02月05日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
笠女郎
 紹介する笠女郎の歌は、全て大伴家持への恋と恨みの歌です。その恋と恨みの歌を、そのように鑑賞するために順番を変えてみました。そして、恋の行方の時系列のような並びにして見ました。
 さて、笠女郎と大伴家持との間では、笠女郎は身分や家柄は釣り合いが取れない位に低いでしょうし、やや、年上の女だったようです。ただし、笠女郎は相当に教養のある女だったようで、そこに、大伴家持は引かれたのでしょう。
 二人の関係において、教養ある笠女郎は、大伴家持が大伴旅人や坂上郎女に継ながる歌の家系の御曹司ですから、居合いを入れて歌を作り贈ったのではないでしょうか。対する大伴家持にとって、どうも、そこについて行けなかったようですし、歌の家系の御曹司の立場も重荷だったのではないでしょうか。

罪作りの歌
 全て出発点は、ここにあるのでしょう。普段の解説での誤字説からの「贈」ではなく、西本願寺本の「賜」の方を尊重しています。それで、笠女郎と大伴家持との恋の出発点が表れてきます。この「賜」の意味を取るため、笠女郎をやや年上の官位を持つ宮中の女性と見ています。集歌1616の歌が天平十一年頃以前ですと、対する家持は無官位の内舎人または私人の立場ですので、笠女郎からは「賜」の関係となります。集歌1616の歌と集歌1451の歌を比べると、その「賜」と「贈」には天平十一年頃の家持の蔭位による正六位下への叙位を挟むような感覚があります。笠女郎は家持が内舎人の時代に知り合った仲でしょうか。
 さて、ある年の初夏頃でしょうか、大伴家持は笠女郎の存在を知ったようです。そして、翌年の夏ごろには家持は笠女郎の許へ通う「罪作り」の関係になったようです。

笠女郎賜大伴宿祢家持謌一首
標訓 笠女郎の大伴宿祢家持に賜わる謌一首
集歌1616 毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳
訓読 朝ごとに吾が見る屋戸(やど)の撫子(なでしこ)の花にも君はありこせぬかも
私訳 朝が来るたびに私が見る家の撫子の花にも、貴方の面影はないのでしょうか。

笠女郎贈大伴家持謌一首
標訓 笠女郎の大伴家持に贈れる謌一首
集歌1451 水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞
訓読 水鳥の鴨の羽(は)の色(いろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
私訳 水鳥の鴨の羽の色のように緑少なく、これから芽生える春山のようで、二人の仲がどうなるやら覚束なく思われます。

贈る歌三首
笠女郎贈大伴宿祢家持謌三首
標訓 笠女郎の大伴宿祢家持に贈れる謌三首
集歌395 詫馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
訓読 詫馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(そ)めいまだ着ずして色に出でにけり
私訳 詫馬野に生えると云う紫草で衣を目も鮮やかに染め上げ、それを未だに着てもいないのに、色鮮やかな衣を着たように、はっきりと人の目についてしまったようです。

集歌396 陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
訓読 陸奥(みちのく)の真野の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを
私訳 陸奥にある真野の草原は遠いのですが、それを想像することは出来ると云いますね。

集歌397 奥山之 磐本菅乎 根深目手 結之情 忘不得裳
訓読 奥山の磐(いは)本菅(もとすげ)を根深めて結びし情(こころ)忘れかねつも
私訳 奥山にある磐の根元に生える菅の根が深く張るように、しっかりと貴方と気持ちを深めて契った貴方の情けを忘れることが出来ません。

贈る歌二十四首 期待、恨み、そして 諦め
間遠のく男への復縁の期待から、捨てられることへの恨み、そして、諦めへの心の移り変わりの歌です。少し、辛い歌です。

笠女郎贈大伴宿祢家持謌廿四首
標訓 笠女郎の大伴宿祢家持に贈れる謌廿四首
集歌587 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
訓読 吾が形見見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒長く吾(あれ)も思(おも)はむ
私訳 私の思い出のものを見ながら私を思い出してください。年が改まる時を経ても末永く私も貴方をお慕いします。

