竹取翁と万葉集のお勉強

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竹取翁の歌のお勉強 万葉集の目録の歌の比較

2009年04月09日 | 万葉集 竹取翁の歌を鑑賞する
竹取翁の歌のお勉強 万葉集の目録の歌の比較

 今回は、万葉集を編纂した丹比真人国人が択んだ万葉集を代表する歌を示す長歌と、現在に伝わる巻二十巻本の万葉集の目録を作ったと思われる紀貫之の択んだ万葉集を代表する歌を示す長歌を比較してみます。
 この万葉集の歌番3791の歌と古今和歌集の歌番1002の歌の両方とも、多少、皆さんが目にする「訓読み」や「読み下し」とは違いますが、相違する読みを行なったところもまた、基本的な語字の読みに従っています。私が勝手に語字の読みを創作した「創訳」ではありません。相違する読みは、歌の解釈に基づく相違とご理解下さい。
 例として、「垂乳為母所懐褨襁」の「母」の語字について、万葉集では「母之」と記すと「ははの」と読みますが、「為母」、「母無」や「母乳」と記すと「母」は「も」と読むのが通例です。私は「も」と読んで、「垂乳為母所懐 褨襁」は「たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁(か)け」と訓読みしています。「おっぱいの懐かしい時には、たすき懸けした幅広い布の中で脇に抱えられていた。」と解釈しています。この風景が、人麻呂の泣血哀慟の歌の「男(をとこ)じもの 脇ばさみ持ち」の風景です。ちょうど、歌が詠う赤子の時にはおんぶひも、幼児の時にはちゃんちゃんこ、育って花嫁衣裳を着る風景の「着る」の動作で統一した姿です。「結幡之」を「ゆひはたの」と読み「絞り染めの」とする理解ではありません。「結幡之」は「けつはんの」と読み、結婚式と理解すべきです。私は、このような解釈でそれぞれの歌を読んでいます。

 すると、面白いことが判ります。当たり前のことですが、万葉集を編纂した丹比国人が択んだ万葉集を代表する歌は長歌・短歌・漢詩など幅広く取り上げていますが、紀貫之の択んだ万葉集を代表する歌は、高橋連虫麿の富士山の歌を除くとすべてが短歌です。奈良時代の歌人と平安時代の歌人の和歌に対する感性や考え方の違いが明確に現れています。およそ、紀貫之は歌の基準を公の儀式での奉呈歌や自然の美を含むものを上位にし、ただ感情だけの相聞や歌謡を下位に置いた雰囲気があります。また、丹比国人が取らなかったものを平安歌人の意地とプライドで発掘し、拾い上げた感もあります。
私は、紀貫之は集歌3791の歌を十分に理解した上で、古今和歌集の両序に載る歌論を下に古今和歌集の歌番1002の歌を詠ったと思っています。丹比国人が択ぶ万葉集の代表作が集歌3791の歌で読みこまれた三十五首に九人の娘女が歌った九首の計四十四首に対して、その四十四首の数字を意識しての紀貫之が択んだ二十二首だと思います。

 まるで謎解きの問題ですが、万葉集の歌番3791の歌が万葉集のどの歌を取り込んでいるか想像してみてください。
 なお、「二綾裏沓」の言葉は挿鞋を意味し天子又は日並皇子を示しますし、「縫為黒沓」は皮を縫った黒い短い沓を烏皮履と云いそれを履く大夫の身分を示します。このように集歌3791の歌の言葉自身も謎解きの形を取っていますので、歌での言葉やその由来を想像してください。

資料-1 万葉集での目録の歌   推定 丹比国人
集歌3791 緑子之 若子蚊見庭 垂乳為母所懐 褨襁 平生蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡之 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成 者之寸丹取 為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊杲 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷刺 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 持還来