集歌588 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
訓読 白鳥(しらとり)の飛羽(とば)山松(やままつ)の待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月比(なら)ふ
私訳 白鳥の飛ぶ飛羽山の山松のように、貴方の訪れを待ちつつ、私は貴方をお慕いしています。この月はきっといらっしゃる。

集歌589 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
訓読 衣手(ころもて)を打廻(うちみ)の里にある吾を知らにぞ人は待てど来(こ)ずける
私訳 衣の袖を打つ、打廻の里にいる私の心を知らないで、貴方は、待っていても遣って来ません。

集歌590 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 名告為莫
訓読 あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはと勤(いめ)よ吾が背子名を告(の)らすな
私訳 気持ちが改まる新しい年が来たので、今はもう良いだろうと、決して、私の愛しい貴方。私から貴方に告白させないで。

集歌591 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
訓読 吾が思ひを人に知るれか玉匣(たまくしげ)開き明(あ)けつと夢(いめ)にし見ゆる
私訳 私の思いを貴方に知られたからか、櫛を入れる美しい匣の蓋を開いてあけた(藤原卿と鏡王女の相聞のように、貴方に抱かれる)と夢に見えました。

集歌592 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
訓読 闇(やみ)の夜に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
私訳 闇夜に鳴いている鶴の声を遠くから聞いているように、うわさに聞いても姿の見えない貴方と逢うこともありません。

集歌593 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
訓読 君に恋ひ甚(いた)も便(すべ)なみ平山(ならやま)の小松が下(した)に立ち嘆くかも
私訳 貴方に恋い慕ってもどうしようもありません。(人麻呂が詠う集歌2487の歌のように)平山に生える小松の下で立ち嘆くでしょう。

集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 吾が屋戸(やど)の夕蔭草(ゆふかげぐさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも
私訳 私の屋敷に咲く夕萱の花の白露のように消えてしまいそうに、いたずらに寂しく思えるでしょう。

集歌595 吾命之 将全幸限 忘目八 弥日異者 念益十方
訓読 吾が命(いのち)の全(また)幸(さき)限り忘れめやいや日に異(け)には念(おも)ひ増すとも
私訳 私の命がこの世にある限り貴方のことを忘れることがあるでしょうか、いいえ、日に日に貴方への想いは増すことはあっても。

集歌596 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守
訓読 八百日(やほか)行く浜の沙(まなご)も吾が恋にあに益(まさ)らじか沖つ島守(しまもり)
私訳 何百日も歩いていけるほどの広い浜にある砂の数も、私が貴方に恋する想いに勝るでしょうか、ねえ、沖の島守よ。

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石走る間(ま)近きに恋ひ渡るかも
私訳 この世の人々のうわさが激しい。岩をも流す木津川のそばの久邇の京を建設する仕事に従事する貴方に恋い慕っているからでしょうか。
注意 この歌が詠われたとき、家持は久邇の京にいて、笠女郎がその家持に片思いの歌を贈ったと思われる。

集歌598 戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異
訓読 恋にもぞ人は死にする水無瀬(みなせ)川(かは)下(した)ゆ吾れ痩(や)す月に日に異(け)に
私訳 恋によっても人は死にます。水の無い川の川床の下を流れる水のように人知れず私は痩せます。月に、日毎に。

集歌599 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨
訓読 朝霧のおほに相見し人故(ゆゑ)に命死ぬべく恋ひわたるかも
私訳 (人麻呂が詠う吉備津采女の歌のような)朝霧の中でぼんやりとお逢いするように、お逢いした貴方のために、恋焦がれて死んでしまいそうな恋をしています。

集歌600 伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨
訓読 伊勢の海の礒(いそ)もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも
私訳 伊勢の海にある磯に轟いて打ち寄せる波のように、身もおののくような貴方に恋い慕っています。

集歌601 従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽
訓読 情(こころ)ゆも吾は念(おも)はずき山川も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは
私訳 心底、私は想いもしませんでした。山や川が隔てているのでもないのに、これほど逢えない貴方を恋しいと思うとは。

集歌602 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而
訓読 夕されば物念(おも)ひ益(まさ)る見し人の言(こと)問(と)ふ姿面影(おもかげ)にして
私訳 夕方になると物思いは募ります。儀式でお目にかかった貴方の神事の祝詞を奏上する姿を思い出にして。
注意 「言」、「辞」、「事」の意味の違いから、「言問」は神事の祝詞奏上、「事問」は消息などを尋ねる意味合いと取っている

集歌603 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
訓読 念(おも)ふにし死にするものにあらませば千遍(ちたび)ぞ吾は死に返(かへ)らまし
私訳 (人麻呂に愛された隠れ妻が詠うように)閨で貴方に抱かれて死ぬような思いをすることがあるのならば、千遍でも私は死んで生き返りましょう。

集歌604 劔太刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身(み)に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ如何(いか)なる怪(け)そも君に相(あ)はむため
私訳 (人麻呂に抱かれた隠れ妻が詠うように)貴方が身につける剣や太刀を受け取って褥の横に置くことを夢に見ました。この夢はどうしたことでしょうか。貴方に会いたいためでしょうか。

集歌605 天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目
訓読 天地の神の理(ことわり)なくはこそ吾が念(も)ふ君に逢はず死にせめ
私訳 天と地の神の理が無いと云うならば、私が恋する貴方に逢わさずに死なせなさい。

集歌606 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有
訓読 吾も念(も)ふ人もな忘れたな和(にぎ)に浦吹く風の止(や)む時なかれ
私訳 私も貴方をお慕いします。貴方も私を忘れないでください。まったく穏やかに入り江に吹く風が止むときがないように。

集歌607 皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨
訓読 皆(みな)人(ひと)を寝(ね)よとの鐘(かね)は打つなれど君をし念(も)へば寝(ゐ)ねかてぬかも
私訳 皆の人よ寝よと亥の刻の鐘を打つのだが、貴方をひたすら想うと床に就くことが難しい。

集歌608 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
訓読 相(あひ)念(も)はぬ人を思ふは大寺(おほてら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)つく如(ごと)
私訳 愛しても愛してくれない人を愛することは、立派な寺にある仏を守る仁王に踏みつけにされている、その餓鬼を、後ろから額ずいて拝むようものです。

集歌609 従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者
訓読 情(こころ)ゆも我は念(おも)はずきまたさらに吾が故郷(ふるさと)に還(かへ)り来(こ)むとは
私訳 心からも私は思いませんでした。いまさらに、私が自分の里に一人で帰って来ようとは。

集歌610 近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自
訓読 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君が座(いま)さば有りかつましじ
私訳 近くに住んでいましたら貴方にお目にかかることもあるでしょうが、こんなに一層に遠くに貴方が住んでいらっしゃると、お目にかかることはもう無いでしょう。

右二首、相別後更来贈
注訓 右の二首は、相別れし後に更来(また)贈れり


参考歌
大伴宿祢家持和謌二首
標訓 大伴宿祢家持の和(こた)へたる謌二首
集歌611 今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有
訓読 今さらに妹に逢はめやと念(おも)へかもここだ吾が胸(むね)欝悒(いぶせ)くあるらむ
私訳 今、また更に、貴女に逢わないと心に決めたからでしょうか。私の心は重くふさぎこんでいるのでしょう。

集歌612 中々者 黙毛有益呼 何為跡香 相見始兼 不遂尓
訓読 なかなかは黙然(もだ)もあらましと何すとか相見そめけむ遂(と)げざらまくに
私訳 本当は何もしないでいることも出来たのに。どうして貴女と愛し合ってしまったのか、添い遂げることが出来ないのに。

おわりに
 このように歌々を鑑賞してきますと、万葉集に登場する笠朝臣一族は大伴旅人と家持に深く係っていることが判ります。
万葉集に載る人名を冠した歌集としては、柿本朝臣人麻呂歌集、高橋連蟲麻呂歌集、笠朝臣金村歌集と田邊史福麻呂歌集がありますが、この内、高橋連蟲麻呂は大伴旅人、笠朝臣金村は大伴旅人、田邊史福麻呂は大伴家持と深い関係を見ることが出来ます。歌集の歌として楽しむだけでなく、万葉集の編纂や採歌の過程を想像するとき、興味深いものがあります。



コメント   この記事についてブログを書く
« 笠朝臣子君  集歌4227の謌 | トップ | 田辺福麻呂歌集を鑑賞する ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集」カテゴリの最新記事