<試みの訓読み>
緑子の 若子の時(かみ)には たらちしも懐(なつか)し 褨(すき)を襁(か)け(01) 平生(ひらお)の時(かみ)には 木綿(ゆふ)の肩衣(かたきぬ) ひつらに縫ひ着(02) 頚(うな)つきの 童(わらは)の時(かみ)には 結幡(けつはん)の 袖つけ衣(ころも) 着し我れを(03) 丹(に)よれる 子らが同年輩(よち)には 蜷(みな)の腸(わた) か黒し髪を ま櫛持ち(04) ここにかき垂れ 取り束(たか)ね 上げても巻きみ 解き乱り 童に為(な)しみ(05) 薄絹(うすもの)似つかふ 色に相応(なつか)しき 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ)(06) 住吉の 遠里小野の ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)に(07) 高麗錦 紐に縫ひつけ(08) 刺(さ)さへ重(かさ)なへ 浪累(し)き(09) 打麻(うちそ)やし 麻続(をみ)の子ら(10) あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は(11) 延(は)へて織る布(ぬの) 日晒(ひさら)しの 麻手(あさて)作りを(12) 信巾(ひれ)もなす 愛(は)しきに取り(13) 醜屋(しきや)に経(ふ)る(14) 否(いな)き娘子(をとめ)か 妻問ふに(15) 我れに来なせと 彼方(をちかた)の 挿鞋(ふたあやうらくつ)(16) 飛ぶ鳥の 明日香壮士(をとこ)か 眺め禁(い)み(17) 烏皮履(くりかわのくつ) 差(さ)し佩(は)きし(18) 庭たつすみ 退(さ)けな立ち(19) 禁(いさ)め娘子(をとめ)か 髣髴(ほの)聞きて(20) 我れに来なせと 水縹(みなはだ)の 絹の帯を 引き帯(び)なし 韓(から)を帶に取らし(21) 海若(わたつみ)の 殿(あらか)の盖(うへ)に(22) 飛び翔ける すがるのごとき 腰細(こしほそ)に 取り装ほひ(23) 真十鏡(まそかがみ) 取り並(な)め懸けて 己(おの)か欲(ほ)し 返へらひ見つつ(24) 春さりて 野辺を廻(めぐ)れば おもしろみ(25) 我れを思へか 背の千鳥(つとり) 来鳴き翔らふ(26) 秋さりて 山辺を行けば 懐かしと 我れを思へか(27) 天雲も 行き棚引く(28) 還へり立ち 道を来れば(29) 打日刺す 宮女(みやをみな)(30) さす竹の 舎人(とねり)壮士(をとこ)も 忍ぶらひ(31) 返らひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある(32) かくのごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 狭幸(ささき)し我れや 愛(は)しきやし(33) 今日(けふ)やも子らに 不知(いさ)にとや 思はえてある(34) かくのごと 為(せ)し故(ゆへ)し 古(いにしへ)の 賢(さか)しき人も(35) 後の世の 語らむせむと 老人(おいひと)を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり



資料-2 古今和歌集での目録の歌
ふるうたたてまつりし時のもくろくの、そのながうた    紀貫之

<試みの読み>
ちはやぶる神のみよより くれ竹の世世にもたえず あまびこのおとはの山の(B01) はるがすみ思ひみだれて(B02) さみだれのそらもとどろに(B03) さよふけて山ほととぎすなくごとにたれもねざめて(B04) からにしきたつたの山のもみぢばを見てのみしのぶ(B05) 神な月しぐれしぐれて(B06) 冬の夜の庭もはだれにふるゆきの猶きえかへり(B07) 年ごとに時につけつつあはれてふことをいひつつ(B08) きみをのみちよにといはふ世の人のおもひ(B09) するがのふじのねのもゆる思ひもあかずして(B10) わかるるなみだ(B11) 藤衣おれる心も(B12) やちくさのことのはごとに(B13) すべらぎのおほせかしこみ(B14) まきまきの中につくすといせの海のうらのしほがひひろひあつめとれりとすれど(B15) たまのをのみじかき心思ひあへず(B16) 猶あらたまの年をへて(B17) 大宮にのみひさかたのひるよるわかずつかふ(B18) とてかへりみもせぬ(B19) わがよどのしのぶぐさおふる(B20) いたまあらみふる春さめ(B21) のもりやしぬらむ(B22)



*おまけ* 私の解釈の例

あり衣の 宝(たから)の子らか 未必(うつたへ)は(11)
意訳 美しい衣を纏った宝のように大切で触れてはいけない人だからか、しかし、かならずしも

大納言兼大将軍大伴卿謌一首
集歌517 神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞
訓読 神樹(かむき)にも手は触(ふ)るといふを未必(うつたへ)に人妻といへば触れぬものかも

緑子、若子や童子でもない「宝之子」の「子」は若い女性でしょうから、「あり衣の 宝の子らか」を、「美しい衣を纏った宝のように大切で触れてはいけない人だからか」と解釈しての、集歌517の歌です。これがスコップ持ちの歌の解釈です。アハハの世界として、ご寛容を願います。
竹取翁の歌の鑑賞では、「宝の子」から下記の山上憶良の歌を思い起こしてはいけないようです。憶良の歌での「子」は、等しく民衆を救済する釈迦ですら特別に自分の子供をいとおしむ、そのような金銀財宝とは比べようもない大切な自分の子供です。「宝のような人」のような意味合いとは違います。

集歌803 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
訓読 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 勝(まさ)れる宝(たから) 子に及(し)かめやも

 また、集歌504と集歌3481との歌は万葉集では、その表記が若干違いますが同じ歌として扱われていますから、万葉の時代での「あり衣」と「玉衣」とは同じ言葉として捉えていたと思われます。ここから、あり衣を美しい玉のような輝きを持った衣と読むことが出来るとしています。

集歌504 珠衣乃 狭藍左謂沈 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも

集歌3481 安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母
訓読 あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦しも

 当たり前ですが、万葉集を編纂した人も、その目録を作った人も、すべての万葉集の歌々を把握しています。梨壷に縁の無い藤原貴族とは違います。当然、紀氏は人麻呂縁者ですし、藤原氏と大中臣氏とは別者です。まして、大原今城の所縁を伝える源氏や清原氏とも違います。お家流では万葉集は読めません。

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